20:ズルいよ甲洋くん!
「ゴールデンウィークって最高だな」
朝八時。普段ならば学校で授業を受けているこの時間に、ベッドの上でゴロゴロできることのなんと幸せなことか。
ゴールデンウィークの初日から、俺は早速怠惰な休日を過ごしている。
ベッドの上に寝転がってスマホを弄り、ただ無為に時間を過ごす。短い青春の一日をそんな過ごし方で潰していいのかと思わないでもなくはないのだが、それを上回る怠惰への欲求が勝るから仕方がない。
そうやってゲームの実況動画を眺めながらぼんやりとした時間を過ごしていると、こんこん、と控えめに自室の扉がノックされる音を耳が捉えた。
「甲洋くん、起きてる?」
続いて、扉の向こうから涼やかな声で話しかけてくるのは、もちろん葉月である。
この時間になっても部屋から出てこない俺を心配してくれているのだろうか。彼女にいらない心配をかけてしまったのであれば少し反省が必要だ。
ベッドから起き上がりつつ、俺は彼女に向かって「起きてるよ」と返事を返した。
「あ、よかった。起きてるんだね。お部屋、入ってもいいかな?」
「えっ!?」
俺は、葉月から突然寄越された提案に慌ててしまう。
俺たちは同じ家に暮らしているが、どちらかが寝坊の危機等に瀕していない限り、基本的にお互いの部屋に足を踏み入れる事はない。
用があるときは部屋の扉をノックして会話し、何か用事があればリビングで会話を交わすのが常だった。
「ど、どうしたんだ葉月急に」
「お休みが始まったけど、なんだかわたし、することがなくて……」
なるほど。長い休みの初日、特にやることが思いつかないのは葉月も一緒なのだろう。
「それで、甲洋くんの漫画を読ませてもらえないかなって思ったんだけど……」
だんだんと萎んでいく葉月の声のトーン。口にはしないものの「迷惑だったかな……」と不安を湛えている様子にこちらが申し訳なさを感じてしまう。
迷惑だなんて事はあるわけがない。彼女が俺の漫画を読みたいと望むのならばそれには応えてあげたいし、何より、葉月がわざわざ俺の部屋へ足を向けてきてくれたという事実に喜びを禁じ得ない。
さっと部屋全体に視線を巡らせて、彼女の目に毒なものがないことを確認する。この家に引っ越してくるにあたり、女子の目に触れてはまずいようなものは大抵処分してきたのでほぼほぼ問題はない。
あとは問題があるとすれば、俺がまだ寝間着を着たままの状態ということだ。
流石にこのまま葉月の前に出て行くのは憚られるので、すぐ側に放り投げられている部屋着にパパッと着替えを済ませる。早めに顔は洗ってこなければ。
ただ、これで総合して、葉月を部屋に招き入れることに支障は無いと言えるだろう。むしろウェルカムである。
というわけで、俺はいまだ律儀に扉の前で待ってくれている葉月を自身の部屋に迎え入れることにした。
「……ごめん。おまたせ、葉月」
「あ。ありがとう、甲洋くんっ」
扉を開けた先には、部屋着のパーカーとハーフパンツを身にまとった葉月が、いつもの眩しい笑顔で立っていた。
朝から葉月のこんな笑顔を見れるなんて、俺は間違いなく世界でも有数の幸せ者だ。そんなことを考えてしまう程度に、俺は葉月の魅力にあてられているらしい。
「それと、甲洋くん、おはようっ」
「あ、うん。おはよう葉月……」
「えへへ。……今日も甲洋くんに挨拶できて嬉しいなっ」
ふひゅっ、と変な息が漏れたのは、葉月には聞こえていないだろうか。聞こえていないでほしい。
こんなことを葉月に言われて喜びの感情が噴き出ない男がいるわけない。ずるいの一言に尽きる。
いつもいつも男心をくすぐってくるのが上手な葉月さんで困りますよ本当に!
と、そんな内心の動揺は努めて隠しながら、俺は改めて葉月を部屋に招き入れる。
葉月は前に一度、俺を寝坊から救うためこの部屋に足を踏み入れたことがあるはずだが、今回は妙に恐る恐るといった体だった。
「どうしたの?」
「ううん……なんだか、改まって甲洋くんに招待されたような気分で、ちょっと新鮮だったから」
言いつつ、葉月は照れたように笑ってみせる。
そう言われてみると確かに、女子を自分の部屋に招待したような感じでちょっと新鮮だ。
たとえ相手がもうひと月近く同じ家で暮らしている相手であったとしても、それぞれの部屋は最後のパーソナルスペース的な扱いだったわけだし。
……いや、そうか。新居への引越し前を除けば、自分の部屋に女子――しかも葉月――を自身の意思で招き入れるのは初めての経験だな。
うわ。なんかすっごく恥ずかしい。
部屋の中に変なものを置いていないのは間違いないけど、変な匂いとかしてないだろうなここ!?
思わず心配になって、くんくんと自分の匂いを嗅いでしまうが、特にわかることはなかった。逆に鼻腔に意識を集中したせいか、葉月からふわりと漂う甘い香りに気付いてしまう始末。
ああああああ意識するな月守甲洋!
「甲洋くん?」
「な、なんでもない! なんでもないんだ……」
「そう?」
葉月が体を動かすたび、亜麻色の髪がその背をさらりと滑る。
その度に俺は彼女から届くシャンプーの香りにドギマギさせられてしまうのだった。
いかん。このままではまずい。というわけで、葉月の香りに集中しないよう、どうにか話題を変えることにする。
「……と、ところで。漫画を読みたいって話だったけど」
「あ、うん。そうなんだ」
ぽん、と手を打った葉月が思い出したように言う。
「甲洋くんはいっぱい漫画持ってるし。何かオススメがあったら教えてほしいなって思って。頼めるかな?」
もちろんですとも。むしろ葉月にそんなことを頼まれて断る男子はいないだろう。
なんなら、別に頼まれなくてもオススメの漫画を教えたい男子だっているくらいだと思う。
葉月の依頼に「任せといて」と答えると、彼女は嬉しそうに笑った。俺にとっては葉月の笑顔が何よりの報酬だ。
さて。オススメの漫画か。
やはり他人にオススメする漫画といえば、とっつき易いのが一番いいだろう。
盛り上がりがハッキリしていて、キャラクターにも魅力たっぷりな少年漫画がベストだろうか。単純に俺の好みやコレクションがそちらに振れているというのもありはするけど。
その上で完結しているものか、連載途中のものにするかは迷うところだが……。
「……うん、これとかがいいかもな」
そんな具合で、部屋の本棚からオススメの漫画を見繕った俺は、三つほど候補に挙げた作品の一巻をそれぞれ手にして葉月に手渡した。
「この三つはどれも俺のオススメだけど、とりあえず読んで、気に入ったら棚から取ってみて。もちろんそれ以外の漫画も勝手に読んでくれて構わないけど」
「いいの?」
「もちろん。この部屋にある漫画は葉月の漫画でもあるからさ」
確かにこれらの漫画は俺の小遣いで購入したものだが、こうして家族となった今は葉月のものといっても同義である。
それに娯楽は他人と共有して楽しみたいし、もし葉月が漫画にハマってくれて、一緒に感想を言い合えたりしたら、それはとても楽しいことだと思うのだ。
そんな思いを込めて葉月に語ると、当の彼女は目をパチクリと瞬かせた後、破顔した。
「ふふっ、ありがとう甲洋くん」
「どういたしまして」
こんななんでもないようなことに対しても感謝の念を言葉で示してくれる葉月が眩しい。
俺が彼女のこういう所作の一つ一つに惹かれていったのは間違いないだろう。なんだか自認するのはめちゃくちゃ照れくさいけど。
と、俺が改まってそんなことを考えている中、葉月は何か新しい悪戯を思いついたかのような表情で、若干の妖しい色をその瞳の中に湛えていた。
「……でも、甲洋くん」
「ん?」
「――そんなこと言ってくれたらわたし、甲洋くんの部屋に入り浸っちゃうかもよ?」
そうやって、くすりと妖しく微笑んで見せた葉月は、時折現れては俺をからかってくる小悪魔モードのそれである。
この前までの俺であれば……きっとあたふたして、その後で「なんちゃって」と言われて躱されていたのだろう。間違いない。
だが、今日からの俺は違う。心境の変化は、ピンチを愉しむ余裕を俺にもたらしたのだ。
むしろこれはピンチなどではなくチャンスと言える――。
「――そりゃいいな。葉月だったら、ずっと部屋にいてほしい」
「……ふ、ぇっ!? こ、甲洋くん!?」
半分の本音と半分の揶揄をもって葉月に応えると、俺の態度が期待していたような反応ではなかったからか、葉月は頬を赤く染めて驚いた表情を見せてくれた。口をぱくぱくさせ、何かを言おうとしてそれでも言えない、みたいな姿がとても新鮮だ。
ちょっと自分の意趣返しが上手くいきすぎて悪い笑みが漏れてきそう。というか普通に漏れてきた。でも、たまにはいいよな、こういうのも。
「葉月」
「は、はい……!」
葉月はなぜかピン、と背筋を伸ばして俺の言葉を待っている。
その期待に添えるかはわからないが、葉月にはこの言葉を送ろう。
「なんちゃって」
「……え」
彼女お得意の台詞を返してあげると、葉月は一瞬固まった後に目を瞬かせ、
「……あ、あー! ズルい! ズルいよ甲洋くん!」
ようやくそこで俺がからかってきたことに気づいたのか、葉月はとても可愛らしく文句の声をあげてくるのであった。
ちなみに、俺がひとしきり笑っていた間、「わたしの十八番なのに!」と言いたげに「むぅ」とむくれる葉月が非常に可愛いかったことを追記しておく。
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