26:香椎伊吹の独白
あたし、香椎伊吹には親友と呼んで差し支えない友人がひとりいる。
彼女はあたしが今までに出会ったどんな子よりも可愛くて、綺麗で、優しくて、頭もよければ、スポーツも万能。天はこの子に何物を与えたの? って思っちゃうくらいにはおおよそ完璧なあたしの親友。
ひとたび街を歩けば、男子の目も女子の目も、なんなら散歩している犬の目だって引いちゃう。中学時代から告白を受けること多数、高校に至っても多数、芸能界のスカウトだって来ちゃう、モテカワスーパーガール。
それが、東明高校における学園のアイドルにして、我が大親友――天空橋葉月だ。
「……そしてあたしはそんな彼女の隣にいることに微かの優越感を抱いているのだがそれはまた別の話――」
「伊吹? なにをぼーっとしてるの?」
「おっと失礼葉月さま」
脳内で変なナレーションを垂れ流していたら、向かいに座る葉月の怪訝な声が飛んできた。いやーごめんごめん、と頭を掻きながら謝って、あたしは改めて正面の葉月を見る。
下手なアイドルや女優なんか目じゃない顔立ちに、異国の血を引いているのであろう、優しい亜麻色の髪。そしてあたしとは比べ物にならないほど大きい胸。そりゃ男子も見ますわ。自分のそこに手を当てて、格差を実感。いやあ参りました。
「……伊吹、ちょっと目線がえっちなんだけど」
「葉月のジト目頂きましたー。ハイチーズ」
「わわっ、ちょっと伊吹っ」
胸元を抑えて半眼でこちらを睨む葉月。誰にでも優しく丁寧な葉月がこういう不機嫌な表情を見せるのは、親友のあたしと彼女と同居してるクラスメイトくらいなものだろうから、そういうところにも若干鼻が高くなってしまう。
というわけで、そんな葉月のレアショットを撮影すべくスマホを取り出しパシャリと一枚。慌てた葉月が顔を隠そうとするが時すでに遅し。あたしのスマホのストレージにはばっちりきっかり葉月さんのジト目写真が格納されたのであった。
これクラスメイトに売ったら相当儲かるな……いやしないけど。
「それより伊吹。わたしの写真なんか撮ってないで勉強した方がいいんじゃないの?」
あたしの行動には葉月も慣れ切っているので、あきらめ混じりのため息を吐いた後、二人の間にあるテーブル、その上の教科書類に視線を落としながら葉月が言った。
テーブルの上の教科書、数学に現国に化学に倫理、そのすべてが高校で使うそれで……まあ、つまるところあたしたちは有名チェーンの喫茶店で勉強中なわけである。楽しくも短かったゴールデンウィークが終わってしまったので、高校二年生最初の中間テストがその牙を剥きはじめつつあった。マジで勘弁して。
「中間テストやばいから手伝って~って泣きついてきたのは伊吹じゃない」
「そうなんだけどさあ……。テスト勉強と葉月のスナップショットなら後者の方が大事じゃない?」
「なに言ってるの」
呆れた視線を寄越す葉月。いやでもあたしは葉月との思い出を大事にしたい女だから。そんなことを言うと、葉月はちょっと押し黙ってから口を開いた。
「……テスト勉強もわたしとの思い出じゃない?」
「はい」
おっしゃる通りでございます。
否定の余地がなかったので、あたしは素直に教科書類を手に取るのだった。
家でひとりテスト勉強をする無味乾燥な行為より、ここで葉月と勉強するほうがよっぽど潤いに満ち溢れていますわね、ええ。
ぱらぱらと教科書をめくりつつ、わからないところは成績超優秀の葉月さんに尋ねながらあたしはテスト勉強をこなしていく。ってかなにが微分だってんのよ。
そんなこんなで真面目に勉強をするなかでも、ちょいちょい余計な話をしたくなるのが華の女子高生という生き物だ。
「葉月さー」
「うん、なに?」
「ゴールデンウィークはツッキーとデートでもしたん?」
「ふぇっ」
教科書に目を落としながらそんな爆弾を投げ込むと、葉月は「うっ」と言葉を詰まらせてから頬を赤く染めて目を泳がせた。そして教科書を顔の前まで持ってきて隠れるようなしぐさを取る。おい、可愛すぎひんか?
まあ、目は口程に物を言うといいますか、この仕草、もう完璧に、否定の余地なくクロですね。この女……男の影がない親友のあたしを差し置いてデートしたのか。
ちなみにツッキーというのはあたしと葉月のクラスメイトであり、なんと葉月と同居しているやばいくらいのラッキーボーイこと、月守甲洋のことである。
どうも目の前のこの葉月、ツッキーに惚れてる節があった。いやまああたしはその理由も何となくはわかるんだけど。
で、葉月はどうやらそのツッキーとデートしたらしい。マジかよ葉月、あんたが男とデートしたっつたら東明の男子生徒の八割が憤死するぞ。
「おいおい葉月さんよぉ、JKっつったら恋バナじゃんよ、話してみ? ん?」
「い、いや、あの、デートじゃなくってその、旅行、旅行ね」
「グレードアップしてんぞおい」
デートじゃなくて旅行って、めっちゃステップアップしとるやろがい!
そうツッコみたい衝動を抑えつつ、あたしは葉月がゲロるのを待った。やべー、めちゃくちゃおもろいんだけど。やば。
「あの、温泉にね……うん」
「うっそ……」
いや、でも、待ってほしい。温泉旅行って……葉月さんちょっと進みすぎじゃない? もうそこまで同意が進んでるの?
「あ、でも、家族で行ったの」
「先に言ってよ」
なんだよー。家族旅行かよー。焦って損しちゃったぜ☆
葉月の天空橋家と、ツッキーの月守家はどうやら親御さん同士が再婚したらしく、二人は義理の兄妹になっているのだ。だから同居してるわけなんですね。
しかし、同年代の男の子との同居ってどんな感じなんだろ。脳裏にツッキーの隣でいつもぶすくれた顔を見せている少年の顔が思い浮かんで、あたしはぶんぶんと頭を振った。やれやれ。
「家族旅行だったらデートでもなんでもないじゃん。なに焦ってたのよ」
「……う、えへへ」
にへら、と緩んだ顔を見せる葉月を見てピン、と来た。こりゃ絶対何かがあったんだ。そうじゃなきゃ葉月がこんな蕩けた顔するわけもない。
ほらほら言ってみ~、とぐいぐい押し込んでみると、葉月はなんやかんやでまんざらでもなさそうな顔をしてから口を開いた。やっぱ学園のアイドルったって葉月も女子高生。自分も恋バナがしたいってわけだ。
「……実は、甲洋くんと同じ部屋で寝たの。お布団、隣り合わせで」
「マジかよ……」
マジかよ……。
あたしの口が吐いた言葉と、心の中の声はぴったり一致した。マジかよ、最近の男女は進んでるなオイ。
親友が自分よりも先んじていることに一種の寂しさを覚えながら、あたしは続きを促した。続き気になる。ってかもうここまで来たら肌重ねてないとおかしくないか!? ヤったんか、ヤったんか葉月おい!
「ちょっとその、お互いにいろいろ意地になったというか変な感じになって、お布団の中で手とか足とか触りあう感じになっちゃって……えへへ」
「おいおいおいおい葉月おいおいそれはおい」
あの葉月さんそれは、前戯とかいうような奴じゃないんですかねあの葉月さん。
言いたくなったけどとりあえず止めて、ツッキーが葉月の腕や足を愛撫する様を思いえが――けねえ! あのツッキーがそんなことするの? マジで?
学校じゃ柳生の隣で草食系ぶってるツッキーが葉月には押せ押せイケイケなの? 信じられねえ……。
つぎ学校でツッキーに会ったらどんな顔すりゃいいのかわかんないわ。
「まあ結局、そこで何もしてないけどね」
「うっそ」
「……お互いすごく恥ずかしくなっちゃって、冷静になったらおかしいねって」
もっと先に気付かないかそれは?
「でも、そんな感じで……うん、楽しい旅行だったよ」
「良かったね葉月さん……」
「伊吹はどうだったの? ゴールデンウィーク」
どうだったの、と尋ねられても、あたしのGWに特筆すべき出来事はなかった。
旅行から戻った葉月とランチを一緒に食べたり、実家でいろいろあったり。うん、特にないね。
「ぜーんぜんなんもない。葉月が羨ましいわ、楽しいGWで」
「うん、甲洋くんが一緒だからすごく楽しいよ」
邪気の一切ない笑顔で言い切って見せる葉月。その笑顔はとても眩しくて、さらに彼女にそれだけの信頼を向けられるツッキーがちょっと羨ましくて、妬ましかった。
葉月の隣の座をかっさらいやがって、あの似非草食系が……。裏ではいろいろあれやこれやの妄想してるんだろ、わかるんだぞあたしは。
「ええい、ツッキーに自慢してやる」
「え」
なんか微妙にムカついてきたのでもう一度葉月の写真を撮って、ツッキーに「葉月とデート中☆」という写真とメッセを送り付けてやった。フフフ、葉月をもらいたかったらあたしの壁を越えて見せるんだな。
「もう、なんなの伊吹、急に」
「なんでもないよ。ただツッキーにメッセを、送った……だけ」
「ふぅん……?」
言った途端、葉月の周囲の温度が急に低下したような錯覚を覚えた。ツッキーにメッセを送ったと知れた瞬間、どことなく葉月の目つきが冷たいものになったのを感じる。なんで伊吹が甲洋くんにメッセを送る必要があるのかな、と言いたげだ。
「ツッキーには葉月がこんだけ可愛いんだぞ、と送って、葉月を意識させるためのメッセだよ」
「そ、そうなの? でもそんなのは……」
「まあまあ、この伊吹さんに任せておきなさい」
よし、回避成功。良い感じに二人の仲を応援するためだよ的な雰囲気を出しておけば大丈夫。あたしってば冴えてるわ。
葉月がツッキーと同居し始めてから気づいたことがあるのだが、葉月は結構嫉妬深い。教室でツッキーがほかの女子と楽しそうに話してるときとか、結構雰囲気が硬かったし。前に合コン行くなんて言ってた時なんかまさに、だ。
ツッキーと柳生がいなくなった後の帰り道で、焦る葉月をどんだけ
まあ、そんな葉月をツッキー絡みでからかうのがめーっちゃ楽しいんですけどね!
「さて、そろそろもっかい勉強に移りますか」
「もう、伊吹ってば……」
さてさて、このフェーズの葉月からかいタイムは満足したし、いい加減テスト勉強に戻りましょう。留年中退ってわけにはいかないもんな。
* * *
「あたしちょっとお花摘みに行ってくるわ」
「あ、うん、行ってらっしゃい」
テスト勉強もそれなりに進んだ頃。そんな会話を葉月と交わして、あたしは入り口近くにあるお手洗いへと向かった。あたしと葉月が座っていた席は窓に面した二人掛けのテーブル席で、振り返ると葉月がぼんやり窓を見ながら肘をついていた。どこかアンニュイな様もとてもサマになる。
「うげ……」
そして、お手洗いから出てきたあたしは、目にした光景を前に呻いた。
葉月のナイト――あたしだけど――が席を外したのをいいことに、髪を金髪に染めた、見るからにチャラそうな大学生らしき男が葉月に言い寄っているのだ。
あたしが座っていた席に勝手に腰かけ、葉月に何をか語っている。葉月も相当めんどくさそうな顔を見せているのだが、男は全く気にした風でもない。つーか周りの客も店員も止めろよな。
「さーて……」
「葉月っ」
金的でもぶちかましてやろうか、と舌なめずりしながらそちらへ向かうあたしの横を、何かが早足で駆けていく。ぶつかりそうになって思わず身を引くと、当の本人は一直線に葉月とチャラ男のもとへと向かっていくではないか。あの後ろ姿は……そう、月守甲洋だ。
「おいおい、こんなタイミングよく来るか普通?」
「君のメッセを見て、甲洋は天空橋を迎えに来たんだ」
隣であたしの呟きに答えを返す声が聞こえる。そちらに顔を向けると、入り口からこちらに入ってきたらしい、柳生榛名の姿が目に入った。またツッキーと放課後遊んでいたようだ。この二人ほんとに仲いいな。
一方、葉月のもとへ駆け寄ったツッキー。その姿を見て、顔を曇らせていた葉月がぱあっ、とその顔を明るくした。もう完全にチャラ男のことなんか視界にも意識にも入っていない。ひたすらツッキーだけを見ている。
ツッキーが一言二言何かを語り、机の上の教科書をまとめてから葉月の手を取った。思わず手を握られて赤面する葉月と、急に現れたツッキーに気勢を削がれたチャラ男。葉月のナイト様は葉月以外眼中にないといった風で、お姫様の手を引いて大股で出入り口の方へと向かってきた。
「帰るぞ、榛名、香椎」
「おぉ、さすがだねナイト様」
「なんだそれ」
眉を顰めてこちらを見たツッキーが、席から持ってきてくれたあたしのバッグを渡してくれる。「ありがと」と呟いて、あたしは三人を先導するように店を出た。うーん、当分ここ来れないかもな。
さて、葉月はどうだろう、と思って後ろを振り向いてみれば、葉月は赤面しながらもがっちりとツッキーの手を握っていた。
「葉月、そろそろ離してもいいか?」
「ううん……まだこうして握っててほしいな」
「う……」
もう店を出たし手を離したいツッキーと、まだ手を繋いでいたい葉月。チャンスは逃さない、と言わんばかりに恋人繋ぎへとシームレスに移行しようとする葉月に慌てるツッキーの姿を見て、あたしは思わず笑ってしまった。
さっきは敢然とチャラ男に向かっていったのに、いまはこんなにも情けないなんて。
「……こういうギャップが葉月の琴線に触れるのかね」
いまだに手を握る握らないで可愛らしい言い合いを続ける二人を見ながら、あたしがぼそりと呟く。すると、あたしの横にいた柳生が続けた。
「日を経るごとに、あの二人、距離が近くなっていく気がする」
「違いない。あんたさ……ツッキーを取られてご不満?」
「そういう君は、天空橋を取られて不満じゃないのか?」
不満だけど? と柳生に言い返しながら、あたしたちは顔を見合わせて笑った。
まあ、でもさ。親友がすごい嬉しそうな顔をして、楽しそうに過ごしてるんだから、文句を言う必要なんてどこにもないんだよね。
「榛名、香椎、葉月を説得してくれ。俺の心が耐えられない」
やがて、こちらに加勢を求めてきたツッキーに向かって、あたしはニヤニヤした笑みを顔に張り付けながらその要請を斬り捨てた。
「温泉旅行でさんざ触れ合ったんだから今更じゃないの?」
「なっ、んで……それを……」
愕然とした顔を見せるツッキーが葉月に振り向くと、葉月は彼から目線を逸らしながら小さくちろり、と赤い舌を出した。
「……えへへ」
ばつが悪そうな顔をする葉月と、口をパクパクさせるツッキー。そして「温泉旅行ってなんだ?」とあたしに尋ねてくる柳生。うん、面白い。
これからもあたしをぜひぜひ楽しませてくれたまえ。
そんなことを考えながら、あたしは空いているツッキーの左手を握りしめに行った。ひょえ、と情けない声を漏らすツッキーと、こちらをジト目で見てくる葉月。
やっぱ、この二人をからかうのって最高だね!
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