27:わたしだけは、なにがあっても
「クラス委員から連絡があるんで、みんな注目してくださーい」
三時限目。所は校庭。ゴールデンウィークが明けて五月も中旬に差し掛かり、春の陽気の中に夏の暑さも見え隠れし始めようかという時期だ。明るい日差しが降り注ぎ、外に出るにはもってこいの天気。
今日の授業は体育ということで、我ら二年B組のクラスメイト達は各々体操着やジャージに着替えて校庭に集合していた。
「はい注目注目!」
クラス委員である俺は学友たちに伝達事項があるので、彼らの前に立って声を張り上げる。
なお、クラス委員として俺の隣に控える葉月も、普段のブレザーを脱ぎ捨ててジャージに着替えていた。
抜群のスタイルを誇る葉月は、すらりと伸びた健脚も、胸元に聳える双丘も、等しくえんじ色の衣で覆い隠している。だがしかし、その圧倒的な可能性の獣はジャージという分厚い衣に覆われてなおその存在感を全方位にアピールしており、その破壊力を視覚でもって知らしめていた。
……いや。俺は変態か? いい加減葉月を不埒な目で見るのはやめろ。
自分で自分をぶん殴りたい気分を抱えながら、俺はかぶりを振る。邪な思いを脳裏から追い出し終えたくらいで、クラスメイトの注目が俺に集まったことを確認した。なんか怪訝な目で見られてる。
「あー、ごほん……今日の体育は先生が休みのため自習ということになりました」
咳払いをひとつして、誤魔化すようについ先ほど職員室で受けた言伝を伝える。すると、俺の言葉を聞いた瞬間、クラスメイトたちはそのほとんどが喜色を湛えた声で騒ぎ始めた。
「よっしゃ!」
「よかったー! メイク崩れないで済む!」
「今どき長距離走なんて流行らねえからな!」
「わかるー。球技のほうがよっぽど楽しいのにね」
言いたい放題だ。二年B組のほぼ全員が自習の到来を喜んでいるようで、皆のテンションが目に見えて上がっているのがわかった。
なにせこの伝言が判明するまで、彼らに待ち受けていた体育の授業は長距離走だったのである。そのため、皆さっきまで気怠げな顔をしていたのだが、それが徐々に生気を取り戻していく様に、思わずこみ上げてくる笑いを抑えきれない。
みんな自分の心に正直すぎる。いや、裏表がなくていいところなのだろうと思うけれど。
ちなみに皆が集合して形を成している一団の端っこに立っている榛名は、どこか安心したような顔を見せていた。あいつは基本体育が苦手だし、スタミナがないから、長距離走は大の苦手なのだ。よかったな榛名。
「……なあなあ、月守ちゃん」
榛名を眺めながらそんなことを考えていたら、俺に声をかけてくるクラスメイトがひとり。
明るい雰囲気と軽いノリ、そして金髪。我がクラスでもっとも高校生活をエンジョイしているとすら思える山名くんだ。その節はお世話になりました。
「ん? どうした山名くん」
「自習って何してもいいの?」
クラスの中心人物とも言える彼は、スポーツ刈りのイケメン男子川藤くんを始めとしてよく一緒にいる友人たちを背に、体育の自習範囲を問うてきていた。
他の体育科の先生から聞いた内容は『B組担当の先生が休み』『授業は自習』『怪我には気を付けること』の三点。
俺の傍らに控える葉月と視線を交わし、俺は口を開いた。
「怪我しない程度になら何でも自由でいいと思うよ」
「よっし! さんきゅ、月守ちゃん!」
言うが早いか聞くが早いか、俺の言葉を受けた山名くんは小さくガッツポーズを見せて背後の友人たちの元へ駆けていく。「自由らしいからドッジボールやろーぜ!」なんてテンション高めに語る山名くんを見ていると好感を抱かずにはいられない。感情表現が豊かな人は見ていて気持ちがいい。それにいいよねドッジボール。俺も好きだ。
いわゆるクラスの人気者という立ち位置にある山名くんとその友人たちがボールを取りに体育倉庫へ足を向ける。その勢いに巻き込まれるかのように、香椎や榛名、その他のクラスメイト達もバラバラに彼らの背を追った。
今日の二年B組の体育自習は誰も異論を唱えることなくドッジボールに決まったらしい。
クラス委員である葉月の動向を気にして視線をチラチラとこちらに向けてくるクラスメイトもいたが、彼らもクラス全体の流れには抗うことなく、山名くん軍団のほうへと足を向けていった。
俺と葉月を除くクラスメイト全員が移動し始めたのを見届けて、俺たちふたりも彼らの背中を追って移動を開始する。
「ふふ……月守ちゃんかぁ」
「え?」
「男の子は仲良くなるのが早いよね。私はそれまでにちょっと長くかかっちゃったけど」
少し歩き始めた後、隣を歩く葉月がそんなことを言った。彼女が言っているのは先ほどの俺と山名くんのやりとりのことか。
山名くんの俺に対するあの距離感は、良くも悪くも男子と女子の違いというか、同性の遠慮のなさがそうさせるものだと思うけれど。あとはそう、合コンに一緒に行ったってのも大きいか。
「でもさ、自惚れじゃなければ、俺、天空橋とは山名くんよりもっと仲良いと思うよ」
「……。甲洋くん、今のは80点あげたいけど、70点の発言だね」
「なんで俺、言動に点数つけられてるの……」
しかも微妙な点数だ……。
「100点の答え合わせする?」
「……いや、予測はつくよ」
俺より半歩先にスキップし、少し腰をかがめながらこちらを振り向き覗く葉月の口元にはいつもの悪戯めいた笑み。
もう俺には葉月が求めている答えが分かってしまうし、それに答えたいという欲求に抗えない。それが男子の心の弱いところというか。
きっとわかってやってるよね、この義理の妹は。何もかも。
ちら、と視線を周囲に走らせる。
俺の言葉が届く距離にクラスメイトはいない。
ふぅ、と息を吸い込み一言。必要なのは断言。そしてちょっとの親密さ。
「自惚れじゃなくて、俺がクラスで一番仲が良いのは、間違いなく葉月だよ」
「うん、100点!」
「ただし榛名を除く」
「……甲洋くん、そういうのはわかってても言わないんだよ。赤点っ」
「ははっ、ごめんごめん」
喜色満面から頬を膨らませてジト目でこちらを睨むという器用な表情芸を見せてくれた葉月に笑いを返しつつ、クラスメイト達が待つ体育倉庫前へ足を運んだ俺の視界に映ったのは――、
「……月守、天空橋さんと距離近すぎねえ?」
「羨ま……けしからんな」
「はづきんと近い……許せないんですけど……」
「甲×榛以外ありえない……」
――嫉妬や疑念、様々な黒い感情に満ちた視線で俺を射抜くクラスメイト達の姿だった。迂闊。
さっきの葉月とのやり取り、声が聞こえてないのは確かだろう。
だけれども、俺と葉月が仲よさげに話している姿は当然目に入るよな、そりゃあ。
うん……俺、迂闊守甲洋に改名したほうがいいかもしれない。
「あはは……こ、月守くんが言ってた意味、ようやくちょっと、わかったかも」
クラスメイトのただならぬ雰囲気を前に、同棲開始直後に俺が再三語っていた内容へ思い至ったのだろう。葉月が若干の申し訳なさを滲ませた呟きを漏らす。
うん、葉月がわかってくれてよかった。でもごめん、今回は俺が迂闊だった。
あと。あとね。最後に聞こえてきた声、幻聴だよな。
幻聴だと思いたいけど、そこんところどうなのかなそこの三つ編み眼鏡女子さん。
* * *
「じゃチーム分けしよーぜー」
体育倉庫からハンドボールを持ってきた山名くんが手慰みにぽんぽんとボールをドリブルしながら、クラス全員に向けて言う。
二年B組、今日の体育は全員参加型のドッジボール。クラス内での立ち位置問わず、クラスメイトが全員乗り気なのは山名くんのムードメイク能力によるものだろうか。尊敬に値する。
「俺、月守と敵チームで」
「月守にボール当てたい」
「あっ、私もー」
「おっ、みんなも? おれも月守ちゃん相手でいくわー」
訂正。
山名くんのムードメイク能力が全員をやる気にさせたんじゃない。
これは学園のアイドル天空橋葉月と仲良さげにしてる月守甲洋という共通の敵を見つけたがゆえの嫌な団結感によるものだ。
みんな自分の心に正直すぎる。裏表なさすぎるのも全然よくないよ!
山名くんを始めとした面々がギラギラと瞳を輝かせながら俺の反対側に集まっていくのを見ていると、改めて葉月の人気ぶりを感じずにはいられない。
……っていうか俺目の仇にされすぎじゃない!?
もはや場に存在するのは対月守甲洋チームとして結成された山名チームか、哀れ月守チームの二つだけである。どうしてこうなった。
「フ……味方がいないようだな甲洋」
「は、榛名……」
クラスメイトからの容赦ない視線に晒されて傷心の俺に追い打ちをかけるかのように、皮肉気な笑みを浮かべた榛名がやってくる。
「安心するといい。僕は君の側についてあげようじゃないか」
榛名は基本運動神経がよろしくない。こういう球技系では大抵コートの端っこにいるのだが、美男子ゆえに女子の注目を集め、それにイラついたほかの男子にラフプレーの標的にされかけることがままあった。
まあ、コートの隅でぼんやり立ってるだけで女子の応援を一身に受ける男がいたら、同じ男としていい気分がしないというのもわからないではない。
かといってそのイライラを榛名にぶつけるのは間違っていると思うけれど。
そういう経緯もあり、俺は体育などでチーム分けがされる場合、大抵榛名と同じチームに入り、榛名をファウルから守っていたのだった。中学時代からずっとこうです。
「それに弾除けは必要だからね」
「おい。……だったら多分山名くんチームの方がボール飛んでこないぞ」
「じゃあそっちにしよう」
「ああ嘘です! 榛名が味方で嬉しいです!」
「初めからそう言うんだな、まったく……」
ついからかってしまうが、榛名がこっちについてくれるのは素直に嬉しい。
どこか満足そうに鼻を鳴らす榛名を見て、持つべきものは親友だなと俺は深く頷いた。
でも俺たちのやり取りを見て鼻の下伸ばしてる女子がいるんだけど榛名くん気づいてる? あそこの三つ編み眼鏡の女の子なんだけど鼻息すごいよ?
「柳生くんがいるなら私はこっちかなー」
「うちもうちも!」
榛名が所属した効果で、月守チームにも数人女子が加入する。榛名は苦々しい顔をしているけど。
そんな様子を見て、山名くんチームの男子がより一層月守チームへの敵愾心を燃やし始めた。対月守というより対月守柳生連合の様相を呈しているが、気にしないことにしよう。
「……んじゃ、あたしもかわいそうなツッキーサイドについてあげよう!」
「いらない」
「ねえ、即断即決すぎない?」
続いて俺側への参加を表明したのは香椎。俺の肩にぽんと手を置き、全部あたしに任せなさい! みたいな笑顔を見せてくる。
別に彼女の助力は欲していないのでノータイムで断ったら、あまりのハイスピード棄却が不満なのかこちらににじり寄ってきた。近い。いい香りがする。
落ち着け香椎、と身振りで示したのちに彼女から半歩体を引き、俺は彼女に向けて語る。
「香椎。俺は香椎とはよきライバルでありたいと思っている。だからぜひ敵であってくれ」
「えっ……ツッキーあたしのことそんな風に考えて……」
「ああ。お前が敵なら遠慮なくボールぶつけられる」
「敵でも遠慮してよ! だいたい、あたしだって女子なんだけど!?」
毎度毎度俺のことをからかってくる女に遠慮する道理がどこにあるというのだ。
なおも香椎はぎゃーぎゃー喚いていたが、結局こちらサイドから移るつもりは毛頭なさそうなのでそのまま月守チーム所属となった。
「香椎さんがいるなら……」
「こっちでもいいよな」
榛名と同じように、香椎もかなりの綺麗どころである。そんな彼女がこちらについた効果もあってか、数人の男子が月守チームに加入した。
味方の顔の力だけで仲間を集める男月守甲洋……みたいな感じになってるけど、気にしたら負けだよな。
……純粋な気持ちで俺の味方をしてくれるクラスメイトっていないんじゃないのこれ? 泣きそう。
さて。あと所属を明確にしていないのは現状まだ中立の葉月を始めとした数人しかいないのだが……。
中立派の面々を見ると、彼らはどうも横目で葉月の様子を伺っているように見えた。
というかこいつら大場に中堂に小村の天空橋ファンクラブ三人衆だ。月守甲洋憎しの感情に踊らされるより、天空橋葉月の傍らにあることを選んだ、ある意味ではもっとも純粋なやつら……。
だから、葉月が入るチームを決めればすぐに彼らも追従するはずだ。
しかし、葉月は山名くんチームと月守チーム、どちらに入るのだろう?
先ほど、彼女は自分の影響力を自覚したはずだ。
ゆえに、聡い彼女のことだからバランスをとるために山名くんチームに入ってくれるのではないかと思っている。というか俺にとってはそちらのほうがありがたい。
その理由としてはもちろん、俺に向けられる視線の鋭さを少しでも緩和したいという思いがあるけれど、しかし。
それよりもなによりも、これから始まる競技種目はドッジボールである。
葉月と同じチームになったら、俺はきっと彼女を守りたくて仕方がなくなる。
まったく、これじゃ天空橋ファンクラブを笑えないよな。
「うん、決めた。……わたしも月守くんのチームに入るね」
「う゛ぇっ」
そんなことを考えていたのに。
葉月は俺の思いを裏切るかのように月守チームへの加入を決めてしまった。思わず情けない声が漏れ出てくる。
「どんな姑息な手を使いやがった月守ィ……!」
「はづきんの弱みでも握ってるというの……!?」
「絶許絶許絶許……」
当然ながら山名くんチームの面々の視線がより剣呑なものになり、何なら天空橋ファンクラブの面々もこちらを睨みつけてきた。
ちょっと待って葉月がこっち来たら君らも絶対こっち来るじゃん。俺は味方だよ? だからそんな人を殺せそうな視線で見ないで。
「あ、あの、考え直さなくていいの天空橋……」
「考え直す余地はないよ、月守くん」
一縷の望みをかけて葉月に問うも、ぴしゃりと一言。
どこかに憤りを抱えたような鋭い面持ちで、葉月は俺にだけ聞こえるような声で言葉を続けた。
「みんな好き勝手言って。……でもわたしだけは、なにがあっても甲洋くんの味方でいるもん」
一切の邪念なく、言い切る葉月を見て。
ただ一心に俺を案じてくれる本物の天使が、初夏の校庭に舞い降りたと思った。
……でもこれクラスのレク的なドッジボールで、そんな深刻なあれじゃないよ?
ついでに言うと心配してくれるのは嬉しいんだけど、その心配が逆に俺を追い込んでいるよ……? 葉月さんは気づいているかな?
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