09:家では葉月でしょっ

「なかなか盛況だな」


 校門を抜け、桜の花びらが舞い散る昇降口までの通路を歩いて行くと、生徒たちが群がる一角を視界に捉えた。

 あそこには校内連絡などが張り出される掲示板があるから、新学期のクラス割表が貼り付けられているのだろう。


「どうする榛名、一応見にいくか?」


 俺たちは葉月からもらったメッセージによって配属クラスがB組であることを既に知っているが、改めて確認しに行くのも悪くない。そう思って榛名に問うと、お好きにと言った具合に両手を上げてきたので、遠慮なくそちらへ足を向けることにする。

 しかしこういう仕草の一つ一つが様になるのだからまったく美形は得だよな。


 掲示板に近づくにつれ、周囲の生徒たちがクラス割の結果を前に様々な声を上げているのが聞こえてくる。


「おんなじクラスだ!」「やったね、恵!」

「ああ、離れちゃった……」「クラスは別でも絶対遊び行くからね!」


 喜び抱き合うカップルや、残念そうに肩を叩き合う友人たちの姿が目に映る。多数でいようが一人でいようが、生徒の表情は明るかったり暗かったり様々で、極端な子達を言えば、同じクラスになれなかったからだろうか、泣き合う女子数名もいる。

 確かに、友人同士で楽しくやっていた今までの環境から新しい環境へと強制的に放り込まれるのだから、さぞや不安も大きかろう。

 その点、俺はツイていた。長年の相棒とも言える榛名と同じクラスになれただけでなく、家族である葉月とも同じクラスになれたのだから。


「甲洋。あれが僕らのクラス割のようだ」

「ああ、あれか……って人が多いな」


 榛名に言われて視線を向けた先。俺たちが振り分けられたクラスである二年B組のクラス表の前だけは、妙に人の集まりが多かった。

 まあ、その理由は明白なのだけれども。


「よっしゃあ! 天空橋さんと同じクラスだ!」

「俺は違う……ちくしょう……!」

「ぐぬぬなんと羨ましいやつ……!」

「きさま……きさまぁ……!」


 葉月と同じクラスに配属されたことを喜ぶ男子と、血の涙を流すその他の男子たち。勝利の雄叫びを上げるラッキーボーイを前に、周囲の男子が怨嗟の声を上げている姿が見えた。

 極端に口に出しているのは彼らくらいなものだったが、それ以外の男子生徒たちも葉月の割り振られたクラスを気にしていることに変わりはなさそうだ。B組のクラス表に目をやっては、静かに肩を落としたり、嘆息している男子が散見される。

 さすがは学園のアイドル天空橋葉月。その去就は男子生徒諸君の関心を攫っているらしい。


「あっ、天空橋さんと一緒……!」

「やったじゃん!」


 しかも、葉月が人気なのは何も男子たちに限った話ではない。同性の女子からも彼女は人気がある。

 優しく、可愛く、性格も良い。優れた人の周囲には人が集まるということなのだろう。


「……君の現状を説明してやったら、彼らショック死するんじゃないか?」

「若干ありえそうだから困る」


 周りの生徒たちの様子を見てから俺を揶揄する榛名に、ため息混じりに返した。

 葉月が人気者であることはもともと知っていたし、なんなら俺だって彼女に憧れていた一人である。

 というか今も憧れているところはあるけれど。

 だからこそ、葉月と同居していることが皆に知れたら怖いなあと思うのだ。本当に。


「……さて、と」


 葉月ファンからの襲撃を受けるなどという背筋が寒くなる想像を振り払いながら、俺は改めて二年B組のクラス表の前に立った。


 二年B組。担任は世界史担当の千葉ちば教諭。確か三十路の独身男性だったか。

 クラス名簿の頭から視線を滑らせて行き、月守甲洋の名前と、その隣に天空橋葉月の名前があることを確認する。

 そして、クラスメイトたちの名前が並ぶ最後尾付近に、柳生榛名の名前があることもしっかりチェック。

 隣に立つ榛名も俺と同じように確認していたようで、自分と俺の名前を発見したのか、その口元にはかすかに笑みを浮かべていた。その表情の緩み具合を下手に指摘したら躍起になって否定してくるだろうから何も言わないけれど。


「……あ。アタシ柳生くんと同じクラスだ。やたっ」

「えー嘘ー。私とかわってよー」

「へっへーん、絶対仲良くなっちゃる」


 榛名から視線を外して再び周囲に意識を傾けると、名も知らぬ女子たちが榛名と同じクラスになれたかなれなかったかで一喜一憂している姿を見つけた。

 学園のアイドル(女性版)が葉月なら、学園のアイドル(男性版)はやはり榛名だ。榛名の場合は女性人気が強すぎて男子人気は高いとは言えないのだが……言わぬが花か。

 人気者だなあ、というからかいを込めて肩を叩いてやると、女子たちの反応を聞いていたのか当の本人は苦虫を噛み潰したような顔を見せた。


「……とても憂鬱だよ」

「同情するよ。んじゃそろそろ行こうぜ」


 笑いながら榛名を窘めつつ、教室へ向かうことを提案する。

 

 しかし、昇降口で上履きに履き替えたあと廊下を歩いている最中、かなりの確率で女子の視線を集めてしまい、俺は久々に居心地の悪い思いをした。

 春休みの間ですっかり忘れていたが、榛名と歩いているといつもこれなのだ。 


「お前の隣にいると女子の視線を集めるよな……」

「今さら逃げようと思うなよ甲洋」

「や、逃げないけどさ……」


 そんな会話を交わしながら俺たちは廊下を進み、やがて今後一年間お世話になる二年B組の教室に辿り着く。


 廊下に面した入口から教室の様子を伺うと、中は既に軽いお祭り騒ぎ状態にあった。

 その喧騒の中心は誰あろう、葉月である。彼女を中心に据え、男女問わずクラスメイトたちがその周りを取り囲み、友人同士の会話に花を咲かせている様が見える。


「はづきんと同じクラスでよかったぁー!」

「わたしもだよー!」

「て、天空橋さんっ、これからよろしくっ!」

「うん、よろしくね!」


 やはり、天空橋葉月は伊達ではない。

 男女の別なく人を集めて。

 そんな人混みの中にいても、いつもと変わらず笑顔を振りまいて。

 その周囲に笑顔と人が絶えることはないであろう学校の葉月は、俺には少し遠い存在に思えて、少しだけ寂しく感じてしまう。


「天空橋ちゃん! 一緒のクラスだね、めっちゃ嬉しいよ!」

「……よろしく、天空橋」

「よろしくね二人とも。あー、でも、山名くんは女の子みんなに言ってるでしょそれ。軽いなあ」

「な、なんでバレたし……」


 葉月にテンション高く話しかけるのは、いつかモールで見かけた金髪の山名くん。その傍らに立って無骨に挨拶をしたのは、スポーツ刈りの川藤くんか。

 川藤くんには勝手ながらシンパシーを感じているのだが、なるほど、彼らも同じクラスだったようだ。


「天空橋はやはり人気のようだね」

「まあ予想通りだよな……」

「柳生くん!」「あっ柳生!」「榛名くーん!」

「げ……」


 そんなやりとりをしながら教室に入ると、榛名は一気に女子に取り囲まれてしまった。

 かわいそうな気もするが、あいつなら持ち前の塩対応でなんとか切り抜けられるだろう。そう思って榛名は捨て置くことにする。


 俺については、そもそもあまり目立つタイプではないと自覚しているので、周囲からの無反応について特に気にするほどのこともない。

 ささっと教室内を移動し、自分の席につく。


 教室の喧騒が落ち着くまではソシャゲでも遊んでいようかなと考え、胸ポケットから取り出したスマホの画面に視線を落とすと、前方に人の気配を感じた。


「ん……?」


 ふと視線を上げると、満面の笑みの葉月が目に映る。

 周囲の生徒からすれば、優しい葉月がクラスメイトに話しかけにいった程度の認識なのだろうが、実態は違う。

 家族に話しかけにきた、が正答である。誰にも言うつもりなんてないけれど。


「おはようっ、こう……もりくん」


 おいおい誰だよこうもりくん。思わず突っ込みたくなったが、ここは自制する。

 いま完全に俺のことを甲洋と呼ぼうとしたよな葉月。名前で呼び合う期間が長くて完全に口に染み付いてしまったんだろうか。新学期初日から不安になる葉月さんだ。

 とまあ、そういう隙のあるところもかわいいんですけどね。そんなことを思いつつ、俺も挨拶を返そうと口を開き、 


「おはよう、はづっ……くうばし」


 思わず口をついて出てきそうになった「葉月」を、どうにか途中で「天空橋」に軌道修正した。

 あっぶねええええ! 誰だよはづくうばし!

 どうやら俺も名前で呼び合うことに完全に慣れ切ってしまっているらしい。


「ふふっ、また同じクラスだね、こ……月守くん」

「ああ……うん、そうだな。一年間よろしく」

「うんっ!」 


 そう言って笑い返してくれる葉月の笑みが、クラスメイトたちに囲まれていた時のものより輝いているように見えるのは俺の自惚れだろうか。


 いや、きっと自惚れなのだろうとは思うのだけれど。


 もしもそうではないのだとしたら――どれだけ幸せなことだろうか。




 * * * 




 新学期初日は始業式と教科書の配布で終わり、午前中の早い段階で生徒たちは帰宅することになった。

 本格的な授業とかは明日から始まるので、午後は久々の登校で疲れた体を癒すことに使わせてもらおう。

 ちなみに当然ながら俺と葉月が帰る家は同一だが、学校からの帰りは別々である。いらない憶測を呼ぶ必要はない。


 そんなことを考えながら徒歩で駅前へと戻り、榛名と別れた後、地上五十階の我が家へ帰宅する。


「ただいまー」

「おかえりー……」


 玄関で帰宅を知らせる声を上げると、廊下の向こうからは若干テンションが低めな葉月が姿を現した。先に家についていたようだ。

 しかし、なんでこんな時間からテンションが低いのだろう? 疑問に思ったので、問うてみる。


「葉月、調子でも悪いのか?」

「悪いよ……悪い……」

「え……大丈夫なのか?」


 えらくとぼとぼと歩みを進め、ぼそぼそと呟く葉月はいつもの快活さがなりを潜めていて、本気でその体調が心配になる。

 俺は慌てて靴を脱ぎ、廊下の半ばで立ち止まった葉月のもとへ急いだ。熱があるのだろうか? 

 いや、学校であれだけの人に囲まれていたのだ。細菌かウイルスをもらってしまったのかもしれない。まずは調子を見て、それから医者に行くべきかを決めた方が良さそうだ。

 彼女の真正面に立ち、その様子を確認する。顔色は普通に見えるが……。


「甲洋くん……」

「な、なんだ?」

「……甲洋くん、甲洋くん、甲洋くん、甲洋くんっ」

「はい!?」


 えっ!? いったいなんで急に俺の名前を連呼し始めたんだ葉月は?


 葉月の意図がわからず俺が固まっている間にも、葉月はひたすらに俺の名前をコールして行く。

 二十回までは数えていたのだが、それ以降はもう数えるのをやめた。可愛らしい葉月の声でこれだけ名前を呼ばれていると、思考回路が狂って行くというか、なんかふわふわ夢心地な気分になってくる。なんだこれ新手の電子ドラッグだろうか?


「甲洋くん、甲洋くん、甲洋くん……うん、こんなところでいいかな……」


 やがて、葉月は満足したのか、甲洋くんコールを止めた。


「お、おい、葉月……いったいどうしたの……」

「どうしたって……それは……」


 俺の質問に、葉月はそっと目を伏せる。


「甲洋くんって呼べないことがこんなにストレスだとは思わなかったの……」


 はぁ、とため息をついて肩を落とす葉月に……俺は返す台詞を持たない。

 いや、なんというか……予想を超えた葉月の言葉に、何を言えばいいかわからないでしょうがこんなの。


「ス、ストレス……?」

「そうだよ。学校だと月守くんって呼ばなくちゃいけないでしょう? それがストレスなんだって気づいたのっ」


 気づいたのっ、て可愛く言われても、その……困る。

 名前で呼び合うのは二人きりの時のみと決めたわけだし……。

 俺が何も言えずに黙っていると、やるせなさを抱えた表情の葉月はふるふると力無く首を振った。


「もう今さら月守くんに戻すのは難しいよ……。甲洋くんがいい……」

「ええ……そう言われてもな、天空橋……」

「はーづーきー! もうっ、家では葉月でしょっ」


 さっきまで落ち込んだ様子を見せていたはずなのに、今度は眉を上げ、俺に訂正を求める葉月。

 今のは俺が悪いので素直に謝るけれど、しかし、どうしたものだろうか?


 もちろん、俺だって葉月にストレスを抱えたままで日々を過ごしてもらいたいとは思わない。俺の名前を呼べないのがストレスになることの真偽はともかくとして。


 だが、俺と葉月が名前で呼び合っていたらいらぬ邪推を呼ぶのではないか。果たしてそれは俺の考えすぎなのだろうか。


「こうなったら……合法的に名前で呼び合う方法を探すしか……」


 ぶつぶつと何をか呟く葉月の言葉は、あえて聞かないふりをした。

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