04:待たせてごめんね、お兄ちゃん?
「……これはひょっとしてピンチなのでは?」
俺は今、最寄駅の駅前広場に置かれたベンチに腰掛け、通りを行き交う人々をぼんやりと見つめていた。
月曜日の昼過ぎなので、さほど人通りが多いわけではない。ただ学生は春休みの時期なので、近い年頃の中高生がちらほら見える。
多分その中には、俺と同じ東明高校の生徒たちもいるのだろう。……うん、ピンチだな。
一体全体何がピンチなのか。その答えは一時間ほど前に遡る――。
「甲洋くん、今日の予定は何かある?」
天空橋……ではなく、葉月(二人きりの時はこう呼べというがこれがめっぽう恥ずかしい)謹製の朝食をいただき、コーヒーブレイクを楽しんだ後のこと。
洗練されたシステムキッチンのシンクで食器洗いを堪能していた俺に、葉月がそう問うてきた。
彼女の問いを受け、俺は今日の予定に思いを巡らせたものの、悲しいかな特に用事はなかった。
あえて言うならば春休みの課題をこなさないといけないくらいだろうか。
華の高校生が悲しい限りである。
「課題やるくらいかな」
「あ。わたしもやらないと」
素直に葉月に答えると、彼女もまたその厄介な存在を思い出したのか静かにため息をついた。
少し意外だ。葉月のような優等生でも課題が嫌なんだな。好きな学生なんていないかもしれないけど。
「最近バタバタしてたから全然手をつけてないや。でもそれは夜でいいとして」
「うん?」
「甲洋くん、今日の予定はないんだね?」
「ないな」
言ってて少し悲しくなるけど、ないものはない。
そして、俺の返答を聞いた葉月はにっこり笑ってこう言った。
「それじゃ、お買い物に行こうよ」
以上が俺が今現在見舞われているピンチの簡単なあらましである。
つまり、俺はなぜか葉月とお出かけすることになった。当然二人きりでだ。
これはひょっとしなくてもデートとかいうやつなのでは?
などという不埒な考えが脳裏をチラついたが、嫉妬に狂って血走った瞳をこちらに向けてくる天空橋ファンクラブとかいう不遜な輩を幻視したのでその考えには蓋をしておくことにした。
そもそも俺たちは義理の兄妹であり、ただの男女とはわけが違う。ここは明確に線引きをしておかねばならない。
葉月が気安く話しかけてくれるのはきっと、新しい家族への不安の裏返しもあるのだろう。
いきなり同い年の男が新しく家族になると言われて、不安にならない女子がいるだろうか。
言い方は悪いが、彼女の言動には多少なりとも俺を推し量る意図が混じっているはずだ。
だから、俺は彼女が不安を覚えないように立ち振舞わねばならないと思うのだ。
もちろん、そこには葉月に嫌われたくないという俺の男子高校生として当然の欲求と本音が混じっていることは否定しない。
「……しかし、買い物行くんなら一緒に家を出ればよかったのでは?」
葉月からの提案を了承し、買い物に行くと決めたあと、俺はてっきり一緒に家を出るものと思っていた。
しかし、「それじゃあ、十三時に駅前広場に集合ねっ」という葉月の有無を言わせぬ一言により、家の外で待ち合わせることになった次第だ。
スマホに視線を落とすと、集合時間まではあと五分ほどになっていた。ちなみに俺がここに到着してから十五分は経っている。
まあ、女子は一歩家の外に出るにしたって何かと準備が必要なのだと親友が言っていたので、きっとそういうことなのだろう。
果たして葉月は気合を入れた服装で来てしまうのだろうか。少し楽しみだが、少し不安だった。
葉月は間違いなく耳目を集める。集めたその視線の中に天空橋信者がいたらマジでどうしよう。さっきまで半々だったはずの不安が若干増してきた。
「新学期から学校に居場所がなくなるんじゃ……?」
「……甲洋くん、お待たせっ」
「えっ?」
天空橋信者に見つかるなんていうありえそうな未来に頭を抱えていた俺の頭上から、ここ数日間の中で相当に聞き慣れた声が届く。言うまでもなく葉月だ。
視線を上げると、微笑む学園のアイドル兼義理の妹の姿が視界に映る。
「何か考え事?」
「あ、ああ……」
不躾にならない程度に、葉月の全身像を確認する。
リボンタイ付きの白いブラウスに黒のスキニーパンツを合わせたシンプルな装いだ。
派手すぎず、むしろ上品な着こなしが、葉月という最良の素材とよく調和している。
「ごめんね、待たせちゃって」
「いや……俺も来たばかりだから……」
「ふふっ、私より先に家を出たのに? でも、ありがとう」
小さく笑う葉月は、それはそれは可愛らしくて。
俺は思わず見惚れそうになるのと同時、周囲の男どもからの少しの敵意が混じった視線に晒されて肝を冷やすことになった。
そりゃこんな美少女と待ち合わせしてる相手の男がどんな野郎か気になるよな。俺だって気になるよ。
「……とりあえず、行こうか」
「うん。そうしよっ」
「……あー、それと、えー……」
「なあに?」
言い淀む俺の顔を見て首を傾げる葉月だったが、その唇は楽しそうに弧を描いている。
ちくしょう、この娘は何もかもわかっているな。……だが、ここで言わないのは流石に男の沽券にかかわる。だから言う。腹をくくろう月守甲洋。
「……いつも可愛いけど、その服、すごく似合ってて可愛い」
「いつ……あ、あはは、ありがとっ」
……あれ?
今までの経験からすると「よくできました」くらい言ってくるんじゃないかと思っていたのだが。
くるりと俺の視線から逃れるように背を向けた葉月は、なぜか「さあ、行こうっ」と妙に早足早口で俺を急かすのだった。
「……ん? 待てよ? そもそも買い物ってどこ行くんだ?」
「え? モールだよ?」
あ、スーパーで食材買うとかそういうんじゃなかったんですね。
……本格的にデートじゃないのこれみたいな幻聴が聞こえてきたが、俺は耳に蓋をして心を落ち着かせることにした。
* * *
葉月が目的とするモールは、駅のバス停から無料シャトルバスに揺られて十分ほどの距離にある。
様々な専門店街に加え、映画館やゲーセンなども併設されている地元で一番大きい商業施設だ。
つまり、このモールに来れば大抵の遊びを楽しめる。ということは即ち、地元の学生たちが遊ぶために繰り出す場所はここになる。
さて、ここまで言えばわかるだろうか。
要するに、俺の危惧していた事態が早速起ころうとしているのだ。
モールに到着してから二時間ほど。女子という生き物が買い物に相当な時間をかけるという噂が真実であることを、俺は身をもって知った。
親友とモールに来るときは大抵映画かゲーセン、あとフードコートでの食事目当てなので、最短最速のルートを突き進むことになる。
が、葉月は違った。というか女子は違うのだろう。
一つの店を見たと思ったらすぐ隣の店にも入って商品をじっくり観察。買うのかな、と思ったら買わずに出て次の店。そんなのを延々繰り返すのだ。
文句の一つも言いたいところではあったが、楽しそうに商品を眺める葉月を見ていると、ウィンドウショッピングを楽しんでいるところに水を差すのもなんだなあという気持ちになってしまう。
あと、「甲洋くん、これ可愛いと思わない?」と問われる度に葉月の方が可愛いと答えたい欲に抗うのに必死だった。
というわけで俺は葉月の買い物に付き従っていたのだが。トイレのために少し彼女のそばを離れたところで――、
「あれ? 天空橋ちゃん」
「天空橋?」
(……っつおおお! あぶねえ!)
――これである。
一人でアクセサリーショップのワゴンを眺めていた葉月に、見たことのある男子二人が声をかけていた。
咄嗟の判断で隣の服屋に逃げ込めたのが救いだ。服を眺めるふりをしながら、隣の会話に意識を向ける。
葉月に声をかけていたのは、見たことはあるが名前は知らない男子だった。だが、多分同じ学年だったはずだ。
一人は金髪の優男で、もう片方はスポーツ刈りのイケメン。前者が女子に人気があるタイプなら、後者は男子に人気があるタイプに見える。
「……あ。
二人に声をかけられたことに気づいた葉月が、にこやかに返答する。やはり葉月は誰にでも人当たりがいい。
その態度は当然のことながら俺に対してのものとも等しくて、そこに少し安心すると共にちょっとだけ寂しくも感じた。
……いやいやいや、この数日でもう独占欲出しちゃうのかよ月守甲洋。しっかりしろ。
「いやー、ほんと奇遇だね。ってか春休みに天空橋ちゃんに会えるなんてラッキーだわおれ」
山名と呼ばれた金髪の優男がテンション高めにまくし立てた。
よくあの葉月相手にすらすら言葉が出るなといっそ尊敬してしまうくらいだ。
「そう?」
「そうそう絶対そう。つーか川藤もなんか喋れよな」
「いや……まあ」
川藤くんと呼ばれたスポーツ刈りは山名くんに話を振られ、首筋をぽりぽりと掻いた。あー、あれは照れてるな。その気持ちはよくわかる。
こんな休日に葉月に偶然出会ったら照れちゃうよな、わかるわかる。
俺が勝手に川藤くんにシンパシーを感じている間に、山名くんはテンションアゲアゲのまま話を続けていた。
「ったく、こいつ口下手だからなあ。それよか天空橋ちゃん今一人なん?」
「え?」
「もしそうなら一緒に買い物しない? ねね、どう?」
山名くん、きみマジですごいな! よくあの葉月をそんな簡単に誘えるな!
俺は天空橋ファンクラブが恐ろしくて仕方がないっていうのに。もし見られてたらどうするつもりなんだきみ……。
いや、それは俺にも言えることなんだけど。
そんなことを考えつつ、俺は葉月がどう回答するのか気になって耳をそばだてた。
俺と葉月の関係は当分の間秘密にしてほしいと、彼女によく言って聞かせてある。
葉月は山名くんの誘いを断るとは思うのだけれど、それをどう断るのか俺にはちょっと想像がつかなかったのだ。
「ごめんね、山名くん。実はいまわたし、デート中なんだ」
「えっ」
「……!?」
「はぁ!?」
予想だにしなかった、というか山名くんの誘いにど真ん中ストレートな返答を返す葉月に思わず声を上げてしまった。
隣の店から聞こえてきたであろう俺の声に三人が不審げな視線を向けてきたので、俺はそそくさと店の奥に退避する。山名くんと川藤くんに顔は見られていないはずだが、葉月にはバレている気がする。
「デ、デートって誰と? 天空橋ちゃん、今までそんな噂なかったじゃん?」
「そ、そうだな……」
山名くんは葉月のデート相手が気になるのかめちゃめちゃ前のめりに質問している。
一方の川藤くんはこれちょっとショック受けてるな。なんだか申し訳ない気持ちになる。
いや別に俺が葉月のデート相手というわけじゃないんですけども。というかこれはデートじゃないはずなんですけども。
そんな男どもの心中を知ってか知らずか、葉月はさらに楽しそうに続ける。
「実はね、お兄ちゃんとデートなんだ」
「へ……?」
「おにい、ちゃん?」
内緒だよ、と微笑む葉月を店の奥からチラ見して、俺は軽く呻いた。
確かに葉月は核心には触れてない。というか、真実しか語っていない。いやデートは真実じゃないけど。
だけど、核心には触れてないけども、それって全部がバレたときに厄介なやつじゃありませんか?
「ごめんね。お兄ちゃんが待ってるみたいだから、わたしはそろそろ失礼するね」
「あ、うん……」
「お、おう」
「二人とも、また新学期にね」
ひらひら、と山名くんと川藤くんの二人に手を振った葉月の姿を確認し、俺は彼らに背を向けるようにして服屋を出た。
このまま彼らの視界に入らないところで葉月と合流できればいいだろう。
――そう考えていた俺の左腕に、するりと何かが巻きついてくる。
白くて細くて。柔らかい何か。
……油が長らく挿されていない歯車のように軋む首を少し回し、左隣を見る。
「……待たせてごめんね、お兄ちゃん? わたしも結構待ったけど……」
ああやっぱずっと見てたの全部バレてる。
唇を少し尖らせた
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