第28話 天高く、龍は舞う②

 張り詰めた空気に包まれた境内で――。


「……貴様。一体どういうつもりだ、葛城」


 篠崎が、ぼそりと呟く。


「こいつはもはや冗談などでは済まされんぞ」


 険悪な怒気を放つ兄貴分に対し、葛城はふっと笑った。


「……ははっ、やっぱおっかねえよな。篠崎のアニキは。しかし、冗談のつもりなんてさらさらねえんだよ。オレとしてはな」


 と、口調をガラリと変えて葛城は語り出した。


「まさか、組長オヤジが負けるとはな。おかげでオレの計画もいささか前倒しになったが、予定自体は何も変わっちゃいないのさ」


「……ほう。そいつは詳しく聞きたいのう、葛城よ」


 そう呟いたのは、槍を杖にして脇腹を片手で押さえる蔵人だった。

 対し、葛城は銃口を向けたまま、笑みを深めた。


「はっ、実は近々オレは雪塚組を脱会する予定だったんだよ。三十人程の組員達と一緒にな。再就職先もすでに決まっていてね」


「なん、だと……」と、篠崎が呆然と呟く。蔵人は無言だった。


「再就職先は海外の裏組織。奴らは式神に興味津々でな。快く迎え入れてくれたよ。二週間後には渡航することまで決まっているのさ」


「……なるほど。要するにおんどれらは式神を兵器として売りこんだんかい」


 封魔家の誇りを踏みにじる行為に、蔵人の声に怒気が宿った。

 あまりの気迫に、銃口を向けている四人の元組員達は思わず頬をひきつらせた。

 しかし、葛城だけは笑みを崩さずに言葉を続ける。


「ああ、その通りさ。組長オヤジは封魔師の職業化にこだわっていたが、所詮オレらって日陰者なんだぜ。今さら陽の当たる場所なんかいらねえよ。くだらねえ。求めるのなら光より闇だ。そっちの方がオレ達には居心地いいに決まってんだろ?」


 そこで葛城はくつくつと笑った。


組長オヤジの計画はオレにとって渡りに船だったよ。《大妖》との戦闘は式神がいかに強力な兵器なのかアピールできるし、姿をくらますには《大妖》の騒ぎはもってこいだ。戦死に偽装できるしな。そしてその際に、オレは組長オヤジを殺すつもりだった」


 その最後の台詞に、周囲はざわついた。

 葛城の腕に捕えられた優月、沈黙して体力回復に専念していた慎也も目を瞠る。


「それはどういうことだ?」


 そんな中、篠崎が険悪な表情のまま眉をしかめた。


「……何故、組長オヤジの命を狙う。貴様に私怨などないだろう?」


「ん? ああ、それはだな」


 対し、葛城は苦笑を浮かべた。


「正直な話、組長オヤジが怖いからだよ。偽装は何がきっかけでバレるか分からねえし、発覚した場合、組長オヤジは間違いなくこいつを探しにくるだろうからな」


 言って、銃口を優月のこめかみに当てる。葛城達を除く全員が表情を固くした。


「実はさ。オレは脱会する時にこのお嬢さんも頂戴していこうと計画してたんだよ」


 その台詞に、顔色を露骨に変えたのは優月自身と、父である蔵人。

 そして師である篠崎と、彼女に想いを寄せる慎也だった。


「はあ!? 何だよそれ! なんで優月を攫うんだ!」


 こればかりは聞き捨てならない。思わず沈黙を破り慎也が叫ぶ。


「……やれやれ。お前がそれを尋ねるのか。玖珂山君よ」


 すると、葛城は視線を慎也に向けた。


「お前の戦闘は実に見事だったよ。流石は『東の龍』の息子だな。オレはな、血統至上主義者なんだよ。お前のおかげでオレは自分の考えに確信を持てたよ」


 と、前置きしてから、葛城は優月を攫う意図を告げる。


「これからオレ達は名と顔を変え、世界に出る。だが、いかんせん勢力の数が少ない。新たな一族として盤石なものにするにはが欲しいのさ」


「………え」


 と、優月が唖然とした声を上げる。

 彼女の顔は、誰の目にも分かるほど蒼白になっていた。

 そんな少女に目をやりつつ、葛城は笑みさえ浮かべて語り続けた。


「雪塚家の『西の虎』と、華村家の『鬼姫』の娘。式神使いの血統としてはまさに極上だ。オレらのグループってさ、男所帯なんだよ。まあ、オレら全員の相手をすることになるが頑張ってくれよな。優月お嬢さんよ」


 その言葉の意味を察し、優月の顔からさらに血の気が引いた。

 が、同時に顔色を劇的に赤く変える者達もいる。

 慎也と篠崎。雪塚組の古参の組員達。

 そして、怒りのあまり形相まで変わった蔵人である。


「……おんどれは」


 ギシリと歯を鳴らし、一歩前に進み出る。


「そこまで儂の娘を愚弄しよるか」


 負傷した身とは思えない覇気に、周囲の空気は張り詰めた。

 優月を人質にされていなければ即座に葛城を殺していただろう。

 それほどの殺意を蔵人は放っていた。


「おおっと、こいつは怖えェな。手負いの虎を怒らせちまったか」


 しかし、葛城は全く動じす、銃口を再び蔵人に向けた。


「やはり組長オヤジにはここで死んでもらうしかねえよな」


「や、やめて! お父さま! 逃げて!」


「おっと、暴れないでくれよ。優月お嬢さん」


 葛城の腕の中でもがく優月。葛城は少し困ったように眉根を寄せた。


「――組長オヤジらせんぞ! 葛城!」


 すると、その隙を突いて篠崎が蔵人の前に立った。組長の盾となるためだ。

 そんなかつての兄貴分の姿を見やり、葛城は呆れた様子で笑う。


「ははっ、まるで犬コロみてえな忠臣ぶりだな、篠崎のアニキよ。だが、銃口は一つだけじゃねえんだぞ。あんた一人が盾になっても――」


 と、そこで葛城は言葉を止めた。

 何故なら葛城と篠崎の間に、慎也が立ち塞がったからだ。

 少年の唐突な行動に全員が驚く中、感情のない顔で葛城が淡々と問う。


「……何のつもりだ? 玖珂山君よ。この件、お前には関係ねえだろ?」


「はあ? 優月が捕まってんのに無関係な訳ねえだろうが」


 パシンッと手の平を拳で打ち、慎也は葛城を睨みつけた。


「覚悟しな。今からてめえをぶっ倒して優月を助ける」


 そして疲労困憊の身で堂々とそう宣言した。

 すると、優月が顔色を変えた。


「し、慎也さま! ダメです! そんな体で!」


「おっと。だから動くんじゃねえよ、優月お嬢さん。気絶させてもいいんだぞ」


「……あ、ぐ」


 左腕に力を込め、優月を黙らせる葛城。それから改めて慎也の方へと目をやった。


「しかし、面白いことをほざくじゃねえか、玖珂山君よ。龍を顕現する棍もない。体力もほとんど残ってない。だというのにオレに挑むと?」


 葛城の呟きに合わせ、霊獣の獅子が「グルルゥ」と牙を剥いた。

 そしてのそりと移動し、慎也の前に立ち塞がった。


「オレの霊獣――シドは半端なく強えェぞ」


「はン! そんな図体だけのブッサイクな猫なんぞ怖くねえよ」


 と、慎也は不敵な笑みを浮かべて嘯いた。一方、葛城はすうっと目を細めて呟く。


「……ふん。いいだろう。優月お嬢さんも未練がない方が良いだろうしな」


「ガアアアアアアアア――ッ!」


 主人の戦意を感じ取り、獅子は咆哮を上げた。

 反射的に慎也は身構えたが、


「おいおい、誰が霊獣で戦うと言ったよ?」


 言って、銃口を慎也に向ける葛城。慎也の顔がわずかに強張った。


「悪りいな。オレは子供ガキに付き合うほど暇じゃねえんだよ。さくっと死んどけや」


 本命は銃撃。霊獣の威嚇はただのフェイントだった。

 そして葛城は躊躇うこともなく引き金トリガーを引こうとした――が、


「おいおい、誰が素手で戦うって言ったんだよ?」


 その時、慎也がふっと笑った。


「……なに?」


 少年の意趣返しのような台詞に、思わず指を止めた――瞬間だった。

 突如、葛城の背後から間欠泉のように土塊が吹き上がったのは。


「――なッ!?」


 そこで初めて葛城は動揺を見せた。

 そして慌てて振り返り、背後で見たものは――。


「馬鹿な!? 龍だと!?」


 土塊にまみれて、緑色の龍が真後ろに出現していたのだ。

「くそッ!」葛城は咄嗟に銃口を緑龍に向けた。

 ――しかし。


「おい、余所見すんなよ、ゲス野郎」


「――ッ!」


 間近で聞こえたその声に、葛城は息を呑む。

 そして顔だけを振り向かせたと同時に、頬に拳がぶち当たった。


「ぐおッ!?」


 葛城は踏ん張ることも出来ず、吹き飛ばされた。


「――今や!」


 そこですかさず蔵人が号令をかけた。まさに千載一遇のチャンスだ。

 具体性のない指示にも拘らず、雪塚組の組員達は一斉に動く。

 銃を構える葛城の仲間に背後から襲い掛かった。


「うお!?」「ぎゃあ!?」


 あちこちから悲鳴が上がる中、次々と獲り押さえられる葛城の仲間達。

 しかし、流石に葛城だけは追撃を警戒して霊獣を呼び寄せていた。

 隙のないその構えに、篠崎を筆頭にした組員達も攻めあぐねていた。

 と、そんな緊迫した状況をよそに。


「ゆ、優月! 大丈夫か!? あのロリコンに変なとこ触られてないか!?」


「だ、大丈夫やけど、ううぅ、慎也さまぁ、こ、怖かったぁ……」


 ボロボロと涙を零す優月を、慎也が力の限り抱きしめていた。

 慎也は心の底からホッとしていた。


「俺も怖かったよ、優月……」


 正直、今までの人生で最も焦燥に駆られた危機だった。

 今はただ、彼女の温もりを感じていたい。

 純粋にそう思った時、


「……ふむ。今のはどういうことだ。玖珂山君よ」


 葛城が動じた様子もなく慎也に尋ねてくる。


「お前の龍は棍を触媒にしていると見ていたんだが、違うのか?」


 獅子を傍らに従え、葛城は慎也を見据えた。

 対する慎也は不快そうに舌打ちした。


「うっせえなロリコン野郎。こいつのことか?」


 慎也は優月を片手で抱きしめたまま、右手をすっと前に差し出した。

 すると、手を覆うように龍頭が顕現したではないか。

 葛城は興味深そうに目を細めた。


「こいつは龍舞使いの原点なのさ。昔の龍舞はこんな風に自分の体を触媒にして身に纏う封魔術だったんだよ。ただリーチが短いとかの問題で試行錯誤した結果、今の棍を触媒にする術に変わったんだ。さっきのは俺の背中から顕現させた龍を地面に潜らせたんだよ」


 実はこれこそが蔵人の最後の一撃を防ぎ、拳で大地を震わせた隠し技でもあった。

 あの瞬間、蔵人の拳を受け止め、そして地を砕いたのは右腕に纏わせた龍頭だったのだ。

 が、そのこと自体は葛城にとってはどうでもいい話だった。


「ふん。なるほどな。こいつは一本取られたか」


 あごに手をやり、ふふっと笑っていた。


「……随分と余裕だな、葛城」


 その余裕に満ちた態度に苛立った篠崎は、眉間に深いしわを刻んだ。


「優月は取り返した。貴様の仲間も全員捕えた。すでに貴様は詰みの状態だぞ」


「ああ、そうだな。仕方がねえ。ここはお暇させてもらうよ」


 と、この状況であってなお葛城は言い放つ。

 そんな元構成員を警戒しつつ、蔵人はぼそりと呟いた。


「……ふん。その口ぶりやとまだ隠し玉を持っとんのか……」


「ああ。根が小心者なんでな。切り札ぐらい持っているさ」


 葛城はふっと笑い、パチンと指を鳴らした。

 途端、その場にいる葛城以外の人間がギョッとした。

 いきなり澱んだ空気が周囲に満ちたからだ。


「ッ! おんどれ! 《澱みの繭》に細工をしとったんか!」


 全員が動揺する中、蔵人が声を張り上げる。

 葛城は目を細めてその推測を肯定した。


「ああ。オレの意志でいつでも開封できるようにな。さて組長オヤジ。それに篠崎のアニキよ。これですぐにでも上級の妖が現れるぞ。オレに構う余裕があんのかね?」


「……チイィ」蔵人は舌打ちする。

 確かにここで葛城に執着していては妖の対応が疎かになる。


「……くそ、普段とは完全に別人やのう。葛城よ」


「そりゃあキャラも作って当然だろ。あんたやアニキに警戒されても困るしな。まあ、ともあれ、そろそろオレはお暇するよ」


 言って、葛城はくつくつと笑う。


「お、おい葛城、待てよ! 俺らどうすりゃいんだ! 助けてくれよ!」


「そ、そうだ! くそ、離せよ! 俺らに構ってる暇なんてねえんだろ!」


 と、その時、押さえつけられている葛城の仲間が騒ぎだした。


「なあ葛城! 俺らは仲間――」


「ふん。悪りいが、お前らはここに捨ててくよ」


「……は?」


 唖然とする男達に、葛城はやれやれと溜息をついた。


「人手不足だったとはいえ、人材はもう少し厳選すべきだったな。お前らは失格だ。オレの創る一族に相応しくねえ。はっきり言っていらねえよ」


 そう吐き捨て、葛城は四人の仲間から視線を外した。もうすでに興味すらない表情だ。


「それでは組長オヤジ。篠崎のアニキ。他の先輩方も。長らくお世話になりました。そして優月お嬢さん。いずれお迎えにあがりますので、その日までお待ちください」


 そう言って、恭しく頭を下げる葛城。

 蔵人と篠崎は舌打ちし、優月は慎也の腕の中で微かに震えた。

 そんな少女の怯えを感じ取り、慎也は凶悪な視線を葛城に叩きつけた。


「うっせえな! 消えるのならさっさと消えろロリコン野郎が! 今度、優月に近付いたら絶対ぶっ殺すかんな!」


 怒気も隠さず慎也は吐き捨てる。本気でこの男だけはぶち殺したかった。

 しかし、葛城の方はどこか友好的な笑みを浮かべて。


「……ふふっ、本当に威勢のいい野郎だな。しかし、おかしな気分だ。どうしてか、お前とはまた会うような気がするよ」


 最後にそんな予言じみた言葉を残し、葛城は獅子と共に森の中へと消えていった。

 何人かの組員は葛城を追跡しようとしていたが、それは篠崎が止める。


「――待て! もうじき妖が生まれる。それに備えるぞ!」


 今はそちらの方が優先だった。

 もう一分もしない内に、妖が祭殿から飛び出してくる。

 緊迫感が、境内を包み込んだ。


「……慎也さま」


 その時、優月が心配そうに慎也の顔をじっと見つめた。

 彼女の表情は普段よりも幼く見える。この状況に不安を隠せないのだろう。


「……ん。大丈夫だ優月。俺が付いている」


 慎也は優月の肩と細い腰に触れ、優しく抱き寄せた。

 それから、もう離さないと言わんばかりにグッと力を込める。

 昨日までとは全く違う。完全に吹っ切れた大胆さだ。

 本気で優月を失うのが怖かったのだ。今の慎也はかなりタガが緩んでいた。


「し、慎也さま……」


 対する優月は真っ赤なのだが、慎也は気付かない。

 が、その代わりに――。


「……おい小僧」


 慎也を正常に引き戻したのは、悪鬼の形相のお父さまの声だった。

 一気に正気に返った慎也は、慌てて優月を離して頬を引きつらせる。


「お、義父おやじさん……だ、大丈夫なんすか? その、傷は……」


「ふん。大丈夫や。弾丸は抜いたし、止血もしたわ」


 蔵人はサラシの上から包帯を重ねて巻いていた。

 若干血は滲んでいるが、確かに止血はしているようだ。

「お父さま……」優月が今にも泣きだしそうな顔で蔵人に近付く。

 対する蔵人は破顔し、愛娘の頭を撫でた。


「色々と心配をかけたのう優月。けど、話は全部後でや」


 言って、盛大に軋みを上げる祭殿を見据えた。


「まずはあれを片さんといかんからのう」


「……は?」その台詞に、慎也は唖然とした。


「……え? おっさんまで戦う気なのか? だって銃で撃たれたんだろ?」


 続けてそう尋ねると、蔵人は「ふん」と鼻で笑った。


「霊獣を使うだけなら何の問題もないわ。まあ、見とれや小僧」


 そう言って、蔵人は不敵な笑みを見せる。


「お前の乗り越えなあかん壁が、どんなもんか教えたるわ」

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