第9話 決意する少年②

「うわあ……なんかお嬢ってば、めっさラブコメしてるっすよ。篠崎のアニキ」


 と呟いて、そのチンピラ風の男は視線を横の兄貴分に向けた。


「……ああ。とても組長オヤジには見せられん姿だな」


 隣に立つ兄貴分であるスーツ姿の男――篠崎は皮肉気に笑う。

 そこは藤真市の一角。

 月明かりで光る川の傍。土手の上で彼らは佇んでいた。

 二人の視線はこの場所から少し離れた陸橋に向けられている。そこには慎也に抱きつく優月の姿があった。遠目から見ると、完全に若いカップルの抱擁である。


「……リア充爆発しろって感じっす」


「そう言うな葛城。あの子も年頃なんだろう」


 と、弟分であるチンピラ風の男――葛城に、篠崎はやれやれと嘆息して告げる。

 が、すぐに面持ちを改めて優月達を見据えると、


「何にせよ、ようやく追いついたんだ。あの子を保護するぞ」


「うっす! 拉致っすね!」


 パンと手の平を拳で打って気合を入れる葛城。

 すると、篠崎は深々と溜息をついた。


「拉致と言うのはやめろ。人聞きが悪い。俺達の仕事は家出娘を連れ戻すことだ」


 ただでさえこの家業は肩身が狭いのだ。誤解を招くような表現は使うべきではないと個人的には思っているのだが、それ以前に葛城は本気で口走っている気がする。

 篠崎は突き刺すような鋭い眼光で弟分を睨みつけた。


「葛城。お前が十代の頃、どんなことをしてきたのかは聞いている。お前は更生も兼ねて私の下にいることを忘れるなよ」


「う、うっす、承知しているっす……」


 雪塚組若頭の気迫の前に、葛城は頬を引きつらせて後ずさった。

 篠崎はもう一度睨みつけてから、ふっと息を吐き、


「ともあれ、今は優月を保護するぞ」


「うっす。けど、アニキ。野郎の方はどうするっすか?」


 そう問われ、篠崎はあごに手をやった。


「そうだな。霊力を感じる以上、一般人ではないだろう。この地の封魔師となると玖珂山家の人間か。とりあえず無力化する方針で行くぞ」


「うっす。分かったっす。あのリア充はこの場で打ち滅ぼす……」


 と、葛城が返答しようとした時だった。


「いやいや、それは少し待ってくれないかな」


 不意に響いた見知らぬ声に、篠崎達は息を呑んだ。


「それに、私の息子はリア充なんかじゃないよ。断じてだ。でなきゃあ、私もここまで次代についてヤキモキしないよ」


 と、言葉を続けながら、土手の暗闇から現れたのは一人の男だった。

 年齢は三十代後半から四十代ほど。

 眼鏡をかけた痩身の男で、ごく普通の散歩中の父親といった風貌の人物だ。

 ――ただし、その右手に一メートルほどの鉄棍を持っていなければだが。


「……何者だ。貴様……」


 篠崎が鋭い眼差しでそう問い質す。

 一方、葛城はいきなりの登場人物を前にして少し後ずさっていた。


「う~ん、大体想像はつくんじゃないのかな? 雪塚組のお二方」


 そう問い返され、篠崎は警戒度を増した。

 眼前の全く隙を見せない男。霊力も感じることから封魔師であるのは一目瞭然だ。

 ならば、状況から考えられるのは一つだけだ。


「……そうか。貴方が玖珂山家の現当主――玖珂山智則殿か」


「うん。いかにも私が玖珂山智則だ」


 鉄棍で肩を叩きつつ、眼鏡の男――智則は苦笑する。

 篠崎は油断なく間合いを測り、葛城は頬を引きつらせた。


「く、玖珂山智則って……まさか『東の龍』っすか!? 昔、組長オヤジとタイマン張ったっていう化け物じゃねえっすか!?」


 と、驚愕で目を剥いて叫ぶ葛城に、


「い、いや、化け物と言われると、何故だか妙に気恥ずかしいね」


 頬をかきながら、そんなことを呟く智則。

 そしてその気軽な口調のまま、智則は本題に入った。


「まあ、それはともかく。あの子達のことは、今はそっとしておいてくれないかな。なにしろ息子は今、彼女が出来るかどうかの瀬戸際なんだ」


 と、かなり自分本位のことを告げてから、トントンと棍で肩を叩き、


「ついでに蔵人さんが何を考えているのかも教えて欲しいな。優月さんが嘘をついていないのは分かるが、彼女の話だけでは蔵人さんの真意が見えないんでね」


 と、もう一つの本題を尋ねる。途端、篠崎達の表情に緊張が走った。


「……なるほど。優月がこの土地に来たのは、やはり貴方に助力を求めるためか。しかし、これは『西』の問題。貴方は介入してこないと思っていたのだが……」


 そう尋ねる篠崎に、智則は苦笑を浮かべた。


「少なくとも私としては介入する気はないよ。ただ、蔵人さんの旧知の友人としては彼の真意を知りたい。そう思うのは自然な事じゃないかな?」


「…………」


 言われ、篠崎は無言になった。葛城の方に至ってはただおどおどとするばかりだ。

 そして智則はすうっと目を細める。


「出来れば素直に話して欲しい。『西』のメンツを考え、私自身はこれ以上この件に介入する気はない。けど事態が事態だし、実状ぐらいは聞いておきたいんだよ」


 そう宣告して、智則は鉄棍を横に振るった。


「ひ、ひいィ、ア、アニキ……」


「…………」


 葛城はますます怯え、篠崎は無言のままだった。

 そして数秒間、スーツ姿の男は沈黙を続けていたが、


「申し訳ないが、お話する訳にはいかない。組長オヤジの真意を話せば、もしかしたら貴方は理解してくれるかもしれない。しかし、心変わりして介入してくる可能性もある。私の一存で伝える訳にはいかないな」


「……そうか。なら、力づくでも聞くことになるよ?」


 智則は真剣な瞳で篠崎と葛城を見据えた。

 すると、葛城はただ息を呑むだけだったが、篠崎の方は苦笑を浮かべて――。


「それも御免こうむるな。私と葛城では貴方の相手にもならないだろう」


「……なら、どうする気だい?」


 と、智則が尋ねると、篠崎は肩をすくめた。


「文明の利器を使うのさ。悪いが奥の手を使わせて頂く」


 言って、篠崎は懐からを取り出した。


「おおっ! マジッすか、アニキ! 使ってもいいんっすか!」


 葛城も目を輝かせて自分の懐に手を入れ、同じものを取り出した。

 対し、智則はしばし沈黙した後、深々と溜息をついた。


(……うわあ、やっぱり怖いなあ、ヤクザ屋さんって……)


 と、内心ではドキドキしつつ、智則は二人の男を見据えた。

 彼らの手には筒状の武器が握られていた。

 まあ、いわゆる拳銃チャカと呼ばれるヤクザ屋さん御用達の一品だ。

 智則はあまり詳しくないのだが、トカレフという名称の自動拳銃である。


「さて、玖珂山殿。どうされますかな。いかに貴方といえども銃弾はかわせまい」


「さっさとやっちゃいましょうよ! アニキ!」


 そんな風に警告してくる篠崎と、物騒なことを宣う葛城。

 智則は鉄棍を片手に肩をすくめた。


「確かに銃弾はかわせないよ。もちろん打ち落とす事も出来ない。けどね……」


 智則がそう呟いた時、いきなり彼の姿が消えた。

 篠崎と葛城は唖然とした。

 そして――。


「ひ、ひいっ……」葛城は息を呑む。


 ほんの一瞬後、鉄棍の先端が自分の喉元に突きつけられていたのだ。

 篠崎も銃を構えたまま愕然とする。


「ば、馬鹿な……全く見えなかったぞ」


 葛城の動きを封じつつ、智則はふっと笑う。


「かつて戦争を経験した私の祖父が言っていたよ。銃弾が撃ち出された後はかわす事も打ち落とす事も出来ない。撃たれた後では遅いんだ。だから、銃を持った相手と戦う時は撃たれる前に照準を絞らせない事が重要だってね」


 そう前置きをしてから、柔和な眼差しで智則は言葉を続ける。


「銃の対処法のコツは素早く動き、相手に狙いを外させること。人間の照準能力なんて雑なものだし、銃口の位置さえ気をつければどうにかなるものだよ」


「あ、あんた……本物の化け物っすか……」


 鉄棍を喉に突きつけられた状態で葛城が愕然と呟く。篠崎も同様の感想だった。


「……要するに、二人ぐらいなら拳銃チャカを持とうが相手ではないということか」


「まあ、十人とか二十人とかだと流石に無理だけどね。けど、元々君は銃を抜いても使う気なんてなかったんじゃないかな? こっちの若い人は違うみたいだけど」


 そう言って、智則は葛城に視線を向ける。

 すると葛城は「ひいィ」と呻き、身をすくめた。

 そんな弟分の様子に、篠崎は銃を下ろし、苦笑を浮かべた。


「正直、脅しになればいいと思ってな。しかし、玖珂山殿。こうなれば本音で話すが、我々はこのまま退くのでどうか見逃してもらえないか」


 と、篠崎が提案する。智則はふうっと息を吐いた。


「……それも仕方がないか。ここは繁華街からも近いし、この土手も人通りが全くない訳じゃない。銃声なんてしたら洒落にもならない事になるだろうしね」


 結局、負けはせずとも銃を出された時点で手詰まりだったのだ。

 智則はすっと鉄棍を引いた。

 途端、葛城は弾けるように大きく跳び退いた。

 革ジャンの青年は、喉元を右手で押さえて青ざめている。

 その様子を横目で確認してから、篠崎は淡々と告げた。


「では、我々はここで失礼しよう。まあ、優月の性格からして遅かれ早かれ『西』に戻って来るだろうしな。組長オヤジには任務失敗だと素直に報告するよ」


「うえェ……。それはそれでゾっとするっすね」


 早くも調子を取り戻した葛城が言う。


「黙れ葛城。玖珂山殿の気が変わらない内に撤退するぞ」


「ういっす~」


 篠崎は弟分の腑抜けた態度に、やれやれと嘆息しつつも、


「では、失礼する。玖珂山殿。出来れば今回の件、不干渉をお願いする」


「……ああ、少なくとも私は不干渉でいることを約束するよ」


 と、智則とやり取りし、篠崎達はすっと夜の闇に溶けるように消えていった。

 後に残されたのは、鉄棍で肩を叩く智則一人だけだ。


「やれやれ。結局収穫なしか」


 と、嘆息してから智則は陸橋の方を見やり、


「けどまあ、向こうの方は結構上手くいっているみたいだな」


 思わず笑みを零す。遠目から見る限り、かなりいい雰囲気だ。

 しかし、慎也のあのくねくねした両手の動きときたら……。


「まったく。お前はどこの三代目怪盗だ。そこはグッと抱きしめとけよ」


 息子の醜態に溜息が出る。

 とは言え、あれぐらいの年の頃、智則自身も幼馴染のさくら相手に随分と挙動不審な態度を取っていたものだ。そういった意味では血は争えないと言うことか。

 少し思い出に浸りながら、智則は夜の空を眺めた。


「……それにしても」


 星の瞬く空を見据えて智則はぼそりと呟く。

 その眼差しには、かつて一度だけ戦った男の顔が映っていた。


「……蔵人さん。一体あなたは何を考えているんだ?」


 ついそんな疑問を口にするが、答えが出るはずもない。

 智則は、やれやれとかぶりを振ると、もう一度だけ慎也達の方を見やり、


「まあ、そこはお前が解明してくれるか。頑張れよ慎也」


 と、息子に期待をかけ、愛する妻が待つ我が家へと足を向けるのだった。

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