第六章 切り拓く道

第20話 切り拓く道①

 風霧市の隣街である――日鳴市。

 雪塚家の担当地区の一つでもあるその土地こそが、優月の実家のある街だった。

 都会のイメージが強かった風霧市に対し、日鳴市は大分違っていた。

 街路樹の並ぶ歩道や、遠くに構える雄大な山々。街全体が緑豊かであり、どこか箱庭を思わせる景観。それが日鳴市という街だった。

 二人は今、住宅街にいるのだが、休日の午前中ということもあり驚くほど人がいない。

 そんな閑静な街並みを慎也と優月は黙々と進んでいった。

 彼らの向かう先は、高台にある公園だ。


「……慎也さま」


 そして徐々に周囲から住宅が少なくなり、森林が多くなってきた頃。

 不意に隣を歩く優月が呟いた。


「あの公園です」


 すっと指を差し示す。そこには小さな公園があった。

 幾つかの長椅子にブロンズ製の街灯。周囲には落下防止――というより景観をよくするための木製の柵もある。夜にはデートスポットになりそうな展望台も兼ねた場所だった。

 しかし、今はまだ午前中ということもあり、人の姿は見当たらなかった。


「ここから見えるのか」


 と、慎也は呟き、二人は公園内に入った。

 そして慎也達は木製の柵の近くに寄り、眼下を見やる。

 そこで慎也はすぐに目を細めた。


「……優月。もしかしてあの家が……」


 と、見下ろす先の山中に建つ家屋を指差し、慎也が尋ねる。

 対し、優月はこくんと頷いた。


「はい。あれが私の実家です」 


「……そ、そっか」慎也は複雑な表情を浮かべて、眼下のに再び目をやった。

 視線の遥か先には、広大な庭を持つ大きな武家屋敷が鎮座していた。

 その趣は想像以上に古めかしく、しかし荘厳さを感じさせる屋敷である。

 特に山の中腹辺りにある事や、車道から正門へと続く長い石段はとても印象的だ。


(……こ、こいつはまた、大きな家だな)


 と、内心で頬を引きつらせる慎也。

 すでに色々な覚悟はしていたつもりだが、実物を見るとやはり気後れする。


(う~ん……いかにもっぽいなあ)


 慎也は、ちらりと優月の横顔を見やった。

 果たして、彼女の父親とはどういう人物なのだろうか。

 そして自分はちゃんと『ご挨拶』できるのだろうか。


(もしかすると、いや、出来ることなら『お義父とうさん』と呼びたい人か……)


 真面目な顔でそんな事を考える慎也。

 すると、優月が慎也の視線に気付き、小首を傾げた。


「慎也さま? どうかされましたか?」


「えっ? あ、いや、いやいや何でもないよ!」


 いきなり優月に声をかけられ、慎也は結構焦った。

 まだ告白もしていないのに、自分は何を考えているのか。

 少し赤面した慎也は、誤魔化すように慌てて手を振り、


「そ、それよりさ、優月! あれは何なんだ?」


 そう言って、優月の実家の上――山頂付近にある建物を指差した。

 遠目からだと、まるで神社のように見える建物が、そこにはあった。

 中腹辺りにある優月の実家から石段で繋がっているかなり古そうな建造物だ。


「……あれですか」優月は表情を真剣な表情で答える。「あれは『祭殿』なんです」


「……祭殿? あっ、そっか」


 そう告げられ、慎也はピンとくる。


「あそこが目的地ってことか」


 慎也の指摘に、優月は無言で頷いた。

 あの祭殿の中に祭られているものこそが、目的の《澱みの繭》だった。


「……と言うことは、あの山って雪塚家が所有してるってことなのか?」


「はい。あの周辺は雪塚家の私有地なんです」


 優月はそう即答した。慎也の顔に緊張が浮かぶ。


「……やっぱそうなのか。じゃあ、あそこには今、結構な数の封魔師達が待ち構えていると考えた方がいいよな」


 智則の話では、雪塚家には二百名以上の封魔師が所属しているらしい。

 いくらなんでも、その全員がこの場所に揃っているとは考えにくいが、昨日の一件で、少なくとも慎也達の襲撃は警戒しているだろう。

 その上、私有地ならば、相手もかなりの無茶も出来ると言うことだ。


「……はい。この距離では霊力を感じ取るのは難しいですが、家には日頃、大体四十人ぐらいの組員が滞在していました。恐らく今日はそれ以上の……」


「そいつはまた厳しい状況だな」


 慎也が渋面を浮かべる。慎也も優月も若くしてトップクラスの封魔師ではあるが、四十名以上の封魔師を相手取ることはあまりにも無謀だった。

 慎也があごに手をやり、ぼそりと呟く。


「う~ん、やっぱここは霊力を消して、こっそり近付くのがベストなのか……」


 それも相当困難なことではあるが、手段としては定石だろう。

 しかし、優月はかぶりを振った。


「いえ、慎也さま。雪塚家には式神使いが多いんです。たとえ霊力を消しても犬狼型の鼻から逃れるのは難しいと思います」


「……ああ、そうだよな。それがあったか」


 言って、慎也は再び渋面を浮かべた。

 考えれば考えるほど、厳しい状況だった。

 慎也達の最優先にすべき目標は《繭》の無力化である。

 もっと正確に言えば《大妖》と化す前に《繭》を孵化させることだった。


『恐らく今の段階なら生まれるのは上級妖怪のはずです。流石に私達二人だけでは厳しい相手ですが、そこは雪塚家――父にもしてもらいます』


 それが優月の昨日の弁。

 何故か、雪塚家は《大妖》の孵化を望んでいる。

 その目的や意図は未だ分からないが、《大妖》が何かに必要なのだろう。

 だが、もし生まれたのが《大妖》ではなく上級妖怪であったのならば、自分達の身を守るためにも退治せざる得ないはずだ。

 かなり乱暴な方法ではあるが、現状で最も有効な手段だった。

 勿論、すべてが上手くいったとしても、その後には必ず一悶着がある。

 しかし、それは、蔵人との話し合いで解決すべきことだろう。

 そのためにも、まずは《繭》を開封できる距離まで近付かなければならなかった。


「どうしたもんかな……。とにかく、先に《繭》を潰しておかないと話し合いにも持ち込めないだろうし……」


 慎也は眉をしかめて作戦を考えるが、中々いい案が出ない。

 すると、優月が不意に真剣な眼差しを慎也に向けた。


「慎也さま。私に考えがあります」


「え、本当か優月? もしかして抜け道とかあるのか?」


 と、尋ねる慎也に、優月は首を横に振った。


「いえ、残念ながら抜け道はありません。ただ作戦ならあります」


 凛とした佇まいでそう告げる少女に対し、慎也は瞳を輝かせた。


「そうなのか! 一体どんな作戦なんだ!」


 と、勢い込んで慎也が尋ねると、優月はふふっと笑った。


「正確に言うと作戦なんかじゃないんです。ここで私の切り札を使います」 


「……切り札だって?」慎也は眉根を寄せた。

 優月の能力は事前に聞いていたが、その話は初耳だった。

 すると、優月は申し訳なさそうに頭を垂れた。


「すいません慎也さま。これは雪塚家の秘儀の一つですので……」


「……ああ、なるほど。そういうことか」


 たったそれだけで慎也は納得した。

 どの封魔家も独自の切り札ぐらい持っているものだ。

 そして秘儀ともなれば、そう簡単には教えられないのも当然である。


「それなら仕方がないな。けど、それって使ってもいいのか?」


「使用自体は問題ないんです。けど、まだ使いこなせるレベルではないので……」


 と言って、優月は少し肩を落とした。

 慎也は何となく察する。要するに未完成の奥義という訳か。


「大丈夫なのか優月? もし君の身体に負担がかかるような術なら――」


 と、自分を心配してくれる優しい少年に、優月は笑みを見せてから、


「それは大丈夫です。ただ、一つだけお願いがあります」


 そう切り出して、優月は慎也にそっと耳打ちする。

 慎也は少し訝しげな表情を浮かべる。


「それって……本当にいいのか?」


「ええ、お願いします。多分、それぐらい私は役立たずになりますから」


 一瞬だけ困ったような笑みを見せる優月だったが、すぐに表情を改めると、


「では慎也さま」


 そして清楚な容姿の少女は、にこりと笑ってこう告げた。


「これから、私とラグで『百騎駆け』をしたいと思います」

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