第21話 切り拓く道②

「……なあ、お嬢って本当に来ると思うか?」


「そりゃあ来るだろ。風霧市の話、お前も聞いただろ?」


 そこは雪塚家本邸の石段。その下の段で彼ら二人は会話をしていた。

 二人とも雪塚組に所属する組員。

 一人は短い金髪。もう一人は派手なスカジャンを着た若い封魔師達だ。


「けどよお」金髪の男はボリボリと頭をかいた。


「いくらなんでも正面からは来ねえだろ。ここを見張るのって意味なくね? 他の連中みたく俺らも森の中とかを見張った方がいいと思うんだけどなぁ」


 そう言われ、スカジャンの男はやれやれと肩をすくめた。


「そんな身も蓋もねえこと言うなよ。俺もそう思うけど、だからといって正門に見張りなしはダメだろ。裏の裏を突くって考え方もあるしな」


「いや、まあ、確かにお嬢は組長オヤジ並みに豪胆な時があっけど流石に正面から――」


 と、そこで不意に男は言葉を止めた。金髪の男が眉根を寄せる。


「……? どうしたんだ? 急に黙り込んで……」


 疑問に思い、相棒の横顔を見て尋ねると、


「お、おい! うそだろ!? あ、当たりだ! !」


「な、なに!?」


 いきなりそんな事を叫ぶ相棒に、スカジャンの男もハッとして石段の下を見た。

 そして大きく目を見開いた。


「マ、マジかよ……」


 五メートル下の石段の先にある車道。

 そこには今、巨大なウォンバットと、その背に乗る少女と少年がいた。

 少年の顔は初めて見るが、少女の方は間違いなく彼らが『お嬢』と呼ぶ雪塚優月だ。


「お、お嬢……」


 まさか正門から来るとは、なんて大胆な真似を……。

 すると、彼女はすうっと両手を胸の前に重ねる。続けて、ラグの背中にありったけの霊力を注いだ。

 男達が目を見開いた。


「マ、マジかお嬢!?」


 金髪の男が驚愕の声で叫ぶ。

 突如、ラグが分身を始めたのだ。

 しかもその数は一体だけではない。数十体。いや百体にも及ぶかもしれない。分身からまた分身を生み出し、まだまだ増える。後半になるほど大小の体格の違いは出てくるようだが、もさもさと瞬く間に車道を覆いつくした。


「ウォン」「ウォン!」「ウォン?」「ウォン!」「ウォン」「ウォウォン?」「ギャ!」「ウォォン!」「ウォン」「ウォン、ウォン!」


 次々と鳴き出すラグ達。

 ――これが、優月の切り札。

 雪塚家の秘儀であり、《地平獣》召喚化と呼ばれる術だった。

 時間限定つきではあるが、無尽蔵に式神を連続召喚する技である。


「……ラグ達、行くよ」


 優月は優しい声でそう告げ、自分が乗るラグ本体の背を撫でた。


「ウォォォォォン――ッ!」


 雄たけびを上げ、ラグ本体は跳躍した。


「う、うおお!?」「ぎゃああああ!?」


 男達は悲鳴を上げた。ラグ本体が動くのと同時に分身隊も動き出したのだ。

 ウォンバットの群れが階段を呑み込んだ。

 男達は咄嗟に階段の脇に避難した。

 愛らしいウォンバットも、この数になると流石に怖い。


「く、くそがッ!」


「ま、待て! 先に警報だ! ブザーを鳴らすぞ!」


 そう言って、スカジャンの男は懐から防犯ブザーを取り出した。

 けたたましい警報が鳴り響く――。

 これで石段の上や森の中の人間にも優月の襲撃は伝わるだろう。

 ウォンバットたちは階段を上っていく。


「お嬢を追うぞ!」「おうよ!」


 そして二人も霊獣を召喚した。が、その間もラグ達の疾走は止まらない。

 石段を、まるで弾丸列車のように突き進んでいく。


「お嬢さん! これ以上は行かせ……ええええ!?」


 襲撃に気付いた上段の見張り達が自分の霊獣を解き放つのだが、ウォンバットの大群を前にしてギョッとする。


「ガアアッ!」「シャアアアッ!」


 それでも忠実な狼型と大蛇型の霊獣達が牙を剥き、ラグ本体に襲い掛かる!

 ――が、


「ラグ! 《烈破》ッ!」


「ウォォォォォン――ッ!」


 ラグ本体の口から、空気の砲弾が撃ち出される!

 それは分身隊も同じだった。


「ウォン!」「ウォン!」「ウォン、ウォン!」「ウォン!」「ウォン!」「ウォン!」「ウォン!」「ウォン!」「ウォン!」「ウォン!」「ウォン、ウォン!」


 鳴き声が止まらない。恐ろしいぐらいの数の一斉砲撃を食らって、「ぎゃわあん!」と狼の霊獣は可哀そうな悲鳴を上げて吹き飛ばされた。


「シャアアアッ!」


 しかし、大蛇の方は咄嗟に回避した。続けて主命を果たすため、ラグ本体の首筋を噛み砕かんと牙を剥くが、


「ウォォォン!」


 突如、立ち上がったラグ本体の短い前足で殴打されてしまった。

 大蛇は石段に叩きつけられて大きくバウンド。「シャアアアッ!?」と、絶叫を上げながら森の中へと消えていった……。


「ウォォン!」「ウォン」「ウォン、ウォン!」


 ラグ達は雄々しく吠え、さらに疾走する。

 霊獣を失った封魔師達は、慌てて道を開けるだけだった。

 風を切る丸い物体達。

 その背の上で、玖珂山慎也は息を呑んでいた。


(……こ、これが優月の切り札か。少し恐ろしいな)


 彼は今、鉄棍を片手に、ラグ本体の背中の毛を掴んでいた。


(けど、優月……。やっぱしんどそうだな)


 眼前の優月の背中は、わずかに肩で息をし始めていた。

 これだけの数の式神を操るのだ。同然、消耗は激しい。

 事前に聞いた優月の話では、ラグ本体だけの召喚なら十時間ぐらいは持つのだが、この地平獣召喚化は十分間持続させるのも難しいそうだ。

 しかも、その時間を使いはたすと、半日はラグ本体さえも喚べなくなるらしい。


(だからこそ、俺に手を出すな、か)


 慎也は棍をグッと握りしめた。

 恐らく優月は、祭殿まで辿り着いた時点で戦闘不能に陥る。

 それを考慮して、慎也にはその後の為に力を温存して欲しいと頼まれたのだ。


(後は俺がどうにかする。だから優月。頑張れよ)


 口に出しては、優月の集中力の妨げになるかもしれない。

 慎也は心の中だけでそう告げた。

 と、その時、ラグ本体がボールのように大きく跳躍した。分身隊もそれに続く。

 そして石段を飛び出し、ラグ達は土を剥き出しにした地面に辿り着いた。

 雪塚家本邸の庭の一角だ。


「ラグ達! 残り半分、頑張って!」


「ウォン!」「ウォン」「ウォン、ウォン!」


 優月の声援に雄々しく応えるラグ達。

 屋敷そのものを跳び越えようとラグ達が身を屈めた時――。


「《烈破》ッ!」


「――ッ!」


 突如、真横から見えない圧力が襲い掛かってくる! 

 多くは回避したが、数体のラグ達は直撃を受けて吹き飛んだ。

 優月は声が聞こえてきた方へと目をやった。


「……先生」


「まさか数による正面突破とはな。ある意味お前らしいか。優月よ」


 そこには、皮肉気に笑う雪塚組の若頭――篠崎がいた。

 その傍らには、巨狼を従えている。


「だが、ここらか先には行かせんぞ」


 篠崎は静かにそう告げる。


「この程度の数で抑えられるほど、私は甘くない」


 そう告げる男にラグたちは身構えた。


「……ええ、そうですね。先生。この数では先生には勝てません」


 優月はラグ本体の上でふっと笑った。


「ですが、今の私は、


「……なに?」と、眉を寄せる篠崎。

 すると、その直後、ラグ本体が大きく跳躍した。

 目指す場所は、屋敷の屋根瓦の上だ。


「馬鹿め! 逃げられると思うな!」


 言って、篠崎は自分の霊獣に飛び乗り、ラグ本体の後を追って跳躍する。

 しかし、優月は篠崎の方には視線を向けず、ラグ本体に屋根の上を疾走させた。

 代わりに分身隊が篠崎の足止めをしていた。


「チイィ! 分身ごときが!」


 次々と吹き飛ばして進むが、流石に数が多い。

 その間に、ラグ本体は裏門――祭殿に続く石段へと着地する。

 優月は眼前の石段と、その先にあるはずの祭殿を見据えた。

 およそ数百メートルにも至る長い石段。

 所々には雪塚組の組員や霊獣の姿も見えるが、そんなものはもう関係ない。


「慎也さま! !」


 優月の覚悟の声に、慎也も即座に応答する。


「おう! 行け! 優月!」


「はいッ! ラグ! 《空歩》ッ!」


 そう叫ぶ主人の声に、ラグ本体は大きく吠えて応えた。

 そして――丸い獣は飛翔する!

 石段に向かって地を蹴って跳躍。次は空中を蹴りつけた。

 さらにその次も、その次も――。


「ば、馬鹿な!? 《地平獣》召喚に《空歩》の連続使用だと!? 体力が持たんぞ!?」


 空中を駆ける丸い獣の姿に、篠崎は目を剥いた。

 邪魔する敵も石段の段差も無視したラグ本体は、どんどん加速する。

 そして遂には――。

 ドドンッ、と地響きを立て、ラグ本体は祭殿の境内に降り立った。


「よし! やったぞ優月!」


 慎也は少女を賞賛した――が、その直後、ラグの巨体が薄れてきた。

 分身隊も消えていく。優月の体力がとうとう尽きてしまったのだ。


「――くッ! まずい!」


 慎也は慌てて少女の肩を掴み、抱き寄せた。

 その一瞬後だった。ラグの姿が完全に消えて霊符に戻ったのは。

 慎也は優月を横に抱えて地面に降りる。


「だ、大丈夫か! 優月!」


「だ、大丈夫です……。ここまでくれば……」


 そう答える優月の顔は青ざめていた。

 その上、肩で息をしている。完全に消耗しきっていた。

 しかし、それでも彼女は、最後の力を振り絞って手を祭殿に向ける。


「後は祭殿の中に入って《繭》を開封するだけ……」


 と、呟いた直後、優月は目を見開いた。


「……え?」


 視線の先。神社を思わす祭殿の前に、予想外の人物がいたからだ。

 慎也もつられ、祭殿の方へと目をやる。


「あ、あんたは……」


 そして表情を固くした。

 そこに居たのは両腕を組む一人の和装の男。祭殿の入り口の前にある四段ほどの小さな階段に、どっしりと腰を下ろしている。

 年齢は五十代ほどか。筋肉質な体躯と、熊のような髭が特徴的な大男だった。

 まるで巨岩を思わせるような威風堂々とした佇まいに、慎也は思わず息を呑む。

 明らかに只者ではない。対峙しただけでその強さが分かる。

 と、その時、優月が呆然と呟いた。


「お、お父さま……」


「えっ?」


 その台詞に、慎也は目を丸くした。

 眼前の男があまりにも優月に似ていなかったせいだ。

 しかし、優月が『父』と呼んだ和装の男は慎也の困惑など意にも介さず、腕を組んだままのそりと立ち上がり前へと進み出た。

 そして、不敵な顔で「ふん」と笑い、


「家出娘がようやっと戻って来おったか。なあ、優月よ」


 そう言って、和装の男――雪塚蔵人は、巌のごとく慎也達の前に立ち塞がった。

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