第26話 ぶつかり合う意志③
――ギィンッ!
と、境内に金属音が響く。
雪塚蔵人と、玖珂山慎也とかいう小僧が奏でる剣戟音だ。
その光景を見据えつつ、『彼』は嘆息した。
(……こいつは驚いたな)
すでに勝負が始まって五分以上。
今なおあの小僧は、雪塚蔵人相手に喰らいついている。
いかにハンデ戦とはいえ、驚異的な底力だ。
(あれが『東の龍』の息子か)
やはり血統の力は侮れない。改めてそう思う。
彼はふと、もう一人の優秀な血統――雪塚優月の方に目をやった。
彼女は両手を組み、真剣な眼差しで少年を見つめている。
そんな少女の姿に、彼は苦笑を零した。
勿論、優月は時折、複雑な表情で父の方にも目をやっているが、それでも少年に向ける眼差しの方が圧倒的に多い。少々雪塚蔵人に同情したくなる光景だ。
(ははっ、まさしく恋する乙女だな)
だが、残念ながら彼女の恋は叶わないだろう。
彼は周囲に潜む仲間に、視線を送った。
仲間達も彼の視線に気付き、目を合わせてくる。
(まず大丈夫だろうが、あの小僧、下手するとジャイアントキリングもあり得そうだ。その場合は分かっているよな)
(ああ、分かっているぜ)
と、読唇術でやり取りする男達。
他の仲間達にも、その指示はつつがなく伝わった。これで準備は万全である。
彼は再び決闘に目をやった。そして戦況を窺い、静かに思う。
(さて、この決闘。どうなることやら)
◆
「うおおおおおおお――ッ!」
慎也は渾身の力で棍を振るった。
龍が尾を揺らし、横薙ぎに襲い掛かる――が、
「ふんっ!」
――ズドンッ!
と、槍の石突きで龍頭は地面に叩き落とされた。
「くそッ!」舌打ちする慎也。しかし、それだけでは終わらない。
棍を素早く回転させ、龍尾で蔵人の頭を狙う!
「それも甘いわ!」
蔵人は不敵に笑うと左腕で龍尾を打ち払い、続けて槍を横に薙いだ。
龍体の防御が間に合わないと判断した慎也は、棍を縦に構えて槍の一撃を受け止め、衝撃でへし折られる前に自分で横に跳躍した。
「――ぐッ!」
ゴロゴロと地面を転がって衝撃を逃すと、慎也はすぐさま立ち上がった。
「くそ! ならこいつでッ!」
言って、慎也は棍を逆手に構えた。それに合わせて龍が地に伏せる。
続けて慎也が龍の首に片足を乗せると、龍は上体を勢いよく跳ねあげた。
同時に龍の姿が一旦消え、棍を片手に慎也は空へと飛翔した。
「……ほほう」蔵人が小さく感嘆する。「なるほど。おもろい真似をするのう」
続けてそう呟くと、興味深そうに目を細めた。
遥か上空。十メートルほど先。そこに棍の端を両手で握る慎也の姿があった。
蔵人はふっと口角を崩して、少年を見据える。
「どうやら大技のようやの」
慎也の棍の先には、巨大な龍頭が顕現していた。
身体のない頭だけの龍。ただし、その龍鱗は黄金色に輝き、大きさは直径にして優に三メートルはある。明らかに通常とは違う龍だ。
「これでもくらいな! おっさん!」
慎也が吠える!
「――《
そうして隕石のごとく襲来する黄金の龍頭。
それに対し蔵人は、槍の柄を両手で支えて真正面から受け止めた。
――ズズゥンッッ!!
と、大地が激しく鳴動し、蔵人の膝がググッと沈み込んだ。
初めて地面に膝がつきそうになった一撃。
しかし、蔵人の顔には余裕の笑みが浮かんでいる。
「ふん。気迫の乗ったええ一撃や。けどな……」
蔵人は血管の浮き上がった右腕で巨大な龍の牙を一本掴み、
「儂に膝をつかせるほどやないの」
言って、力任せに巨大な龍頭を放り投げた。
当然、龍の主人たる慎也も一緒にだ。
「うおッ!?」慎也は青ざめ、即座に龍を元の姿に戻した。
続けて宙空で自身の身体を龍体で覆う。空中での追撃を警戒してだ。
そして予想通り追撃が来る。
「くうッ!?」
それは石突きによる刺突だった。慎也は水平に吹き飛ばされてしまった。
龍体にこそ覆われていたが、何度も地面にバウンドする。
「……ぐううゥ」
呻き声を上げる慎也。それでも少年は土塗れになりながらも再び立ち上がった。
それから、全身のダメージを確認する。
大きな負傷はしていない。しかし、息は乱れ、両肩は激しく上下していた。
周囲から「おお! 流石は
「なんや小僧。もう疲れてきおったんか?」
対する蔵人には、充分すぎるほど余裕がある。
全く息も乱れておらず、戦闘開始時から微塵も変わっていない。
「……あんた。とんでもないタフさだな。一応五十代なんだろ?」
「……お前、失礼な奴やのう。儂はまだ四十二や。五十代やない。まあ、髭と白髪のせいでかなり老けてみられるけどな」
言って、自分のあごを撫でる蔵人。
しかし、十代の慎也にしてみれば四十も五十も大差ない。
「似たようなもんだろ。どっちにしろおっさんの体力じゃねえよ」
そんな無駄話で呼吸を整えながら、慎也は対策を練る。
正直、戦況は厳しすぎる。
あらゆる技が槍の一振りで蹴散らされ、向こうの攻撃は防御の上からも響く。
今はどうにか喰らいついているが、スタミナまで差が出始めてきた。
焦燥感から慎也は唇をグッとかみしめる。
(くそッ! ガチで強すぎるぞ、このおっさん!)
しかも、格下を相手にしているというのに油断さえしてくれない。
このままでは敗北は必至だった。
(こうなったらやっぱ賭けに出るしかねえか)
慎也は棍を構えて蔵人を見据えた。
この戦況をひっくり返せる策と言ったら、思いつくのは一つだけだ。
だが、それには捨て身に近い覚悟がいるし、失敗したらその場で勝負ありだ。
まさに最後の手段。慎也が迷うのも無理はなかった。
(けど、どうせこのままだと……)
慎也は悩み続ける。と、そんな時だった。
「――慎也さま! 頑張って!」
不意に響く可憐な声。
今まで戦況を見守っていた優月の声である。父と慎也の狭間で声を出すことを躊躇っていた彼女だったが、慎也の劣勢にとうとう声援を送ってきたのだ。
(……優月)
これには慎也の心も奮い立った。
尽きかけていた体力まで少し回復した気がする。
「……ぬうぅ、優月……」
一方、複雑な心境なのが蔵人だ。こちらは心なしか気落ちしている。
いかに志が違えど、愛娘が自分よりも他の人間――しかも男――を応援するのは、やはり辛いものである。流石の蔵人でも気力が削がれるのは当然だ。
慎也はこれを勝機とした。
(……よし)
そして、すっと棍を水平に構える。
すると同時に龍頭も水平に傾き、牙を剥き出しにした。
その様子に蔵人は「ほう」と呟いて槍を身構えた。
「小僧。捨て身の特攻でくるか」
「ああ。このままだと負けちまうからな。ここらで決着をつけるよ」
そう言って、慎也は不敵に笑う。
ここにきてもう躊躇っている余裕もない。
体力がまだあり、気力が奮い立った今しかチャンスはなかった。
「ふん、ええやろ。いつでも来いや。お前の特攻なんぞ打ち砕いたるわ」
「そんな簡単に打ち砕かれてたまるかよ」
そう嘯き、慎也は重心を沈めた。
そして――爆ぜるように一気に駆け出した!
龍のアギトが狙うのは、蔵人の喉笛だ。
「やれやれ、甘すぎるぞ小僧」
確かに中々の突進ではあるが、蔵人にしてみればまだまだ甘い。
蔵人は余裕の笑みを浮かべながら、槍の刺突で迎え撃つ。
そして、槍の穂先と龍のアギトは正面から激突――しなかった。
「な、なんやと!」
蔵人は大きく目を剥いた。激突の瞬間、いきなり龍が消えたのだ。
目測を失った槍の穂先は慎也の顔へと突き進む。が、それを慎也は首を横に動かしてかわした。わずかに頬にかすって血が飛ぶが、構わず慎也は間合いを詰める。
慎也の手には、すでに棍は握られてなかった。
代わりに握りしめるのは、両の拳だ。
「――小僧!」
だが、蔵人は百戦錬磨の猛者。
慎也を振り払うため、すかさず左の拳を繰り出した――が、
「ッ! なに!?」
蔵人は再び目を剥いた。
驚くべきことに、慎也は右腕を盾にして蔵人の剛拳を受けきったのだ。
(儂の拳を生身で受け止めたやと!? いや待て、この感触――そうかッ!)
蔵人はすぐに真相に辿り着いた。
だが、それでも生まれたわずかな動揺。慎也はその瞬間に全力を振り絞った。
「うおおおおおおおお――ッ!」
雄たけびを上げる慎也。
そしてさらに一歩踏み込んで繰り出した左の順突きが、蔵人の腹筋に突き刺さる!
衝撃が体を貫き、空気が弾ける――が、
「……ぐうゥ」
蔵人はわずかに呻き、ほんの半歩ほど下がっただけだった。
霊力で強化された岩さえ穿つ拳にも、蔵人の肉体はほとんど揺るがなかった。
慎也は小さく舌打ちする。やはり正攻法ではこの鋼の牙城は崩せない。
ならば、と慎也は戦法を変えた。グッと右の拳を固めると、まさに昇竜を彷彿させるようなアッパーで、蔵人のあごを打ち抜いた!
「――ぬうッ!」
大きく双眸を見開く蔵人。いかに鍛え上げられた鋼の肉体でも、脳の揺さぶりだけは耐えられない。蔵人はふらふらと後ずさった。
そこへ、間髪入れずに慎也は追撃をかけた。全身のバネを使って、蔵人の下あごに飛び膝蹴りを喰らわせたのである。まるで鉄の塊でも蹴りつけたような重い衝撃に、ビリビリと膝が強く痺れるが、その分の戦果はあった。蔵人はぐらりと大きく仰け反った。
だがしかし、惜しくも倒れるまでには至らない。
(ちくしょう! どんだけ頑丈なんだよ!)
慎也はさらに追撃をかけようとしたが、そこでガクンと片膝が崩れた。
全力の反動で、今までの疲労が一気に足に来たのだ。
重心が傾き、体勢を維持できない。
(――くそッ!)
声を出す余裕もなく舌打ちする慎也。
あと一歩。あと一撃が足りない。
慎也は崩れ落ちる自分の非力さに歯噛みする。
が、その時、
「――慎也さま!」
自分の名を呼ぶ少女の声が届き、慎也はハッとする。
そうだ。何を早々と悔やんでいるのか。
ここで負けたら、きっと優月は――。
(また泣いちまうだろがッ! 踏ん張れよ、俺ッ!)
慎也は自分を叱咤し、歯を食いしばった。
しかし、気力だけで崩れた体勢を立て直せるほど都合よくはない。
もう倒れること自体はどうしようもなかった。
(だけどよッ!)
まだやれる。まだ足掻くことは出来る。
ここで捨て身にさえなれば――。
慎也は、すべての力を右の拳に纏わせた。
そして倒れる勢いも乗せて、右の拳を地面に叩きつける!
途端、その場にいる人間全員が目を剥いた。少年の拳が大地を強く震わせたからだ。
まるで爆発するような衝撃と砂埃が巻き起こり、地表が割れる。
そうして――少年は宙に跳んだ。
拳の反動で吹き上げられるように跳び上がった慎也は空中で前転。
その刹那、ちらりと蔵人の位置を一瞥すると、
(よし! これならいける!)
心の中でそう確信し、さらに前転した踵が、弧を描いて蔵人へと襲い掛かった!
それは、かなり変則的ではあったが、胴回し蹴りと呼ばれる足技だった。
「――ぬおッ!?」
先の一撃からまだ回復しきっていない蔵人に回避の術はない。
その上、幸運も重なり、蔵人は急所である眉間に一撃を喰らうことになった。
連続で脳を強く揺さぶられたところに、鉄鎚のような一撃。
流石にそのダメージは軽くはない。
そして巌のごとき男は、さらに一歩、二歩と後ずさり――。
「………ぬうぅ」
呻き声を共に、ズザザッと片膝を地につけた。
「ば、馬鹿な!」「う、うそだろ!?」「オ、
と、周囲からどよめきが沸き上がる。
一方、慎也は蹴りの反動でバランスを崩し、勢いよく背中から落下したところだった。
同時に、後頭部まで強打してしまい激しく悶絶していたのだが、
(……ははっ、くそったれ)
片膝をつく蔵人の姿を確認して、ニヤリと笑う。
それから両手を使って、重い体を強引に立ち上がらせようとする。
地面に打ちつけた後頭部と背中の激痛。それに加えて自爆同然に繰り出した右の拳もズキズキと痛むが、それらはすべて無視した。
いかなる勝負においても、立ち上がることは勝者の義務だ。
いつまでも伏しているなど、敗者に対してあまりにも失礼だからだ。
「ぐ、ううぅ……」
口からもれる呻き声。が、慎也はどうにか立ち上がる。
続けて両手で震える膝を抑え込み、ぷはあっと大きく息を吐き出した。
「――どうよ! おっさん!」
そして少年は片膝をつく蔵人を見据え、不敵に笑って告げた。
「これで俺の勝ちだ! 約束は守ってもらうからな!」
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