第五章 決戦前夜

第17話 決戦前夜①

『グルオオオォオオォォ……』


 フロアに響く恐怖を誘う威嚇の声。

 さらには、牙のように鋭い脚が、コンクリートの床にズシンと突き刺さる。

 ――それは、まさに異形の化け物だった。

 体長はおよそ六メートル。その身体は巨大な六本足の蜘蛛であり、頭部は人面に近い顔の雄牛。全身を覆った体毛はすべて黒く、人間の数倍はある眼球は血走っていた。獰猛なのは疑いようもない荒々しさでその妖は慎也達を睨みつけてくる。


「……こいつはまた、有名どころが現れたな」


 慎也は棍を強く握りしめて呟いた。


「これって中級妖怪の――『牛鬼』だよな」


「はい。かなり上級に近い……中の上クラスの妖魔です」


 と、優月も呟く。彼女はすでにラグの背に乗っていた。


「優月は牛鬼と戦ったことは?」


 という慎也の質問に、


「ありません。ですが、戦闘記録では牛鬼は毒を……強酸を吐くそうです」


 ラグの毛をグッと握り、優月がそう答える。


「なるほど。それは注意しなきゃな。さて……来るぞ!」


 慎也がそう叫んだ直後、牛鬼が六本脚を連続で動かして突進してくる!

 慎也と優月――彼女が乗ったラグは、左右に跳んだ。

 目測を失った牛鬼はそのまま壁に激突する。が、大したダメージもなく、脚を床に突き立てて、のそりと身体を反転させた。その目は未だ血走っている。


「頭が牛だけあって、本性は牛っぽいんだな」


 慎也が皮肉気に笑う。


「――慎也さま! 牽制します!」


 その時、優月が叫んだ。そして丸い獣に指示を出す。


「ラグ! 《烈破》ッ!」


「ウォン!」と、ラグが応え、大きく開いた口から空気の塊を吐き出した。

 そして、不可視の砲弾は牛鬼の顔面に直撃する!


『ッ! グウルウ……』


 牛鬼は呻きながら少しふらつく。痛みに耐えるように双眸をしぼめるが、傷までは負ってはいないようだ。人面に似た顔が『グルウゥ!』と怒りの形相を浮かべた。

 優月はそれには構わず、さらにたたみかけた。


「ラグ! 三連ッ!」


「ウォン! ウォン!」


 主人の指示に丸い獣は迅速に応える。

 再び口を開くと、今度は空気の砲弾を三回連続で吐き出した。

 次々と襲い来る攻撃に、怒りの表情を浮かべたまま牛鬼は大きくぐらついた。数本の脚がふらつく巨体を支えるために床へと突き立てられる。


「慎也さま! 今です!」


「おう!」


 優月の声に慎也は短く応えると、龍を追従させて地を駆け抜けた。

 そして瞬く間に間合いを詰めると、素早く棍を横に振るい、龍を舞わせた。


「まずはその脚をもらうぜ!」


 ――ゴウッッ!

 真横から襲いかかる龍のアギトが、牛鬼の重心を支える前脚に喰らいつく!


『ギギャアア!』


 絶叫を上げる牛鬼。見事、怪物の右前脚は緑龍に喰い千切られた。失った脚はそのまま黒い靄となって霧散する。牛鬼がガクンと姿勢を崩した。

 慎也は続けて左の前脚も狙おうとする――が、


「慎也さま!」


 優月の切羽詰まった声が響く。慎也はハッとして牛鬼を見据えた。


「――ッ!」


 そして息を呑む。怪物の喉元が大きく膨れ上がっていたのだ。

 まさに何かを吐き出そうとしている前兆である。


「くそッ! 酸かッ!」


 咄嗟に慎也は横に跳躍した。

 同時に龍を引き寄せ、自分の周囲を覆うように身構えさせる。

 その直後、牛鬼は濁流のような強酸を吐き出した!

 直撃したコンクリートの床は焼け焦げ、もうもうと白煙を上げる。


「――慎也さま!?」


「大丈夫だ! 俺は喰らっていない!」


 優月の悲鳴じみた声に、慎也は素早く答える。

 多少酸は飛び散ったが、すべて龍の鱗が防いでくれた。


(しかし、この酸は厄介だな。溜めもかなり速いし)


 と、床の惨状をちらりと確認しつつ、慎也は再び牛鬼を見やり、


「な、なんだと!」


 大きく目を見開いた。少し離れた場所でラグに乗る優月も同様の表情だ。


「こいつ……再生能力持ちかよ!」


 龍を宿した棍を構え直して舌打ちする慎也。彼の目の前では今、牛鬼の失ったはずの右前脚の切断面から黒い繊維のようなモノが伸びて蠢いていた。


「……噂には聞いていましたが、再生能力持ちの妖は初めて見ました」


 と、ラグに乗って慎也の横に移動した優月が呟く。そしてそうしている内にも牛鬼の右脚から無数の黒い繊維がさらに伸び、一瞬で失った部位を形作って完全に復活した。


「これは、長期戦はまずいよな」


「はい。ただ体力を削られるだけです。ですが、あの再生速度となると……」


「中途半端な攻撃は無意味だな。やるのなら急所を一撃で、か」


 慎也と優月は互いの顔を一瞬だけ見合わせた。


「優月。ラグには確か相手を金縛りにする技があるんだよな」


 ここに来る前に共闘に備え、互いの術は一通り教え合っている。

 聞いた限り、ラグには《裂哮》という対象を麻痺状態にする技があるらしい。

 優月はこくんと頷いた。


「はい。《裂哮》ですね。けど、あれの効果は数秒間ぐらいしか……」


「それで充分だよ。優月、作戦がある」


 そう切り出して、慎也は自分の考えた策を優月に伝えた。

 対し、優月は神妙な面持ちを浮かべてから、口を開く。


「……なるほど。分かりました。けれど、慎也さま」


 と、そこで視線をわずかに伏せて、


「どうか、お気付け下さい。この作戦は慎也さまにとって危険です」


 心から心配してくれる少女に対し、慎也はあえて不敵な笑みを見せた。


「大丈夫さ。接近戦は龍舞使いの真骨頂だぜ」


 心強い少年の言葉に安堵し、優月も笑みを零す。


「分かりました。では、慎也さま! ご武運を!」


「ああ! 優月も気をつけてな!」


 言って、二人は左右それぞれに跳躍した。

 対する牛鬼は敵が二手に分かれたため、わずかに動揺する。

 その隙を狙って、まずは優月が仕掛けた!


「ラグ! 《裂哮》ッ!」


「ウォン!」と応え、丸い獣は空気を震わす咆哮を上げた。

 指向性の衝撃波は容赦なく牛鬼の巨体を叩いた。


『ぐぎゃああア!?』


 いきなり硬直した自分の身体に困惑の悲鳴を上げる牛鬼。

 次の瞬間、今度は慎也が動いた。

 剣術で言う片手平突きの構えで牛鬼へと疾走する。龍の尾が大きく揺れた。


『ぐがあああああア!?』


 多少麻痺しようとも攻撃の気配は感じ取ったのだろう。牛鬼は血走った目で慎也を睨みつけた。そして無理やり蜘蛛脚を動かし方向を変えると、ボコンと喉を膨ませたのだ。

 言うまでもなく強酸を吐き出す構えだ。

 しかし、慎也は焦らない。


「そうくると思ったぜ!」


 そう嘯くと、右手を捩じり棍を回転。龍の身体が円錐のような動きをする。

 そのわずか数秒後、強酸の濁流が慎也に襲い掛かった!

 対する慎也は叫ぶ。


「――《龍尾穿盾りゅうびせんじん》ッ!」


 途端、龍体が勢いよく渦を巻いた。まるで棍を軸にした傘のような姿だ。

 そして龍体の盾は強酸の濁流を正面から受け止め、四散させた。


「まだまだ!」


 さらに慎也は、濁流の勢いもはねのけ、防御の陣形のまま突き進んだ。

 そうして間合いを詰めた慎也は、突進の威力を乗せて新たな技を繰り出す!


「――《龍頭絶倒りゅうずぜっとう》ッ!」


 これは技名の示す通り、龍の頭突きだ。


『グギャア!?』


 眉間に龍頭の一撃を受けた牛鬼は、その巨体を大きく吹き飛ばされた。

 牛頭の怪物は勢いよく宙を飛び、ズガンッと背中から壁に叩きつけられる。コンクリート壁に大きな亀裂が走った。


「――優月! 今だ!」


「はい! ラグッ!」


 そう叫んで、優月はラグの背から跳び下りた。

 同時にラグは「ウォン!」と吠え、牛鬼めがけて疾走する!

 ぶつかったコンクリート壁に寄りかかったまま、ひっくり返ったような状態でジタバタと蜘蛛脚を動かす牛鬼には迎撃などできない。

「ウォン!」と吠え、ラグは空中に跳躍。ぐるぐると回転して牛鬼に体当たりした。体重にして数百キロの丸い塊だ。牛鬼の体が壁にめり込む。


『――ッ! ぐがあああああッ!』


 いくら再生能力を持とうとも痛みはある。牛鬼は悲鳴を上げた。


「慎也さま!」「ああ、了解だ!」


 優月の声にそう答え、慎也は再び棍を水平に構えた。

 すると、龍頭が棍に合わせて水平に動いた。慎也の龍は棍に固定されているように見えてもかなり融通が利く。特に首の角度は自由自在だった。

 水平となった龍は大きくアギトを開いた。


「――行くぜ! 《龍牙絶咬りゅうがぜっこう》ッ!」


 必殺の技の名を叫び、慎也は刺突の構えで再び牛鬼に突進する!

 狙うは無防備となった急所。牛鬼の喉笛だ。

 壁にめり込んだ牛鬼には、回避も防御も出来なかった。

 そして――。


『ぐがあああああああああああああああああああああああああああア――!!』


 まるで建物全体を揺らすような断末魔だけを残して。

 巨大な妖は、黒い靄となって霧散したのだった。



       ◆



「……凄っげえな。マジで二人だけで勝っちまったよ」


「ああ、お嬢が強いのは知っていたが、あのガキも相当なもんだな」


 その頃――。

 勝利に沸く慎也達をよそに、二人の男がフロアを覗いていた。

 佐々木と須原の二人である。一度は気絶させられた二人だったが、仮にも裏稼業の人間。危機に対する耐性も強く、戦闘の気配を感じ取って意識を取り戻したのだ。


「牛鬼の姿を見た時はビビったが、結局、加勢の必要もなかったな」


 ふうと嘆息し、手に持っていた霊符を懐にしまう佐々木。


「けどよ、俺らこれからどうすんだよ。《繭》、潰されちまったぞ」


 と、顔をしかめて須原が言う。

 佐々木は渋面を浮かべて、あごに手をやった。


「失敗は失敗だ。組長オヤジに言うしかねえだろ。お嬢に気付かれる前に逃げようぜ」


「くそッ! やっぱそうなるか。情けねえな!」


「自分の間抜けさを嘆くのは後にしようぜ。行くぞ須原」


 そうやり取りして、二人は早速撤退を開始した。

 もはや馴れきったような見事な忍び足でフロアを後にする。


(……しかし)


 その時、佐々木は一度だけ足を止めて振り返った。

 そこには、少年と嬉しそうに会話する黒髪の少女の姿がある。


(……お嬢、早くお戻り下せえ)


 佐々木は静かに思う。


(時代が変わりやす。あなたはその先駆けになるんですよ)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る