第八章 天高く、龍は舞う

第27話 天高く、龍は舞う①

「……凄い……」


 どよめきが周囲を包む中、優月は思わず口元を両手で覆った。

 正直、それは信じられないような光景だった。

 いくらハンデ戦であっても、まさかあの父に勝つなど……。


「うぅ、慎也さま……」


 優月の目から涙が零れ始める。あの少年は見事にやり遂げてくれたのだ。

 ほとんど勝算などなかった戦いに勝利したのである。

 しかも、慎也も父も大きな怪我もしていない。

 優月にとっては最も望んだ結果だった。


「し、慎也さまぁ」


 再び少年の名を呟く優月。

 ただただ嬉しかった。

 心から、大きな歓喜が湧いてくる。


(……ダ、ダメ。少し落ち着かないと……)


 と、不意に優月は表情を引き締める。

 どれほど嬉しくても、浮かれてばかりもいられなかった。

 慎也は勝利した。

 そして父の性格からして約束を違えることはないだろう。

 しかし、父の――いや、封魔師の抱える問題が解決した訳ではない。

 これからの事を、きちんと話し合わなければいけないのだ。

 優月は真剣な眼差しで膝をつく父を見据えた。

 続けて、両膝に手を置いた状態のまま、肩で息をする慎也の方を見やり、


(……うぅ、やっぱり今だけは無理やもん)


 つい口元が綻びる。彼の姿を見るだけで心臓が早鐘を打った。

 今は何もかも忘れ、慎也の元へと駆け寄りたかった。

 いや、もっとはっきり言えば――。

 あの少年に、


「――慎也さまっ!」


 そして優月は堪え切れなくなって、とうとう駆け出した。

 まだ体力は回復していないため、少しばかり彼女の足取りはおぼつかない。

 が、それでも真直ぐ慎也の元へと向かった――直後のことだった。


「おっと、待ってくれよ。優月お嬢さん」


 いきなり腕を強く掴まれた。

 優月はギョッとして振り返る。と、


「……え」


 見知った男の顔に唖然とした声をもらす。

 すると、腕を掴む男はふっと笑い、


「このままハッピーエンドというのはどうも気にくわなくてな」


 そう前置きし、その男は優月に告げた。


「そんじゃあ最終幕といこうか」



       ◆



「――このクソガキャア! 調子に乗りやがって!」


「おい、みんな! あのガキをぶち殺すぞ!」 


「おうよ! ぶっ殺したる!」


 と、にわかに殺気立つ雪塚組の組員達。

 霊獣達も牙を剥き、いつでも慎也に襲い掛かれるよう身構えていた。


「おい待て! お前ら! 落ち着かんか!」


 と、唯一篠崎が制止をかけるが、組員達には届いていないようだ。

 中には懐の拳銃に手を伸ばしている組員までいる。


(ちょ、ちょっと待て……勘弁してくれよ)


 徐々に体力を回復させつつも、慎也はかなり顔色を青ざめさせた。

 これは相当キナ臭い状況だ。思わず背中に緊張が走る。

 このままでは霊獣の群れに襲われるか、最悪ハチの巣にされそうな雰囲気だ。

 慎也は冷たい汗を流した……と、その時だった。


「こらこら、やめんかい、お前ら。大人げない奴らやのう」


 そう言って、蔵人が槍を片手に立ち上がった。

 その佇まいには、すでにダメージなど全くなかった。

 今は眉間の土を落とすため、左手をごしごしと動かしている。


「オ、組長オヤジ」「で、でもよう……」


 と、組員から不満の声が次々と上がる中、蔵人は手を止めて一喝する。


「――このアホウがッ!」


 そして戯言を薙ぎ払うように槍を一閃!

 その後、槍の石突きを、ズズンと地面に突き立てる。


「おんどれらは儂に恥をかかせる気かい! この小僧は正面から堂々と挑み、見事儂に膝をつかせた! 讃えるのならいざ知らず、ぶち殺すっちゅうのは何事じゃ!」


 ビリビリと大気を弾くような怒声に、組員達は黙り込んだ。

 ちなみに慎也までビビって黙り込んでいた。

「ふん。アホウどもが」蔵人は沈黙する組員達を一瞥した後、慎也に目をやる。

 そしてどこか嬉しそうに破顔した。


「小僧……。中々どうして大したもんやったぞ」


「ウ、ウッス! あざーすッ!」


 と、勝者でありながら完全に気圧され、直立不動で敬礼する慎也。

 が、そんなことは気にもかけず蔵人は話を続ける。


「この勝負はお前の勝ちや。潔く約束は守るで。ここの《繭》も一旦処理したるわ。けどな小僧。?」


「……ああ、分かっているよ」


 蔵人に念押しされ、慎也は表情を改めて答える。

 今回の決闘は、言わば少しだけ猶予をもらったようなものだ。

 蔵人達を説得できるような代案を出さない限り、また同じ状況になるだろう。

 だからこそ、その代案を、慎也と優月は探し出さなければならないのだ。


(でも、それって前途多難だよなぁ……)


 封魔師は報われない。

 それは古来より抱えてきた封魔家の問題である。

 そう容易く、解決案が見つかるはずもない。


(だけど、それでもいつかは……)


 と、慎也が心の中で決意した――その時だった。


「ふ~ん、やっぱそんな展開になるんすね」


 ――パンッ!

 不意に響く破裂音。

 誰もが唖然とする中、蔵人がぐらりと姿勢を崩した。


「お、おっさん?」


 慎也は目を丸くして呟いた。


「……ぐ、ぐぅ」


 蔵人はサラシを巻いた脇腹を片手で押さえ、苦悶の表情を浮かべていた。

 しかも、その指の隙間からは赤い血が――。


「オ、組長オヤジ!? まさか銃撃だと!?」


 いち早く状況を理解したのは篠崎だった。

 そして銃声の鳴った先、銃撃した相手を睨みつけた。


「ッ! 葛城! 貴様!」


 そこには、硝煙を漂わせる拳銃トカレフを握りしめた葛城がいた。その傍らには一体いつ召喚したのか、普段の三匹のハイエナではなく巨大な獅子型の霊獣が泰然と身構えている。

 慎也も愕然とした眼差しでそちらを見やり、大きく目を瞠った。


「ゆ、優月!」


「し、慎也さま! お父さま!」


 優月はその細い首を、葛城の左腕で抑えつけられていた。

 完全に人質にされた状態である。


「か、葛城、てめえ!?」「何のつもりだ!?」


 周囲の組員もようやく異常事態を悟り、霊獣を身構えさせる。と、

 ――パン、パンッ!

 再び響く銃声。

 それは空へ向けた威嚇射撃だった。

 ただし、葛城ではない。周囲から進み出た四人の若い男達の仕業だ。

 雪塚組の組員であるはずの彼らはニヤニヤと笑うと、蔵人に銃口を向けた。

 篠崎を始め、組員達がざわめいた。


「おおっと、動かないでくださいっすよ。先輩方」


 葛城はくつくつと笑って緊迫する周囲を見渡した。

 そうして自らも銃口を蔵人に向け直し、楽しげな様子で告げる。


「少しでも動けば組長オヤジが穴だらけになっちゃうんで」

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