ドラゴンダンス ~封魔家業は世知辛い~

雨宮ソウスケ

プロローグ

第1話 プロローグ

 草木も眠る深夜のオフィス街。

 月明かりを背に、その丸い獣はビルからビルへと跳び移っていた。

 茶色い毛並みに短い手足を持つ、ずんぐりむっくりとしたその獣は、分類としては――ウォンバット。オーストラリアに生息する愛らしい四足獣だ。ただし、その体は熊よりも大きく、背中に小柄といえども、少女まで乗せている。短い脚でありながら、数メートルを軽々と跳ぶ脚力といい、明らかに普通のウォンバットではない。


「――ラグ。もっと急いで」


 大きなウォンバットにしがみつく少女がそう告げる。


「ウォン!」と『ラグ』と呼ばれたウォンバットが吠えて屋上を蹴った。

 ボールが跳ねるように飛翔する。

 少女の背中まで伸ばした黒髪と、身に纏う黒いセーラー服が風で揺れた。

 夜風を頬に感じながら、少女は目を細めて考える。


(……もう藤真市に入ったはず。ここまでくれば――)


 少女はちらりと眼下に目をやった。

 そこに広がるのは、ごく一般的なコンクリートジャングルの光景。歩道には特に人の姿は見当たらないが、車道の方では幾つかのヘッドライトの輝きが確認できる。

 このオフィス街のビル群はさほど背が高くない。深夜と言ってもサラリーマンなどの一般人が近くにいる可能性は充分ある。何かの拍子で目撃されるのはまずい。

 空飛ぶウォンバットなど完全に都市伝説だ。

 出来ればラグ――式神での移動はそろそろ止めたかった。


(ここら辺で一度、路地裏に降りて……)


 と、そんな風に考えていた時、

 ――ゴウッ!

 突如、強い突風がラグと少女を打ちつけた。


「ッ! ラグッ!」


 少女の叫びに、ウォンバットは空中でくるくると体勢を整え、屋上に着地する。

 そして「ギャ!」と愛らしい顔で牙を剥き、突風が起きた場所――同じ屋上の片隅を睨みつけた。

 すると、闇の中から二人の男と、複数の獣が現れた。


「……鬼ごっこはここまでだ」


 そう告げるのは男の一人。

 脇に虎ほどもある狼を従えたスーツ姿の三十代前半の男だ。

 鋭い眼光とオールバックにした髪が特徴的な人物である。

 その立ち姿に一切の隙はなく、まるでサムライを思わせる男だった。


「そうっすよ。オレらだってそんな暇じゃねえんすから」


 続けてそう嘯いたのは、もう一人の男。革ジャンを着た二十代半ばの男だ。

 いかにも軽薄そうな風貌をしていて、常に笑っていそうな印象を持つ青年だった。

 事実、今も頭の裏で両手を組んでニヤニヤと笑っている。

 そんな彼は、脇に数匹のハイエナを従えていた。

 黒髪の少女は唇をグッとかみしめる。どちらも知っている人物だった。


「……完全にまいたと思ったのに……」


 そう呟く少女に、革ジャンの男は肩をすくめた。


「オレらの式神は仮にも犬狼型っすよ。追跡はお手のものっす」


「逃げに徹するのならば式神は使わず、霊力を消すべきだったな」


 一歩間合いを詰めてスーツ姿の男も告げる。


「…………」


 少女は何も答えず男達を睨みつけた。


「ギャ……」


 そんな主人の気迫を感じ取り、巨大なウォンバットも身構える。

 すると、皮ジャンの男の方が慌てふためき、


「ちょ、暴力反対っ! オレ弱いんっすから! ア、アニキ! お願いするッす!」


「……いちいち動揺するな。分かっている」


 相方の醜態を一瞥してから、スーツ姿の男は少女と丸い獣を睨みつけた。


「これ以上は手加減など出来んぞ」


 ぼそりと告げられた低い声。同時に巨狼が爪を鳴らして一歩前に踏み出した。

 男の気迫を前にして少女の喉が鳴るが、それでも彼女は引かない。


「手加減など不要です。。私は――あんなこと見過ごせない」


 言われ、スーツ姿の男はわずかに眉根を寄せた。


「お前はあの人を誤解しているんだ。大人しく戻れ。時期がくれば誤解も解ける」


「……お言葉ですが、を見てどう誤解するんですか」


「それも戻れば分かる。さあ――」


 そう言って手を差し伸べてくるスーツ姿の男。

 対し、少女は唇をかみ、ラグはいつでも動けるように重心を沈めた。

 そして――。


「ラグッ! 《裂哮》ッ!」


「ウォン!」


 少女の叫びに丸い獣が応えた。口を大きく開くと、愛らしさに似合わない怒号のような咆哮を上げる!

 直後、ビリビリと空気が震えた。


「くッ!」「ひぎゃあっ!」


 麻痺効果のある咆哮に、男達は呻く。スーツ姿の男は歯を軋ませ、革ジャンの男は耳を押さえてしゃがみ込んだ。彼らに従う巨狼とハイエナ達もわずかに動揺している。

 その隙に、少女は次の行動に移行した。


「ラグッ! ジャンプ!」


 その指示に、ラグはすぐさま反応した。

 前脚を沈み込ませてボールのように跳躍。隣のビルへと飛翔する。

 しかし、それをスーツ姿の男は黙って見過ごさなかった。


「――甘いぞ! 《烈破》ッ!」


 男の叫びと同時に、彼に従う巨狼がアギトを開いた。

 そして大気を貫くような咆哮を上げた。口腔から吐き出された空気の砲弾は、真直ぐラグへと向かって襲い掛かる!

 ――が、


「ラグッ! 《空歩》ッ!」


 再び響く少女の声。ラグは何もない宙空を蹴り、さらに跳躍した。ほんの一瞬だけ宙空を駆ける《空歩》と呼ばれる緊急回避用の能力だ。

 宙空で軌道を変えたウォンバットは、空気の砲弾を見事に回避した。


「――くッ! しまった!」


 スーツ姿の男が舌打ちする。狙いを外したこともあるが、標的を失った空気の砲弾が代わりにビルの屋上に設置してあった大きな看板を打ち砕いたからだ。

 看板はガラガラと轟音を立てて地上に落下していった。


「ア、アニキ! ま、まずいっすよ!」


 それを見て、革ジャンの男が青ざめる。


「……分かっている。人が集まるな」


 そう呟きつつスーツ姿の男は、丸い獣が跳躍した方を見やる。

 そこには、すでにウォンバットも少女もいなかった。


「……中々どうして……さては狙ってやったな」


 スーツ姿の男は皮肉気に笑う。


「ここは一旦撤退だな。追跡は陽が昇ってから再開するぞ」


「うっす! 了解っす」


 兄貴分の指示に、革ジャンの男はすぐさま応えた。

 そして一目散にこの場から走り去っていく。


「まったく。逃げる時だけは迅速な奴だな」


 弟分の逃げ足の速さに苦笑しつつ、スーツ姿の男は少女が逃げた先を見据えた。

 恐らく彼女はすでに地上に降りていることだろう。


「……ふん。だが、どこに逃げても無駄だ。お前は必ず連れ戻すぞ」


 そう呟いて、男も闇の中に消えた。

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