第14話 いざ『西』へ④

「……むむう」


 ――ミーンミン、ミーンミン……。

 それは、夏休みのある日のことだった。

 蝉が忙しく鳴き続け、木漏れ日が差し込む森の中にて。


「……う~ん、これじゃあダメかなぁ」


 八歳の慎也は、鉄棍をかざすように両手で持って唸っていた。

 棍の先端には龍がいる。角も牙も爪もあり、「ピギャア!」と吠える緑色の龍だ。

 しかし、そのサイズが小さい。これでは龍ではなく、子供の青大将かハブだ。

 慎也は深々と嘆息する。と、


「ほほっ、まだまだじゃのう。慎也よ」


 人払いの結界を張った森――実は国有地を勝手に拝借した場所――の一角にて、大きな岩に腰をかけていた老人が、あごに触れながら呟いた。

 玖珂山雷蔵。

 涼やかな甚平を小粋に着こなした今年で六十五歳になる慎也の祖父だ。

 雷蔵は、慎也のうねうね動く龍を見やり、


「霊力がまるで定まっておらん。流石にそれでは戦えんのう」


 言って、「ほほっ」と笑う。慎也はぶすっとした表情を見せた。


「だってじいちゃん。仕方がないじゃないか。これ以上大きくすると、今度は手とか角が無くなって見た目がヘビみたいになるし」


 と、言い訳する慎也に雷蔵は苦笑を浮かべつつ、おもむろに岩から立ち上がった。

 そして孫の傍まで歩み寄ると、ポンと少年の頭を叩き、


「今は別にヘビでも構わんじゃろ。所詮は訓練じゃしの。まずは見た目よりもいかに力に慣れるかじゃ。形は次第に相応しいモノに定まるじゃろう」


 くしゃくしゃと慎也の頭を撫でる。


「ワシらの力は人を守るためにある。その本質を見失ってはいかんぞ」


「……けどさ、じいちゃん」


 慎也はぼそりと言う。その表情はとても不満げだ。


「やっぱり俺は訓練するなら龍がいいよ。ヘビブ使いなんて嫌だ」


 なんか悪党の断末魔みたいだ、と小さく呟く慎也。


「ふ~む。そうか……」


 雷蔵は困ったような顔を浮かべた。

 よく分からないが、孫にもこだわりがあるらしい。


「まあ、いいじゃろう。なら、今日のところは龍の姿を定める訓練をするか」


「うん! それがいいよ! じいちゃん!」


 慎也はパアっと顔を輝かせた。

 そして祖父の前で手に持つ棍に霊力を注ごうとした時だった。

 不意に奇妙な音楽が、森の中に響く。


「……ふむ。少し待ってくれ、慎也」


 祖父の携帯の着信音だった。

 雷蔵は懐から携帯を取り出すと、相手が誰なのかを一瞥した。


「なんじゃ? ばあさんからかい」


 電話の相手は雷蔵の妻。慎也の祖母からだった。


「どうしたばあさん? 何かあったのかの?」


 雷蔵は電話をとり、妻に尋ねる。と、


『ええ、あなた。実は……』


 そしてキョトンとする慎也の前で、祖父と祖母は会話を始める。

 最初は穏やかであった雷蔵だったが、その表情はすぐに険しいモノに変わる。


「……列車事故か。《繭》への影響が気になるの。智則の奴は?」


『さくらちゃんがさっき連絡を。けど、今から仕事を抜け出しても《繭》の所まで到着するには二時間ぐらいはかかるそうよ』


「……そうか。それはまずいのう。この場所ならワシの方が近いか……」


 雷蔵はポツリと呟く。そして妻と幾つか会話を交わした後、電話を切った。


「……じいちゃん? 何かあったの?」


 慎也は心配そうに眉を寄せて祖父に話しかける。

 すると、祖父は申し訳なさそうな顔をして、慎也の頭を撫でた。


「すまんのう慎也。急用が出来た」


 それからニカッと笑い、


「訓練はまた明日じゃ。今日は先にばあさんの所に帰っておくんじゃぞ」


 そう言って、祖父は慎也に背を向けて歩きだした。

 慎也はそんな祖父の遠ざかる後ろ姿を、じっと見据えて――。


「……じいちゃん」


 言いようのない不安に駆られる。

 どうしてか、途轍もなく嫌な予感がした。

 そして慎也の予感は的中する。

 この笑顔を最後に。

 わずか二時間後、祖父は帰らぬ人になったのだ。

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