第29話 天高く、龍は舞う③

 その戦況を一言で言い表すのならば『圧巻』だろう。

 慎也はただ呆然としていた。

 祭殿を打ち砕いて現れ出た妖の名は――がしゃどくろ。

 その姿は十数メートルにも至る巨大な人型の骸骨だった。だが、骨そのものが巨大なのではない。無数の人骨が重なり合うことで巨体を造り上げているおぞましい化け物だ。伝承にも名を連ねる、まごうことなき上級妖怪である。

 その恐るべき怪異を相手に、雪塚組の封魔師達は総力戦で挑んだ。

 狼が跳び、鷹が羽ばたき、大蛇が蛇体を唸らせる。

 時には周囲の木々ごとがしゃどくろに薙ぎ払われたが、霊獣達は怯まず挑んだ。

 ――が、そんな中でも最も『圧巻』なのが、蔵人の式神だった。


「ガアアアアアアア――ッ!」


 象にも勝る体格の白虎は、大地を震わすような雄たけびを上げた。

 全身に蒼い光を纏うその姿は、まるで神獣のようだ。


『ぎゃぎゃぎゃぎゃ――』


 対する巨大な骸骨も、威圧においては負けていない。

 全身の骨から不協和音を響かせながら、纏わりつく霊獣達を片手で薙ぎ払った。そして右手を大きく天に掲げ、白虎へと振り下ろす!

 しかし、白き神獣は動じない。

 頭部を勢いよく振り、巨大な右手を払いのける。

 そしてお返しとばかりに、骸骨のアバラ骨へと頭突きを叩きつけた!

『ぐぎゃあ!?』他の霊獣の攻撃はモノともしない怪物も、流石に白虎の体当たりだけは効くようで、上半身を大きくぐらつかせた。バラバラと人骨が零れ落ちる。


「――グルウゥ!」


 低い唸り声を上げ、白虎はさらに猛攻を加える。

 がしゃどくろの右肩に喰らいついたのだ。鎖骨を形作る人骨が周囲に散った。


『ぐぎゃああアあああ――――!?』


 形が崩れると流石に痛みを感じるのか、がしゃどくろは両腕を振り回して右へ左へと巨体を激しく動かす。周辺の木々が吹き飛び、地面が大きく抉られるが、白虎は牙を外そうとしない。骸骨の怪物の絶叫は止むことなく続いた。


(うおお……わ、笑えねぇ。これってもう上級妖怪同士の戦いだろ)


 その光景を前にして、慎也は冷や汗を流した。

 蔵人は《大妖》戦では慎也と優月が主役になると言っていたが、はっきり言って戦闘となれば一番目立つのは間違いなく蔵人自身だ。

 あの神獣がごとき白虎に勝るインパクトは、そうはない。

 今も上級妖怪相手に、まるで一騎討ちの様相だ。


(……た、助かった。ハンデ戦にしてくれてマジで助かった……)


 素直にそう思う。あれはまだ慎也には辿り着けない領域だ。

 慎也はホッと胸を撫で下ろす。と、


「おい、小僧」


 優月と共に隣に立っていた蔵人が、槍を肩に担いだまま語りかけてきた。

 思わず直立不動になる慎也。


「は、はい! 何すか! 義父おやじさん!」


「……なんや、お前の言うその『おやじ』のニュアンスがどうにも気に入らんのやが、今はまぁええ。それよりもほれ、受け取れ」


 言って、自分の槍を慎也の方へとおもむろに放り投げた。

 反射的に両手で柄を受け止める。見た目以上にズシンとくる重さだ。


「あ、あの、義父おやじさん?」


「……その『おやじ』はやめい。まだ『おっさん』の方がええわ」


 眉をしかめつつ、そう告げてから、


「本来なら儂の式神――コテツが妖を押さえつけ、儂自身がトドメを刺すのが、儂の戦法なんやが、いかんせんこの傷や。無理も出来ん」


 蔵人は淡々と語る。


「だからお前にその槍を貸したるわ。そいつは無銘やが強力な霊槍や。お前の棍よりも龍舞との相性はええやろ。そいつであのデカブツにトドメを刺せ」


「え……? お、俺が……?」


 いきなりの大役に、慎也は呆気にとられた。

「そや」蔵人はニヤリを笑う。


「がしゃどくろの動きはコテツが抑える。お前は奴の眉間を狙って龍を叩きつけい。そんで全部終いや。お前がきっちり締めてやれ」


 そう告げて、バンッと慎也の背中を叩く蔵人。

 慎也は真剣な面持ちで、槍の重さを感じ取っていた。

 果たして、上級妖怪相手に自分の力は通じるのだろうか。

 流石に緊張を隠せない。と、その時、


「……慎也さま」


 優月が心配げな表情で近付いてきた。

 それを見て、慎也はふっと笑った。


(そうだよな。ここまで来てビビってもしゃあねえか)


 何よりも、この少女の前で無様な姿は見せられない。

 これが最後の局面だ。

 ならば、ここでこそ一番格好つけてやろうではないか。

 重い槍をグッと握りしめ、慎也は覚悟を決める。


「ああ、分かったよ、おっさん」


 不敵な面構えを見せて、少年は笑う。


「やってやるさ。俺がトドメを刺してやるよ」


「……そうか。なら見届けさせてもらうで」


 蔵人は両腕を組んで頷いた。

 そして慎也は蔵人と優月の前で槍を逆手に持ち変え、投擲の構えを取った。

 同時に槍の穂先を起点に、水平に傾いた龍頭が顕現する。

 さらに尾まで顕現させて体を唸らせる龍は、普段よりも一回りは大きい。

 これがこの霊槍の効果なのだろう。


(……よし)


 慎也は眼差しを鋭くする。

 狙うは、白虎に押さえつけられた骸骨の怪物の眉間だ。

 慎也は一度、瞑目し息を吐いた。

 振り返れば、ここまでの道程は短いようで実に長かった。


(ははっ、なんか凄っげえ三日間だったよな)


 瞑目したまま、思わず慎也は苦笑を零す。

 優月との出会いから始まり。

 雪塚家の暗躍。

 初めて訪れた西の街。

 廃ビルでの牛鬼との戦い。

 まあ、ホテルでの一悶着も印象に残るトラブルか。

 そして蔵人との決闘に、葛城という男。

 ちょっと信じられないほどに濃厚すぎる三日間であった。

 だが、そんな大騒動も、この一撃でようやく終わりを迎える。


(……いや、違うな)


 慎也はすうっと双眸を開いた。

 むしろ、この一撃から始まると考えるべきなのか。

 封魔師の抱える問題。慎也はそれと向き合い、答えを出さなければならない。

 自然と顔つきが険しくなる。

 途方もなく難解な命題だ。簡単には答えなど出ない。

 そもそも何を以て最善の解答とするのか。それさえも不明慮だ。


(……けどさ)


 慎也は龍を構えつつ、優月に目をやった。

 すると、不意に自信が沸き上がる。

 慎也は微かに笑った。

 根拠は無い。理屈だって無い。

 けれど、彼女と一緒に頑張れば、いつかは――。

 この世知辛い退魔家業も、変えられるかもしれない。

 そんな自信が心の底から湧き上がってくる。


「……ああ、そうさ」


 グッと柄を強く握り直し、慎也は槍を大きく振りかぶった。


「きっと変えて見せるさ」


 続けて、大地を力強く踏みしめる。

 そして未来への希望を込めて。



 ――今、飛龍が舞った。



       ◆



「ぐはあっ! もう限界だ!」


 黒い靄と化す巨大な骸骨を見据えながら、慎也は声を張り上げた。

 どすんっとその場に座り込んで胡坐を崩す。まさに精も根も尽きたと言っても過言ではない疲労感だ。出来ることなら、今すぐベッドの上で横になりたかった。


「……ふはあァ」


 そして大きく息を吐き出していた時、


「ふん。まあ、そこそこの威力やったのう。智則の奴にはまだ及ばんが」


 いつのまにか上着を着直した蔵人が、両腕を組んで横に立っていた。

 その傍らには篠崎の姿もある。

 慎也は座ったまま首だけを向けて渋面を浮かべた。


「そりゃあ親父やあんたに比べりゃあ、俺なんか全然だよ」


「……ふん。つまらんな。上級妖怪を倒して驕りを抱いとるようやったら一喝してやろうと思っとったのにのう」


 言って、蔵人は鼻を鳴らした。

 それから不意に真剣な眼差しで慎也を見据えて、


「小僧。無駄かも知れんが、儂らはこれから葛城の奴を追うつもりや。本邸にも事後処理のために何人かは残していくつもりやが……」


 と、そこで蔵人はしかめっ面を浮かべた。


「まあ、今回の件はお前の勝ちや。お前はよう頑張った。だからのう。心底不本意やが今日だけは特別に許したる。ホンマ特別やからな。


「……は? 甘える?」


 蔵人の台詞に、キョトンとした表情を浮かべる慎也。

 疲れて切っているせいもあって、言葉の意味がよく理解できなかった。

 しかし、蔵人はそれ以上の説明はせず、篠崎と組員達を連れて去っていった。


「……今のってどういう意味だったんだ?」


 未だ困惑したままの慎也。

 祭殿が破壊された境内に残されたのは慎也と――もう一人だけだった。


「……慎也さま。お疲れですか?」


「えっ?」


 唐突に後ろから声をかけられ、慎也は振り返ろうとした――が、


「う、うわ!?」


 その前に両肩をすっと掴まれ、ゆっくりと後ろに倒されてしまった。

 一瞬、固い地面に頭を強打するシーンをイメージしたが、後頭部に当たったのはとても柔らかい感触だった。痛みなど全くない。

 慎也はぱちくりと目を瞬かせて上を見上げた。

「ゆ、優月……?」そこにあったのは覗き込むようにこちらを見つめる優月の顔だった。

 彼女の頬はどうしてか少しばかり赤かった。


「へ? 優月? これって?」


 慎也の頭は、優月の両手で挟まれた状態だ。

 と、そこで慎也はようやく気付いた。

 要するに今の状態とは――。


(ひ、膝枕、だと!? まさか、あの伝説マンガやラノベのみで聞く奇跡の御業なのか!?)


「あ、あの、慎也さま? いきなり倒して驚かせてしまいましたか? 何かもの凄く愕然とした表情になっていますけど……」


「い、いや、優月、なんでまた膝枕なんて……」


「これは……その、生前の母が疲れた時の父によくしていたことですので、きっとこの姿勢は楽なのかなあと思って……」


「そ、そうなのか……」


 何やら蔵人の意外な一面を見た気がする慎也だった。


(だがその趣味センス! ナイスだぜ、おっさん! そしてシシュン神さま! その気になればちゃんと加減できるじゃないっすか!)


 と、同時に蔵人とシシュン神さまに、深い感謝の念を抱く。

 ――そう。慎也にはこれぐらいのソフトな感じで丁度いいのだ。

 後はくれぐれもあのたわわな果実が慎也の顔に落下しない事を祈るばかりだった。


「あの、慎也さま……」


 と、そんな馬鹿げたことを考えていたら、訥々と優月が語り始めた。


「ごめんなさい。慎也さまにこんな無茶をさせてしまって……」


 彼女は美麗な顔を歪めた。


「私の身内のことやのに、他家の慎也さまをここまで巻き込むなんて……」


 そんなことを告げる少女に、慎也は苦笑を浮かべた。

 まったく、この生真面目な女の子は……。


「……優月」


 そして、うな垂れる彼女に優しい声で語りかける。


「実際は身内どころの話じゃなかったじゃないか。むしろ優月の判断は正しかったよ。それに何よりも俺は……」


 そこで慎也はふっと笑った。


「今回の一件で優月に出会えたこと。それがとても嬉しくて幸せなんだ。正直、本気で神さまに感謝しているよ」


「し、慎也さまぁ……」くしゃくしゃと表情を崩していく優月。

 慎也は困ったように笑って言葉を続ける。


「だからあんま気にすんなって優月。それよりもさ」


 一拍置いて、慎也は微かに嘆息した。


「結局、とんでもなく厄介な宿題が残ったよな……。今回の一件を止めた者の責任として俺らはそれを真剣に考えないといけねえ」


「……はい。そうですよね」


 くすんと鼻を鳴らしてから、優月は表情を改める。


「けど、その宿題も今は後回しでもいいか」


 慎也はすっと瞳を閉じて呟く。


「ともあれ俺らはやり遂げたんだ。今日ぐらいは余韻に浸ってもいいだろ」


 そう語る少年を、優月はじっと見つめた。

 慎也も瞼を開け、優月の眼差しを受け止めた。

 そして――数秒後。


「はい。そうですね。慎也さま」


 慎也の大切な少女は、ようやく満面の笑みを見せてくれた。

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