第3話 龍舞の少年と、獣の少女②
時刻は午後五時過ぎ。
学校を出た慎也は、夕暮れ時のアーケード街を一人歩いていた。
大きな車道の横に歩道とゲームセンターや飲食店が並ぶ界隈だ。
場所や時間帯的にサラリーマンのような社会人よりも学生の姿が目立つ歩道を、少年は淡々と進んでいく。
「……ん?」
その時、慎也は不意に足を止めた。
視線は歩道の一角、コンビニ前で間食している二人組の女子高生に向いていた。
「ねえ聞いた? 昨日この近くのオフィス街で看板落下の事故があったらしいよ」
「え? マジ? いつあったの?」
特に聞き耳を立てた訳ではないが、そんな会話が聞こえてくる。
(……そういや、昼間、学校でもそんな話があったな)
慎也は眉をひそめた。昨日の深夜に起きたという看板の落下事故は、幸いにも怪我人こそ出なかったそうだが、原因そのものは未だ不明らしい。
(まあ、原因究明の方は警察に任せるとして、俺にとって気になるのは……)
慎也はボリボリと頭をかいた。厄介なのは、その情報で人々が不安などの負の感情を抱くことだ。もしかしたら、あれにも影響を与えているかもしれない。
慎也は自分が今いる歩道の、向かい側に立つビルを見据えた。
「……空気が悪いな。やっぱ早めに『処理』すっか」
そう呟き、慎也は向かい側の歩道に渡った。
そして裏路地に入り、先程見つめていたビルの裏口に回った。
このビルは現在空きビルになっている。当然裏口は施錠されていたが、慎也は道具を使ってあっさりと鍵を外す。
「う~ん、何かこういう技術ばっか磨いてるよな。俺って」
悪い事とは思うのだが、まあ、これも平和のためだ。仕方がない。
そんな感じで自分を納得させつつ少年はドアを開け、そのまま建物内に入っていく。そしてすぐ近くにあった薄暗い階段を上っていった。目的の場所は屋上だ。
その途中、慎也はちらりと階層ごとにある窓に目をやった。
「もうじき日が暮れるな……」
窓からは赤い陽の光が差し込んでいる。あと一時間もしない内に夜がやってくるだろう。夜は『奴ら』を活性化させる。出来ればそれまでには『処理』しておきたい。
慎也は少し足を急がせる。
そして十分ほどかけてようやく屋上のドアに辿り着いた。
「さて。行くか」
ぼそりとそう呟くと、慎也は取っ手を握り、ドアを開けた。
――眼前に広がる屋上は、夕日に染められた紅い世界だった。
慎也はバットケースと鞄を左手に携え、屋上の中央に歩を進める。同時にバットケースのジッパーをジジジッと開けた。そうして中から取り出したのは鉄製の棍だ。
カシャン、と音を立て三メートルほどまで伸びる棍。
「今日も頼むぜ。相棒」
梵字を刻んだ鉄製の棍にそう告げ、慎也は空になったバットケースと、邪魔になる手下げ鞄をその場に置いた。
そして自然体で棍を構え、屋上の中央を鋭い眼光で見据える。
――そこには、黒い球体があった。
直径は三メートルほど。宙に浮かぶ不気味な球体だ。さらにその球体は太いしめ縄で括られていた。
霊力を持たない人間には決して見えないこの球体の名は――《澱みの繭》。
人々の不安や悪意などの負の感情が集束したモノだった。
「……やっぱ成長しているな。見に来たのは正解だったか」
前回より明らかに膨れ上がった《澱みの繭》。
それに加え、『霊縄』と呼ばれるしめ縄がすでに千切れかけていることから、この繭がすぐにでも孵化しようとしているのは明らかだった。
慎也は鉄棍を強く握りしめる。
戦闘そのものは嫌いではないが、やはり命懸けの戦いとなると緊張する。
「……ふう」
小さく呼気を整え、慎也は呟く。
「緊張しても仕方がねえ。そろそろやるか。――『開』!」
そう叫んだ直後、繭を括る霊縄が弾け飛んだ!
一気に膨れ上がる重圧。黒い繭にピシピシッと亀裂が走り抜ける。
それは孵化の前兆だった。
慎也は鉄棍に片手を添えて、力ある言葉を唱える。
「目覚めろ! 神楽の龍!」
厳かな声が屋上に響く。
すると鉄棍全体が光に包まれ――その直後、棍の先に大きな龍頭が顕現する。さらにそこから蛇体のような身体も伸びていき、最終的には五メートルにもなる緑龍の姿となった。
グオオオオッ――と、神楽の龍は雄たけびを上げ、慎也はニヤリと笑う。
「……よし。準備完了」
慎也は一度棍を薙いだ。その動きに追従して風を巻き込み、龍も舞う。
緑龍を従えた少年は、孵化の瞬間――敵が現れる時を待つ。
そして数秒が経ち……。
「……来るか」
ぼそりと呟く慎也。同時にビシリと繭に一際大きい亀裂が入った。
もはや亀裂は留まる事を知らず、繭全体に行き渡る。
そして遂には――。
『グがあああアアああッ――』
おぞましき怒号が屋上に響く。
古来より『妖』や『怪異』と呼ばれる者達。見えざる災厄の誕生の瞬間だ。
「低級妖怪――『餓鬼』か」
慎也は目を細めて生まれ出たばかりの怪物達を見据える。
成人男性の半分ほどの背丈に、異常に膨れた腹と細くひしゃげた四肢。剥き出しの皮膚は全体的に黄ばんでおり、両手の爪はナイフのように鋭い。眼光は狂気を孕んでいた。
額に一本の角を持つ――『餓鬼』と呼ばれる妖だ。しかもその数は三体もいる。
繭から生まれ出た妖達は早速近くにいる獲物――慎也の存在に気付いたようで、唾液まみれの牙を剥き出して間合いをじりじりと詰めてくる。
『『『グがあああアああ――ッ!』』』
そして数秒後、餓えた化け物は三体同時に襲い掛かってきた!
「――ふっ!」
対し慎也は呼気を吐き、大きく後方に跳んだ。全身に霊力を流して『霊脈』を活性化させた慎也の身体能力は常人を遥かに凌ぐ。
その脚力はたった一歩で五メートルの距離を跳んだ。
『グがッ!』『グぎゃあ!』『ギャう!』
いきなり標的を失った餓鬼達の爪は空を薙ぎ、三体揃ってたたらを踏んだ。
そして苛立ちを抱いた双眸で慎也を睨みつけるが、次の行動は少年の方が早かった。
慎也は地を蹴ると、狙いを餓鬼の一体に絞り、すれ違いざまの棍を振るう。
――ゴウッッ!
『グぎゃああああ!?』
頭蓋から肩にかけて身体の三分の一以上を龍頭に喰われた餓鬼は目を見開き、断末魔を上げた。そしてそのまま地に倒れ伏すと身体が崩れ始め、黒い靄と化して消えていった。
「――よし!」
ズザザッと突進の勢いを両足でいなしつつ慎也は反転する。
対する餓鬼達は、それぞれわずかにタイミングをずらして襲い掛かった。
『グぎゃああああッ!』
まずは最初の一体が袈裟斬りの軌道で鋭い爪を振るう。
「――遅い!」
慎也は身体を翻して回避。
反転した勢いでガラ空きの餓鬼の側頭部に踵を叩きつけた。
カウンターを喰らった餓鬼は、何度もバウンドしながら吹き飛んでいく。続けて慎也は間近に迫っていたもう一体の餓鬼の顔面を棍の石突き側で打ち抜く!
『ギャうッ!』
激痛に顔を両手で押さえて大きく後退する餓鬼。慎也はすうっと目を細めた。
「こいつはおまけだ! 《
と叫び、慎也は間髪入れず棍を横薙ぎに振るう。
緑龍が風を唸らせて餓鬼の眼前を横切った。
『ギャあああ!?』
その直後、餓鬼が悲鳴を上げる。
化け物の上半身に無数の龍鱗が突き刺さっていたのだ。緑色の鮮血が周囲に散る。
『ぎゃ!? ギャう!?』
怪物は愕然とした。と、そこへ唸りを上げて薙ぎ払われる慎也の棍。龍頭に上半身を丸ごと喰われた餓鬼は、最初の一体と同じく黒い靄となって崩れ落ちていった……。
「よく憶えときな化け物。龍の鱗は飛ぶんだぜ」
そう嘯いて、不敵な笑みを見せる慎也。
「さてと。これで残るは一体か」
そして慎也は残る一体の方へ目をやり――表情を硬くした。
最後の餓鬼が背中を向けて逃走を図ろうとしていたからだ。手まで使い、四足獣のように駆ける化け物は意外と素早い。
「――逃がすかよ!」
慎也は再び龍鱗を飛ばそうと棍を振りかぶった――が、
(……ん? 何だこの気配は?)
不意に手が止まる。
逃走する餓鬼の上空辺りにいきなり強い霊力を感じたのだ。
(え? これってまさか、俺以外の封魔師が近くにいるのか?)
予期せぬ事態に慎也は眉をひそめる。
そして思わず空を見上げる。と、
「――うおッ! 何だあれ!?」
遥か上空から何やら丸い物体が降ってくるではないか。
しかもその丸い物体は餓鬼めがけて落下し、怪物を容赦なく押し潰した!
背骨をへし折られ、抗うことも出来ず血を吐いて絶命する餓鬼。
そして最後の妖は黒い靄と化して消えた――。
突然の結末に、慎也はただただ唖然とする。
「……な、何なんだ……?」
慎也は目を見開いたまま、屋上に降り立った丸い物体を改めて見つめた。
(あれ? こいつって確か……)
それは、いわゆるウォンバットと呼ばれる動物だった。テレビで見たことがある。
だが、当然ただのウォンバットではない。その体は熊よりも大きく、全身からは並々ならぬ霊力を放っている。動物としても術としても直接見るのは初めてだが、この巨大な丸いウォンバットは他家の封魔師が操るという式神なのだろう。
「――ウォン!」
丸いウォンバットがまるで犬のように吠えた。慎也は知る由もないが、本物の鳴き声とは違う。これもまた、このウォンバットが本物ではない証だった。
霊符を触媒にして、強力な霊獣を召喚する封魔の術。
そして、その使い手たる封魔師は恐らく――。
「……君は何者だ」
慎也は神妙な声で、ウォンバットに跨る少女に尋ねる。
すると、少女は丸いのから降りて、深々と頭を下げてきた。
「……お初にお目にかかります。妖魔を喰らう神楽の龍。封魔二十七家の一つ――玖珂山家の方とお見受けします」
「……確かに俺は玖珂山だけど……」
言い当てられ、慎也は怪訝な表情で少女を見つめた。
身長はおよそ百六十センチ。背中まで伸ばした黒髪が印象的な少女だ。
黒いストッキングを履き、同色のセーラー服を着ているところからすると、恐らく高校生――いや、もしかしたら中学生かもしれない。
ちなみに中々のプロポーションを持つ、かなりの美少女でもあった。
「……もう一度聞くけど、君は何者なんだ?」
相手が美少女だからではないが、少し緊張気味に慎也は問う。
それに対し、黒髪の少女は再びお辞儀をし、
「申し遅れました。私は封魔二十七家の一つ――雪塚……」
と、少女が名乗ろうとした時だった。
――クウゥ……。
唐突にそんな音が鳴った。慎也は眉根を寄せる。一瞬、少女の後ろに控えるウォンバットがまた鳴き声でも上げたのかと思ったがそうではないようだ。
丸いウォンバットは、キョトンとした顔をしている。
「……? 今の音って?」
慎也は首を傾げて少女の方を見やる。
すると、彼女は顔を真っ赤にしてお腹を押さえていた。
それだけで慎也はピンと来た。
「……もしかして今のって腹の音か?」
「~~~ッ!?」
声にならない悲鳴を上げる少女。白磁のような頬がますます赤くなる。
しばし訪れる沈黙。二人ともただ見つめ合うだけだった。
そして数秒後――。
「ラ、ラグ!」
沈黙に耐え切れなくなった少女が身を翻して式神に乗った。
続けてウォンバットが「ウォン!」と吠え、大きく跳躍する。
そうして茜色の空の彼方に消えていく丸い物体と少女の姿――。
少年はその光景を呆然と見つめて……。
「えっ!? ちょ、ちょっと待って!? そんな思わせぶりな登場して放置すんの!?」
誰もいないのに、思わずツッコみを入れる慎也であった。
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