第四章 いざ『西』へ

第11話 いざ『西』へ①

 空は晴天。とても清々しい朝。

 チュンチュンと、どこからか雀の鳴き声が聞こえてくる。

 窓を覆うカーテンの隙間からは、暖かな太陽の光も差し込んでいた。

 そこは玖珂山家の二階。慎也の私室だ。

 勉強机と書棚。クローゼットの他にはベッドやテレビなどがあり、そこそこ整ってはいるが、目新しい物はない実に男子高校生らしい部屋である。


「………すゥ」


 と、その時、ベッドの上で慎也が寝息を立てた。

 今日は土曜日。慎也の学校は休日であった。

 平日ならばもう起床している七時半をすぎても、慎也はまだ寝ていた。

 ただ、悪い夢でも見ているのか、若干眉をしかめている。


「……う~ん」と、小さく唸る。


 それから手探りで枕を探して抱きしめ直すと、また寝息を立てた。

 すると、


「あの、起きて下さい」


 不意にベッドの上の慎也に声がかけられた。

 とても涼やかな少女の声だ。

 しかし、あまりに心地良い声だったためか、慎也は全く起きようとしない。

 少女はその後も何度か呼び掛けるが、慎也に起きる気配はなかった。


「……もう。なんで起きへんの」


 業を煮やした少女は、やむえず実力行使に出ることにした。

 慎也が後生大事に抱きしめる枕を取り上げるつもりだ。

 そこまですれば、少しは目を覚ますだろう。


「……うんしょ」


 少女は枕の端を掴み、強引に取り上げた。


「………ん?」


 すると、慎也は眉をしかめ、両手を動かして枕を探し始めた。

 少女は、そんな少年の仕種に微笑みを浮かべる。


「ふふ、ダメですよ、慎也さま。これは没収です」


 言って、両手で枕を持ち上げる。が、少し目測が甘かった。

 慎也の指先が枕の端に届いたのだ。

 慎也はここぞとばかりに強引に枕を掴み、勢いよく引っ張った。


「――え」


 ギョッとしたのは少女の方だ。

 唐突に枕を引っ張られては、踏ん張ることも出来ない。

 彼女はベッドの上に倒れ込み、少女の黒く艶やかな髪が宙を舞った。


「え? えっ?」


 ぱちくりと目を瞬く少女。彼女は今、慎也の胸板の上にいた。

 そこそこ勢いがあったはずなのに慎也自身が鍛えてあるのと、ベッドがクッションとなったおかげで、慎也は少女が上に乗っても平然として眠り続けていた。

 そして慎也はやっと枕を見つけたと思ったらしく――。


「え? やっ? ひやぁ!?」


 そのまま少女をググッと抱きしめてきた。

 カアアアアアァ――

 いきなりの抱擁に、少女の顔が一気に赤くなった。

 それから慎也は、抱きやすい体勢を探るように両手を動かしてくる。

 その手は腰やお尻にまで触れ、少女は「ややっ!?」と小さな悲鳴を上げた。


「や、やあぁ……、あ、あかんよ。し、慎也さま、そんなんあかんて……」


 たまにしか出てこない父譲りの方言が、少女の口から零れ落ちる。

 鼓動が激しく高鳴った。耳の先まで熱い。

 異性にこんな風に抱きしめられるのは、初めての経験だった。

 これは、まさに危機的な状況だ。しかし、どうしてか嫌悪感がしない。

 いや、内心ではむしろ――。


「~~~~ッッ」


 カアアァと顔をより赤くして、少女は慎也の顔を見つめた。

 何にせよ、このままでは非常にまずい気がした。


「あ、あの、し、慎也さま、その、お、起きて下さい……お願い、起きて」


 少女は両手をどうにか動かして慎也の頬にそっと触れる。

 すると、慎也が少し呻き、うっすらと目を開けた。

 次いで寝ぼけ眼で少女をじいっと見つめて……。


「……あっ、おはよう優月」


「お、おはようございます。慎也さま」


 と、互いに挨拶してから――カチコチと壁時計の音だけが響き、数秒後。


「……え?」


 と呟き、慎也は自分達の体勢をしばらく確認した後、上半身を起き上がらせた。

 続けて優月をベッドの上にちょこんと座らせる。

 揃って正座をした二人は、互いの顔をじっと見つめ合って……。


「――ブッフォ!?」


 突如、慎也は盛大に息を吹き出した。


「ぬ、ぬお、ぬおおおおおおおッ!?」


 そして絶叫を上げてベッドから跳び退き、ドスンッと床の上で尻もちを突く。

 あわあわと目を瞠る姿は、もはや完璧に腰を抜かした状態だ。


「ゆ、優月、さん!? な、なんでここに!?」


「そ、それはお母さまが慎也さまを起こして欲しいと……」


 対する優月は、頬を赤く染めて俯いていた。

 よほど恥ずかしかったのか、前髪で完全に視線を隠している。

 慎也は青ざめつつも頭の中を整理する。

 察するに、この状況は母の差し金らしい。

 しかし、それがどうして優月を抱きしめる結果となるのか。


(ま、まさか、これはラッキースケベ、なのか……? 馬鹿な!? この俺にか!?)


 自分に起きた奇跡に愕然とする慎也。しかし、すぐにギリと歯がみして。


(――くそッ! なんてこった! 凄っげえ柔らかくて気持ち良かった気がするけど、寝ぼけていたせいではっきりとまでは感触が思い出せない!)


 と、的外れなことを悔やむ慎也。

 カチコチと壁時計の音だけが、再び部屋に響いた。

 そうして――二分後。


「「お、おはようございます」」


 このままでは一向に進まない。

 とりあえず声を揃えて、再び挨拶をする二人であった。

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