第三章 決意する少年

第8話 決意する少年①

「……くそ、優月の奴、どこまで行ったんだよ」


 ネオンが輝く繁華街を、慎也は苛立ちながら走っていた。

 霊力を持つ同士は、ある程度の距離なら互いの霊力を感知できる。

 玖珂山家を出て一時間ほど。

 微かに残った優月の霊力を辿り、慎也はずっと彼女の後を追っていた。


「この近くにいるとは思うけど、もしかして土手の方なのか?」


 行きかう人にぶつかりそうになり、慎也は一旦、足を止めた。

 そして、動きを止めたことで慎也は少し落ち着き始める。


(……けど)


 人混みを避けながら、慎也は冷静に考えた。

 このまま優月に追いついたとしても、自分はどうするつもりなのだろうか。

 玖珂山家の――父の決定は、今回の件には関わらないということだ。

 思わず飛び出してしまったが、父の判断は正しいと思う。結局のところ、玖珂山家は一般家庭だ。裏稼業の人間の恨みを買うなど笑い話にもならない。 


「親父の言うことはもっともなんだよな。俺だってヤクザは怖いし」


 ふうっと嘆息する慎也。

 それでも飛び出してしまったのは、やはり少年としての義侠心からか。


(いや、違うな。それだけじゃない。多分もっと正確に言えば……)


 と、考えて慎也はうんざりするように肩を落とした。

 自分が家を飛び出した理由。

 それは、はっきり言ってしまえば優月が可愛かったからだ。

 思わず庇護欲が抑えきれなくなるぐらい、慎也は彼女に惹かれていたのだ。

 綺麗な容姿だけでなく、その仕種や性格なども。

 身も蓋もないが、彼女ともっと親しくなりたいと自分は願っている。

 だから、ここで彼女の手を離したくないと思ったのだ。


(うわあ、情けねえ……)


 あまりにも下心が満載な自分の本心に、慎也は結構ヘコんだ。

 しかし、それでも彼女を放っておけないと心配する気持ちに偽りはない。

 玖珂山家の決定。優月の事情。慎也の気持ち。

 色々と問題は山積みだが、これからどうするかはとりあえず後に考えよう。


「まあ、何にせよ、まずは優月に追いつかねえと……」


 そう呟き、グッと拳を握りしめる。

 そして、慎也は再び繁華街を走り出した。



       ◆



 その時、雪塚優月は一人、街の外に向かって夜の陸橋を歩いていた。

 下には大きな河川や土手が見える場所だ。橋には時々車も通り抜ける。

 黒髪の少女は歩きながら小さく息を吐いた。


「……やっぱり駄目だった……」


 正直なところ、こうなる気はしていた。

 封魔家は縄張り意識がとても強い。いかに非常事態とはいえ、『東』の封魔家が介入などすれば厄介な問題が起きる。分かり切った正論だった。

 だが、それでも優月は玖珂山家に頼るしかなかったのだ。

 雪塚家は『西』において最大規模の封魔家だ。その上、真っ当な家業ではない。

 懇意にしている封魔家があるのは本当の話だが、どの家もの人間だ。

 きっと尻込みして協力は期待できないだろう。


「……これからどうしよう……」


 不意に強い風が吹く。どこからか木の葉が舞った。

 優月は髪を押さえながら足を止め、木の葉の行く先――眼下の河川を見つめた。

 夜の河川は月と星の輝きに照らされ、幻想的な景観を生み出している。

 ――とても儚い光景。

 まるで今の自分の心情を表しているようだ。


「……お父さま……どうしてあんなことを」


 哀しげに眉根を寄せて、優月はそう呟く。

 世間一般では恐れられる父ではあるが、それでも優月には優しい父親だった。

 いや、優しいのは父だけではない。

 組に所属する全員が優月にとって家族のようなものである。

 だというのに、今や彼らは父に従い、あんな暴挙に加担している。


「……まさか、《大妖》を生み出すなんて」


 彼女がその光景を見たのはただの偶然だった。

 学校から帰宅した時、ふと裏山から桁違いの澱みを感じたのだ。

 裏山には雪塚家が管理している《澱みの繭》がある。

 もしや異常事態が発生しているのかと思い、優月は裏山へ向かい、そこで見たのが、父が指揮を執って《澱みの繭》を意図的に成長させている光景だった。

 青ざめた優月は、父に詰め寄ったが、父はほとんど説明しようともしなかった。

 周囲の人間も同様だ。ただ時期がくれば分かる。その一点張りだった。

 そんな状況に、優月は息を呑んだ。

 説明はなくても、父達の覚悟だけは伝わってくる。

 そして、優月はこのままでは危険だと感じ、どうにか彼らを止めるために周囲の制止を振り切り、着の身着のままでこの地を目指したのだった。


「……どうしてなの、みんな……」


 ズキン、と心が痛む。

 眼下の河川を見つめながら、優月は痛みに耐えるように唇をかんだ。

 だが、ここまで来ても、結局助力は得られなかった。

 もう頼れる当てもない。


「わ、私はどうすれば……」


 ポツリ、と弱い心が唇からもれる。

 押し寄せる不安に心が押し潰されそうだった。優月は胸元を押さえて、その場にしゃがこむ。一人ではもうどうしていいのか分からなかった。

 そして、遂にはボロボロと涙を零し始める。


「わ、私はもう何をしていいのか……」


 消え入りそうな優月の声。

 数台の自動車が車道を通りすぎ、ライトが彼女を照らす。

 と、その時だった。


「……優月?」


「……え?」


 不意に自分の名を呼ばれ、優月はハッとして顔を上げる。

 と、そこには、高校の制服の上にコートを着た慎也の姿があった。


「し、慎也さま?」


 しゃがみこんだまま、唖然とした声を上げる優月。

 すると、慎也はボリボリと頭をかき、


「やっと見つけたよ。遠くに行ってなくて良かった」


 と、ホッとした顔でそう呟いていた。


「ど、どうして慎也さまがここに?」


 涙の跡を隠すように擦り、優月は立ち上がってそう尋ねた。

 しかし、対する慎也は困り顔を浮かべて、


「え、えっと、それは……」


 そう呟き、言葉を詰まらせる。


「……慎也さま?」


 優月は不思議そうな顔で慎也に近付いた。

 すると、慎也は覚悟を決めたような真剣な表情をして優月に語りかける。


「優月。俺の家に戻ろう」


「……え?」


 軽く目を瞠る優月。慎也はさらに言葉を続ける。


「……その、君ん家の家業のことは親父から聞いた。本当は頼れる家なんてないんだろ? あるんなら最初からそっちに頼っているだろうし」


「そ、それは……」


 慎也の指摘に優月は言葉を詰まらせる。

 まさしくその通りだったからだ。そもそも『西』の他家が頼れるのならば、わざわざ面識のない『東』の封魔家に助力を求めたりしない。

 優月はもはや『西』の地においては、孤立無援の状態だったのだ。


「親父のことはもう一度俺が説得してみるよ。親父だって本音では《大妖》なんて放っておけないと思っているはずなんだ。お、俺が……君の力になるよ」


 と、慎也が真剣な眼差しで告げてくる。

 優月は唖然としていた。

 ただ、大きく瞳を見開いて、目の前の少年を見つめていた。

 ――彼女が挫けそうになっていた時に現れてくれた味方。

 しかも彼は、空腹の優月にご飯を奢ってくれるような優しい人だった。

 ……正直、とても嬉しい。

 もの凄く嬉しい。

 しかし、同時に困惑した思いも抱く。


「け、けど、どうして慎也さまが私の味方を……」


 ふと、疑問が口から零れる。

 すると、どうしてか慎也が不意に顔色を変えた。

 少年の顔は、何やら少し赤らんでいるようにも見える。


「ぐ、そ、それはさ……」


 そう呟いたきり、慎也は押し黙ってしまう。

 が、すぐに、何かに気付いたようにハッとした。


「ゆ、優月? もしかして泣いていたのか?」


「……あ……」


 今度は優月の方がハッとした。どうやら涙の跡が拭い切れていなかったようだ。

 慌てて目元を両手で擦るが、もう誤魔化せない。

 慎也は神妙な顔で優月を見つめていた。

 そして――。


「……優月」


 慎也は優月の肩に両手を乗せた。

 決して力は込めない優しい手。優月は少しドキリとする。


「君はまだ十四歳なんだろ。十六の俺が言うのもなんだけど、まだ子供なんだ」


 慎也の声はとても優しいものだった。


「その歳で色々背負い込みすぎだ。生真面目すぎるぞ。少なくとも俺は君の力になる。今そう決めた。たとえ親父が協力してくれなくてもだ。だから俺に頼ってくれ」


 そう告げて、慎也は自分の決意を示すように少しだけ両手に力を込めた。

 それに対し、優月はしばし呆然として少年を見つめていたが……。


「ふ、ふぐ、ふえェ……」


 不意に、くしゃくしゃと表情を崩した。

 それから慎也の胸に飛び込み、ぎゅうっとしがみついてくる。


「わ、私、もう、誰も味方して、くれへん思って」


 しゃっくりを上げながら、そんなことを呟く優月。

 一方、慎也は優しい眼差しで、胸の中の少女を見下ろしていた。

 ――ただし、あくまで外面ではだが。


(う、うおおお、ぬおおおおおおおおおお!?)


 内面では、慎也は完全にパニックに至っていた。

 これは、あまりにも予想外の抱擁だ。

 むにゅんと伝わって来る柔らかな双丘の感触に、間近で感じる少女の温かさ。

 年齢=彼女いない歴の慎也にとっては、想定外すぎる展開である。


(こ、これはどうすればいいんだ!? これって俺も抱きしめてもいいのか!?)


 胸の中では優月が未だしゃっくりを上げている。

 正直、このままギュッと抱きしめてやりたい愛しさだ。

 ――本音を言えば、彼女の温もりを両腕で感じ取りたい!

 しかし、それはしてもいいことなのだろうか……?

 それさえも慎也には分からなかった。


(と、とにかく決めた! 俺は優月をもう泣かせねえ! 俺が力になるんだ!)


 と、状況を誤魔化すように内心で決意を固めつつ。

 結局、慎也は挙動不審な手の動きをしたまま、その場に立ち尽くすのだった。

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