第18話 決戦前夜②
「やれやれだな……」
雪塚組若頭・篠崎
古い屋敷であるその場所は、雪塚家の本宅の一角だ。
この渡り廊下は、組長である雪塚蔵人の私室へ続く道だった。
「まさか、風霧市の《繭》を潰されるとはな……」
先程聞いた報告に舌打ちする。先日の失敗に続き、またしても悪いニュースだ。
蔵人の期待に応えられない己の不甲斐なさに、苛立ちを隠せなかった。
(……
グッと拳を握りしめる。
優月の師を任されるほど蔵人の信頼が厚く、誰よりも忠誠心が強い篠崎。
しかし、そんな彼は雪塚家の血縁者ではなかった。
――封魔二十七家の一つ、雪塚家。
実は、この家には各家の当主と交わした特殊な役割があった。
そのことを思い浮かべ、篠崎はふうと嘆息する。
(まったく。葛城の奴め。帰るなり姿をくらますとは……)
蔵人のカミナリを恐れ、姿を消した弟分。
雪塚家の役割とは――葛城のような素行の悪い封魔師を更生することだった。
封魔師とは過酷な家業だ。そのため、不平不満や肥大化したプライドから能力を悪用する者が少なからずいる。葛城もそんな若い封魔師の一人だった。
(あの馬鹿め。今のままではいつまでたっても自分の本家に戻れんぞ)
篠崎は廊下を進みながら、再び舌打ちする。
雪塚家はそういった罪を犯した封魔師を各家から預かり、雪塚組に仮入門させ、更生が確認できた時点で各家に戻すのである。
もちろん、こればかりは
本業が裏稼業である事と、式神が多くの他家でも使われるかなりメジャーな封魔術だったことから、いつしか請け負うようになった役割だ。
毒を以て毒を制するというのは、流石に言い過ぎだろうか。
しかし、中にはこんな事例もある。
仮入門した更生者が、そのまま雪塚組に正式に所属するパターンだ。
例えば篠崎は『東』の他家出身なのだが、蔵人の度量に心酔し、雪塚組に入ることにした人間だった。そして元々厄介払いされた者達ゆえに意外とその選択をする者は多く、雪塚家が他家よりも圧倒的に規模が大きい理由でもあった。
実のところ、雪塚家の本家、分家の人間は全体の三割程度しかいない。
雪塚組とは実に雑多とした組織なのである。
「……葛城め。あいつはこのまま雪塚組に正式に入るつもりなのか? だが、それならそれでもっと真面目にやれと言うんだ……」
根が苦労人の篠崎は、どうにも掴みどころのない弟分の態度に嘆息した。
と、愚痴を零している間に、篠崎は目的の部屋に辿り着いた。
篠崎は静かに片膝を屈めた。
「……
「おう。入れや」と許可を受け、篠崎は衾を両手で開けた。
室内は広い和室で、木目の低い机の前に和装姿の蔵人がどっしりと座っていた。
篠崎は両の拳を廊下につけ、すっと頭を垂れた。
「失礼します。
蔵人にそう促され、篠崎は蔵人の机を挟んだ向かい側に座った。
そして、おもむろに本題を切り出す。
「
「ああ、さっき佐々木自身に聞いたわ」
と、淡々と答える蔵人。篠崎はすうと目を伏せる。
「すいません。まさか、優月お嬢さんが風霧市の《繭》を潰しにくるとは予想していませんでした。人員をもっと配置していなかった私の失態です」
「ふん。それは儂も同じや。優月め。儂の性格をよう分かっとるわ。予備があると読み、潰しにかかるとはな」
そう語る蔵人の顔は少し嬉しそうだった。
愛娘の聡明さに父親としては喜びも抱いてしまうのだろう。それに、予備を潰されたのは確かに痛いがまだ本命は残っている。挽回できないほどの失態でもなかった。
「まぁええ。風霧市の《繭》はもう捨て置け。それよりも気になることがある」
「……気になることですか?」
「そや、何でも佐々木の話やと優月の他に、もう一人封魔師がいたそうやな」
「ああ、確かにそう聞きました」
篠崎は静かに頷いた。
報告によると優月以外にも牛鬼相手に、龍を操って戦う少年がいたそうだ。
「多分、そいつは龍舞使いやな。察するに智則の息子っちゅうことか」
と、呟いて不敵に笑う蔵人に、篠崎は眉をしかめた。
「しかし、
「ふん、分かってないのう篠崎よ」蔵人は豪快に笑った。
「智則の奴は、自分は不干渉いうたんやろ? 自分は動かなかったが、息子が先走ってしまったってことで押し通す気なんやろな」
「それは……かなり強引な言い分なのでは? 子の不始末は親の責任でしょう」
「まあ、確かにそうやが、『東』の封魔家としては『西』のメンツを立て、なおかつ介入できるギリギリの言い訳やな。智則も苦肉の策なんやろ」
と、答える蔵人に、篠崎は少し疑問に思う。
「なるほど。しかし、
そんなことを問われ、蔵人は目を瞬かせた。が、すぐにニヤリと笑い、
「はン。そんなん本気で戦り合ったからに決まっとるやろ」
熊のような髭を撫でつつ、どこか楽しげにそう語る。
「全霊を賭けた戦闘っちゅうのはホンマええもんやぞ。たった一戦だけで相手のことが自分のことみたいに理解できるんや。それこそ百回酒を酌み交わす以上にな」
「……なるほど。『拳で語った』ということですか」
篠崎も侠客の道を歩む極道。その心は分からなくもない。
しかし、蔵人は何故か笑みを深めて否定した。
「がははっ、ちと惜しいのう篠崎よ。こいつはもう一つ上や。あえて言葉にすんなら『命で語った』って奴やな」
「……ははっ、それはまだ私には辿り着けない領域ですね」
堂々とそこまで言い切られ、篠崎は苦笑を浮かべた。
――『東の龍』と『西の虎』。
たった一度の邂逅でも、互いに揺るがない絆があるのだろう。
「まあ、智則自身が動かんのは本当やろうな。気になるのは――その息子か」
と、表情を改めて呟く蔵人。篠崎も頷いた。
「……はい。報告では優月お嬢さんも戦ったそうですが、たった二人で牛鬼を倒すとはかなりの実力者でしょう」
「ふん。智則の息子やぞ。その程度は当然や。むしろ儂としては優月が男と二人きりでいることの方がよほど気になるんやが……」
と、父親としての顔を垣間見せる蔵人。
一方、篠崎は陸橋での光景を思い出し、内心では冷や汗をかいていた。
「まぁええ。優月は身持ちが固いし、そもそもまだ子供や。余計な心配やな」
と、一人納得し、蔵人は顎鬚を撫でた。
そしてふと思い出したように目を細める。
「しかし、龍舞使いっちゅうのは案外好都合かも知れんのう」
「……? それはどういう意味で?」
眉根を寄せる篠崎。すると、蔵人は篠崎を見やり、
「いや、龍舞使いは封魔師の中でもかなり派手な部類っちゅうことや」
そう言って、雪塚組の組長はニヤリと笑った。
「ふん。これはどうやらキャストが増えそうやな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます