第7話 玖珂山家の事情③

 ――玖珂山智則の私室は、和室である。

 玖珂山家の二階にある八畳の部屋。普段は妻さくらと共に寝室にしている一室だ。

 そしてそこに今、座布団を敷いて正座する四人の人間がいた。

 智則とさくら。その向かい側に並んで座る慎也と優月の二人だ。


「……あれ? なんで俺は優月側に座ってんだ?」


 本来、慎也は玖珂山家側なのにおかしな配置だ。

 すると智則は何故か頭をかきながら、はにかんだ。


「いやあ、別にいいじゃないか。まるで婚約者を連れて来たみたいな感じで。何ならその話をする方向でもいいんだが……まあ、それはさておき、本題に入ろうか優月さん」


 真剣な面持ちをする智則に、優月は居ずまいを正した。


「はい。まずは急な訪問をして申し訳ありません」


「いや、気にする必要はないよ。それぐらい切羽詰まっていたってことだね?」


 神妙な声でそう確認する智則。優月はこくんと頷いた。

 智則はさらに言葉を続ける。


「私の所に来たってことは、君は雪塚蔵人さんの娘さん……でいいのかな?」


 それに対しても優月は静かに頷いた。


「……親父? 優月の親父さんと知り合いなのか?」


 慎也が首を傾げて父に問う。雪塚家と親交があったなど初耳だった。

 対し、智則は苦笑を浮かべる。


「……まあ、今から二十年ほど前に彼とは一戦やらかしたんだよ。一対一でね」


「……はあ? なんで他家の人間とそんなことを?」


 キョトンとする息子をよそに、智則はちらりと妻の横顔を見やる。

 幼馴染でもあるさくらは気恥ずかしそうに笑っていた。


「昔から封魔師同士が決闘するってことは互いに譲れないモノがあったってことさ」


「??? ……何の話だよ?」


 どうにも要領を得ない台詞に慎也は首を傾げるが、智則は構わず本題に戻る。


「その話はいずれ機会があったらな。さてと。優月さん、私のことは蔵人さんから聞いたと考えてもいいんだよね」


 腕を組んでそう尋ねる智則に、優月は三度みたび頷いた。


「はい。父は言っていました。智則さまより強い封魔師とは出会ったことがないと」


「それは……まあ、光栄かな」


 智則は苦笑を浮かべる。その台詞はそのまま返せるものでもあった。

 智則も雪塚蔵人ほど強い封魔師とは出会ったことがない。


「ともあれ、話を続けるよ。君の話とは、もしかして蔵人さんに関わることなのかな?」


 智則の指摘に、優月は僅かに視線を伏せる。が、すぐに顔を上げ、


「……はい。実は私がここに来たのは、かつて父と互角に渡り合ったという智則さまに、父が行おうとしているを止めて頂きたいからなんです」


 優月の台詞に、智則はもちろん、慎也、そして能力的には一般人とほぼ変わりないさくらまでもが緊張した面持ちになった。


「……暴挙とはまた穏やかではない言葉だね」


 智則があごに手を当て神妙に問う。


「確かに穏やかな言葉ではありません。ですが、そうとしか思えないんです……」


 優月はわずかにうな垂れてそう返した。

「なあ、優月……」様子を見守っていた慎也が問う。

 落ち込む少女を見ていられなくなったのだ。


「君の親父さんは何をしようとしているんだ? 力になるから話してくれ」


「………慎也さま」


 優月は微笑み、慎也を見つめた。少し穏やかな雰囲気が和室に訪れる。

 それを見て、さくらが小声で智則に話しかけた。


「(中々いい雰囲気じゃない。これは期待できそうかしら智則さん)」


「(うん、確かに。けど、問題は……雪塚家かぁ……)」


 智則は小さく嘆息した後、優月を見やり、


「優月さん。蔵人さんがやろうとしていることを詳しく話してくれないか」


 まずは詳細を聞かねば判断できない。

 智則の言葉に、優月は頷いた。


「……はい。父が――雪塚家がやろうとしていること。それは……」


 優月は一瞬逡巡するが、覚悟を決めて告げる。


「《澱みの繭》を利用し、人為的に《大妖》の誕生させることです」


 その台詞に、玖珂山家の全員が目を剥いた。

 ――《大妖》。それは、簡単に言えば、災害クラスの大妖魔のことである。

 有名な事例としては『八岐大蛇』や『九尾狐』などが《大妖》と呼ばれている。

 そしてこれらの《大妖》は《澱みの繭》から生まれた妖が数百年の年月をかけて転じると伝えられていた。当然その力は強大で、しかも通常では見る事が出来ないはずの妖でありながら、《大妖》はその怖気が立つほどの妖気ゆえに一般人でも視認できると言う。

 もしも今の世に《大妖》が出現すれば、大パニックは免れないだろう。

 封魔師としては、絶対に容認できない存在であった。

 だというのに、それを人為的に発生させようとは――。


「……雪塚家が現在管理している《繭》は十六個あります」


 息を呑む玖珂山家の三人に対し、優月はさらに言葉を続ける。


「私の父はその内の一つを限界まで成長させて、年月を得ずに《大妖》を生み出そうとしているんです。恐らくこのままだと九日から十日後には《大妖》が孵化すると思います」


「……なんでまたそんなことを……」


 慎也が独白するように呻く。それは智則やさくらの疑問でもあった。

 すると、優月がかぶりを振って。


「……理由までは分かりません。ただ、父は半年ほど前、叔父さまを――長年に渡り父を支えてくれていた義弟を妖に殺され、失意の淵にいました。もしかしたら、そのせいで自暴自棄になってしまったのかもしれません」


「……身内を妖に殺される、か。封魔家にはずっと付いて回る悲劇だね」


 と、智則が大きな溜息を吐きつつ呟いた。


「封魔師は因果な商売――いや、はっきり言ってしまえば、だ。そのことに不満を抱き、封魔家の看板を下ろした家も多いしね」


 ――封魔二十七家。

 かつては百八家あった封魔の本家も、今やここまで衰退している。

 怪異・妖を退治して人の世を守る……と言えば聞こえはいいが、それは当事者以外誰も知らないことだった。この国の中枢にいる官僚達でさえもだ。

 なにせ《澱みの繭》も、そこから生まれる妖も目には見えない。

 式神や慎也の龍などは視認できるのだが、肝心の『敵』の姿が見えないのだ。

 官僚だろうが大臣だろうが、霊力のない者にはその存在を知りようもなかった。


 ――誰も気付かない。


 リスクばかりで、全く利益にもならない命懸けのボランティア。

 それを支えているのは、もはや義務に近い使命感と――誇りだけだった。


「……どうして自分や自分の家族だけが、こんな過酷なボランティアに従事しなければならないのか。口には出さないけど内心ではそう思っている封魔師も多いだろうね」


 智則の台詞に、現役の封魔師である慎也と優月は沈黙した。

 ――今回の雪塚蔵人の暴挙。

 そんな内に秘めた不満が、義弟の死を切っ掛けに暴発したのかも知れない。


(……しかし)


 智則はあごに手をやった。

 彼の知る雪塚蔵人という人間は豪胆な男だった。いかに義弟の死に嘆こうとも、こんな周囲を巻き込むような騒動を起こすとも思えなかった。


(……何か他の理由があるのか? 一体何を考えているんだ、蔵人さん……)


 智則は小さく嘆息した。それは考えても答えは出ないだろう。

 ともあれ、まずは玖珂山家の当主として答えを出さなければならない。

 智則は真直ぐ優月を見つめた。


「……優月さん」そして神妙な声で返答する。


「悪いけど玖珂山家は君に協力できない」


「――ッ! 親父!」


 智則の返答に、目を丸くしたのは慎也だった。

 内容が内容だけに、てっきり協力するとばかり思っていたのだ。

 一方、当人である優月は表情を変えていない。この返答も想定していたのだろう。


「なんでだよ親父! 《大妖》なんか放置できねえだろ!」


 慎也が父に気炎を吐く。すると、智則はゆっくりとかぶりを振って。


「確かに由々しき事態だ。だがな慎也。封魔師は縄張り意識が強い。『東』の私達が『西』の問題に出張る訳にはいかないんだ。『西』の誇りを傷つけてしまう」


 封魔家にとって誇りとは心の支えだ。それを傷つけることだけは、絶対に避けなければならなかった。しかし、それでも慎也は納得いかない。


「……そんなの介入したのがバレなきゃいいだけじゃないか」


「……慎也」


 智則は深い溜息をついた。


「この件に応じられない理由はまだある。それは――戦力不足だ」


「……戦力不足?」と、訝しむ慎也に、父は告げる。


「雪塚家は二百名以上の封魔師を擁する大家なんだよ。そして蔵人さんは全盛期の私に匹敵するほど強い。今や腰をいわして全力戦闘は五分と持たない私では対抗できないだろう」


「…………」


 それには慎也も沈黙するしかなかった。

 慎也の父――智則は強い。三年前、腰痛を悪化させて全力戦闘できなくなった今でも慎也を軽々とあしらえるほどの実力者だ。


「分かってくれ慎也。そもそも協力するだけの『力』が今の私にはないんだ」


 父の言葉は重い。慎也はわずかに視線を伏せた。


(……けど、それでも困ってる女の子を見捨てるなんて……)


 どうしても納得できない。

 慎也は視線を上げて父を、玖珂山家の当主を見据えた。


「――親父。だけど……」


 と、言いかけた時だった。


「……慎也さま」


 涼やかな声が慎也を止める。

 振り返ると、そこには優しげに微笑む優月がいた。


「ありがとうございます。ですがこれ以上、ご迷惑をおかけする訳にはいきません」


「……けど、優月……」


 なお言い募ろうとする慎也に、優月は長い髪を揺らして首を振った。


「お父さまの仰る通りです。これはそもそも『西』の問題。『東』の玖珂山家の方々を巻き込もうとするのは筋違いというものです」


「だけど、君一人じゃあ……」


 と、心配そうに眉を寄せる慎也に、再び優月は優しげな笑みを見せた。


「大丈夫です慎也さま。私にも懇意にしている『西』の他家がいます。そちらに協力を申し込もうと思います。一人で無茶はしませんのでご安心ください」


 そう告げて優月は立ち上がった。そして恭しく智則とさくらに頭を下げる。


「夜分にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。お父さま。お母さま。私はこれにてお暇させていただきます」


「……そうか。すまなかったね優月さん。力になれなくて」


「いえ。むしろ『西』へのご配慮、ありがとうございます。私が軽率でした」


 そう言って優月は再び深々とお辞儀した。

 それから隣に座る慎也の方にも視線を向けて、笑みを見せる。


「慎也さま。色々ありがとうございました。慎也さまにお会いできて良かったです」


「………優月」


 少女の名を呼びながら慎也は下唇をかんだ。正直まだ納得いかなかった。


「あ、あの、慎也さま」


 すると、優月は少し頬を染めて――。


「今回の件がすべて解決した後……その、またお会いできるでしょうか。今度は普通の友人として……」


 そんなことを言う。わざわざ『友人』と告げられるあたりにガッカリ感もあるが、こんな美少女にもう一度会いたいと言われ、嬉しくない男などいない。

 慎也は破顔して応えた。


「ああ、いいよ。また会おうぜ。優月」


「は、はいっ!」


 優月も笑みを浮かべて応えた。

 と、その時、今まで一般人ゆえに沈黙していたさくらが口を開く。


「優月ちゃん。ところで今夜はどうするの? 今日はもう遅いし、なんならうちに泊まってもいいわよ。ねえ智則さん」


「ああ、そうだね。こんな時間に女の子を外に出すのもなんだ。優月さん。今日は泊まっていったらどうだい?」


 そう告げる玖珂山夫妻に、優月はふるふると首を横に振った。


「いえ、そこまでご迷惑をおかけする訳にはいきません。宿泊先はすでに用意していますのでどうぞお構いなく」


「……そうか。それなら仕方がないね」


 それでこの話は終わりだった。

 智則達は全員で玄関に向かい、玖珂山家一同で何度もお辞儀する優月の背中を見送った。

 そうして、黒髪の少女は夜の住宅街へと消えていった。

 ――それからおよそ二十分後。


「……親父」


 玖珂山家のリビングにて、慎也が智則に問う。


「優月に協力しなかった理由ってまだあるんだろ」


「……なんでそう思う?」


 ソファーに座り、新聞を広げていた智則が問い返す。ちなみに、さくらはキッチンで食器を洗っていた。流れる水の音がリビングまで届く。

 慎也はボリボリと頭をかいた。


「何となくだよ。家族としての直感だ」


「中々いい勘をしているな。正直、優月さんの前では話しにくいことだったんだ」


 智則は苦笑を浮かべつつ新聞をとじた。

 そして両腕を組み、う~ん、と唸り始める。

 父の態度に慎也は眉根を寄せた。


「優月の前では話しにくい? どういう意味だよ」


「私が介入したくない一番の理由なんだよ。まあ、彼女の実家の話なんだが」


 そう前置きしてから、智則はふと慎也に尋ねた。


「ところで慎也。お前は彼女の家がどんな仕事をしているか知っているのか?」


 不意な質問に、キョトンとした表情を見せる慎也。


「いや、知らねえよ。多分、金持ちなんだなとは察したけど」


「う~ん、そうかあ……」


 智則はそう呟くと、おもむろに会話を切り出した。


「お前、祭りに出る夜店とか知ってるよな?」


「……はあ? まあ、知ってるけど」


 脈略のない父の問いに、慎也は眉をしかめた。


「彼女の実家はさ。そういう夜店の総括をしているんだ」


「……夜店の総括だって?」


 そんな職業があるのだろうか。

 首を捻る慎也をよそに、智則はさらに言葉を続ける。


「それと、他には困っている人に多額のお金を貸したりもしている」


「へ? それって金貸し……え?」


 何やら嫌なものを連想して慎也が青ざめる。

 まさか、優月の実家とは――。

 そして父は言った。


「まあ、はっきり言うと、雪塚家はヤクザ屋さんなんだよ」


 ……………………………。

 ……………………。


「…………」


 慎也は愕然として、何も言えなくなった。

 流石にそれは想像もしていなかった。想像できるはずもなかった。

 父は眼鏡を外し、目がしらを指で押さえて話を続ける。


「とは言え、暴力団って言うよりも昔がたきの極道って感じでね。若い頃、半ば勢いで喧嘩を買ったけど、サラシって言うのかな。そこに差していたドスを抜いて巨大な虎型の式神に乗る蔵人さんの姿には唖然としたものさ」


「…………」


 慎也は未だ絶句したままだ。


「これで分かっただろ。雪塚家の封魔師は全員ヤクザ屋さんなんだよ。サラリーマンが喧嘩を売ってもいい相手じゃない。最悪、封魔術うんぬん以前に拳銃とか出てくるぞ」


「け、拳銃……」


 唖然とした口調で反芻する慎也。

 が、その時、ハッとした表情を浮かべた。

 そして慌てた様子で二階の自室に向かうと、コートを着て玄関に向かった。


「おいおい、慎也。どこに行く気だ」


 何やら切羽詰まった雰囲気の息子に、智則は声をかける。

 すると、慎也は鬼気迫る目つきで父を睨みつけた。


「優月の所だよ! その話、当然『西』の連中は知ってんだよな?」


「ああ、有名な話だからね。『西』はもちろん『東』も当主クラスなら知っているよ」


「――だったら!」


 慎也は叫ぶ。


「誰が優月に協力しようなんて思うんだよ! 相手はヤクザだぞ! きっとあの子は誰も当てにせず自分だけで何とかしようと考えているんだ!」


 そして紺色のコートを着た少年は、玖珂山家を飛び出して行った。

 後に残されたのは、玄関先で腕を組む智則だけだ。


「……あらあら。慎也ってば、ようやく優月ちゃんを追いかけに行ったのね」


 すると、後ろから声をかけられた。洗い物を終えたさくらだ。

 温和な表情を浮かべる智則の妻は、夫に話しかける。


「智則さんも意地が悪いわね。慎也に自主的に行動させたかったんでしょう?」


「……まぁね」


 自分の図り事など全部お見通しの妻に、智則は苦笑を浮かべた。


「他家はどうか知らないけど、玖珂山家としてはこの現状を聞いて手を貸さない訳にはいかないよ。けど、私はもう戦える身体じゃないし、戦うのは慎也の役割になってしまう。ならせめて、慎也に戦う理由ぐらいは与えてあげたいじゃないか」


「……可愛い女の子のために……これ以上ない定番ね」


 くすり、と笑うさくら。智則は照れ臭そうに頭をかいた。


「まあ、あわよくばこれで慎也に彼女が出来ればいいんだが……」


「あら。でも優月ちゃんはヤクザ屋さんのお嬢さんって話じゃない。怖くないの?」


 と、いたずらっぽく尋ねるさくらに、智則は肩をすくめて答えた。


「そんなもの些細な事だよ。相手がヤクザだからといって尻込みするのなら、私はあの日、蔵人さんと戦ったりはしていないよ」


 そこで苦笑を浮かべて。


「結局、重要なのは慎也と優月さんの気持ちだけだろ」


「ふふっ、確かにそうかもね」


 さくらもまた、気負いもせず夫に賛同する。


「少なくとも私は優月ちゃんを気に入ったし、ここは慎也には頑張ってもらいたい所ね」


「ああ、私もそう思うよ」


 そう言って、玖珂山夫妻は笑みを零すのだった。

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