第16話 いざ『西』へ⑥

「おおおおっ! こいつは凄げえ景色だな!」


 夜の空を飛翔し、慎也は思わず感嘆の声を上げた。


「もうじき着きます。しっかり掴まって下さいね。慎也さま」

 

 と、優月が言う。二人は今、優月のウォンバット――ラグに乗り、ビルからビルへと移動していた。

 目的の《繭》があるのは廃ビルの四階。建物の中にある。

 ならば地上から近付くより、屋上から忍び込んだ方がいいと判断したのである。


「いやあ、乗れる式神って便利だよな。俺にはこんな移動は無理だよ」


 と、やけにはしゃぐ……と言うより饒舌になる慎也。

 だが、それも仕方がない。彼は今、かなりテンパっている状態なのだ。


(うわあああ、ま、また当たった……や、柔らけえ……)


 時折触れる柔らかすぎる感触に、慎也の心臓はドキドキしっぱなしだった。

 前述した通り、二人は今ラグに乗っている。

 当然、操る優月は前側、慎也は二人分の荷物を背負い、彼女の後ろに座っていた。

 要はバイクで二人乗りした時のような密着状態でいるのである。

 しかし、ラグはバイクに比べて安定感などないに等しい。

 何せ手足の短いウォンバット型式神だ。ましてや今は跳躍までしている。その姿はまるでボールが跳ねるようだ。

 そのため、ラグが「ウォン!」と大きく跳ねるたびに、彼女のたわわに実った果実がたゆんっと大きく揺れて、腰に手を回している慎也の腕に否応なしに当たるのである。


(ぬおお!? お、落ち着け俺! 相手はまだ中学生だぞ! けど、だが、しかしだ! いいのか!? こんな役得いいのか!? シシュン神さまサービス良すぎるぞ!)


 と、慎也が心の中で絶叫を上げている内にも、ラグは目的の屋上に到着した。

 残念ながら、シシュン神さまのサービスタイムはこれにて終了のようだ。

 優月はラグの背を優しくひと撫でしてから半身ほど振り返り、慎也に告げる。


「着きました慎也さま……え? どうしてそんな気落ちされた顔を?」


「…………いや、何でもないよ」


 ちらりと見えた少年の、もの凄くがっくりした表情に疑問を覚えつつも、


「それじゃあ降りますね」


 と言って優月はラグから降りた。気を持ち直した慎也もそれに続く。そして優月は慎也から自分のサックを返してもらい、「よいしょ」と呟き背負った。


「一旦ラグを消しますね」


「ああ、そうだな」と呟きながら、慎也は周囲の霊力を探ってみた。

 ここに来る前にも一度探ってみたが、気配を感じるのは優月とラグだけだ。


「……もしかして監視役はいないのか? いや、《繭》の澱みの気配も感じないから、結界でも張っているのか……」


 眉をしかめて慎也はあごに手をやる。

 一般人を極力近付かせないために《澱みの繭》の周辺に結界を張るのは、どの封魔家でも常套手段だった。雪塚家も例外ではないだろう。

 ラグを霊符に戻した優月も頷く。


「はい。多分、結界を張っているはずです。少なくとも私が関わったことのある他の《繭》はそうでした」


「そっか。じゃあ、一応霊力は消して進むか」


 霊力探査は意外と神経を使う。もし結界内に監視役がいたとしても、意味もなく探査をしているとは考えにくいが、万が一もある。

 慎也は霊力を消し、優月もそれに倣った。

 そして二人は屋上の入り口。昇降口の建物に向かった。


「……ああ、やっぱ鍵がかかってんな」


 少し錆びた取っ手を掴んで慎也がそう呟く。鉄製の頑丈そうなドアは完全に施錠されていた。隣に立つ優月が覗き込むように取っ手を見て眉をひそめる。


「どうしましょう慎也さま」


「ああ、大丈夫。これぐらいお手のものさ」


 言って、慎也はサックから慣れ親しんだ道具を取り出し、鍵の解錠に入る。

 そして数分後、カチャリと鳴って鍵は外れた。


「す、凄いです! 慎也さま!」


 その技術を優月は瞳を輝かせて賞賛した。慎也としては苦笑を浮かべるしかない。


「まあ、ともかく中に入ろうぜ」


 そう告げて慎也は廃ビル内に入った。優月も後に続く。

 二人はうっすらと埃を被った階段を慎重に下りていった。


「(なあ、優月。このビルは確か十二階建てだったよな)」


「(はい。《繭》はこのビルの七階のフロアにあったはずです)」


 と、小声でやり取りする慎也と優月。

 そうして、階層を二つほど下りた時だった。


「(――ッ! 優月!)」


「(……はい。慎也さま……)」


 二人は険しい表情を浮かべた。

 いきなり空気が張り詰め、澱みの気配を感じたのだ。

 どうやら結界内に入ったらしい。

 慎也は「よし」と呟き、神経を研ぎ澄ませて霊力探査を行う。


「(気配が……二つか。やっぱ監視役がいるな。何よりこの澱み。どう考えても初期段階のレベルじゃねえし)」


 と、慎也は小声で唸る。

 この澱みの気配は少なく見積もっても中級妖怪相当のものだ。


「(優月の読みは当たってたみたいだな)」


 慎也はそう賞賛するが、優月としては複雑な想いだ。


「(出来れば、取り越し苦労が一番良かったんですが……)」


 と、美麗な眉を寄せて本音を零す。


「…………」


 慎也はそんな落ち込む優月をじっと見つめ、何か励ましの言葉を告げようと考えたが、ボキャブラリが貧困すぎて、いい言葉が思い浮かばなかった。


(……くそ、俺って奴は……)


 自分の不甲斐なさに内心で舌打ちする。

 しかし、このまま優月を放っておくことだけは出来なかった。

 慎也は悩んだ挙句、優月の頭を撫でることにした。

「……え」キョトンとした声を上げる優月。

 それに対し、慎也は彼女の髪を撫でつつ、少し頬を引きつらせて笑った。

 優月は年下の中学生。まあ、これぐらいは許される……と思う。


「大丈夫だ。優月。君には俺が付いている」


 結局、こんなことしか言えない。自分のボキャブラリの無さに慎也は失望する。

 だが、そこで慎也にとって予想外のことが起きた。

 その効果は――まさに絶大だったのだ。

 頭を撫でられた優月は耳まで真っ赤にすると、そのまま俯いたのである。


「へ……? ゆ、優月?」


 少女の反応に困惑した慎也は、間抜けな声を上げる。

 すると、優月は俯いたまま、慎也のコートの裾をキュッと掴み、


「あ、ありがとう、ございます。慎也さま……」


 と、か細い声で告げるのだった。

 何とも愛らしい仕種に、今度は慎也の方が赤くなる。


(ぬ、ぬおおおおお……)


 思わず優月を抱きしめたい衝動に駆られるが、どうにか抑える。

 ここは戦地だ。気を抜けない場所なのだ!


「と、とにかく急ごうぜ」


 そう呟いてから、慎也は一度深呼吸し、


「一旦、荷物はここに置いておこう。邪魔になるかもしんねえしな」


 言って、自分の荷物を階段に置いた後、バッドケースから鉄棍を取り出した。

 カシャン、と音を立て棍が伸びる。

「は、はい」優月もまだ少し赤い顔を振って、サックを並べるように階段に置いた。


「じゃ、じゃあ、行こうか優月」


「は、はい。慎也さま」


 そして少しぎこちなくではあるが、二人は気持ちを改め、階段を下りていく。

 目的の階層まで特に問題なく到着する。

 続けて長い廊下を慎重に歩いていくと、イベント用のスペースなのか、いくつかの太い柱に支えられる大きなフロアに辿り着いた。

 そのフロアの中央にあるのが――《澱みの繭》だった。


「(監視役は……うん。予想通り二人みたいだな)」


 柱の陰に隠れつつ、慎也は小声で優月に告げる。

 すると、彼女はこくんと頷き、


「(はい。二人とも知っている顔です。黒いコートの人が佐々木さん。煙草を咥えているのが須原さんです。二人とも雪塚組の組員です)」


 と、情報をくれる。

 慎也は意識を《澱みの繭》の前に立つ二人に向けた。一人は黒いコートを着た人間。掘りの深い顔立ちの二十代後半の男だ。彼が『佐々木さん』なのだろう。

 もう一人はかなり若い。十代にも見える。

 やけに派手な革ジャンを着て、煙草に火を灯す彼が『須原さん』に違いない。

 ……まあ、二人とも、どう見てもカタギには見えない風貌だった。


「(とりあえずあの二人は邪魔だな)」


 慎也は棍をグッと握りしめ、ふうと嘆息した。


「(仕方がねえ。優月。悪いがあいつら眠らせてくるよ)」


 見た目が凶悪でも、二人とも一応優月の身内。

 慎也はそう断りを入れてから少女に棍を手渡した。優月はキョトンとする。


「(慎也さま? これは?)」


「(流石に棍では殴れねえから素手で黙らせるよ。優月はここで隠れていてくれ)」


 言って、慎也はフードを深くかぶり、おもむろに柱から出た。

 その姿に佐々木達はすぐには気付かず、二人で軽く談笑していたが、徐々に背後から近付いてくる足音にギョッとして振り返った。


「ああン、何だてめえは! どっから忍び込みやがった!」


 と、須原が険悪な顔をして、ずんずんと慎也に近付いてくる。

 それに慌てたのが佐々木だ。


「おい待て須原! ここは結界内だぞ! そいつは一般人じゃねえ!」


 そう言って須原を止めようとするが、遅かった。

 突如、慎也が駆け出し、問答無用で須原の腹部に拳を打ちこんだのだ。

 須原は大きく目を見開き、悶絶して倒れ込む。

 そしてコンクリートの床にうつ伏せに横たわり、動かなくなった。


「――須原! くそが!」


 敵の襲撃。

 そう判断した佐々木はコートの中から、一枚の霊符を取り出そうとした――が、


「――ふっ!」


 短い呼気と共に慎也が突進し、ローキックで佐々木の右足を刈り取った。

「うおッ!?」バランスを崩した佐々木は背中から床に倒れ込む。そして間髪入れず慎也の拳が腹部に叩きつけられた。佐々木は「カハッ」と空気を吐き出し、そのまま気絶する。

 慎也は二人を無力化したのを確認してから、柱の向こうの優月に語りかける。


「優月。もういいよ。二人とも気絶させた」


「は、はい。お強いんですね、慎也さま」


 と、棍を両手で掴んだまま、おずおずと柱の影から出てくる優月。

 対する慎也は苦笑を浮かべて、


「これぐらい親父の訓練を受けていれば誰でも出来るさ」


 そう告げた後、ふと眉をしかめた。

 今更ながら一つ思ったのだ。


「……しまった。こいつらどうやって拘束しようか」


「……あ」優月もハッとした声を上げる。

 慎也はフードを外し、ボリボリと頭をかいた。


「こりゃあ、結束バンドでも買っとけば良かったか……」


 監視役がいるかもしれないとは思っていた。

 それを無力化するのも問題ないだろうと考えていた。

 しかし、慎也は真っ当な一般家庭育ち。優月は裏稼業の家庭といえどお嬢さま。

 そもそも人を拘束する発想自体、失念していたのだ。


「まあ、仕方がねえか。しばらくは起きないだろうし、とりあえずこの二人は一階下にでも下ろしておくか」


 腕を組んで慎也が提案する。優月は棍を慎也に手渡し、こくんと頷いた。


「分かりました。佐々木さん達はラグに頼んで一階下に下ろしておきます」


 そう言うなり、優月は丸いウォンバットを召喚した。

 ラグは状況が分かっているのか、「ウォン!」と叫ぶと、佐々木と須原を咥えて宙に放り投げて背中でキャッチ。のしのしと部屋から出ていく。

 そのどこか愛らしさも感じる後ろ姿に、慎也はふと疑問を抱いた。


「なあ、優月。式神って自律的に動けるものなのか?」


 すると、優月はにこりと笑い、


「はい。あの子達も意志を持っていますから。ラグは本当に利口なんですよ」


 嬉しそうにそう告げてくる。

「へえ~」慎也は感嘆の声を上げた。

 と、そうこうしている内にラグが戻って来た。

 丸い物体は優月の隣まで進むと「ウォン!」とひと声吠え、ドスンとお座りした。

 そして円らな瞳で主人を見つめている。

 優月はそんな式神の頭をひと撫でしてから、慎也に真剣な眼差しを向けた。


「……慎也さま」


「ああ、分かっている。ここからが本番だ」


 鉄棍を強く握りしめ、慎也は呟く。

 同時に棍の先端から緑色の龍が顕現した。本気を示す臨戦態勢だ。


「流石にあの《繭》をこのまま放置なんて出来ないな」


「はい。ここで処理すべきだと思います」


 そうやり取りする二人の視線は漆黒の球体――《澱みの繭》に向けられていた。

 霊縄で封じられた繭は、慎也が普段目にするものよりも一回りは大きかった。

 慎也は優月にぼそりと問う。


「優月は中級以上の妖との戦闘経験は?」


「一応、二、三度はあります」


「うん。充分だな。なら、戦力として期待させてもらうよ」


 そう告げる慎也に、優月は真剣な表情で答える。


「もちろんです。では、慎也さま。霊縄を解きます」


「ああ、頼むよ」


 緑龍を一度勢いよく薙ぎ、慎也はそう告げた。

 優月は頷き、《繭》に右手をかざし、「――『開』」と唱えた。

 途端、霊縄が弾け飛び、ビキビキッと黒い繭に無数の亀裂が走る。

 そして一際大きい亀裂が刻まれ、遂には――。


『グオオオオオオオオオオオッ――!!』


 響く轟音。それは、フロア全体を震わすかのような咆哮だった。

 対する慎也達も表情を引き締める。


「さて、行くか優月」「はい。慎也さま」


 不敵に笑う慎也に、凛々しく応える優月。

 かくして、龍舞の少年と獣の少女。

 二人の初めての共闘が始まったのである。

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