第8話 シストの実力

「すみませーん」



 シストはプラチドの屋敷の前で大声をあげた。深夜だというのに迷惑など考えていないほどの大声だった。周りにはプラチドの屋敷しかないため、その点は気にしないでもいいと思ったのか。


 その声を聴いて、鉄の門がゆっくりと開いた。以前シストたちを追い払った用心棒らしき男が出てくる。眠たそうに目をこすり、かなり機嫌が悪そうだった。



「何だ、またお前たちか。今何時だと思っている。用があるなら、もっと時間帯を考えて訪ねてこい」


「そうも言っていられないのですよ。プラチドさんに、緊急の用がありまして」


「プラチド様に?」



 用心棒らしき男は一瞬顔色を変えたが、シストやルビーのような人物が大事な用をこんな夜更けに持ってくるはずがない。どうせ陳情か何かだろうと用心棒らしき男は考えた。



「ダメだ、ダメだ。お前たちのような素性もわからないやつが、プラチド様に会えるはずがないだろう。明日の朝にでもなれば、手紙ぐらいなら受け取ってやるよ」


「そこを何とか。今すぐ会えないでしょうか」



 シストは懇願するかのように手を合わせた。ずいぶんと下手に出た態度だったが、用心棒らしき男の態度は変わらない。それどころか、さらに強硬な態度になった様子だった。



「ダメだと言っているだろう。これ以上しつこくするなら、痛い目にあわせるぞ」


「重要な話なんです」


「しつこい! こうなったら、一発ぶん殴って……」



 用心棒らしき男が拳を振り上げた瞬間、シストの隣で黙っていたルビーが動いた。一瞬で剣を抜き放ち、用心棒らしき男の胸を十字に裂いた。用心棒らしき男は声を発することもなく、胸から血を噴き出してその場に倒れる。



「話し合いなんて面倒よ。邪魔するやつがいたら、斬ってしまえばいいのだわ」


「乱暴ですね。しかし、まあ、そうなりますか」



 シストは軽くため息をついたが、気分は悪くなさそうだ。初めから強行突破するつもりだったのかもしれない。ルビーのせいでそれが少し早まっただけだろう。


 シストとルビーはプラチドの屋敷の扉を破壊するかのような勢いで侵入した。隠れるつもりはない。正々堂々とプラチドを糾弾するつもりだったのだ。


 入ってすぐはロビーになっており、左右には二階へと上がる階段があった。その二階には、でっぷりと太った、いかにも裕福そうな男がいた。その男が、シストとルビーを見下ろしている。



「騒がしいと思いましたら、何やらネズミが紛れ込んだようですね。報告があった水のことを嗅ぎまわっている二人組とは、あなたたちのことですか」


「そうよ。あんたがプラチドね」



 でっぷりと太った男、プラチドは馬鹿にしたような態度でルビーの言葉に応えた。



「プラチド様、と言ってほしいですね。これだから敬意を知らない小娘は嫌いなのです」


「こ、小娘ですってぇ!? 私を子ども扱いしないでよ。これでも、私は十分大人なんだからね!」


「そういう言葉は、もっと体を成長させてから言ってほしいものですね」


(ごもっともです)



 シストは心の中でプラチドに同意した。しかし、言葉に出すことはできない。言葉に出してしまったら、その瞬間に斬られるのはシストのほうになることだろう。



「まあ、いいでしょう」


「よくないわよ!」



 ルビーは腕を振り上げて抗議した。このままでは本当に自分が小娘であると認めているようではないか。そう思ったルビーは顔を真っ赤にして憤激していたのだった。



「あなたばかりにかまっていたら、話が前に進まないのですよ。それよりも、私に何か用があったのではないのですか?」


「あ、そうだった」



 ルビーは今思い出したとばかりに手を叩く。完全にプラチドの挑発で本来の目的を忘れてしまっていたらしい。



「そうよ。プラチド。あんた、山の中の泉に動物の死体を投げ入れて、泉を汚染し、その汚染した水をトルペードの町の井戸に引き込んだわね。全部知っているんだから!」


「ほう」



 プラチドは鼻息を荒くし、でっぷりと太ったお腹をさすった。ルビーの言った事実を突きつけられても、動揺した様子はない。



「何か、証拠でも?」


「証拠なら!」



 ルビーは高々と手をあげた。



「証拠なら」



 ルビーは小首を傾げた。



「証拠なら……」



 ルビーは不安そうな目でシストのほうを振り返る。



「シスト、証拠は?」


「ありません」


「ガーン!」



 ここまで勢いよくプラチドの屋敷に乗り込んだシストとルビーだったが、何と証拠もなく乗り込んでしまったらしい。これではシストたちはただの押しかけ強盗と変わらない。


 だが、そんなルビーの心配をよそに、シストは白衣をはためかせ、右目に掛けられた片メガネをキラリと輝かせた。



「でも、まあ、証拠は本人に訊けばいいのではないでしょうか。本人の、体にね」



 この言葉に、ルビーも勢いづく。



「そうよ。あんたがやったことは明白なんだから、拷問でも何でもして自白させてやるわ」


「はぁ」



 プラチドはあからさまなため息をついた。ルビーの言葉に恐怖しているというよりかは、呆れて物も言えないといった様子だ。



「これだから、貧乏人は嫌いなのです」



 プラチドは吐き捨てるように言うと、手を高々と掲げ、パチン、と指を鳴らした。次の瞬間、ロビーの端から大勢の用心棒らしき男たちが出てきた。ざっと十人はいるだろう。


 さらに、プラチドの横にはあの男が現われた。



「よぉ。また会ったな」



 山の中で出会った、あの大男だった。顔の傷はヒーラーにでも治してもらったのか、きれいに治療されていた。今回も山の中と同じように、大斧を肩に担いでいる。室内では大斧などの巨大な武器は不利になることが多いのだが、ここまで広いロビーなら問題はなさそうである。十分にその威力を発揮できるだろう。



「カルロス。今度は大丈夫でしょうね。あなたには大金を払っているのですよ。ここで働いてくれなければ、何のためにあなたを雇ったのかわかりません」


「心配ねえよ。山の中では油断したが、今はこれだけ人数がいるんだ。負けるはずがねえ」



 大男、カルロスは二階から飛び降り、一階のロビーへと着地した。腹に響くような重い衝撃が足元から伝わってくる。あらためて見ると、カルロスの巨体は目を見張るものがあった。



「あのカルロスとかいう大男も合わせると全員で十人以上ですか。ルビーさん、どうしますか?」


「もちろん、全員ぶちのめすわ」



 ルビーは二本の剣を抜き放った。戦意は十分。それを見て、シストは満足そうにうなずいた。



「わかりました。それでは、僕もルビーさんのお手伝いをします」


「……は?」



 シストは黒いグローブを両手にはめ、拳を握りしめた。軽くステップを踏み、地面の感触を確かめる。その様子に、ルビーは混乱した。



「いやいやいや、シストは後ろに下がっていなさいよ。危ないでしょう?」


「危険は承知です」


「武器はどうするのよ」


「拳で戦います」


「子供の喧嘩か! 拳だけで、こんな大人数を相手にできるはずがないでしょう? たまには私の言うことを聞きなさいって」



 シストはルビーに言われたことを反芻するかのように考え込んだ。確かにこの大人数に拳で挑むのは自殺行為だ。敵は皆武器を持っている。リーチの差などを考えれば、シストの勝ち目は薄いことはすぐにわかる。



「確かに、僕の実力ではこの大人数は無理ですね」


「そうでしょう?」


「ですから……」



 シストはカルロスを指さし、こう言った。



「僕が、あの大男の相手をします」


「はぁぁぁ!?」



 ルビーは開いた口が塞がらなかった。カルロスは生半可な実力者ではない。一度戦ったルビーだからこそわかる。とてもシストが勝てる相手とは思えなかった。



「いや、あんた、何を言って……」


「ルビーさん、来ます」



 プラチドの指が、まっすぐシストとルビーの二人を指した。



「皆さん、やってください」



 プラチドの言葉を合図に、待機していた用心棒らしき男たちは一斉に襲い掛かってきた。左右から波のように刃物が押し寄せてくる。カルロスも雄たけびをあげ、まっすぐシストたちに向かって突進してきた。


 そのカルロスに、シストはぶつかるように前進していく。



「ば、馬鹿ぁぁぁ!」



 ルビーはシストを止めようとしたが、カルロス以外の用心棒らしき男たちに足止めされ、前に進めない。今までの戦いの報告から、シストよりもルビーのほうが危険度が高い認識されていたのだろう。これにはさすがのルビーも閉口した。


 その間に、シストはカルロスの目の前までやってきていた。カルロスは大斧を振り上げ、シストの脳天に振り下ろそうと力をためている。



「軟弱な野郎が、俺にたてついているんじゃねえぞ。一撃で葬り去ってやる!」



 カルロスの大斧が振り下ろされた。ルビーはその瞬間を用心棒らしき男たちと戦いながら確認する。直視できなかった。


 だが、大斧はシストの頭に触れることなく、金属音とともに深々と屋敷の床に突き刺さった。破壊された屋敷の床の破片が宙に舞う。



「何、軌道が変わっただと!?」



 シストは驚嘆しているカルロスの懐に潜り込み、腰を落とした。拳は軽く握られている。攻撃するつもりだ。



「ふん。来いよ。軟弱なやろうのパンチが、俺に効くはずがねえ」



 全身の筋肉を硬化させたカルロスはニヤリと笑った。攻撃が外れても、防御には自信がある。腕の細いシストのパンチなど、避けるまでもないと判断したのだ。


 そこに、ドスンという重たい衝撃が放たれた。カルロスは胃液をまき散らし、悶絶する。しかし、シストは追撃の手を緩めなかった。



「まだです!」



 シストはうずくまっているカルロスのこめかみに後ろ回し蹴りを放った。カルロスの脳は揺さぶられ、意識を失う。カルロスの巨体は朽ちた大木のように、床に沈んだ。何もできないまま、カルロスはシストに倒されたのである。



「う、嘘……」



 ルビーは用心棒らしき男たちと戦いながら、シストとカルロスの戦闘の経過を見守っていた。あまりにも一方的な展開に、ルビーは戦いながらも呆然とする思いがあった。それは、二階で戦闘の様子を見ていたプラチドも同じだっただろう。



「な、なぜです! あなたは、ただのヒーラーではなかったのですか!?」


「ただの……ヒーラーですよ」



 シストはゆっくりと階段を上がる。ルビーと戦っていた用心棒らしき男たちの何人かはそれを阻止しようと試みたが、ルビーが男たちを放さなかった。



「そんなはずはありません。あの金属音は何なんですか!? カルロスの大斧が、あなたごときの細腕で軌道を変えられるはずがありません!」


「ああ、あれですか」



 シストは両手にはめていた黒いグローブを外し、甲の部分を重ねるように叩いてみた。すると、気持ちがいいほどの金属音がその場に広がった。



「このグローブの甲の部分には鉄鋼が仕込んであります。この鉄鋼を盾にして大斧を滑らせるように弾けば、軌道なんて簡単に変わりますよ」


「何ですって!? では、カルロスを倒した攻撃は何なんですか! あなたのような貧弱な体のやつが、カルロスの巨体にダメージを負わせられるはずがないでしょう! 今度はどんな手品を使ったんですか!」


「別に手品でも何でもありませんよ。人体には二十カ所以上の急所があります。そこを衝けば、僕のような力のないものでも十分に人の意識を奪うことができるのです。たとえ、どんなに鍛えられた肉体であっても、です」


「ば、馬鹿な」



 プラチドの表情はみるみるうちに青ざめていった。こんな状況は想定していなかったのだろう。もはや頼みはルビーと戦っている用心棒らしき男たちだけだったが、それもルビーがシストの反対側の階段から上ってきたことで望みは潰えた。



「さあ、観念しなさい。この町の熱病のこと、洗いざらい吐いてもらうわよ」


「ね、熱病……。ふ、ふふふ……」



 プラチドは青い顔をしながらも不気味に笑っている。まだ何かよからぬことを考えているのか。シストとルビーは身構え、警戒を怠らなかった。



「熱病? 何のことですかな。あれはただの流行り病ですよ」


「まだそんなことを言うつもり!? じゃあ、なんであんたのとこの水を一〇万金なんて大金で売っていたのよ」


「あの水には特殊な効能があったのですよ。熱病によく効くのもそのせいでしょう。いやはや、私もついこないだまで知りませんでした」


「じゃあ、町の井戸に山の水を混ぜていたのはどういうことよ! あんたなんでしょう!? 井戸に細工したのは!」


「井戸に細工? はて、何を言っているのやら」



 プラチドはとぼけた顔をしてたるんだ顎を撫でた。ここにきても、本気で言い逃れできると思っているのか。



「あ、あんたねえ!」



 我慢の限界に来たルビーは収めていた剣を抜く。鬼気迫る表情に、さすがのプラチドも青い顔をして後ずさりをした。


 しかし、それをシストが手で制す。



「シスト、止めるつもり!?」



 シストの意外な行動に、ルビーの顔が真っ赤に燃え上がる。



「違いますよ。ただ、この男はただ脅すだけでは観念しないようですからね。ちょっと工夫が必要でしょう」


「工夫?」



 眉を顰めるルビーのよそに、シストはプラチドの前に立ち、拳を握った。いやな予感がしたプラチドは、ルビーのほうへと後ずさりしたが、その背中をルビーの剣が突く。プラチドは進むことも戻ることもできなかった。



「な、何を……ごふっ!」



 シストの拳がプラチドの鳩尾に刺さった。プラチドは悶絶し、跪いて地面に倒れる。でっぷりと張り出したお腹が波打って痙攣していた。



「言いましたよね? 人体には二十カ所以上の急所があると。ヒーラーという職業上、僕はその急所のすべてを知っています。さらに、どこに回復魔法をかければ効果的なのかを、逆に言えばどうすれば人体に苦痛を与えられるのかを知っているということです」


 シストはうずくまるプラチドに視線を合わせて、にっこりと笑った。その笑みはプラチドには悪魔の笑みに見えたことだろう。



「プラチドさん。死ぬよりもつらい苦しみ、味わってみますか?」



 プラチドはガチガチと歯を鳴らし、生気を失った顔で首を激しく横に振った。もはや、抵抗する気力もない。完全に心が折れたのだ。


 プラチドは、すべてを自白した。

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