第26話 明かされた真実

 何時間経っただろうか。ルビーはいつの間にか眠ってしまっていたようで、あたりはすっかり暗くなっていた。


 寝汗がひどい。これもツベキュローシスの症状の一つである。ルビーは着替えようと思い、ベッドから起き上がった。


 そのとき、部屋のドアがノックされた。シストが帰ってきたのかとも思ったが、それならばノックなどないはずである。女の子がいる部屋なのだからノックくらいはしてほしいのだが、シストはその辺の気遣いというものが欠けていた。なので、このノックはシストのものではないだろう。



「はい。どなたですか?」



 ルビーは少しだけ警戒してドアを開けた。カノンの町でシストが怪しいフードの男たちをやっつけたといっても、もしかしたらまだルビーを狙っているかもしれない。自分は誰かを狙い、そして誰かに狙われている存在だということはよくわかっていた。


 ドアの外に立っていたのは、髪が燃えるように赤い、深紅のドレスを着た女性だった。一瞬だけ、豊満な胸に視線がいってしまう。



(ひ、引き分けかしらね)



 惨敗である。


 しかし、問題はそこではない。その赤い髪の女性の顔を見てみると、どこかで見たような気がした。少し間が開いたあと、ルビーは気づく。



「ア、アリア……さん?」


「久しぶりね。元気だった? って言っても、ルビーちゃんは私のこと、覚えていないか」



 アリアは久しぶりに家族に再会したかのように顔をほころばせた。アリアにとって、ルビーは妹のような存在なのだろう。その笑顔からはそれほどの喜びが見て取れる。


 対して、ルビーは呆然となった。何を言っていいのかわからず、その場に立ち尽くす。



「入ってもいいかしら?」


「えっ? あ、はい」



 部屋の入り口で立ち止まっていたことを思い出し、ルビーはすぐさまアリアを部屋の中に招き入れた。部屋の中に入れると、中央に設置されているテーブルの席へと案内する。即席の紅茶を出し、ルビーもアリアの反対側の席に座った。


 ルビーはアリアを観察してみた。記憶の中にあるアリアよりもずいぶんと大人びている。あれから十年も経っているのだから、当然のことだ。しかし、その美貌は衰えておらず、むしろ大人の魅力が増しているかのようにも見えた。



「えっと、ルビーちゃんでよかったわよね」


「はい。ルビーです。ルビー・ルナ。クロム・ルナの娘です」



 クロム・ルナとはルビーの父親の名前である。この名前が、ルビーとアリアをつなぐ唯一の鎖だった。



「しかし、どうしてアリアさんがここに?」


「あなたがこの町に向かっているって聞いてね。少し前から動向を探っていたのよ。そういう手立てもあったしね」


「私がここに来ることを聞いていたって、誰から聞いていたんですか?」


「トルペードの町長さんからよ」


「ああ、なるほど」



 ルビーは納得した。ルビーとシストは以前、トルペードの町でスプリング病に罹っていた町長を助けた経験がある。そのお礼として、トルペードの町長はアリアに連絡を取ってくれておいたのであろう。ずいぶんと準備のいいことである。



「ルビーちゃんが私に会いに来た理由って、あのことかしら?」


「……はい。父を殺した、仇のことを聞きにきました」



 シストからは特効薬ができるまで仇の情報は聞かないほうがいいと言われていたが、このような状況になってしまってはもうどうしようもない。ここで聞かなければ、またいつ聞けるかわからないからだ。



「私も、あいつのことは今でも探しているわ。あなたのお父さんを殺して、言い訳して、逃げて、卑怯の塊みたいなやつよ。それに、どこかで私がまだあいつを恨んでいると知ったみたいでね。私を襲ってきたやつらもいるわ。まあ、理由はそれだけじゃないかもしれないけど」



 ルビーはシストの友人であるカイを思い出した。アリアを襲った連中とは、十中八九カイたちのことである。だが、それを今ここでアリアに言う気にはなれなかった。ルビーの中でも、シストとカイの関係が引っかかっていたからだ。



「それで、そいつは、今どこにいるんですか?」


「それはわからないわ。もしそれを知っていたら、私があいつを捕まえているはずだもの」



 確かにそうだろう。ルビーも父の仇のことは恨んでいるが、アリアも友人であるルビーの父親を殺されているのだ。今でも恨んでいて当然である。



「では、そいつの……」



 「名前は?」と訊こうとした。しかし、ルビーは嫌な予感がして一瞬ひるんでしまう。訊いてはいけない。誰かがそう言った気がした。



(今更怯えているの? あれだけ憎かったお父さんの仇じゃない。私の人生は、そいつを殺すためにあったのよ? ここで引いたら、何のための人生だったのかわからなくなるわ)



 ルビーは自らを奮い立たせ、首を大きく横に振った。気合を入れるためにほほを叩いたりもした。そして、アリアの目をしっかりと見る。きれいな赤い瞳に金色の髪をした自分の姿が映るのを見た。



「アリアさん。それでそいつの名前は、何ですか?」


「あいつの名前ね。名前はね……」



 アリアの口が開かれた。その仕草が、ルビーにはひどくスローモーションに見える。アリアの口から仇の名前が発せられたが、なかなかその名前がルビーの頭の中に入ってこない。どこかで誰かがその名前を防ぎとめているようであった。



「す、すみません。もう一度、名前を言ってもらっていいですか?」


「ええ、いいわよ」



 今度こそ聞き逃してはいけないと思い、ルビーは前のめりになった。さっき聞いた名前は違っていた。聞き間違いだったのだ。ルビーはそう信じていた。しかし……。



「――シスト。あなたの父親を殺した男の名前は、シスト・ラングよ」


「……えっ」



 ルビーの思考は停止した。そんなわけはない。何度もそう思った。だが、アリアの口から発せられる言葉は、残酷な現実だった。



「特徴としては銀色の髪に片メガネをかけていたわね。年はあなたよりも十ほど上かしら。でも、あの当時でもなかなか童顔だったから、今でも見た目は若いかもしれないわ。職業はヒーラーね。もし転職をしていなかったらだけど」



 すべてが、ルビーの知っているシストに当てはまる情報だった。これほどの情報の一致があり、この仇の情報があのシストでないとは到底考えられない。いや、しかし、考えたくない。


 ルビーの声が震え出した。



「そ、そのシストって男は、父に、何をしたんですか?」


「どうやって殺したってことかしら? あなたにとってつらいことかもしれないけど、あなたはもう大人だものね。聞く権利はあるわよね」



 このときばかりは、ルビーは大人扱いされるのがつらかった。いつものように、「あなたのような小娘に、そんなことは教えることはできない」と言われたかった。そうすれば、まだルビーの仇であるシストと、あのシストが違うということが期待できたはずなのだ。しかし、現実はそうはいかない。



「あの男は、治療だといってあなたの父親を大勢の前で解剖し、見せしめにして殺したのよ。医療ミスとか、そんなものではなかったわ。明らかに、あなたの父を殺す意思があった」


(違う!)



 ルビーは叫びたかった。しかし、言葉にならない。口がぱくぱくと動くのだが、そこから漏れ出るのはわずかな吐息だけであった。



「あの男はあなたの父を殺したあと、お金ですべてを解決しようとしたわ。でも、あなたの母はそれを許さなかった。当然よね。人の家族を殺しておいて、お金だけ渡せばそれで終わりだなんて、人のすることではないわ」


(違う!)



 反論したかった。シストはそんな人間ではない。それはルビーが一番わかっている。今まで旅をしてきて、いつも見てきたシストの笑顔が、頭の中に浮かび上がっては消えた。



「あなたの母も、あの男を恨みながら死んでいったわ。それなのに、あの男は自分が非難されることを怖れて町から逃げ出した。人とは思えない、卑怯者の悪魔よ」


「違う!」



 ルビーはテーブルに手を叩きつけながら立ち上がった。紅茶が波打ってこぼれる。あまりのルビーの変化に、アリアは目を見開いて驚いていた。その視線に、ルビーも一瞬で正気を取り戻す。



「あ、いえ。なんでもないです」



 ルビーは自分の失態を恥じ、その場を取り繕って椅子に座った。深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。



「私が言えることはここまでね。私もあの男のことは今でも追っているから、何かあったら連絡するわ。場所は、ここでいいわよね」


「はい。ありがとうございます」



 アリアはそう言うと部屋から出ていった。ルビーはそんなアリアを見送ることもせず、じっとテーブルの上にこぼれた紅茶を眺めていた。



「シストが、お父さんの……仇?」



 ルビーの中でその言葉を肯定する声と否定する声がせめぎあった。胸が苦しい。ツベキュローシス以上に、現実がルビーの心を蝕んでいた。

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