第27話 決別

 それから数十分後、シストはうれしそうに部屋のドアを開けた。両手には西方の特産品である赤色の薬草『ファルマ』が大量に抱えられていた。有り金をすべてはたいて買い占めてきたのではないかと思えるほどの量だ。



「ルビーさん、ただいま戻りました」



 ルビーは暗い部屋の真ん中、明かりもつけずにポツンと立っていた。腰には二本の剣を差し、月明かりを浴びるようにたたずんでいる。その様子は明らかにいつものルビーとは違っていた。



「どうしたんですか? 明かりもつけずに」



 シストはそれでも朗らかな笑みを浮かべてルビーに近づいていった。何も警戒していない。ずっと一緒に旅をしてきた仲間なのだから、当然であろう。



「見てください。ありましたよ。この薬草が、ツベキュローシスを治す特効薬になるはずなんです。これがあれば、ルビーさんの病気も――」



 シュン、と風を斬る音が聞こえた。シストの足が止まる。その鼻先に、ルビーの長剣が突きつけられていた。



「こ、これは、どういうことですか?」


「……どういうことか、ですって?」



 ルビーはシストに剣を突きつけながら奥歯をかみしめた。その目は、確実に仇を見る目だった。



「あんたなんでしょう?」


「……」



 シストは何も言わない。その一言で、すべてを察してしまったかのようだった。



「あんたが、私のお父さんを殺したんでしょう!?」


「ルビーさん、あなた、まさかアリアさんに」


「ええ、会ったわよ。向こうから会いに来てくれたわ。そこで、全部聞いた」


「そう、ですか」



 シストは沈痛な面持ちとなった。できれば知られたくなかった。知られてはいけなかった。少なくとも、ルビーの病気が完治するまでは。



「いくつか、質問があるわ」


「ええ、答えましょう」



 ルビーがどういう質問をするのかはシストにもある程度わかっていた。だからこそ、この質問には誠実に答えなくてはいけない。そう思った。



「グラナーテの町で最初に私と出会ったのは、偶然?」


「出会ったのは偶然です。しかし、あなたを見た瞬間にあの人の娘であることはわかりました。少し、面影がありましたからね。だからこそ、あのとき、助けたかったのです」


「ツベキュローシス。私の病気を治そうとしているのは、同情? それとも贖罪?」


「はじめは同情や贖罪の気持ちからでした。しかし、ルビーさんと接するうちに、本気であなたを救いたいと思うようになったのです。この気持ちに、嘘はありません」



 ルビーのほほは少し赤くなる。しかし、それでも表情は硬いままだった。必死に何かの気持ちを抑えているかのようだ。



「カイ、だったわね。あの男の目的は」


「おそらく、今でも僕のことを恨んでいる人たちを無理やりにでも排除することでしょう。何年説得しても無駄なのなら、最後は実力行使で、ということですかね。その対象が、アリアさんであり、あなた、ルビーさんということでした」


「……っ」



 信じられなかった。シストのためにそこまでやる人がいたというのか。それほどシストの技術は皆に必要とされている。いや、それほどシストは皆に好かれていたということかもしれない。



「じゃあ、最後の質問」



 ルビーは目を細めた。唇がわずかに震えているようにも見える。今から口にする言葉が、自分でも恐ろしいのだろうか。



「シスト。あなたは、私に殺される覚悟はできているのかしら?」


「……」



 つらい質問だった。しかし、シストの答えは決まっている。ルビーと一緒に仇討ちの旅に出ると決めたときから、この瞬間を何度も想定していた。今更違う答えを用意できるはずもない。



「できています。僕は、ルビーさんに殺されるためにここにいるのですから」


「……っ」



 ルビーの表情が歪む。できれば、そんな答えは聞きたくなかった。しかし、他の答えも想像できない。結局、どんな答えであれば自分は満足したのか、ルビー本人でもわかっていなかった。


 ルビーの手に力が入る。カタカタと剣を持つ手が震え、鬼気迫る表情になっていった。シストを斬る。それだけが今のルビーの頭の中を支配しているようだった。


 そこに、シストの手が突き出される。



「ですが、ちょっと待ってください」



 シストの手にはこの町で手に入れた赤い薬草『ファルマ』が大量に握られていた。両手に抱えていたので、ファルマのいくつかが床に落ちる。その赤い薬草を、ルビーは冷たい視線で眺めていた。



「僕を殺すのは、この特効薬を完成させてからにしてほしいのです。そうすれば、ルビーさんは仇も討て、病気も治――」


「ダメよ」


「えっ」



 意外な一言に、シストも言葉が途切れる。なぜルビーがそんなことを言ったのか、シストには理解できなかった。


 ルビーの剣を持つ手が鋭くなった。あと一歩でも踏み出せば、シストを容易に斬り殺すことができるだろう。それだけの手腕と距離に、ルビーはいた。



「私は、一秒でも早くあなたを殺さなくてはいけない。特効薬の完成なんて、待っていられないのよ!」


「ツベキュローシスの進行のことですか? それなら、回復魔法があれば特効薬の完成まで持つはずです。何も心配することはありません」


「違う。そうじゃない!」



 ルビーは涙目になりながら首を横に振った。その姿は今から仇を討つという闘志は感じられず、どこか悲壮感を漂わせていた。



「そうじゃないのよ。私は、今すぐ、あなたを殺さないといけないのよ……」


「ルビーさん? なぜ……」



 じりじりとルビーがシストに近づいていく。シストは呆然とすることしかできなかった。殺される。そんな感覚よりも、なぜルビーが生に執着しないかのほうがシストには重要だった。



(……当然ですよね。親の仇に、恩を売られるというのも、嫌なものですものね)



 シストは覚悟を決め、全身の力を抜いた。赤色の薬草が部屋の床に落ちる。シストとルビーの足元に、赤いじゅうたんができたようだった。


 それを見て、ルビーは息を呑む。ついに父の仇を討つときが来たのだ。この瞬間を逃せば、もうチャンスはない。それほどの緊張感が、この部屋の中に漂っていた。


 ルビーが剣を上げた。その瞬間。



「うっ。ごほっ、ごほっ」



 ツベキュローシスの発作が起こった。ルビーは激しく咳き込みながら跪く。赤いじゅうたんをさらに赤く染めた。



「ルビーさん!」



 シストはルビーに駆け寄ろうとしたが、ルビーの剣がそれを拒否する。血を吐きながら、剣先はシストの首元にかみついて放さないようだった。



「ルビーさん、そこまで……」



 このまま回復魔法をかけない状態が続けば危険だった。しかし、ルビーの態度はシストの治療をはっきりと拒否している。今のシストにはどうすることもできなかった。



「私は、あんたを殺すのよ。今、ここでね!」



 ルビーは気力で立ち上がった。口元から血を垂らしながら剣を向けるその姿は、鬼のようにも見える。その小さな鬼が、ついに剣を振るった。そのとき。


 ガシャン、と窓ガラスが割れる音がした。シストとルビーは同時にその音のほうを振り向く。窓から何かが入ってきたようだったが、それを確認する前にその何かは走り出していた。


 二発の銃声。ルビーは咄嗟にテーブルを倒し、その後ろに隠れた。さらに二発の銃声のあと、テーブルには二つの銃痕が残った。



「カイ!?」



 窓から侵入してきたのは、シストの友人であるカイであった。カイはルビーを銃で威嚇したあと、一瞬でシストの懐に潜り込み、鳩尾に一撃を加えた。



「ぐっ」



 さすがのシストも油断していたのか、カイの一撃で意識を失う。カイは気絶したシストを担ぎ上げ、窓から飛び降りた。去り際に弾倉に残っていた最後の二つの銃弾をルビーに放つ。



「シスト!」



 銃弾はルビーのほほをかすめ、部屋の壁に穴をあけた。すぐさま窓の下を見たが、そこにはすでにカイの姿もシストの姿もなかった。風のように侵入し、風のように去っていった。



「くっ」



 ルビーは悔しそうに窓の縁を叩いた。べっとりと窓枠に血の跡が残る。



「うっ。ごほっ、ごほっ」



 口を押えていた手が再び真っ赤に染まった。ルビーはその手も見ないで、シストの消えていった方角をいつまでも見ている。冷たい風がルビーの心と体を冷やしていった。



「シスト……」

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