シストの過去、王国の綻び

第10話 テタヌス

 シストとルビーはトルペードの町からグルダンの町へ向かっていた。グルダンの町はトルペードの町から北西の方角にある。王都にも近い町なので、かなりの賑わいが予想される町だ。自然と、ルビーの足取りも軽くなる。



「アリアさんのことは気になるけど、グルダンって言ったら都会なのよね。いろいろと観光もできそうだし、行くのが楽しみだわ」


「ルビーさんは、観光が趣味なのですか?」


「そうね。新しい土地に来たらいろいろと見て回るのは楽しいわよ。その土地のご当地名物を食べるのもいいわね」


「つまりは、食い気ですか」



 シストは軽く笑う。それを見て、ルビーはほほを膨らませて抗議した。



「いいのよ。私はもともと細身だから、栄養を摂らないといけないの。成長させたい場所もあるし……」



 最後のほうはルビーもごにょごにょと言葉を濁した。成長させたい場所とは、体の中で特に平坦な場所のことであろう。ルビーはその部位を軽く叩き、大きなため息をついた。



「もっと、胸が欲しい……」



 切実だった。



「そんなことよりも、あれは何でしょうか」


「そんなことより!? シスト、あんた、今そんなことよりって言った!?」



 ルビーはシストが指差したほうなど見ず、顔を真っ赤にしてシストに詰め寄った。



「……気のせいです」


「誤魔化されないわよ! 次に私の胸をそんなことなんて言ったら、なますのように切り刻んでやるからね!」


「ええ、心にとどめておきますよ」



 シストはルビーをなだめるように柔和な表情を作った。傍から見るとシストはルビーに振り回されているようにも見えるが、シストはシストでそれを楽しんでいるようにも見える。これはこれで、息が合っているのだろう。



「それで、あれを見てもらえますか」


「どれどれ」



 ルビーはシストが指差した方向を見てみた。そこには、シャムス王国の国旗を掲げた一団がたむろしていた。銀色の鎧に身を包んだ男たちが行き来している。シャムス王国の騎士団のようだ。



「珍しいわね。こんな辺境に騎士団が来るなんて。いつも王都の周りで適当な犯罪者をでっちあげて捕まえているだけなのに」


「それは偏見……とも言えないのがこの国の現状ですからね。さすがに僕でもそれは否定できません。しかし、そうなるとここに騎士団がいる理由がわかりませんね。何かあったのでしょうか」



 シストとルビーは立ち止まり、シャムス王国の騎士団の動きを観察した。動きは鈍く、怪我人も多かった。統率も取れていないようで、命令が錯綜している。少なくとも、これがうわさに聞く美々しい騎士団の姿ではないだろう。



「まさか、撤退の途中? それに、この様子は」



 シストは迷いなくシャムス王国の騎士団がたむろしている方向へと走り出した。その様子を見て、ルビーが慌てて後を追う。



「ちょっと。いきなりどうしたのよ」



「士気が混乱しているということは、指揮官が戦死、もしくは負傷しているということです。少なくとも、怪我人が多数発生していることは明白です。このまま放っておくことはできないでしょう」



 ルビーは少し呆けたが、すぐに力強く頷いた。困っている人がいれば助ける。そんな当たり前のことが、シストにもルビーにも体に染みついていた。



「私も手伝うわ」


「感謝します」



 シストとルビーは並んでシャムス王国の騎士団の中に入っていった。すると、すぐに大きなうめき声をするテントを発見する。ここが臨時の病院なのだろうか。



「何だ、お前たちは」



 テントの前には腕に包帯を巻いた騎士が立っていた。二人を見るなり、厳しい目つきで睨んでくる。初めから敵意丸出しだった。


 そんな騎士に対して、シストは柔和な笑みを浮かべて接した。ここでこちらも敵意を持って接したら話が成り立たなくなる。ここはシストが大人になるべきだった。



「僕はヒーラーです。そこのテントからうめき声が聞こえますが、もしかしたら怪我人がいるのではないでしょうか。もしそうだとしたら、僕に治療のお手伝いをさせていただきたいのですが」


「何」



 包帯を巻いた騎士は一瞬のうちに顔色が変わった。敵意のある視線から、救世主を見るような視線になったのだ。その変貌ぶりに、当事者であるシストも狼狽する。



「ちょっと待っていろ」



 包帯を巻いた騎士はテントの中に入っていった。どういう状況なのかわからず、シストとルビーは顔を見合わせて首を傾げる。


 そこに、テントの中から再び包帯を巻いた騎士が現われた。



「許可が下りた。入れ」



 治療をしろということだろう。シストはほっと胸をなでおろし、テントの中に入ろうとした。ルビーもそのあとに続く。



「それでは失礼します」


「失礼しま~す」


「ちょっと待て」



 テントの中に入ろうとしたルビーの肩を、包帯を巻いた騎士がつかみ止めた。なぜ止められたのかわからず、ルビーは反射的に包帯を巻いた騎士を睨んでしまった。



「何よ」


「許可が下りたのはヒーラーであるこの男だけだ。貴様のような小娘にテントの中に入る資格はない」


「こ、小娘ですって!?」


(あ、まずいですね)



 ルビーは子ども扱いされることを極端に嫌う。それは今まで旅を続けてきてわかりすぎるほどわかったことだ。だからこそ、包帯を巻いた騎士の言葉に、ルビー以上にシストが反応した。



「ちょっと待ってください。この人は僕の助手です。この人がいませんと、治療がうまくいかないのです。ですから、この人も一緒にテントの中に入れてもらえることはできないでしょうか?」


「貴様はヒーラーだろう。回復魔法を使うだけなのに、なぜ助手が必要なのだ」


「僕が行う治療は特殊で、回復魔法と医術という古い術式を組み合わせたものなのです。その医術を使うのに、助手が必要なのですよ」


「ふ~む。医術ねぇ」



 包帯を巻いた騎士は考え込むようにシストとルビーを見比べた。シストからは確かに魔力を感じ、ヒーラーであることは疑いようもない。しかし、ルビーはどこをどう見ても剣士である。物々しいまでに腰に差している二本の剣が存在感を醸し出していた。


 包帯を巻いた騎士が首を横に振ろうとした、そのとき、テントの中からひときわ大きなうめき声が上がった。



「隊長!?」



 さすがにまずいと思ったのか、包帯を巻いた騎士は慌てて頷く。



「わかった。なんでもいいから、早く治療してくれ。このままでは、隊長の命が危ない」


「じゃあ、私も中に入っていいのね」


「許可する。だから早くしてくれ!」



 もはや悲鳴だった。包帯を巻いた騎士にせかされるように、シストとルビーはテントの中に入っていく。


 テントの中には黒ひげを生やした無骨な男が簡易ベッドに寝かされていた。痛みに苦しんでいる表情をしている。この男が先ほどからうめき声を出していたのだろう。



「この方が患者ですね。今から治療しますので、他の方々は後ろに下がってください」



 包帯を巻いた騎士から事情を聴いている騎士たちは黒ひげの男のベッドから離れるように下がった。逆にシストは黒ひげの男のベッドに近づいていく。ルビーはシストの後ろについていく形だ。


 シストはすぐに黒ひげの男の診察を始めた。巻かれている包帯を一度外し、傷口を調べる。全身に切り傷があり、化膿しているところもあった。しかし、シストがそれ以上に気になったところは……。



(この症状、テタヌス)



 テタヌスとは、土壌中に広く分布しているテタヌス菌が傷口から体内に侵入することで発症する病気である。テタヌス菌が出す毒素により、筋肉が痙攣、麻痺を起こす。場合によっては死に至る恐ろしい病だ。


 シストは白衣の懐から銀のナイフを取り出すと、躊躇もなく黒ひげの男の脚部を切った。傷口からは血とともに大量の膿が流れ出る。



「お、おい。何をしている!」



 シストの行動を見て、騎士たちが声をあげた。咄嗟に駆け寄ろうとする騎士もいたが、ルビーがそれを押しとどめる。



「この人の脚部には毒素がたまっています。普通に回復魔法をかけただけでは毒素が体内に残って危険です。ですので、先にたまった毒素を抜く作業をしなければならないのです」


「それと隊長の足を切るのと、何の関係があるんだ!」


「解毒魔法は直接毒素にかけることができれば一番効率がいいのです。この人の場合、足に毒素がたまっていました。毒素がたまっている脚部を開き、直接解毒魔法をかける。そのあとで回復魔法をかければ、生存率は大幅に上がります」


「……本当だろうな」


「本当です」



 シストは自分の言葉が真実であると示すかのように、黒ひげの男の脚部に解毒魔法をかけた。切り開かれた脚部は見る見るうちに血色がよくなり、心なしか顔色も穏やかになった気がした。



「あとは、回復魔法を」



 シストは黒ひげの男に回復魔法をかけた。足の傷はきれいになくなり、毒素も消えたようだった。



「おおっ。本当にきれいな状態に戻った」



 その様子を見て、騎士たちは感嘆の声をあげる。ルビーも自慢げに胸を張っていた。



「あとは他の化膿した傷口を洗い、清潔にした状態で回復魔法をかけます。化膿したまま回復魔法をかけると、膿が体内に残る可能性がありますからね」



 シストはそう言って黒ひげの男の傷口を洗った。激痛からか、黒ひげの男の口から小さくうめき声が漏れる。



「我慢してください」



 シストはきれいな水で傷口を洗い、膿が流れ落ちたことを確認すると回復魔法をかけた。全身にあった傷口はすべて塞がり、苦しんでいた黒ひげの男は安らかな表情で寝息をたてていた。治療は完全に成功したようだった。



「す、すばらしい」



騎士たちは口々にシストの腕前を褒めたたえた。その声を聴き、ルビーは自分のことのように喜ぶ。歓声の一つ一つが自分にも向けられているかのように感じているようだった。



「そうでしょう? なんたって、シストは世界一のヒーラーなんだから」


「それは言い過ぎだと思うのですが」



 シストは苦笑しながらルビーと笑いあった。一つの命を救った。そのことが、二人にとっては何事にも代えがたい喜びになっていたのだ。

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