第5話 富豪の井戸

「スプリング病?」


「ええ、おそらく」



 シストはトルペードの町を練り歩きながらルビーに病気の説明をしていた。


 スプリング病とは湧き水や井戸水を飲むことによって発症する熱病であった。原因は細菌。しかし、この世界のこの時代ではまだ細菌は発見されておらず、そのため、何らかの毒素が水に混入して発症すると考えられていた。集団感染することも多いことから、呪いや毒を使われたと考える人も多い。



「だとすると、原因は飲み水?」


「そうだと思うのですが、妙だと思いませんか?」


「何が?」



 ルビーは小首を傾げる。今の説明に、何のおかしなところは発見できなかった。



「町を歩いている人々です。何か気づきませんか」


「歩いている人たち?」



 ルビーは通りすぎる人々を観察した。顔を赤くして歩いている人が多かったが、中には元気に活動している人たちもいる。病気が流行っているからといって、全員が病にかかるというわけではないようだ。



「病気がちな人と、元気な人が半々ってところかしら。でも、別に妙でも何でもないんじゃない? 病気が流行っているわけだし」


「病気がちな人と元気な人の身なりをよく見てください。それでも何か気づきませんか?」


「身なり?」



 ルビーは再び通り過ぎる人々を観察した。今度はその身なりにも注目してみる。すると、あることがわかった。



「もしかして、病気と貧富の差が関係している……とか?」


「その通りです」



 病気がちな人は薄汚れた質素な服装をしており、一目で貧乏人だということがわかる。一方、元気に活動している人の身なりはしっかりしており、少なくとも中流階級以上であることは確実だった。



「だとすると、貧乏人と裕福な人では飲んでいる水が違うのかしら?」


「考えられますね。しかし、確証はありません。そのため、調査が必要でしょう」


「調査って、何をするのよ」


「これを」



 シストがルビーに手渡したものは、一枚の地図であった。この町、トルペードの地図である。その地図に、五か所の赤丸が記されていた。



「何、この赤丸」


「井戸の場所です。そのうち一つは個人が所有している井戸ですが、残り四つは公共の井戸ですね。しかし、その四つの井戸の場所と、貧乏人の分布、裕福な人の分布には違いが見られませんでした」


「い、いつの間に調べたのよ」


「先ほど町長宅を訪れた際に、隙間時間を使って少々」



 そんな隙間時間などあっただろうか、とルビーは思ったが、ルビー自身はなかなかずぼらな性格のため、細かいことは覚えていない。シストがそう言っているのだから、きっとそうなのだろう。そう思うことにした。



「でも、飲んでいる水が同じだとすると、なんで貧乏人と裕福な人とで差が出るのよ。食べているものの栄養価が原因?」


「それも考えられますが、僕はもっと根本的なところで異なっていると思っています。それが何かまでは、まだわかりませんが」


「根本的なところねぇ」



 シストとルビーは歩きながら二人で唸った。わかりそうでわからない。そんなもやもやとした気持ちのまま、二人がトルペードの町を歩いていると、シストの足が不意に止まった。



「ここですか」



 立ち止まった場所はトルペードの町で一番の富豪の屋敷の前だった。高い塀に鉄の門が見るものすべてを拒んでいるかのような印象を受ける。



「え、何。ここを目指して歩いていたの?」


「ここだけではありませんが、目的地の一つですね。ここには、井戸があるんですよ」


「ああ、あの町に一つだけあるっていう個人の井戸ね」



 ルビーは先ほどシストにもらった地図を取り出し、確認する。確かにここは五つある井戸のうちの一つがある場所だった。



「やっぱり、井戸があるくらいだからお金持ちだったのね」


「はい。しかし、門は閉まっていますし、井戸は塀の中にあります。ここの井戸を調べるのは難しそうですね。先に公共の井戸を調べてみましょうか」


「ええっ。ここまで来たのに!?」



 ルビーは不満そうな声をあげた。左右を見渡し、鉄の門を触って調べてみる。



「ルビーさん?」



 シストは嫌な予感がしてルビーの名前を呼んだ。しかし、ルビーはそんなことは気にしていないようで、興味本位で鉄の門の隙間に手や頭を入れようとしていた。



「あ、ここなら通り抜けられるかも」



 ルビーは鉄の門の隙間が大きい場所を見つけ、頭を中に入れた。体の小さなルビーだったが、歪曲している鉄の門はルビーの小さな頭を入れるだけで精一杯だったようだ。



「ちょ、ちょっと、ルビーさん」


「大丈夫、大丈夫。ちょっと見るだけだから」



 ルビーは突き入れた頭を動かし、富豪の屋敷の庭を見渡す。そこには緑の生い茂った庭園の隅に、しっかりと屋根もつけられた大きな井戸があった。



「あ、あれじゃない? 結構大きいわよ」



 ルビーは井戸を発見して興奮した声を出す。しかし、後ろでその様子を見ていたシストの顔は次第にひきつっていった。



「あ~、ルビーさん。そろそろ頭を引っ込めたほうがいいですよ」


「何言っているのよ。もうちょっと近くで見たいわね。くっ、くっ。胸が邪魔をしているのかしら。成長しすぎるのも考え物よね」



 ルビーは無理やり鉄の門の隙間に体を入れようとしていた。しかし、肩幅が邪魔をして門を通り抜けることはできない。なお、ルビーの胸は門を通るには邪魔にならないだろう。



「え~と、ルビーさん。上を向いてもらえますか?」


「へっ。上?」



 ルビーはわけがわからなかったが、素直に上を向いてみた。すると、そこには屋敷の用心棒らしき屈強な肉体の男がルビーを見下ろしていた。山のような男に見下ろされるというのは、なかなかの威圧感を感じる出来事だろう。


 しかし、ルビーはそんな用心棒らしき男の威圧にも、まったく屈していないようだった。



「……誰、あんた」


「お前らが誰だよ!」


「ごもっともです」



 シストはルビーの肩を引き、門の隙間から頭を引っ込めさせた。次いで、用心棒らしき男が門を開いて内側から出てくる。



「何だ、お前らは。まさか、プラチド様の水を盗みにきた盗人じゃないだろうな」


「プラチド様?」



 ルビーは誰のことを言っているのかわからない、といった様子で眉をひそめた。それを見て、シストがルビーに耳打ちする。



「この屋敷の主人ですよ」


「ふ~ん、なるほど。つまり、そいつが今回の事件の黒幕ね!」


「なんでそうなるんですか!」



 あまりの暴論に、シストは開いた口がふさがらなかった。現時点で誰が怪しいという人物はいない。それを何の根拠があってプラチドを黒幕と断じたのか。



「お金持ちってのはね、悪いことをしているからこそお金を持っているものなのよ。だから、今回の事件の黒幕もお金持ち。名推理ね」


「偏見だと思うのですが……」



 シストは苦笑いをするしかない。これほどまで論理の通っていない推理も珍しかった。しかし、ルビーは本気でこの推理を支持しているらしい。思い込みの強い子である。


 ひそひそ話を続けるシストとルビーを、用心棒らしき男は忌々し気に見ていた。ただでさえ吊り上がっていた目が、さらに天を指すように吊り上がった。



「お前ら、人の家の前で何を話しているんだ。用がないならさっさと帰れ!」



 用心棒らしき男は怒号を発した。その大声に、シストとルビーはすくみ上る。



「それともなんだ、お前ら、水を買いに来たのか?」


「へっ。水を買う、ですか?」



 用心棒らしき男の言葉に、シストは呆けた声で反応した。



「何だ、知らないでここに来たのか。プラチド様の水はな、今町で流行っている熱病によく効くんだよ。町のやつらは聖水だって言って喜んでいるぜ」


「その水を飲めば、熱病は治るのですか?」


「ああ。一杯、二杯くらいの水なら意味はないが、この聖水を飲み続ければ熱病は治る。今までも、そうやってこの町の人々をプラチド様は救ってこられたからな」



 用心棒らしき男はさも自分が町の人々を救ってきたかのように自慢げに話した。確かにその話が本当ならば、町で流行っている熱病を治すヒントになるかもしれない。ぜひともプラチドの水を手に入れたかった。



「その水、僕たちにも譲ってもらえないでしょうか」


「いいぜ。一リットルで一〇万金だ」


「一〇万金!?」



 大声をあげたのはルビーだった。一般人の月収は三〇万金ほどである。一〇万金ともなれば、月収の三分の一もの大金だ。普通の人が手を出せる金額ではなかった。



「そんな大金、払えるはずないでしょう」


「それなら売れないな。あきらめて帰りな」


「うう~」



 ルビーは犬のように唸って用心棒らしき男を睨み上げたが、シストはそのルビーの腕を引っ張ってその場を離れた。ルビーは納得していない様子だったが、ここでトラブルを起こしてもつまらないと判断したのだろう。



「なによ、あいつ。やっぱり、お金持ちにはろくなやつはいないわね」


「それは偏見だと思いますが、今回の事件で怪しいことは確かですね。裕福な人は熱病に罹らない。熱病を治すという聖水。そして一〇万金ですか。あまりにも出来すぎています」


「きっと、プラチドってやつが熱病をばらまいているのね。残り四つの井戸に全部毒を混ぜて、自分のところの井戸には何もしない。それで熱病が流行ってきたところにただの水を売りさばけば、大儲けができる。うん、話の筋は通っているわ」


「確かにそうです。ですが、ただの毒ならヒーラーの解毒魔法によって解毒できるはず。それに、熱病の症状はスプリング病に酷似していました。ただの毒を井戸に投げ入れたとは思えませんね」


「そうよね。井戸に毒なんて混ぜたら、それこそ大騒ぎ。誰かが気づいてもおかしくないはずだものね」


「その通りです」



 シストは白衣をはためかせ、歩きながら考えた。今まであったことをつなぎ合わせてみる。しかし、まだ足りない。まだ情報が不足しているのだ。



「やはり、残りの井戸も調べてみる必要がありそうですね」

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