第6話 襲撃者

 その夜、シストとルビーはトルペードの町の中央広場にある井戸の前に来ていた。井戸の水を汲むだけなら昼間のうちに済ませている。しかし、シストは井戸の中まで調べてみたいらしく、そのために人気のなくなった夜にこうして井戸の前まで来ているのだった。



「では、やりますか」



 シストは白衣のポケットから握りこぶし大のきれいな青い石を取り出した。月明かりを反射して、幻想的な空間を周囲に作り出している。



「何、それ」


「魔光石です。魔力を送り込むことによって発行する石ですね。僕はヒーラーなので、暗いところで治療する際に重宝しているのですよ」


「ふ~ん。いろいろとあるのね」



 ルビーは特に興味もなさそうに頷いた。


 それよりも今は井戸の中である。このすべてを吸い込みそうなほどの暗闇の中に、誰が入っていくのか。



「ここはやっぱり、私が調査してくるわ。その石を渡しなさい」


「残念ですが、それは無理です」


「なんでよ!」


「先ほども説明した通り、この石は魔力によって発光するのです。ルビーさん、あなたは魔力を扱えますか?」


「ぐっ」



 確かにルビーは剣士であり、魔法使いではない。そのため、魔力などというものは一度として扱ったことがなかった。



「ということは……」


「はい。僕が井戸の中に下ります。ルビーさんは、これを」



 ルビーに手渡されたのは、造りがしっかりとしたロープだった。


 ルビーはロープを井戸の中に垂らすと、シストがそのロープをつたって下りていった。近くにロープを結べるところがなかったために、ロープの端はルビーが握っている。シストの全体重がルビーの足腰に襲い掛かった。



「ふぐぐっ……。ふ、普通、女の子にこんなことをやらせる?」


「すみません。ルビーさんは魔光石が使えないようなので」



 ルビーはシストの体重がかかったロープを必死に握って踏ん張っていた。手にロープが食い込む。少しでも気を抜いたら二人して井戸の中に落下してしまいそうだった。


 そのとき、ルビーの背後に誰かが近づいてきた。



「ひ、人? すみません。今ちょっと取り込み中です。井戸を使うのは、もう少し待ってもらえますか」



 背後の人の反応はない。どうしたのだろう、とルビーが踏ん張りながら振り返ろうとした、その瞬間、白刃がルビーの目の前に迫ってきた。


 ルビーは咄嗟にしゃがみこみ、二本の剣を抜いた。ロープはあっという間に井戸の中に吸い込まれていく。



「へっ」



 シストは支えのなくなったロープと一緒になって井戸の中に落ちていった。激しい水音とともに冷たい井戸水がシストの全身を濡らす。


 そんなシストをよそに、ルビーは五人の覆面の男に囲まれていた。全員が月明かりを反射させたナイフを手に持っている。明らかにルビーに対して敵意があった。



「不意打ちなんて、卑怯な真似をしてくれるじゃない。あんたたち、何者?」



 覆面の男たちは答えない。ただジリジリと時間をかけ、ルビーを囲む輪を縮めてくるだけであった。



「そう。あんたたち、無事に帰れるとは思わないことね!」



 ルビーは地を蹴ると、一瞬で目の前にいた覆面の男の懐に潜り込む。その男は驚きながらも手に持っていたナイフを振り下ろした。



「遅いわよ」



 ルビーの影が男の横を通りすぎる。男がその影を追おうとしたころには、すでに男の腕は血まみれになっていた。ナイフを落とし、その場にうずくまる。


 ルビーが立ち止まった瞬間を見計らって、二人の覆面の男が飛び掛かってきた。遠くにいる覆面の男もナイフを投擲してくる。一斉攻撃だ。



「数で攻めれば勝てるっていう、その考えが浅はかなのよ」



 ルビーは一歩踏み込んだ。飛び掛かってくる男たちは長剣で、投擲されたナイフは短剣でそれぞれ斬り落とした。ルビーに襲い掛かってきたすべてのものが、無残にも地を這うことになる。


 あまりの実力差に恐れ慄いたのか、残った覆面の男たちは倒れている仲間を担ぎ上げて逃げ出した。ルビーはその男たちを追おうとはせず、静かに剣を鞘に納める。



「何だったのよ、あいつら」



 ルビーは首を傾げ、男たちが消えていった闇をじっと見つめていた。


 そこに、地獄の底から発せられたような不気味な声が井戸の中から聞こえてきた。



「おお~い」


「ひっ。な、なに」



 ルビーはびくつきながらも左右を見回して井戸ににじり寄る。不気味な声は次第に大きさを増していった。



「おお~い。ルビーさ~ん」


「あ、もしかして、この声、シスト?」



 すっかり忘れていたようだ。


 ルビーは井戸の中を覗き込むと、魔光石で井戸の中を照らしているシストの姿があった。水に浮かびながらゆっくりと手を振っている。


 シストは井戸の中にあった桶にロープを結び、その桶をルビーが引き上げた。そして井戸の中に落ちたロープを何とか井戸の外まで持っていき、またルビーがロープの端を持つことでシストを引き上げたのだ。


 這い上がってきたシストは井戸水でびしょ濡れだった。



「ルビーさん、なんで急にロープを放したんですか」


「ごめん、ごめん。急に襲い掛かってきたやつらがいてさ」


「襲い掛かってきた? ルビーさんにですか?」



 シストは目を丸くして驚いた。まさか、自分たちは誰かに狙われているのか。そう思うには十分な出来事である。



「うん。覆面をしていたから顔はわからなかったけど、体格からして全員男だったと思うわよ」


「心当たりは?」


「あるわけないじゃない。人に感謝されるようなことはあっても、人から恨まれることをしたことなんてないわよ」


「ふむ。そうですか」



 さすがにルビーの言っていることは主観が入っているためにどこまで信用していいかわからないが、少なくともルビーが、もしくはシストも誰かに狙われているというのは本当のことのようだ。


 シストの前髪から冷たい井戸水が滴り落ちる。



「それで、そっちはどうだったのよ。井戸の中、調べたんでしょう?」


「はい。調べた結果、大変なことがわかりました」


「大変なこと?」


「井戸の中の壁に、穴があいていたのです。その穴からは、少量ずつですが、水が流れ込んでいました」


「その水が、毒!?」


「どうでしょう。ただの地下水ということもあります。ただ、他の井戸でも同じように水が流れ込んでいたら……」


「いよいよ誰かが井戸に細工したってことね」


「はい」



 夜風がシストの濡れた体を冷やす。それ以上に、この事件の薄気味悪さが心を冷やした。二人の真剣な表情が、月明かりに照らされている。



   ###



 シストとルビーはその夜の間に残り三つの井戸を調べた。その結果、公共の井戸のすべてに不審な水が流れ込んでいることがわかった。


 シストはその水を宿に持ち帰り、分析してみた。しかし、結果は普通の水と変わらない。少なくとも、魔術的に見ればそうだった。



「……だからこそ、怪しいですね」


「魔法に反応しない毒が混じっているってこと?」


「可能性はあります。毒でも、自然の毒素(私たちの知識で言えば細菌)は魔法に反応しないものも多いですから。もしくは、魔法に反応しないほど少量で効果が現れる毒なのか」


「どうするのよ」


「水源に行くしかないでしょう」



 シストは地図をテーブルの上に広げた。トルペードの町の地図よりも少しだけ広範囲になった地図だ。トルペードを囲んでいる三方の山の位置も詳細に記述されている。


 その山のうちの、一番高い山をシストは指さした。



「この町と近くの山の高低差を考えると、あの水はこの山から流れ込んだものと考えられます。この山の水を調べれば、何かわかるかもしれません」


「それなら、今すぐにでも行くべきね」



 ルビーは二本の剣を鞘ごと天井近くまで放り投げ、落下してきたところを宙でつかみ取って腰に差した。



「しかし、ルビーさんはあまり寝ていないのでは? 昨晩は井戸の調査で帰ってくるのが遅かったですし」


「それを言うならあんたもでしょうが。むしろ、シストは水を分析するために一睡もしていないんじゃない? 私はあんたのほうが心配よ」


「僕のことはいいんです。ルビーさんはツベキュローシスを患っているんですよ? もう少し安静にするように努めてください」


「私は大丈夫よ。ほら、こんなに元気……ごほっ、ごほっ」



 ルビーは急に口元を押さえ、激しい咳をしだした。見るからに苦しそうである。



「言ったそばから」



 シストは咳で苦しむルビーを抱き起し、ベッドに寝かせた。そしてルビーのシャツのボタンに手をかけ、ゆっくりと服を脱がせていく。



「って、何をしているのよ!」


「何って、服を脱がせているんじゃないですか」



 シストは「何を当然なことを言っているのか」といった様子で答えた。その様子に、ルビーは咳き込みながらも頭を抱える。



「それはわかるわよ! なんで服を脱がせているのかって訊いているの! ごほっ、ごほっ」



 興奮したためか、ルビーの咳き込みが激しくなった。シストはルビーの背中をさすりながら、上体を起こしていたルビーを再びベッドに寝かせる。



「ほら、興奮しないでください。普通に回復魔法をかけても効果は薄いですから、直接肌に触れて回復魔法を肺にまで浸透させるつもりなんですよ。ですから、服があると邪魔なのです」



 確かにその説明を聞くとシストの言い分ももっともなように聞こえる。しかし、ルビーは年若い乙女なのである。男の人に肌を見せるというのは、耐えがたい羞恥であった。



「ほ、他に方法はないわけ?」


「では、一番効果がある方法として、胸を裂いて直接肺に回復魔法を……」



 ルビーはその情景を想像して血の気が引いた。自分の胸を裂かれるなど、考えただけでも恐ろしい。



「……肌の上からで、お願いします」



 ルビーはあきらめて自ら服を脱いだ。誰かに脱がされるよりも、自分で脱いだほうがまだ気持ち的に楽だということである。きめの細かい白い肌がシストの目の前に現れた。


 シストはルビーの小さな胸に手を当てる。自分とは違う体温を感じ、ルビーは小さく声を出しそうになった。


 暖かい光がルビーの胸の奥へと浸透していく。



「どうですか? 少しは楽になりましたか?」



 ルビーは何度か深呼吸をして、呼吸を確かめた。新鮮な空気が肺いっぱいに広がり、ルビーの口から出ていく。何も問題はなかった。



「ええ、かなり楽になったわ。ありがとう」



 ルビーは息が楽になったことを確認すると、急いで服を着た。隠れるように身なりを整えながら、チラリとシストのほうを向く。



「もしかして、毎回この方法で治療していくわけ?」


「はい。そうですけど、何か問題でも?」


「……いえ、何でもないわ」



 ルビーとしてはかなり恥ずかしいのだが、シストがあまりにも堂々とした態度であるために、自分が恥ずかしがっていることが馬鹿らしく思えてきた。


 結局、ルビーは何も言えず、外出の準備を始めたのだった。

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