第7話 熱病の正体

 シストとルビーは準備を整え、トルペードの近くの山の中に入っていった。朝早くに山の中に入っていったが、道が舗装されていないこともあり、なかなか前に進むことができなかった。


 時刻はすでに夕方近くになってきている。それでもまだ水源があると思われる頂上は見えなかった。


 ルビーの呼吸が苦しげなものに変わってきている。



「やはり、ルビーさんは宿で待っていたほうがよかったのでは」



 シストはルビーを支えながら顔をしかめる。しかし、ここまで来てしまっては一人で引き返させるほうが危険だった。



「だ、大丈夫よ、これくらい。それよりも、ほら。あそこが水源なんじゃない?」



 ルビーが指差した場所は、確かに大きく開けた場所であった。水音が聞こえる。大きな泉がありそうだった。



「行ってみましょう」



 二人が駆け寄ると、その大きな泉に言葉が出なかった。霧が発生しており、泉の向こう側が見えない。全貌を把握するだけでも一苦労だろう。


 しかし、それ以上に、シストとルビーにとって信じられない光景が目の前に広がっていた。



「何、これ……」



 泉の水際に、何かがあった。黒い、鈍くうごめいている物体だ。それも一つや二つではない。いくつもの腐臭を放った黒い塊が、泉のいたるところにあったのだ。


 ――動物の死体である。



「これは、ひどいですね」


「誰が、何のためにこんなことを……」



 シストは足元にあった動物の死体を覗き込んだ。動物の死体が黒くうごめいていた理由は腐敗して蠅がたかっていたからであり、そんなものが泉の水際にあれば、水が汚染されることは明白であった。



「おそらく、これが毒素の正体なのでしょう。動物の死体から流れ出る毒素(=細菌)を泉に流し、その泉の毒をトルペードの町の井戸に流す。動物の死体から流れ出る毒素は自然なものですし、町に着くころにはかなり薄まっていると思います。そのため、解毒魔法にも反応しなかったのかと」


「ひどい……」



 ルビーは涙目になりながら怒りに拳を震わせた。多感な時期の少女に、この情景は衝撃的すぎたのかもしれない。シストはルビーをここに連れてきてしまったことを少々後悔した。



「そして、誰がこんなことをしたかという問いですが、おそらく……」


「プラチドね」


「はい」



 今度はシストも否定しなかった。


 プラチドは山の泉に動物の死体から出る毒素(=細菌)を流し、トルペードの町の井戸を汚染したのだ。その井戸水を飲んだ人々はスプリング病という熱病に罹った。プラチドの屋敷にある井戸水は汚染されていないため、その水を飲み続けることができればスプリング病を治すことができる。


 しかし、プラチドはその汚染されていないただの水に一リットルで一〇万金という法外な大金をかけたのである。そのため、裕福な人はスプリング病から逃れられることができたが、貧乏な人は汚染された水しか飲めず、スプリング病にうなされるしかなかった。


 こうして、プラチドは短期間で大金を得た、というわけである。



「ゲスね」


「おそらく、井戸を調べていた時にルビーさんを襲ってきた覆面の男たちも、プラチドが雇った殺し屋か何かでしょう。プラチドは僕たちが井戸のことを調べるのを相当嫌がっていたというわけですね」



 そのとき、木々の倒れる轟音とともに野太い声が響いた。



「そこまで知っているのなら、もう容赦はできねえな」



 二人が振り返ってみると、そこには身長二メートルはあろうかという筋骨隆々な大男がいた。肩に担いでいるのその身長以上の大斧である。巨人、という言葉がしっくりきた。



「誰、あんた」



 ルビーはシストを守るように前に出る。その手にはすでに長短二本の剣が握られていた。それを見て、現れた大男はニヤリと笑う。



「死にゆくものに、名乗る馬鹿はいまい」


「それもそうね。今から殺す相手の名前なんて、わざわざ知る必要はないわね。だから、私もあんたの名前は訊かないわ」


「言ってくれる」



 大男は大斧を軽々と持ち上げ、風を巻き起こしながら振り回した。少しでも大斧に触れれば、体の小さなルビーなど一瞬で吹き飛ばされてしまうだろう。



「シスト、あんたは下がっていなさい」


「しかし」



 ルビーはツベキュローシスを患っている。その体で山道を登ってきただけでも体力の消耗は激しいはずだ。これ以上の戦闘などできるものなのだろうか。


 そんな心配をしているシストに、大男の大斧が襲い掛かってきた。



「へっ?」


「危ない!」



 ルビーはシストを突き飛ばして、大斧を剣で弾いた。弾いたといっても、軌道を少し変えただけである。ルビーの力ではそれが限界だった。大斧がルビーの金の前髪をわずかに切り取り、地面に突き刺さった。


 そして、ルビーに突き飛ばされたシストは泉の中に落下していった。



「うわぁぁぁ」



 ドボンッ、と水柱をたてて水中へと沈んでいく。しかし、大男と対峙しているルビーはそのことに気づいていないようだった。



「あれに反応するか。なかなかやるじゃないか」


「あれくらい、なんでもないわよ。町の子供でも避けられるんじゃない?」


「はっ、言ってくれる」



 大男は力をためた。



「ふん」



 大斧が薙がれる。鋭く風を切る音がルビーの耳に伝わった。



「甘い」



 ルビーは一歩、バックステップするだけでその攻撃を避ける。必要最低限の動きで消耗も少ない。完全に動きを見切っている証拠だった。



「まだだ」



 大男はさらに追撃してきた。大斧を左右に薙ぎ払い、ルビーを追い詰めていく。大斧が振るわれるたびに近くにあった木々もなぎ倒されていった。



「どうした。逃げてばかりでは勝てないぞ」



 ルビーは大男の挑発に乗らないだけの冷静さは持ち合わせていた。しかし、もともと攻撃的な性格のルビーなのである。この逃げてばかりという状況には不満を持っていた。結果としては、あえて挑発に乗ることにしたのだ。



「それも、そうね!」



 次に大男が大斧を薙いだ瞬間、ルビーは飛び上がった。大男の視界からルビーが消える。前後左右を見回してみたが、そこには誰もいなかった。



「何、どこに行った」


「ここよ」



 声は上からした。大男が声のしたほうを向くと、ちょうどルビーが木の上から落ちてくるところだった。ルビーは一度木の上に身を隠し、大男が油断した瞬間を見計らって下りてきたのだ。完全なる不意打ちだった。



「馬鹿な!」


「馬鹿は、あんたよ!」



 ルビーは大男の顔を狙って剣を振り下ろした。大男は何とか体勢を崩しながらその剣を避けようとしたが、完全に避けられるものではない。ルビーの剣が大男の顔を縦に薄く切り裂いた。



「がぁぁぁ」



 大男は顔を斬られ、悲鳴をあげてその場にうずくまった。その巨大な体がうずくまると、まるで大きな岩がそこに出現したように思えた。



「口ほどにもないわね」


「こ、この小娘がぁ!」



 大男は大声を出したが、声だけで行動が伴わない。顔の出血が予想以上に多いのだ。立ち上がろうとしても体はふらつき、勝敗は決したかのように思えた。



「今、とどめを刺してあげるわ」



 ルビーが剣を溜め、一歩を踏み出す。大男の目に恐怖の色が宿った。そのとき、



「うっ。ごほっ、ごほっ」



 ツベキュローシスの発作だった。山道で無茶をしたせいか、前回よりもかなり苦しそうだ。剣を持ったまま胸を押さえ、胃の中のものをすべて吐き出しそうなほどの勢いがある。



「今だ」



 チャンスだと思った大男は大斧を担ぎ上げ、脱兎のごとく逃げ出した。体を木々にぶつけながら無様な逃走姿だったが、それでも逃げ足は見た目以上に速かった。


 ルビーは恨めしそうに小さくなっていく大男の背中を睨んだが、咳が止まらずその場でしゃがみこむことしかできなかった。


 そこに、泉に落ちていたシストが這い上がってきた。



「ルビーさん、大丈夫ですか!?」



 トルペードの町の井戸に続いてまたしてもびしょ濡れになったシストだったが、急いでルビーの側に駆け寄った。すぐさま服を脱がし、胸を触って回復魔法をかける。



「ごめん。あいつ、逃がしちゃった。ごほっ、ごほっ」


「喋らないでください。それに、問題はありませんよ。本命はトルペードの町にいますから」



 シストの真剣な表情に、ルビーも自然と表情が引き締まる。



「プラチド……」


「はい。プラチドにここで見た事実を突きつけましょう。これ以上、プラチドの悪行を許さないためにも」


「ええ」



 ルビーが回復するのを待ち、シストとルビーは山を下りた。その足ですぐさまプラチドの屋敷に向かう。あたりは光も逃げ出せないような暗闇になっていた。

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