第2話 銀髪の青年
「さあ、もう大丈夫よ。でも、ここはまだ危ないから、すぐに安全な場所に行ったほうがいいわ」
金髪の少女は二本の剣を鞘にしまい、町娘に歩み寄る。
町娘は呆然としてへたり込んでいた。金髪の少女の顔が先ほどまでの小娘といった印象からがらりと変わっている。小さな鬼神といったところか。
「立てるかしら?」
金髪の少女は手を差し出した。
ここに来て、町娘はようやく意識を覚醒させる。慌てて立ち上がると、金髪の少女に向けて深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございます」
「お礼なんていいわよ。それよりも、怪我はない? あいつらに乱暴にされていたみたいだけど」
「はい。おかげさまで」
町娘が無事なようで、金髪の少女は初めて笑みを深くした。金色の長髪が風で流れる。
そのときであった。金髪の少女の後ろで、ゆらりと鈍く立ち上がる影が一つ。それを発見した町娘は、思わず声を上げた。
「う、後ろ」
金髪の少女はため息をついて後ろを振り返った。そこには、倒したはずのリーダー格のゴロツキが胸を押さえて立っていた。怒りに顔を歪め、今にも頭から火が出そうなほど顔を赤くしている。
「手加減しすぎたかしら。意外とタフなのね」
「てめえ、生きてここから出られると思うなよ。必ず、必ずお前のその顔を泣き顔にしてやる」
「懲りないわね。いいわよ。とことんやってあげる。後悔しないでよね」
金髪の少女は再び二本の剣を抜くと、剣を低く構えた。ガードはない。完全に舐め切った態度だ。
「今度は、手加減できな……うっ、ごほっ、ごほっ」
一歩前に踏み出した瞬間、急に金髪の少女が口を押さえてその場にうずくまった。激しい咳をしている。呼吸も苦しそうだ。
その様子を見て、リーダー格のゴロツキがにやりと笑う。その不敵な笑みのまま、金髪の少女に歩み寄った。
「どうした。風邪か、な!」
リーダー格のゴロツキはうずくまっている金髪の少女の腹部を蹴り上げた。金髪の少女の顔が苦悶に歪む。ただでさえ苦しそうだった息が、さらに苦しくなった。
そこからは悲惨だった。起き上がってきた二人のゴロツキたちも合流し、三人のゴロツキたちは金髪の少女に暴行した。殴る、蹴る。金髪の少女が血を吐いてもその暴行はとどまることを知らなかった。
町の人々は止めることもできない。止めれば自分たちが被害にあうことはわかっていたからだ。あの町娘の姿も消えていた。しかし、町娘を責めることを誰ができるだろう。
そして、殴り疲れたのか、三人のゴロツキたちは金髪の少女を地面に捨て、高笑いをしながら去っていった。
「これに懲りたら、大人を舐めないことだな。ははっ、聞こえちゃいねえか」
三人のゴロツキたちが見えなくなったあとも、町の人たちは金髪の少女に近づかなかった。少しでもあのゴロツキたちとの接触を避けたかったのだ。
しかし、怪我人をそのままにしておくわけにはいかない。どうしようかと町の人々が困っているところに、先ほどの町娘が誰かを連れて戻ってきた。
「こちらです。お願いします。この子を助けてあげてください」
町娘が連れてきたのは町で唯一の回復を専門とする魔法使い。ヒーラーだった。その白髭が立派な初老のヒーラーは金髪の少女の惨状を見ると、顔をしかめた。
「これはひどい。今すぐ回復魔法を」
白髭のヒーラーは金髪の少女の側に駆け寄ると、両手を金髪の少女にかざした。その両手から、淡い光が漏れだすと、金髪の少女の傷は見る見るうちに消えていった。これが魔法。まさに奇跡の体現であった。
金髪の少女の体からは傷がなくなった。少なくとも、見た目上は完全に元のきれいな体になったように見える。
「どうでしょうか」
白髭のヒーラーはじっと金髪の少女を観察した。しかし、金髪の少女は一向に目覚める気配はなく、ただ弱弱しく呼吸をしているだけであった。この呼吸がなければ死んでいると思われても仕方がないほど、金髪の少女は微動だにしない。顔色も次第に血の気が失せてきた。
「ダメ、ですか」
白髭のヒーラーは首を横に振り、もうこの金髪の少女の命は長くないことを悟った。
「この子はもう長くないでしょう。可愛そうですが、回復魔法を使っても意識が戻らないのなら、もうあきらめるしかありません。ここは苦しまないようにとどめを刺したほうが……」
白髭のヒーラーは懐からナイフを取り出し、金髪の少女の胸に当てた。あと少し力を入れればそのナイフは金髪の少女の心臓を貫くであろう。
町娘は見ていられなくなり、目を背けた。
「……行きます」
白髭のヒーラーの手に、力が入った。
「待ってください」
白髭のヒーラーの手が止まる。町娘も声のしたほうを振り向いた。そこには、片メガネを掛け、白衣を着た銀髪の青年が立っていた。ボロボロになった白衣が渇いた風にはためいている。
「あなたは?」
「僕の名前はシストと言います。シスト・ラング。僕もヒーラーです。その子の怪我、僕に治させてはくれないでしょうか」
町娘は白髭のヒーラーの顔色をうかがった。白髭のヒーラーはあまり喜ばしい表情をしなかった。それはそうだろう。自分が手を施してダメだったのだ。こんな自分よりもはるかに若いシストという青年が何をしても、簡単に治療できるはずがない。そう思っているのだ。
「もうこの子の命は消えかかっています。これ以上、苦しめるのはよしなさい」
「いえ、まだ方法はあります」
「回復魔法ですか? あなたは、それほど魔力が高いとは思えないのですが」
「そうですね。僕の魔力はおそらく、あなたよりも低いと思います。しかし、回復魔法だけに頼っていては、この怪我は治せないと思うのです」
「回復魔法以外に治療する方法などないでしょう」
「いえ、あります。それを今から実行してみせます」
シストは白髭のヒーラーを押しのけると、金髪の少女の側に跪いた。すぐさま懐から銀のナイフを取り出し、金髪の少女の衣服を斬り裂く。
「なっ。君は何をやっているんだ」
制止しようとした白髭のヒーラーを、シストは手を突き出して逆に制した。
「ここは僕に任せてください。もしこの子を死なせるようなことがあれば、そのときは僕の命を捧げましょう。その代わり、今から僕が行う治療には一切手を出さないでください」
「……死ぬ覚悟があるというのですね」
「この子を殺してしまえば、ですけどね」
白髭のヒーラーはシストの目をじっと見つめた。やさしそうな目だったが、力強さを感じた。この目は、嘘を言っているような目ではない。覚悟を決めた目だ。
「……好きにしなさい」
白髭のヒーラーは数歩下がり、シストの思うままに任せることにした。シストは軽く笑い、頭を下げる。
「感謝します」
そこからは速かった。
金髪の少女の服を斬り裂いて胸部から腹部を晒すと、シストは体を押すようにして触診した。時に弱く、時に強く押して金髪の少女の反応をみる。
そして、小さく頷いてから新しい銀のナイフを取り出し、金髪の少女の腹部を一気に切り裂いた。
「なっ!」
後ろで見ていた白髭のヒーラーと町娘は絶句した。怪我を治すはずのヒーラーが、逆に怪我を悪化させているのだ。しかも、腹を裂くなどという行為は殺人行為にも等しい。そんなものを目の前で見せられて、冷静でいられるはずがない。
「き、君、これはどういうことだね。君は、この子を殺すつもりか」
「いえ、僕はこの子を助けるつもりです。僕を信じて、見ていてください」
「う、む。だが、しかし……」
白髭のヒーラーは決めかねた。ここで無理にでも止めたほうがいいのか。しかし、そんなことをしても金髪の少女が死亡するのはもはや止めることはできない。それならば、わずかな可能性に賭けてシストに託すほうが賢明か。
そんなことを白髭のヒーラーが考えている間に、シストは金髪の少女の腹部を切り裂き終わった。そして、躊躇なくその腹部に手を入れ、穴を広げる。
「見てください。これが、回復魔法でもこの子の意識が戻らなかった原因です」
「こ、これは……」
金髪の少女の腹部の中は、まさに血の海であった。シストが切り裂いたからではない。もっと奥から、そのどす黒い血液は流れ出てきていた。
「内臓破裂。回復魔法で表面上の傷を治すことはできたようですけど、体の内部の傷までは効果が届かなかったようです。そのため、血液を失い続け、この子の意識は戻らなかった」
「こんなことが……。いや、しかし、このあとはどうするつもりなのかね。この状態で回復魔法を使っても、効果はあるものか……」
「確かにそうです。このまま回復魔法を使っても、外部から回復魔法を使ったときよりも多少効果があるというだけでしょう。根本的な解決にはなりません」
「では、どうするというのかね」
シストは目を細め、じっと金髪の少女の腹部から湧き出る血液を睨みつけた。そして、一瞬だけ、その細い目がかっと見開かれる。
「こうします」
シストはその両手を金髪の少女の腹部の中に突き入れた。信じられない光景に、町娘は悲鳴をあげる。
「静かに」
シストは何かを探るように、ゆっくりと血の海の中で手を動かしていた。そして、その血の海が淡い光に包まれる。
「これは、回復魔法ですか」
「はい。全体に回復魔法をかけても効果が薄いと思ったので、僕は傷ついた内臓を探し当て、直接回復魔法をかけています。これならば、どんなに内臓が傷ついていても治るはずです」
シストの言葉を証明するかのように、金髪の少女の腹部にたまっていた血の海は見る見るうちに引いていった。数分もすると、淡い光に包まれたきれいな内臓の状態に戻っている。どこからどう見ても、傷一つなかった。
「あとは切開した腹部を回復魔法でもとに戻せば……」
シストは金髪の少女の腹部を撫でるように回復魔法をかけた。傷口はきれいにふさがり、腹を切り裂かれたとは思えないほど美しい肌に戻っていた。
金髪の少女の息は安定している。顔色もいい。完全に回復したと言ってもいいだろう。
「これで、治療は完成です」
白髭のヒーラーの目はまんまると見開かれたままだった。信じられない。そんな言葉では言い尽くせないほど、白髭のヒーラーの頭は真っ白になっていた。
こんな治療の方法など、この長年生きたヒーラーですら知らなかった。それほど、シストの治療法は異質だったのだ。
「あとは経過観察のために意識が戻るまで待ちたいですね。すみません、近くに宿屋はないでしょうか。ベッドにこの子を寝かせたいのですが」
シストは金髪の少女を抱きかかえ、白髭のヒーラーと町娘に尋ねた。しかし、二人はそれどころではないほど驚き、言葉がなかなか出てこなかった。
「君は、いったい、何者なんだ……」
「僕ですか? 僕は……」
シストの白衣が風で揺られ、片メガネが太陽の光を反射した。
「ただの、ヒーラーですよ」
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