第3話 旅の始まり

 翌朝、グラナーテの町でも比較的安全な場所にある宿屋の一室。そこのベッドで、金髪の少女は目を覚ました。



「……ここは」



 身を起こし、あたりを見回してみる。傷んだ壁や小さな穴の開いた床などはいかにもグラナーテの町らしい宿屋だった。しかし、これでもまだマシなほうであろう。


 そして、ベッドの側の椅子には見知らぬ銀髪の青年が眠っていた。頭を上下させ、今にも椅子から転げ落ちそうだ。



「……誰?」



 金髪の少女は手を伸ばし、その銀髪の青年の肩を叩こうとした。そのとき、金髪の少女をくるんでいたシーツがはらりと落ちる。一糸まとわぬ姿の自分の白い肌が、金髪の少女の目にも映った。



「きゃ、きゃぁぁぁ」



 金髪の少女は悲鳴をあげた。なぜ自分は裸なのか。しかも、ベッドのすぐそばには見知らぬ男がいる。この状況を整理するために頭をフル回転させた金髪の少女だったが、まったくもって状況が理解できなかった。



「な、何で私、裸なの……」



 そこに、金髪の少女の悲鳴を聞いて銀髪の青年が目を覚ました。もちろん、この銀髪の青年というのはシストのことである。


 シストは眠たい目をこすり、金髪の少女が目を覚ましていることを確認した。



「あ、目を覚ましましたか」


「きゃ、きゃぁぁぁ」



 裸を見られた金髪の少女はさらに錯乱する。何とかベッドの下に落ちたシーツを拾い上げ、体に巻き付けて白い肌を隠した。



「あ、あんたね。私をこんな姿にしたのは」



 金髪の少女はシストを睨みつけた。しかし、シストはそんな金髪の少女を見て微笑ましく思う。



「はい。そうです」


「はいって、あんた……」



 まさか素直に認めると思わなかった金髪の少女は額に手をやってため息をついた。なぜこの青年はここまで冷静でいられるのか。混乱している自分が馬鹿みたいではないか。そう思うと、金髪の少女はふつふつと怒りが湧いてきた。



「この、変態!」



 金髪の少女はシーツを体に巻き付けたまま、片手を出して、その手でシストを殴りつけた。あの三人のゴロツキを手玉に取った金髪の少女だ。その殴打の速さは並大抵のものではなかった。


 しかし、そんな金髪の少女の殴打は、シストによってあっさりと防がれた。パシッ、と金髪の少女の拳をシストの手のひらが包み込んでいたのだ。



「へっ?」



 まさか受け止められるとは思っていなかった金髪の少女は目を丸くする。思わず体に巻いたシーツがずり落ちてしまいそうになってしまったほどだ。



「ここまで元気があるのなら、もう大丈夫ですね。治療は完了です」


「……治療?」



 金髪の少女は小首を傾げ、今まであったことを思い返してみる。


 昨日は三人のゴロツキに襲われていた町娘を助けて、その途中で息苦しくなり、そのあとゴロツキたちに……。



「あ、ああっ!」



 金髪の少女はここに至ってようやくシストが自分を助けてくれたのかもしれないと思い立った。そうだとすれば、自分はなんて失礼なことをしたのだろうか。



「もしかして、あんたが私を助けてくれたの?」


「はい。危ないところでしたが、命があって何よりです」


「そ、そう。ありがとう。でも、服くらいは着せてくれてもよかったんじゃない?」


「あいにく、僕の専門は人体を治すことなもので、服を直すことはできなかったんですよ」



 シストは微笑むように苦笑した。


 しかし、すぐに真剣な表情になる。金髪の少女はあまりの急な変化に、思わず身構えてしまった。



「ここからは真剣な話になります」


「な、なによ、あらたまって」


「あなた、病気ですね」



 金髪の少女は息を呑んだ。



「しかも、それは回復魔法でも治せない、死の病です」


「なんで、そのことを」



 確かにその通りだった。だからこそ、わからない。なぜ目の前の青年はそのことを知っているのか。



「昨日、あなたの体を切り開いたんですよ。そのとき、少々気になる点が……」



 一瞬、時が止まった。この青年は何を言っているのか。金髪の少女は混乱するばかりである。



「ん? ちょっと待って。今、私の体を切り開いたって」


「はい。治療のために、あなたの体の隅々まで見させてもらいました」


「……はい?」


「ああ、まずはそのことから説明しないといけませんね」



 シストは昨日の出来事を説明した。金髪の少女が瀕死の状態であったこと。白髭のヒーラーが回復魔法をかけてくれたが、意識が戻らなかったこと。そして、自分が治療を行ったことにより、金髪の少女の命が助かったことなどである。


 金髪の少女は信じられない、といった様子でその話を聞いていた。しかし、その生々しいまでの表現に、信じざるを得なかった。



「裸も見られて、体の中まで見られるなんて、私、もうお嫁にいけない……」


「大丈夫ですよ。綺麗な内臓でしたよ?」


「そういう問題じゃないわよ!」



 的外れな慰め方をしたシストに、金髪の少女は行き場のない怒りをぶつける。しかし、シストはそんな金髪の少女の態度を気にせず、話を進めるのだった。



「確かに内臓はきれいでした。ただ一点を除いては」


「その一点ってのは?」


「肺です」



 金髪の少女は、「やはり」といった顔つきになった。すでに想像していたことだった。自分の体のことだ。自分が一番よく知っている。



「病名はツベキュローシス。回復魔法でも治療不可能な、死の病です。確かに昨日の怪我は治りましたが、これほどの大病を患っているのです。あなたはここで、いや、もっと安全な場所で静養すべきでしょう」



 シストの言葉に、金髪の少女はそっぽを向いて答えた。



「……いやよ」


「えっ?」



 金髪の少女の返事に、シストは一瞬呆けてしまう。この少女は何を言っているのか。シストは自分の聞き間違いだと思いたかった。しかし……。



「いやって言ったのよ。私は、旅を続けるわ」



 金髪の少女は宣言するかのようにはっきりとした声で言い放った。これにはシストも驚嘆する。



「む、無茶ですよ。あなた、死にたいのですか」


「死にたいわけ、ないでしょう。私には旅を続けないといけない理由があるのよ」


「なんですか、その理由とは。自分の命を犠牲にしてまで続けるほどの理由ですか?」



 シストの表情が厳しくなる。ヒーラーとして、このまま金髪の少女の暴挙を見過ごすわけにはいかないのだ。下手な理由なら、無理にでも静養させるつもりだった。

 金髪の少女は数秒間沈黙したあと、ゆっくりと口を開いた。



「私の旅の目的は、仇討ちよ」


「仇討ち……」



 シストの表情がさらに真剣なものに変わった。



「今から十年ほど前、私の父はある男に殺された。母は父を失ったショックで自殺。幼かった私は孤児院に預けられ、この年になるまで剣術の修行に励んだわ。それもこれも、父を殺した男に復讐するために!」



 シストは深く考え込んだ。この話が本当ならば、おそらく……。



「ちなみに、その男の名前は?」


「知らない」


「どこにいるのですか?」


「わからない」


「何か特徴でも?」


「なにもない」



 シストと金髪の少女は互いに見つめあい、同時にほほを緩めて笑いあった。



「……あきらめて、静養してください」


「なんでよ!」



 シストは大きなため息をついた。当たり前である。そんなわけもわからない仇討ちに固執していたら、金髪の少女の病気はあっという間に進行してしまうだろう。



「しかしですね。このままでは死にますよ? 仇討ちどころか、あなたの命が危ないというのに」


「私の命なんて、仇が討てれば安いものよ。それまで、私の体が持ってくれればいいわ」


「せっかく助けた命を蔑ろにされると、僕としても悲しいのですが」



 このまま静養を強制しても無駄であろう。この金髪の少女なら、シストの監視の目がなくなればすぐにでも仇討ちの旅に行ってしまう。それでは、命を無駄にするだけだ。


 シストは考え、頷いた。



「わかりました。では、こうしましょう。あなたの仇討ちの旅に、僕も同行させてください」


「えっ?」



 金髪の少女は一瞬何を言われたのかわからなかった。まさか、今日あった、正確には昨日だが、青年に一緒に旅をしようと誘われるなど、誰が想像できようか。



「僕は回復魔法を扱うヒーラーです。多少なりともあなたの病の進行を抑えることができます。それに、一緒に旅をすることでツベキュローシスの治療法が見つかるかもしれません。それは今後の僕にとってもメリットです」


「いいの? 私としては、ヒーラーが一緒に旅をしてくれるのは心強いけど」


「乗りかかった船ですしね。問題ありませんよ」



 シストは笑顔になった。片メガネ越しに細くなったその目が見える。



「あ、ありがとう。それなら、お願いしようかしら」


「了解です」



 シストは友好の証として、握手を求めた。



「シストです。シスト・ラング。よろしくお願いします」


「ルビーよ。ルビー・ルナ。これからよろしく」



 金髪の少女、ルビーは差し出されたシストの手を強く握った。少し大きくて、暖かい手だった。


 その手を握った瞬間、気が緩んだのか、体に巻き付けていたシーツがはらりと落ちてしまった。隠れていたルビーの白い肌が再びシストの目の前に現れる。



「あ、あ、あ……」


「ああ。まずはその服をどうにかしないといけませんね」



 ルビーは顔を真っ赤にして、絶叫した。



「きゃぁぁぁ」



 こうして、シストとルビーの仇討ちの旅は始まったのだった。

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