第31話 最高のヒーラー
燦燦と輝く太陽。あれだけ降り注いでいた雨はもう止んでいる。そして、あれだけ重かったからだが、羽のように軽かった。
「うっ。こ、ここは……?」
ルビーは目を覚ました。下には白衣が敷かれており、ルビーはその上で眠っていたようだ。地面がぬかるんでいたので、白衣もルビーもぐちゃぐちゃだ。
ルビーは自分の体を確かめてみる。切り裂かれた服の合間からは宝石のような白い肌が見えていた。血の痕もなく、生まれたばかりのようなきれいな体だった。
「ん? 切り裂かれた服?」
ルビーはもう一度体を確認してみた。服はボロボロに切り裂かれており、その間から見えるのはおへそ、二の腕、そして小さな胸だった。
「きゃぁぁぁ!」
青天の荒野に悲鳴が響き渡った。その悲鳴を聞き、ルビーの隣でのんきに眠っていたシストが目を覚ます。瞼をこすり、ルビーが起きたことを確認した。
「あ、目を覚ましましたか。元気そうでよかったです」
「あ、あんたね。私に何をしたのよ!」
ルビーはシストの襟首をつかみ、前後に揺すった。シストの頭はがくんがくんと揺さぶられる。
「も、もちろん、ツベキュローシスの治療ですよ。ファルマで作った特効薬を肺に直接塗り込んで、解毒魔法をかけました。こうすることで、ツベキュローシスの毒素をルビーさんの体の外に出すことに成功したのです」
「えっ?」
ルビーはシストの襟首から手を離した。勢いあまって、シストは後ろに倒れそうになる。危うく後頭部をうつとところであった。
「でも、それでどうして服がこんなにもボロボロなわけ?」
「ルビーさんは覚えていないかもしれませんが、かなり危険な状況だったんですよ? 一刻の猶予もないと判断したので、服を切り裂いて胸を切開させていただきました」
相変わらず恐ろしいことをさらっと言う。体はきれいな状態に戻っているので、手術は成功したのだろう。だが、自分の意識のない状態で体をいじられるというのはいい気持ちがしない。意識があっても嫌ではあるだろうが。
「ということは、私、もうツベキュローシスじゃないの?」
「要観察、といったところでしょうが、まず問題ないかと思います。ですので……」
シストはそう言うとルビーに剣を渡した。ルビーが愛用していた長剣だ。雨でも流れ落ちなかったのか、わずかにまだ血がこびりついている。
「何、これ」
ルビーは差し出された剣の意味がわからず、小首をひねっていた。確かにこれは自分の剣だが、今差し出すものだろうか。そう考えるのは、ルビーの体調が全快していて、気持ちが落ち着いている証拠かもしれない。
「何って、ルビーさんの剣じゃないですか。治療は終わりました。だから、約束通り、僕を殺してください」
「あ……」
ここに来て、ルビーは決闘の前にしたシストとの約束を思い出した。ルビーが勝ったらシストを殺す。シストが勝ったらルビーを治療したあと、シストを殺す。どちらにしても、ルビーはシストを殺さなくてはいけないのだ。
だが、ルビーは迷った。この剣を受け取ってもいいものか、どうか。受け取ればシストを殺さなければならない。ツベキュローシスの治療が終わった今となっては、一緒に死ぬことも叶わなくなった。
(私だけ生きる? そんなことが、許されるの?)
ルビーは震える手でシストから剣を受け取った。その剣を、じっと見つめる。
どうすればいい。どうすれば誰もが納得する結末を迎えられる。そんなことを思いながら、ルビーは立ち上がった。
今までのことを思い返してみる。
シストとはグラナーテの町で出会って、一度目の命を救われた。そこで裸を見られたことは今となっては懐かしい思い出だ。今でもその癖は治っていないが、できれば治療したあとは患者に服を着せてやってほしい。
トルペードの町ではスプリング病という熱病を治した。町全体が熱病に罹っているという危険な町だった。犯人はプラチドという富豪であった。そこでシストがただのヒーラーではなく、拳法も使える戦うヒーラーであると知った。
革命組織『ウォルティ』とも戦った。その理念はすばらしいと思う。しかし、やり方は間違っていた。だからこそ、ルビーはシストと一緒になって戦ったのだ。一緒に地下牢に入れられたニコルは今頃どうしているだろうか。
カノンの町ではシストの親友であるカイとルビーは戦った。銃を使うカイに重傷を負わされ、ルビーはカノンの町を逃げ回った。もうダメかと思ったとき、助けてくれたのはやっぱりシストだった。シストはいつも自分を助けてくれる。ルビーはそのことを思い出してほほが赤くなるのを感じた。
そして、ここグルダンの町ではシストがルビーの仇であるということがわかった。ルビーは迷った。迷った挙句、シストと決闘することになった。その決闘の結果、ルビーはツベキュローシスの治療を受け、シストは今ルビーに殺されるのを待っている。
(何、これ。私、シストに助けてもらってばかりじゃない。それなのに、私はまだ復讐にこだわるの? シストに何も返せないまま、私はシストを殺すの?)
そんなことは嫌だった。まだシストと一緒にいたい。シストと同じ時を過ごしたい。シストの笑顔を、見ていたかった。
(……そうか。今更気づいたわ。私、シストのことが好きだったのね。誰よりも一番、大切な人)
その気持ちに気づいた瞬間、とめどなく涙が流れてきた。どうしてもっと早く気づかなかったのだろうか。もっと早く気づいていれば、他の道をたどれたはずである。それも、もう遅かった。
(……あれ? いや、違う。遅くない。まだ間に合うかもしれない)
ルビーは涙を拭いて、深く考え込んだ。そして、ルビーは決断した。
「わかったわ」
ルビーの剣が振り上げられた。シストは自らの運命を受け入れているのか、目を瞑ったまま動かない。その表情には笑顔すら浮かんでいた。
(これで、ルビーさんともお別れですか。もっと、一緒にいたかったですね。僕は、あなたのことを本気で――)
ルビーの剣が一閃した。風を斬って、剣が地面まで到達する。しかし、その剣はシストの血で濡れることはなかった。
「……えっ」
シストは驚愕した顔つきで目を開ける。ルビーが振るった剣はシストの目の前の空間を斬り裂き、地面に突き刺さっていた。ルビーのミスではない。明らかに意図的な行為であった。
「これは、どういうことですか」
シストは困惑しながらルビーに尋ねた。しかし、ルビーは満足げな表情で剣を鞘に納めている。今まさに親の仇を討ったかのような顔つきだ。
「あんた、嘘ついたわね」
「嘘?」
シストは何のことを言われたのかわからなかった。今までのルビーとの会話で嘘をついた覚えなどない。少なくとも、シストにそんな記憶はなかった。
「私の治療、まだ終わっていないのよね?」
「えっ。いえ、すでに経過観察に入っています。ほとんど治療は終わっていますよ。再発の危険性もほとんどありませんし、大丈夫だと思います」
「ほとんど、でしょう? 完治、ではないのよね?」
シストはルビーが何を言いたいのかわかった。さすがのシストも、そこを衝かれるとは思ってもみなかっただろう。
「ま、まあ、確かにそうですが……」
実際、シストの治療は完璧だった。十中八九再発の危険性はない。だが、一パーセントでも可能性があれば、ヒーラーとしてその可能性に考慮しなければならない。そのための経過観察でもあった。
「なら、私の治療はまだ終わっていないのよね」
ルビーはいたずらっぽく笑う。その表情を、シストは呆然と見つめることしかできなかった。
「それなら、治療が終わるまであんたは私と一緒にいなさい。あんたは私の病気が完治するまで一緒にいる義務がある」
「えっ。それは……」
「あんたが言ったのよ。勝負に勝ったら、私はツベキュローシスの治療を受ける。あんたを殺すのはそのあと。私はまだツベキュローシスの治療を受けているんだから、まだあんたは殺せない」
シストは声も出なかった。確かにルビーの言うことも一理ある。だが、すでに捨てた命だった。それをこんな形で拾うとは、シストでなくとも思わなかったであろう。
「何呆けた顔をしているのよ。ほら、立って行きましょう」
「行くって、どこにですか?」
「決まっているでしょう。あんたが生まれ育った町よ。約束だったもんね。仇討ちの旅が終わったら、一緒に謝ってあげるって。まだ仇討ちの旅は終わっていない気がするけど、予定変更よ。先にあんたの町に行きましょう。それで、もっとみんなに知ってもらうの。あんたは、最高のヒーラーだって」
「最高のヒーラー、ですか」
シストは少し恥ずかしそうに鼻先を掻いた。視線を合わせているルビーの瞳がなぜか今だけいつもよりも輝いて見える。
「そうよ。あんたは私を救ってくれたんだもの。最高のヒーラーよ。自信を持っていいわ」
「僕にはすぎた称号ですよ」
「何言っているのよ」
ルビーはシストに歩み寄り、そして抱きついた。シストの体温がルビーに伝わる。鼓動が速くなっているのが双方ともにわかった。
「あんたは、私にとって、最高のヒーラーよ。ありがとう」
シストとルビーの唇が、ゆっくりと重なった。
シストとルビーの旅は続くだろう。ヒーラーと剣士。人殺しとその仇という不思議な組み合わせだが、その絆は誰よりも強い。
雲間から覗く日の光が、いつまでも二人を祝福していた。
第一部 完
Healing & Slashing(ヒーリング & スラッシング) 前田薫八 @maeda_kaoru
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