第30話 決闘

 シストがグルダンの町の外れの荒野に着くと、そこにはすでにルビーが待っていた。白い肌はさらに透き通るほど白く、細い腕はさらに細くなっていた。それだけでツベキュローシスの進行具合が見て取れる。もはや一刻の猶予もない。



「ルビーさん、お待たせしました」


「仇のほうから来てくれるとはね。私に殺される覚悟はできたってことかしら?」


「はい。僕はルビーさんに殺されるべきでしょう。ですが――」



 シストは鉄鋼が仕込んであるグローブを白衣のポケットから取り出し、両手にはめた。ガツン、と手と手をぶつけるさまは今から誰かと戦うようでもある。その様子に、ルビーは目を丸くした。



「ただで殺されるつもりはありません。ここでルビーさんに決闘を申し込みたいと思います」


「決闘? 私と勝負するってこと?」



 今更何の勝負があるというのか。ここまで来たら、殺すか殺されるか。それしかないではないか。しかし、ルビーの心はそんな気持ちとは裏腹にシストの提案を魅力的なものに思っていた。



「勝負の内容は?」


「単純に僕とルビーさんが戦って、勝った方が負けた方の言うこと聞くというだけのことです。シンプルでわかりやすいと思うのですが」


「そうね」



 確かにわかりやすかった。今のルビーの頭でも理解できる。ただ倒せばいいのだ。倒せば、シストを殺すことができる。



「ルビーさんが勝てば、僕は素直に殺されます。もう逃げるようなまねはしません。もちろん、戦闘中に僕の命を奪うこともできます」


「当然ね。それで、ありえないとは思うけど、もしあんたが勝ったら私はどうすればいいの? 仇討ちをあきらめろとでも言いたいわけ?」


「違います。僕が勝ったら、ルビーさんにはツベキュローシスの治療を受けてもらいます。僕が完成させた、新しいツベキュローシスの治療法で。僕を殺すのはそのあと、ツベキュローシスが完治してからにしてください」


「……っ」



 ここまで来て、シストはルビーの病気のことを考えていたのか。しかも、病気の治療をしたら自分は死んでもいいという。つまり、シストは勝っても負けても死ぬつもりなのだ。ルビーはそのことがうれしくもあり、憎らしくもあった。



(ダメよ。あいつはお父さんの仇。仇に情けはいらない。あいつを殺して、私も病気で死ぬ。それでいいじゃない。今更、私一人だけ生き残るなんてこと、できないわよ)



 ルビーは呼吸を整え、ゆっくりと二本の剣を抜いた。右手にレイピアのような長剣。左手にはナイフのような短剣。



「いいわ。その条件、飲もうじゃない」


「ありがとうございます」



 シストも拳を構え、戦闘態勢に入った。二人は一定の距離を保ったままじっと見つめあう。その視線と視線で、愛憎含んだ会話をしているようであった。


 空から一粒の水滴が落ちてきた。その水滴はみるみる地上に近づき、シストとルビーの間に落ちる。その水滴が両者の視界に入った瞬間、二人は同時に動き出した。


 まずはルビーの長剣がシストを襲う。高速の刺突がシストの心臓に迫ったのだ。一撃で勝負を決めるつもりなのか、その動きにはためらいがない。


 だが、シストはその刺突を左グローブの甲で受け止めた。大きな金属音を響かせながら、ルビーの右腕とシストの左腕は後方に大きく弾き飛ばされる。


 その瞬間を狙っていたのか、ルビーの短剣が動いた。がら空きになったシストの左胸を、今度こそ突き破ろうと短剣を繰り出してきた。しかし、その短剣もシストの右グローブによって防がれる。またしても大きな金属音が雨の中の荒野に響いた。



「まだよ!」



 ルビーは体ごとシストにぶつかってきた。宙にあがっていた長剣を引き戻し、シストのわき腹に狙いを定めた。わき腹には血液を大量に含んだ肝臓という臓器がある。そこが傷つけられれば、大量の血液を失うことになる。普通の人ならば、死に至る。



「何の」



 シストもルビーの狙いはわかっていた。だからこそ、シストはルビーの懐に潜り込むように姿勢を低くした。



「接近戦なら、リーチの短いこちらに分があります」



 シストは低い姿勢のまま軸足を回転させ、逆にルビーのわき腹を撃った。ルビーの顔は一瞬で苦悶の表情となり、攻撃は空を斬る。しかし、それでもルビーは倒れなかった。


 ルビーは短剣を斬り下げ、シストの頭を狙った。シストのほほにわずかな切り傷ができる。さすがに危ないと思ったのか、シストは一度距離を離した。


 ルビーはわき腹を押さえながらも、鬼気迫る表情で立っていた。



「今の一撃は、十分に手ごたえがあったんですが」


「ざ、残念だったわね。私は、この程度の攻撃じゃ、倒れないわよ」



 ルビーは大きく深呼吸をすると、再び二本の剣を構えて戦闘態勢に入った。ダメージがないわけではない。痛みや苦しみよりも、気迫で立っているのだ。その証拠に、ルビーの足はわずかに震えていた。



「私は、今までお父さんの仇を討つためだけに生きてきた。その仇が、目の前にいる」



 ルビーの姿勢が地を這うように低くなった。仕掛けてくる。シストも迎撃の体勢に入った。



「私が生きた意味を、あんたを殺すことで!」



 ルビーが大きく地を蹴った。ツベキュローシスがかなり進行しているとは思えない。シストが何度も見た、あの華麗なまでの動きだった。


 シストはルビーを迎え撃った。ルビーの動きに合わせて右腕の拳を放つ。しかし、その拳はルビーの前髪に触れただけで、空を切った。ルビーがフェイントを織りまぜ、動きに変化を加えてきたのだ。



「この状況で!?」


「私とあなたとじゃ、勝ちたいって想いが違うのよ!」



 ルビーの長剣が一閃する。咄嗟にシストも身をひねったが、とても避けきれる速さではない。シストのわき腹は深く斬りつけられ、雨に濡れた地面に大量の血を吐きだした。雨と血が混じり、足元には血の水たまりができる。



「う、ぐっ!」



 シストは渾身の一撃をルビーの顔面に向かって放った。しかし、ルビーはすぐさま距離をとって離れていく。一撃で仕留められるとは思っていなかったのか。


 シストはわき腹を手で押さえ、じっとルビーを見つめていた。わき腹からは血がとめどなく流れている。重傷なのは間違いない。それでも、シストはその傷を治そうとしなかった。



「回復魔法は使わないの? あんた、ヒーラーなんでしょう?」


「……使いませんよ。この痛みは、ルビーさんの痛みでもあります。この痛みを抱いたまま、僕は、ルビーさんを救ってみせます!」


「……」



 倒してみせるでもなく、殺してみせるでもなく、救ってみせる。なぜそこまでしてシストは自分を救おうとしてくれるのか。そんな疑問が、ルビーの心を揺さぶっていた。



(違う! シストは私を動揺させようとしているだけ。私は、救われようだなんて思っていない!)



 今度こそシストの息の根を止める。狙いは首だった。どんな人間も首を切り離せば生きていられるはずがない。確実に、殺せる。そのはずだった。



「うっ。ごほっ、ごほっ」



 ルビーの口から大量の血が吐き出された。その血は雨でぬかるんだ地面に流れ、こちらも真っ赤な水たまりを作る。もう限界だった。立っているだけでも奇跡なのだ。こんな激しい戦闘をしていたら、命がいくつあっても足りない。



「ルビーさん、あなた……」



 ルビーは一度跪いたが、すぐに剣を杖にして立ち上がった。手の甲で口についた血を拭い、虚ろな視線をシストに向ける。意識があるのかすら疑問だった。



「ど、同情は、いらない、わよ。私は、あんたを殺す。それ、だけ」



 ルビーは短剣で自らのわき腹を斬った。そこまで深く斬ったわけではないが、それでもさらに血がルビーの体内から失われる。その痛みによって、ルビーは意識を覚醒させたようだった。



「まだ、いける」



 ルビーはふらつく足で何度か地面を確かめたあと、再びシストを睨みつけた。そこには、明らかな闘志と殺意が宿っていた。そして、二本の剣を握りしめ、地を蹴った。その動きは衰えない。それどころか、シストが見た中で一番速い動きのように感じた。



 シストもそれを迎え撃つ。拳を胸まで上げ、自らルビーに接近していった。



「ルビーさん、僕は、あなたを!」


「これ以上、喋るんじゃないわよ!」



 ルビーの短剣がシストの首元を襲った。シストはその攻撃を首の皮一枚でかわし、手刀でルビーの左腕を撃った。ルビーの左腕は弾かれ、短剣が宙を舞う。だが、それはルビーにとっても想定の範囲内の出来事だった。



「それは、おとり!」



 ルビーの長剣が引きつけられた。今度は狙いを外さないように、しっかりと地面を踏みしめる。ぬかるんだ大地に足が吸い付いているようだった。



「これが、私の最後の攻撃。これが、私が今まで生きた答え!」



 ルビーの瞳に、シストの顔が映った。




「いっけぇぇぇ!」




 鮮血が飛び散る。ルビーの長剣にシストの血が流れ伝わった。ルビーの顔も返り血で赤く色づく。


 だが、しかし――。



「う、そ……」



 シストはルビーの長剣を受け止めていた。左手のグローブは裂け、手全体から血が噴き出している。しかし、その左手はしっかりとルビーの長剣を握っていた。シストの目が、ルビーを見据える。


 シストの足が踏みだされる。体の軸が回転した。右の拳が、放たれる。



「ルビーさん、これが、僕の想いです!」



 シストの拳がルビーの鳩尾に入った。ルビーは悶絶し、血反吐を吐く。しかし、まだ倒れない。右手に残っていた剣は手放しても、意地と気合だけで立っていた。



(勝てなかった、か。これは、死ぬわよね。明らかに無茶をしすぎたもの。でも、これでよかったのかもしれない。私は、一人だった。今までも一人。死ぬときも一人。シストも一緒に死んでほしいだなんて、傲慢な考えだったのよ)



 ルビーははっきりと自分の死期を悟り、仰向けに倒れた。ルビーの顔は雨と涙で濡れていた。


 復讐に生き、復讐のために苦しんだ彼女の人生は、これで終わった。

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