第12話 シストの過去
水が滴る薄暗い地下牢の中。湿気が多く、長い間こんな場所にいたら病気になってしまうであろう。鉄格子の向こう側には階段が見えるが、見張りはいない。この地下牢から抜け出せるものなどいないという自信の表れだろうか。
そんな地下牢で、ルビーは目を覚ました。両手両足はロープで縛られており、まともな身動きはできない。
「……ふぬぬぬぬぬ!」
試しに力を入れてみたが、まったく外れる気配がない。人間の力でどうにかできるものではなさそうだ。ロープが食い込んだ手首が痛かった。
「無駄よ」
ルビーがもがいていると、地下牢の隅から声が聞こえた。ずいぶんときれいな声だった。女性の声だ。
ルビーが身をよじって声のするほうを見てみると、そこには桃色の髪を後ろで短く縛っている女性が壁にもたれかかって座っていた。その女性もルビーと同じように両手両足がロープで縛られている。
「その拘束、ちょっとやそっとの力じゃ外れないわよ。私も何度も試したもの」
桃色の髪の女性は自嘲気味に笑った。
ルビーはその桃色の髪の女性をじっと観察する。戦闘用とは思えないほどの軽装。漂うやさし気な年上の雰囲気。そして何より高い魔力を感じた。
「もしかして、あなたがさらわれたヒーラーさん?」
「私のことを知っているの?」
桃色の髪の女性は驚いたように目を見開く。
「ああ、やっぱり。私、ルビーって言います。あなたのことは黒ひげの騎士さんから聞きました」
「隊長かしら。そう。無事に逃げてくれたようでよかったわ」
「無事だったかどうかは、ちょっと微妙でしたけど、今は元気になっていますよ」
「あなたが助けてくれたの?」
「私っていうより、私の相方ですかね。私の相方もヒーラーなんですよ」
「ふーん。腕のいいヒーラーなのね」
桃色の髪の女性はちょっと嫉妬したようにつぶやいた。同じヒーラーとして、自分より腕のいい存在は憧れとともにライバルでもある。そこには複雑な思いもあるのだろう。
「私はニコルよ。ニコル・ニコ。こんなときだけど、よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
普段は暴慢な態度なルビーだったが、ニコルのような年上の女性に対してはなかなか礼儀正しい。シストがこの場にいたら、「僕にも同じように接してほしいのですが」とでも言ったことだろう。
「それにしても、あなた、やけに落ち着いているわね。何か脱出できる妙案でもあるの?」
「いえ、そんなものはないんですけど、外に今言った相方がいますから。きっとあいつがすぐにでも助けに来てくれますよ」
「ふーん。ずいぶんとその相方を信頼しているのね」
「まあ、ちょっと頼りないところもあるんですけど、いつも真剣で、私のことを大事にしてくれるやつ、だからですかね」
ルビーはほほを少々赤らめながら話した。本人が側にいないからか、本音を言いやすいのかもしれない。
「その相方って、もしかして男?」
「えっ? はい。まあ、男の人ですけど」
「……彼氏?」
「ぶはっ!」
思いがけないニコルの一言に、ルビーは思わず吹き出してしまった。顔全体が真っ赤に紅潮しているのが自分でもわかる。
「ち、違います!」
慌てて否定するが、ニコルの関心は高まっていくばかりだ。
「それで、その彼氏君はなんて名前なの?」
「だから、彼氏じゃないですってば!」
ルビーは顔を真っ赤にして否定した。しかし、そんな表情で否定しても説得力はないであろう。むしろ、ニコルの中ではその男性はルビーの彼氏であると確定したようなものであった。
「うぅ……」
ルビーは恥ずかしさのあまり首を縮める。しかし、ここで話を終わらせてしまえばニコルとの情報交換も終わってしまう。このような状況では協力者や情報が生命線となる。ここはルビーが譲歩するしかないようだった。
「名前は、シストって言います。シスト・ラング」
「シスト? もしかして、銀髪で、片メガネをかけた?」
「はい。もしかして、ニコルさんもシストのことを知っているんですか?」
ニコルは信じられないといったような表情で口を開けた。実際、半分は信じられなかっただろう。こんな地下牢の中で、共通の知人がいる人に出会える可能性などゼロに等しかった。
「もしそのシストが私の知っているシストなら、私と同じ魔法学校に通っていたシストだわ。クラスも同じだったのよ」
「ええっ。そうだったんですか!?」
ルビーは驚嘆する。思いがけないところでシストの知り合いと出会い、様々な思いが頭を巡った。特に、シストの過去に関してだ。
「シストって、どんな学生だったんですか」
なぜかルビーの声が小さくなった。
「知りたい?」
なぜかニコルの声も小さくなった。
「……はい」
ここで肯定してしまえばまたからかわれるかもしれないとも思ったが、それよりもシストの過去への興味が勝った。ルビーは何度かシストに過去のことを訊いたことはあったが、いつも適当なことを言ってはぐらかされていた。こんな場合だったが、せっかくなのでニコルに話してもらえるだけのことを話してもらおうと考えたのだ。
「いいわ。教えてあげる」
そんなルビーを、ニコルはからかいもせずに微笑んで受け入れた。同じ友人を持つもの同士として、通じ合うものがあるのかもしれない。
「一言で言えば、天才、かな」
「天才……」
確かにルビーから見てもシストは天才だった。どんなヒーラーでも、あれほど見事に怪我人や病人を治療できる人はいない。しかし、そんなルビーの思考を読み取ったかのように、ニコルはニヤリと笑った。
「ただし、努力の、ね」
「努力の?」
努力の天才ということか。これにはルビーも首を傾げる。シストの才能は群を抜いていることは確かだ。しかし、それは努力というよりも才覚によるものが大きいように思える。しかし、目の前にいるニコルはそれを否定したのだ。
「わからないって顔をしているわね」
「ええ、まあ」
ニコルはからかっているのか、クスクスと楽しそうに笑った。まるで二人とも囚われていることなど忘れてしまっているかのようだった。
「ルビーちゃんは、ヒーラーとしての実力は何で決まると思う?」
「ヒーラーとしての、実力」
ルビーは少し考えてみる。ヒーラーの実力とはどれほど強力な回復魔法が使えるかが一般的な指標だ。つまり、魔力の高さが物を言うことになる。
「普通に考えれば、魔力ですけど」
ニコルの言い方だと、普通に考えても答えにはならないと言っているようなものだ。しかし、ルビーはそれ以外の答えを知らないために、そうとしか答えられなかった。
「そうね。普通に考えれば、魔力が高いヒーラーがすごいヒーラーだものね。魔力によってヒーラーの実力が決まると言ってもおかしくはないわ。……シスト以外ならね」
シスト以外。やはり、シストは特別ということのようだ。
「魔法学校でのシストの成績は平凡。むしろ少し悪いくらいだったかな。簡単に言えば、強力な回復魔法は使えない、どこにでもいるようなヒーラーだったってことね。むしろ、武術の才能のほうがあったんじゃないかしら」
「確かに、シストが強力な回復魔法を使っているところは見たことがないです。いつも町のヒーラーが使うような普通の回復魔法しか使っていませんでした」
ルビーは今までの旅でのシストを思い出す。何度か回復魔法を使っている場面に出くわしたが、使用している回復魔法は一般的な回復魔法しかなかった。
「そう。シストは自分の魔力の低さを嘆いていたわ。どうにかして魔力を上げることができないかと苦心していた時期もあった。たぶん。その頃がシストにとって一番つらい時期だったのかもね」
ニコルは昔を思い出して悲しそうな表情をする。当時を知るものとして、シストの苦しみが伝わってきたのだろうか。
「結局、シストの魔力は上がらなかった。どんなに努力しても、魔力の最大値には限界があったのよ。それこそ、才能ってやつなのかもね」
「才能……」
魔力を持たないルビーにはよくわからない世界だ。ルビーは小さなころから剣士として育ってきたため、魔力を使う修行はしてこなかった。そのため、才能といえば剣の才能で、それは訓練すればするほど向上するものだった。魔力とは、根本的に違うのであろう。
「シストは才能の壁にぶつかった。それでも、シストはあきらめなかったのよ。何が彼をそこまで動かしたのかは知らないけど、シストはすでに廃れた医術という治療法を見つけてきたわ。そして、シストはその医術と回復魔法を組み合わせて、画期的な治療法を編み出した」
「それが、今のシストの治療法なんですね」
「そうよ。シストの治療法は瞬く間に噂になったわ。魔力を使った科目の成績は平凡でも、総合的な実技科目ではいつもトップクラスの成績をおさめられるようにもなった。ついには、卒業後は王宮の宮廷医師団に入らないかっていうお誘いがあったくらいだもの」
ニコルはまるで自分のことのように誇らしげに語った。それほどシストとニコルは当時から仲がよかったのだろう。もしかしたら、それ以上の感情もあったのかもしれない。
「すごかったんですね」
「それはそうよ。何がすごいかっていうと、シストの治療法を使えば、どんな平凡なヒーラーでも大魔法使い並みの回復魔法を使ったのと同じになるってことよ。いえ、もしかしたらそれ以上かもしれないわ。人類の発展に必要なのは、一〇〇人の大魔法使いではない。シストみたいな、一人の努力の天才が必要なのよ!」
熱が入ったニコルの語りに、ルビーは若干引き気味になる。しかし、同時に疑問も生じてきた。
「でも、そんなにすごかったのに何でシストは宮廷医師団に入らなかったんですか? シストの性格や能力を考えても、別に問題があるように思えないんですけど」
「あ……」
ニコルは、「しゃべりすぎた」という顔つきになった。ここからはきっとシストの暗い過去になる。それを他人の自分が話してもいいものだろうか、という顔だ。
「ニコルさん」
ルビーの目は真剣だった。
「私は、シストのことをもっと知りたいんです。どんなことでも受け止めますから、話してくれませんか?」
「これを話せば、あなたのシストを見る目が変わるかもしれないわよ」
「変わりませんよ。私は、シストを信じていますから」
「……」
「……」
二人は真剣な目で見つめ合う。互いが互いの意思の強さを確認しているようであった。そして、根負けしたかのようにニコルは弱弱しく笑いだす。
「ダメね。あなたの目を見ていると、すべてを話してしまいたくなっちゃう。もしかしたら、あなたならシストを変えてくれるかもしれない。そう思ってしまうわ」
「それじゃあ」
「ええ。話してあげる。シストに、何があったのかを」
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