第13話 医療ミス

 ニコルは少し間をおいてから話し始めた。頭の中でどう話せばいいのかを整理したのだろう。その目にはもう迷いはなかった。



「簡単に言えば、シストは失敗したのよ。医療ミスって言えばいいのかな」


「シストが!? でも、魔法学校の授業だったんですよね?」



 ニコルは沈痛な面持ちで首を横に振った。ルビーは目を見開き、息を呑む。



「患者は町で倒れていた一般人だったわ。シストが発見したときは、すでに一刻の猶予もなかった。だから、シストはすぐにその人の治療に入った。迷いはなかったと思うわ。なぜなら、そのころのシストは魔法学校を卒業間近で、宮廷医師団への内定も決まっていた。腕には自信があったはずだもの」


「でも、失敗した……」


「ええ」



 ニコルはコクンと、弱弱しく頷いた。



「シストの診断ではその人は心臓を病んでいたわ。だから、シストはその人の胸を裂いて、心臓に直接回復魔法をかけようとした。でも、シストの治療法はそのころはまだ一般的ではなかったわ。今でも一般的ではないけどね。あの治療法を使っているのはシストしかいないわけだし」


「シストの治療法を真似しようとする人はいなかったんですか?」


「興味を持った人はいたわ。そのうちの一人は私かな。あと一人、私たちの親友でカイってやつがいるんだけど、そいつもシストからその治療法を学ぼうとした。まあ、結局はこの事件のせいでうやむやになっちゃったけどね」



 それほどニコルが話そうとしている事件はシストだけでなく、その周りの人々にも影響を与えたということか。あまりの話の重さに、ルビーの口の中の水分が干上がってくる。



「話を戻すわね。シストがその人の治療をしようとすると、その様子を見ていた人たちがシストの行動を非難しだしたのよ。無理やりシストを止めようとする人もいたらしいわ」


「えっ。それで、それをシストはどうしたんですか?」


「そのころのシストはまだ若かったのね。今はそうかわからないけど、シストはその人たちを説得しようと自分の治療法を語りだしたわ。この治療法がどれほど有用で、どれほど効果的かを。口論といってもいいわ。そう、患者のことを放っておいてね」


「まさか、あのシストが!?」



 ルビーには考えられないことだった。ルビーの知っているシストはどんなことがあっても患者を優先するヒーラーの鏡である。そのころのシストに、いったい何があったのか。



「たぶんだけど、シストも名声が欲しかったんだと思う。でも、そんな周りの非難にいちいち反論していたら、患者がどうなるか、誰でもわかることよね」


「……」



 つまり、シストがぐずぐずしているうちにその心臓を病んでいる患者は死んでしまったのだ。もしシストが周りの言葉に耳を貸さず、患者の命を優先していれば結果は変わっていたかもしれない。



「シストが患者の胸を開いたときにはもう手遅れだったわ。周りはそれをシストの医療ミスだと判断した。実際、シストも非を認めているのよね」


「シストを弁護してくれる人はいなかったんですか?」


「私を含めて、シストに親しい人はみんなシストを弁護したわ。でも、他の人たちは違った。シャムス王国はシストの宮廷医師団への内定を取り消し、患者の遺族はシストを人殺しだと言ったわ。そして、町の人たちはシストを町から追い出してしまったのよ」


「ひどい……」



 ルビーはそのときのシストの心情を思い、涙を流した。つらかっただろう。悔しかっただろう。そんな言葉で表せないほど、シストは悩んだはずである。



「これが、ヒーラーのつらいところかもね。ヒーラーは患者を治療できれば感謝されるけど、少しのミスでもすれば人殺し扱いよ。だからこそ、魔法学校ではヒーラーになりたがる人は少なかった。シストはその貴重で優秀なヒーラーだったのに」



 ニコルの言葉の端々には悲しみと憎しみが混じっているようだった。心なしか、先ほどよりも表情が硬い。当時のことを思い出して、心が乱れているのかもしれなかった。



「誰も、シストを止めなかったんですか?」


「もちろん止めたわよ。シストの腕があれば、町のヒーラーでも十分にやっていける。それに、シストが編み出した治療法をみんなに伝授すれば、苦しんでいる多くの人が救われたかもしれなかったのよ。誰がみすみすシストを行かせるものですか」


「でも、シストは行ってしまった」


「ええ。止める間もなく、ね。シストが遺族に頭を下げに行って、さんざん罵倒されたその日に。シストの家の財産はすべてその遺族に渡したみたい。それでも、その遺族はシストを許さなかった」


「……」



 ルビーは今の話を聞き、遺族のほうに憤慨した。確かに親族が亡くなったのは悲しいことだろう。しかし、その命を助けようとしたシストに当たるのは筋違いだと思った。シストが発見したときにはすでに患者は危険な状態だったのだ。もしシストが治療を行わなかったとしても、その患者は亡くなっていたのではないか。



「そのあと、シストは……?」



 ニコルは首を横に振った。知らない、ということらしい。きっと諸国を旅してつらい思いをしてきたことだろう。それを思うと、ルビーは胸が苦しくなる。


 一方、ニコルはそんな別れ方をしたシストとつながりのあるルビーに出会えてうれしかったようだ。もしかしたら、もう一度シストに会うことができるかもしれない。それだけで、今を生きる希望が湧いてくるというものだった。



「私たちはいつでもシストの帰りを待っているわ。だから、シストに会ったら伝えてちょうだい。早く帰ってきなさいって」


「わかりました。ぶん殴ってでも、シストをニコルさんのもとに連れていきますよ」


「ふふふっ。ありがとう」



 ニコルが笑い、ルビーが笑った。短い間だが、二人の間には絆が生まれていた。それはシストという一人の男を鎖にした、確かな絆だった。



「早く、会えるといいですね」



 ルビーは心の底からそう思えた。


 そのとき、ルビーの顔色が変わった。



「うっ。ごほっ、ごほっ」



 ルビーが急に咳き込みだした。ニコルもヒーラーなので、この咳が尋常なものではないことはすぐにわかった。不自由な手足で何とかルビーににじり寄ろうとする。



「ちょっと、ルビーちゃん。大丈夫!?」


「だ、大丈夫です。……ごほっ、ごほっ」



 とても大丈夫そうには見えない。ニコルは回復魔法をかけたかったが、手足が拘束された状態ではできるものではない。そばにいてあげたいとも思ったが、移動もままならなかった。何もできないまま、ニコルはおろおろと狼狽えるしかない。焦燥感ばかりが積もる。



 そこに、救世主ともいえるべき存在が現われた。



「ルビーさん、大丈夫ですか!?」



 声のするほうを向くと、地下牢の外に白衣を着た銀髪の青年が立っていた。シストである。手には地下牢の鍵であろうか、鉄の鍵束が握られていた。


 シストはすぐさまその鍵束を使って地下牢の扉を開けた。ただ鉄の扉が開いただけなのに、かなりの解放感がある。


 シストはルビーの駆け寄ると、治療の準備を始めた。



「今治療します。動かないでください」



 シストはルビーの拘束を解くと、その手でルビーの服を脱がせ始めた。ルビーはわずかに抵抗したが、咳で息苦しく、うまく体を動かすことができない。



「ちょ、ちょっと、今はまずいわよ。人が、ニコルさんが見ているから! ごほっ、ごほっ」


「人を気にしている場合ではありません。今は一刻を争うときです。素直に服を脱いでください」


「わかった。わかったから。せめて自分で脱がせて。あ、あ、あぁぁぁ!」



 シストの手は止まらない。ツベキュローシスの発作で弱っているルビーでは、シストの服を脱がす行為を止めることはできなかった。結局、ルビーはシストに着ている服を脱がされてしまう。きれいな白い肌が地下牢の中で輝いていた。



「あ~。私は後ろを向いているわね」


「はい。お願いします」



 シストはニコルの存在に気づいていないのか、ルビーの治療に専念していた。ルビーにとって、今はシストのやさしさが痛かった。ルビーは涙を流しながらその小さな胸をシストに触られ続ける。



「終わりましたよ。気分はどうですか?」


「……最悪よ」



 シストは首を傾げる。



「変ですね。まだ回復魔法が足りないのでしょうか。では、もう一度……」


「そういうことを言っているわけじゃないわよ!」



 ルビーはシストの顔面に殴りかかった。しかし、いつものようにシストはやすやすとルビーのパンチを受け止める。ルビーのフラストレーションはたまる一方だ。



「これだけ元気があれば大丈夫ですね。心配しましたよ」


「私は、あんたの頭が心配よ」


「へっ?」



 何のことを言われたのかわからないらしく、シストは呆けた声を出す。その表情が、ルビーをさらにイラつかせることになった。



「おーい。お二人さん。そろそろ私のことを思い出してくれる? 拘束を解いてほしいんだけど」


「ああ、すみません。今すぐ解きます」



 シストがナイフを片手にニコルに近づく。すると、すぐにその顔が驚愕の色へと変化していった。



「ニ、ニコルさん!?」


「やっぱり気づいていなかったか。そうよ、あんたの親友の、ニコル・ニコよ」


「もしかして、囚われていたヒーラーというのは……」


「そう。私」



 シストはナイフをしまい、ルビーと一緒に地下牢を出ようとした。



「ちょっと待てい! なんで私を置いていこうとしているのよ!」


「いや、僕にも会いたくない人というのがいましてね?」


「それを本人の前で言う!? 別に私からあんたに何か言うつもりはないから、今は協力してここから出ることにしましょうよ」



 シストは大きくため息をついたあと、再びナイフを取り出してニコルを縛っていたロープを切った。また、ここの侵入する際に奪っておいたのか、ルビーの二本の剣も本人に渡す。



「言いたいことは色々とあると思いますが、今はここから脱出することだけを考えましょう。二人とも、いいですか?」


「ええ」


「わかったわ」



 ルビーとニコルは頷いた。


 地下牢から上へ上る階段へと向かっていく。シスト、ルビー、ニコルの三人はゆっくりと地下牢から脱出していった。

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