6-1 涼森螢助

 少し、昔話をしよう。

 ただ一人を救うために全てを犠牲にし、悪魔に身を売った少年の話。

 そして結局、ただの一人も救えなかった、バカな探究者Chaserの物語だ。


 涼森家は代々神話技術を研究してきた家系だ。

 こう書くと大層なものに聞こえるが、実際のところ、ショゴスを育てて売るだけのブリーダーのようなものだ。新しい研究などここ数代行っておらず、過去の遺産を利用して食っていっているだけの、向上心の欠片もない家系。

 とはいえ、螢助はそれなりに幸せだった。特権的知識を有する家系に生まれたこと。師としては厳しいが自分に期待してくれている両親。自分を慕ってくれている妹。学校での成績もよく、友人も多かった。すべてが充実した人生。

 だが、終わりはあっけないものだった。

 両親が不在であった不運、神童と呼ばれるだけの才能を持っていたことによる慢心、そして妹の好奇心を事前に察知できなかった迂闊。

 神話技術に興味を持った風香が、両親や兄には内緒で、地下の研究室に忍び込み、そこに保存されていたショゴスの手で惨殺されてしまったのだ。

 異変に気付いて螢助が駆け付けたとき、そこはペンキをぶちまけたように血まみれで、風香の肉体がバラバラになって散乱していた。

 螢助は半分に破壊された風香の首を抱きかかえ、慟哭をあげた。両親が帰ってくるまでの間、無数に散らばった風香の肉片をただただ集めていた。まるで、そうすれば風香が生き返るとでも言うように。

 涼森螢助の狂気は、そこから始まった。

 それ以来、彼は死者復活の幻想に取りつかれ、長年停滞していた涼森家の神話技術探究を推し進めるようになった。

 それは螢助にとっての希望であり、両親にとっての絶望だった。躍起になって研究を進める螢助に反して、両親の反応は冷淡で、協力どころか邪魔をするほどだ。

 探究者の本分は未知の分野を開拓すること。まだ若い螢助はそれを心から信じていたため、両親の態度が信じられなかった。一度それに激昂して両親に怒鳴ったことがある。


「なぜ、邪魔をするんですか!?父さんと母さんは、風香が死んだことが悲しくないんですか!?神話技術なら、風香を蘇らせることができるかもしれないのに!」

「螢助、確かに風香の死は悲しいことだ。だが、研究費をどこから出すつもりだ?死者復活は実現できれば莫大な利益を生むが、失敗すれば金をドブに捨てることになるんだぞ?おまえは父さんと母さんを路頭に迷わせるつもりか?」


 父はそんな螢助に対して、諭すような穏やかな口調で言った。母もまるでそれが当たり前であるかのように父に同調する。だが、逆に螢助は、その言葉で呆然となった。


「我が家はショゴスの養殖と品種改良だけで十分な利益を得ている。新しい分野に手を出すのはリスクが高い。妹はまた作ってあげるから、我儘を言うのは止めなさい」


 両親は決して、螢助に悪意があったわけではない。プロである以上、仕事に利益を求めることも決して間違いではない。ただ、それを素直に受け入れるには螢助は若すぎ、理想に燃えていた。探究者でありながら挑戦心を捨て、ただ利益を求める発想を嫌悪した。


「おまえたちは、探究者じゃない」


 両親は一つだけ正しいことを言った。研究には金が必要だ。まだ子どもである螢助が満足な研究費を得るためには、親の遺産を引き継ぐしかない。

 だから、螢助は研究の邪魔となる両親を殺した。

 その時点で、彼はもう正気を失っていたのだろう。風香と一緒に両親も蘇らせれば問題ない。実現できれば両親もわかってくれる。そんな思いで探究を続けた。

 両親の遺産を惜しみなく使い、密かに一般人をさらって実験台にし、来る日も来る日も実験室にこもり、研究を重ねた。実験台に使った人間や神話生物の怨嗟の声を、夢の中で聞かない日はない。だが、研究は一向に進まず、焦りだけが募っていった。

 それでも、この研究を完成させれば救いはある。理想は徐々に強迫観念へと変わっていき、螢助の精神を日に日に摩耗させていった。

 そして、限界は訪れた。

 限界を迎えたのは精神ではなく、もっと現実的な問題。研究資金が底をついたのだ。どれだけ優れた才能があり、弛まぬ努力を重ねたところで、金がなければこれ以上の研究は進められない。皮肉なことに、両親の指摘は現実のものとなった。

 最愛の妹を亡くし、両親を自らの手にかけ、何の罪もない大勢の人間を実験台にし、無駄な探究に時間と資金を割いて、螢助に何が残ったのか。

 金だ。金が必要だった。研究を続けるための費用が。螢助は父親の伝手を使って、他の神話技術研究家に掛け合って資金提供を申し出たが、ことごとく一笑に付された。彼らは父親と同じ俗物で、利益を生む可能性が低い研究に協力する者などいなかった。


『私は思うんだ。優れたものを生み出すためには、狂気に呑まれる必要があると』


 螢助がその男に会ったのはその時だった。


『人は巨大な竜の上に乗って生活しているようなものだ。普通の人はその竜を殺そうとは思わない。可能か不可能か以前の問題として、殺してしまったら地面がなくなって自分が死んでしまいますからだ。竜殺しの剣を作ろうと考える時点で、そいつは狂人だ』


 どこか人の神経を逆なでするような話し方をする男だった。本能的に、この男のことは好きになれないと、出会った瞬間に気付いた。


『涼森螢助、はっきり言って君は狂っている。だが、それはとても喜ばしいことだ。君は悲惨な人生を送ることで初めて、真の探究者としての扉を開いたのだ』


 それでも彼の言葉に耳を傾けたのは、自分が本当に必要とするものを与えてくれる人物だったからだ。それが悪魔の誘いと分かっていても、螢助は受け入れてしまった。


『資金と知識、君の欲しい物を提供しよう。対価は必要ない。君ならきっと……対価に見合った結末を見せてくれる』


 悪魔のささやきに耳を貸した者の末路がどうなるかなど、おとぎ話を知る者なら誰でもわかることだが、その時の彼にはそれに気づけるだけの正気が残っていなかった。

 そうして彼は、悪魔から、知性あるショゴス――ショゴス・ロードの知識を教わった。

 ショゴス・ロードは、体内に脳を生成することで人間並みの知能を手に入れた、ショゴスの支配種だ。地球上での発見例はなく、知識として知る者すらほとんどいない。

 悪魔がどうやってその知識を手に入れたかには、螢助は興味を抱かなかった。大切なのはその生態。そのようなショゴスが存在するなら、ショゴスに人間の脳を取り込ませれば、知能と記憶と姿を完璧に模倣することができるのではないかと考えたのだ。

 まさに、思考実験の『泥人間』。風香と同じ記憶と姿を持つ生物を作り上げることができるのなら、それは死者の復活と同じ。狂気に犯された哀れな少年は、新しい糸口を発見したことに歓喜し、自らの過ちに気付くことなく、人生最大の失敗を犯すこととなった。


◆◆◆◆◆◆


「……まぁ、うまくはいったよ。確かに、記憶はきちんと受け継がれた。本人だって、自分がショゴスだってことになかなか気づかない。俺だって気づかなかったしな」


 呆然とする風香に、ケースケはぽつぽつと語った。

 頭がガンガンと割れそうに痛む。ショゴスなのに、無理して『銀の操手』を使った影響だ。脳に過負荷がかかり、加減を間違えば廃人と化すため、乱発はできない。


「でもな。不思議なことに、記憶が完璧でも人格は別物だった。涼森螢助が作り出した『涼森風香』は、記憶と外見が同じなだけの別人だった」


 これ以上話を聞きたくないとでもいうように、風香は耳を塞ごうとする。だが、話している間、ケースケは『銀の操手』で風香を拘束し続けていたため、それは叶わなかった。脳の無理な酷使で吐き気がする中、ケースケは最後の言葉の刃を風香に叩きつける。


「まぁ、当然と言えば当然だよな。いくら記憶が同じだと言っても、身体の作りはまったくの別物なんだ。涼森螢助は天才だったが、ショゴスの俺はバカだったみたいにな。脳の動かし方が違うんだから、知識が同じでも、人格が違うのは当たり前だ。俺たちは涼森螢助の望んだ完璧な模倣品じゃなくて、できそこないの泥人間だったわけだ」

「だま、れ……」


 人間用の『銀の操手』をショゴスが使っても完璧な拘束はできない。力づくで拘束を振り切った風香は、震える腕を振るい、配下のショゴスを操る。


「だまれえええええええええええ!!」


 ケースケの全身を貫いていた触手がしなり、少年の身体を壁に叩きつける。触手は何度も何度も狂ったように跳ねまわり、その衝撃で工場自身が地響きを立て始めた。


「嘘だ!私は人間だ!おまえみたいな下等生物と一緒にするな!死ね!死ね死ね死ね!」


 風香は冷静さを欠いていたため、叩きつけた拍子にケースケが自由になったことに気付かなかった。巻き起こる土煙を煙幕代わりに、ケースケが猛獣のように走り出る。

 二人の対峙は悲しみゆえか、怒りゆえか。互いに同じ境遇を持つたった二人の姉弟は、互いの相容れない生き様を否定するため、再び相対する。

 風香の憤怒に満ちた呼気に合わせ、触手の嵐がケースケに降り注ぐ。避ける隙間すら見つからないほどの攻撃の雨あられ。一つ一つが人間を一撃で死に至らしめる死神の鎌。

 近くに落ちていた鉄パイプを拾い、ケースケは転がるようにしてかわす。避け切れなかった攻撃は鉄パイプで受け流す。かすっただけで鉄パイプは曲がり、少年の身体は吹き飛んだ。やはり、鉄パイプでは玉虫磨穿のような精密な動きはできない。


『てけり・り!てけり・り!』


 攻撃の合間に、人間の手足を生やした不気味な小型ショゴスが駆けてくる。屋敷で襲撃をかけてきた種類だ。力も速さもないが、掴まれば一瞬動きを止められ、致命的な隙が生じてしまう。ケースケは折れ曲がった鉄パイプで、力任せに小型ショゴスを殴り飛ばす。

 隙をついて足元から迫ってきていた触手を、ケースケは仰け反るようにして強引に躱わした。身体には当たらなかったが、触手が鉄パイプを切断し、長さが半分ほどになった。


「捕まえたああああああ!!」


 体勢を崩したケースケに、風香は触槍を飛ばす。引き絞られた矢のごとく飛んだ触手は、狙い違わずケースケの肉体を穿つ。

 笑みを浮かべて勝ち誇ったのは一瞬、風香ははっとして目を見開く。視線の先には、腹部を貫かれた状態のケースケが、槍投げの姿勢で鉄パイプを構えていた。

 走る銀閃、反射的に頭を抱えて身を屈めた風香の頭上を、鉄パイプがかすめ飛ぶ。人外の膂力で投擲された槍は、破砕音とともにコンクリートの壁に突き刺さり、振動音を鳴らしながら止まった。

 風香が顔をあげると、そこにケースケの姿はなかった。正面対決は不利と察して、姿を隠したのだろう。柱に瓦礫、姿を隠す場所はいくらでもある。


「……なんて奴」


 風香は歯噛みし、唸った。今の攻撃は完全に狙って行われたものだ。

 体勢を崩した振りをして鉄パイプを切断させて槍を作り出し、致命傷を受けない程度の攻撃をわざと受けて投槍の時間を作り出した。文字通り、身を削る戦い方。

 死にはしないとは分かっていても、実行するには並大抵ではない胆力が必要だろう。刀さえなければ大した相手ではないと高をくくっていた風香だったが、すぐに認識を改めさせられた。知能を持ったショゴスとは、それだけで脅威だ。


「だけど、私の方がずっとずっと強い」


 ぽたぽたと鼻から血を滴らせながらも、風香は嬉しそうに笑う。

 ショゴスでありながら、人間用に調整された『銀の操手』を無理やり使い続けた結果。脳に莫大な負荷がかかり、脳死が始まっている。しかし、風香はそんなことは気にしない。あるいは、もうそんな判断ができないほどに脳が壊れてしまっているのか。


「楽しいなぁ。お兄ちゃんと遊ぶの、すっごく楽しい。もっと遊ぼう?お兄ちゃん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る