7-1 エピローグ

「先輩、買い物に行ってきてもらってもいいですか?」


 二人が出会った当初は、和葉に対し、クールビューティーといった印象を受けたが、生活を共にしていると、彼女は出不精――別名引きこもりと呼ばれる人種だと判明した。

 日がな一日、寝転んでは本を読み、座っては本を読み、食事をとりながら本を読み、たまに運動と展示品の整理をする。それが和葉の生活のほぼすべてだった。一応神話科学探究者のはずだが、彼女が何かの研究をしているところをとんと見たことがない。

 ケースケの主な仕事は、買い出しと掃除、あとは博物館の受付係くらいだったが、客など週に一人来るか来ないかていどなので、大半を暇で持て余していた。


「やぁ、ミス和葉!今日もアンニュイな雰囲気がミステリアスで素敵だね!しばらく会いに来れなくて、寂しくなかったかい?このところ、難事件にかかりきりでね。まったく、優秀な刑事というのは罪な存在だよ」


 そんな中、特に印象に残っている客といえば、和葉相手に1時間近く美辞麗句とオカルトトークを続けていたこの男だろう。モデル並みのルックスと高身長、そして長い脚を持つ眉目秀麗な色男だった。言わずもがな、布槌警察署の半津警部である。

 意外にも和葉に嫌がっている様子はない。基本的に話しているのは半津だけだが、和葉も話に合わせて相槌を打っているので、きちんと話は聞いているようだ。


「……誰?」

「うちの常連さんです。多いときは三日と置かずにいらっしゃいますね」


 買い出しから帰ってきたときには既にいて、話が終わったら聞いてみようと思っていたが、いつまで経っても終わる気配がないので和葉に聞いてみると、そんな回答が返ってきた。その間も、男はケースケの存在に気づいていない様子で一方的に話し続けていた。


「あー、難事件って?」

「ふっ、よくぞ聞いてくれた。先日起きた布槌総合病院集団失踪事件についてなのだがね。私の名推理で解決したのだが、本庁は報告書の内容に納得できなかったらしい。文句をつけてきた上に、責任を私の部下である麗しのミス白兎に押し付けたのだよ」


 やれやれといった感じで、半津はとても残念そうに首を振る。


「恐らく、私と彼女の仲睦まじさに嫉妬して、難癖をつけたかったのだろう。まったく、彼女の味方は私だけということだね。だが、私の推理以上に論理的な解答が見つけられるはずもない。事件は結局、迷宮入りだよ。上が無能だと下が苦労するというのは本当のことだね。大量の書類を作らされるはめになったミス白兎がかわいそうでならないよ」

「へー、あんたはやんなくていいの?」

「あぁ、私の分は荒木くんに作ってもらっているから問題ない。そのおかげで、こうやってマイスイートハニー・ミス和葉にお会いできるわけだ」

「おー?……あー、なるほどー」


 一瞬、あれ?なんかおかしい気がする、と思ったが、頭の悪いケースケはよくわからなかったのでとりあえず納得しておく。和葉が小声で「……あとで白兎さんに差し入れでもしてあげよう」と言って溜息をついたのが聞こえたが意味はよくわからなかった。


「……つまり、その事件の犯人はわからずじまいなんですね?」

「うむ?そうだね。布槌では謎めいた事件が多い。一つの事件に掛かりきりというわけにもいかないから、再調査もされないだろう」


 珍しく和葉の方から話しかけていたのが少し意外だったのだろう。比較的まともに返してくる。話が途切れたことで意識の矛先が変わり、半津はケースケの方に目を向ける。


「……ところで、君は誰だね?」

「あー、新しく入ったアルバイトのケースケです」


 問われ、あらかじめ用意していた答えを返す。

 嘘は言っていない。もはやケースケは和葉の所有物なのだが、一応働いた分のバイト代をくれる。ちなみに時給三百円。小学生の小遣いか。


「なるほど、つまりミス和葉の召使いか。ならば、私にとっても召使いのようなものだ。困ったことがあれば、連絡をくれたまえ」

「あー?ありがとうございます?」


 深く考えずに差し出された名刺を受け取る。「……ツッコミがいない」と呟く和葉。

 名刺の表にはでかでかと派手な装飾付きでただ『半津槐』とだけ書かれており、裏を見ると半津がポージングを決めているブロマイドが印刷されていた。


「全部で108種類ある。がんばって集めてくれたまえ」


 うわ、いらねえとケースケは本気で思った。つーか、連絡先どこだよ。


「さて、名残惜しいが、今日はミス白兎とディナーをする予定なんだ。ミス和葉、今日はとても会話が弾んで楽しかったよ。続きは今度ディナーを一緒にする時にでも」

「勝手に私の予定を入れないでください。というか、白兎さん、今日は忙しいのでは?」

「あぁ、ディナーのことは伝えてないからね。書類の納期が今日で、精神的にピリピリしている彼女の緊張を解すための、ちょっとしたサプライズさ」

「……たまに思うんですが、槐さん、よく刺されませんね?」


 では、と扉から出ていく直前、半津が振り返る。


「あぁ、そういえば、2階に新しい展示品が増えていたね」

「……あー、展示品もちゃんと見てんだな、あんた」


 2階に増えた新しい展示品といえば、雨音の羽のことだろう。個人的には複雑な思いがする品だが、事情を知るはずもない半津は上機嫌でのたまう。


「無論だとも。オカルトは私の大好物だからね。あぁ、あれは実に美しい羽だった。きっと持ち主もとても美しかったのだろう。一度見てみたいものだ」


 最後にそれだけ言い残して、男は嵐のように去って行った。不意打ち気味の言葉に何と言うべきかわからず、ケースケは和葉の方を見る。


「……あいつも神話生物探究家Pray Chaserなのか?」

「いいえ。槐さんはごく普通の人間……いえ、普通ではないかもしれませんが、神話生物探究家Pray Chaserではありません。無駄に鋭くて、確信を突く発言をしますが」

「料金箱空だけど、あいつ、入館料払ってねえんじゃね?」

「現金を持ち歩いてないそうですよ。そのうち払うという約束を五年くらい前にして、まだ一度も払ってもらったことないですね」


 数少ない常連相手にすらそんな対応で、この博物館の経営は大丈夫なのかと不安になったが、まぁ、どうでもいいやとすぐに考えるのを放棄した。

 ケースケにとって、博物館の経営自体はどうでもよかった。ただ、暇な時間が多いのはあまりうれしくない。考える時間が多くなり、気分が沈む。

 あれ以来、ケースケはうまく涼森螢助の姿になれなくなってしまった。

 それはきっと、怪物である自分を受け入れてしまったからだろう。今のケースケは、強く意識しなければ、人間の姿を保てない。変身していても、ちょっとした油断でショゴスに戻ってしまう。そのため、未だに全身に包帯を巻いて、素肌を隠している。ケースケは特にそのことを気にせず、和葉も何も言わなかった。

 ショゴスは自身の思考と嗜好で自由に姿を変えることができる。雨音とケースケが共に過ごしたのは、たった二日間だけのことだったが、彼女との出会いがケースケの価値観を変え、今の姿を決定づけたと言っても過言ではない。

 涼森螢助としての記憶は失われつつあり、それを取り戻そうとすら思わなかったが、ケースケが雨音と過ごした二日間を忘れることはないだろう。彼女が自分を呼ぶ声、彼女に対する思慕、彼女と唇を重ねた記憶……そして、自らの手で彼女の命を奪った感触。

 妹を失った涼森螢助も、今のケースケと同じ気持ちだったのだろうか?いや、おそらく違うだろう。涼森螢助とケースケはあくまで別人であり、ケースケが雨音へと抱く思いは唯一無二のものだ。それになにより――


『――ケースケくんは、生きてね』


 雨音が、ケースケに贈った言葉があった。

 あのまま、あの場所で雨音と一緒に死んでいても、ケースケに悔いはなかった。彼女と一緒に同じ場所に落ちて逝けるなら、満足すら感じていただろう。

 だが、結局は生き残ってしまった。

 もう雨音と一緒にはなれない。だから今はこうして、雨音の言葉を胸に、惰性で日々を過ごしている。

 色のない世界で、味のないものを食べて生きている気分だった。人が一人いないだけで、世界が空虚に染め上げられたような感覚を、ケースケは味わった。

 廃工場から持ち帰った雨音の遺体は和葉に預けた。ケースケでは墓を作ってやることすらもできないからだ。和葉が雨音のために墓を作ってくれたかどうかはわからないが……まぁ、風香に預けるよりはずっとまともな扱いをしてくれているだろう。

 それきり、雨音の行く末は聞いていない。しかし、心の整理がついたら彼女の墓の場所を聞き、線香の一つくらいあげてやらなければならないと思っている。


「そうだ、先輩。ちょっと手伝ってもらってもいいですか?」


 半津が去った後、和葉がケースケに声をかける。

 和葉はケースケに対して、以前と変わらぬ態度をとっていた。命令には絶対服従の立場なのだからもっと偉そうにすればいいものを、いつも知り合いに頼むように言う。

 元より仕事なんて大してない。ケースケは二つ返事で了承する。

 倉庫整理の手伝いだろうか?和葉は女性であることを差し引いてもとんでもない非力であるのに対し、ケースケは見た目よりはるかに腕力があるので時々手伝わされる。案の定、連れられてきたのは、展示品の在庫が並ぶ倉庫だった。

 そして、和葉は一つの像の前で立ち止まる。

 これを運ぶのかと思ったら、和葉はその像の首を百八十度回した。すると、壁の一角が動き、隙間ができる。隠し扉だ。


「……ここの研究施設か?」

「えぇ、あまり上等なものではありませんが。入るのは初めてですよね?」


 ケースケはうなずく。

 涼森螢助の実験室がそうであったように、神話科学探究家Pray Chaserは自らの研究を隠す。違法な研究を隠すためと、他者に研究成果を奪われないようにするためだ。

 これからは時折、和葉の研究の手伝いもさせられるのだろう。ケースケは、特に疑問にも思わず、研究施設の中へと足を踏み入れる。


 ――そして、それを見て、息を止めた。


 赤い液体に満たされた、巨大な水槽。それは涼森家が研究のために使用していた神話技術の一つなのだから、記憶の薄れてきているケースケにも一目でわかった。立体駐車場の地下に存在した実験室にあった水槽と同じものだ。

 捕らえた人間を入れ、劣化のない完璧な状態で保存することを目的とした水槽。本来、生きた人間を入れておくための檻。

 その中に、月海雨音が眠るように横たわっていた。


「これ……」

「涼森螢助の実験室にあった資料を読み漁って、試してみました。付け焼き刃だったのでうまくいくか不安でしたが、一週間様子見したところ、状態維持は成功したようです。彼女は今、死んだ直後で時間が止まっているような状態になっています」


 ケースケは、驚きで見開かれた目を、雨音から和葉へと移す。

 彼とて、この方法を考えなかったわけではない。だが、不可能だとわかっていたから断念したのだ。この水槽は単純に見えて、作るにしても維持するにしても、多大な手間と資金が必要になる。無一文のケースケには維持できない。

 それに、この技術はあくまで肉体の維持が目的であり、治療ができるわけではないのだ。


「今のままだと、雨音さんは死んだまま。だけど、先輩が私のもとで働いていれば、雨音さんの傷口を塞いで、蘇らせることが可能な神話技術が手に入るかもしれません。少なくとも、バラバラになった風香さんを復活させるより、よほど高い確率で」


 肉片と化した風香と刀の一刺しで死んだ雨音。どちらが蘇生しやすいかなど、考えるまでもない。風香を蘇らせることは夢物語ともいえる行為だったが、雨音の蘇生は現代医学の延長で可能な行為であり、現実的だ。和葉の話は現実味がある。

 だが、それはケースケだけでは不可能な行為だ。

 風香の復活よりは現実味があるとはいえ、雨音の蘇生も十分ファンタジーだ。それを可能とする神話技術は確かに存在するだろうが、見つけ出すのにどれだけ時間がかかるかわからない。その間、和葉は水槽の維持にコストを割き続けることになる。

 しかし、ケースケには、和葉がそこまでしてケースケに力を貸す理由がわからなかった。

 風香と敵対した時とは状況が違う。ケースケには、対価として払えるものはもう存在しない。和葉には、ケースケに優しくするメリットなどないはずだ。

 少し悩んだが、自分の頭でわかるはずがないとあっさりあきらめ、素直に直接和葉に聞くことにした。


「俺は、どうやって、あんたに報いればいい?」

「勘違いしないでください。私は涼森家の神話技術を奪い、自分のものにしました。試してみたいと思っていたところに、ちょうどいい死体があったから利用しただけです」


 和葉は、少し怒ったような口調でぶっきらぼうに言う。それが照れ隠しのように感じられるのは、ケースケの勘違いだろうか?


「私が同情でこんなことをしたと思うのは間違いです。これは打算。この人が生き返れる可能性がある限り、先輩は私に服従をせざるを得ないでしょう?これは先輩の身も心も縛る呪いなんです。だから、感謝する必要も報いる必要もありません」


 信じられないものを見つめるケースケの視線に耐えられなくなったのか、和葉は肌身離さずに持っている本に視線を落とす。その頬は、少し赤く染まっていた。

 あぁ、とケースケはようやく気付く。自分は和葉という人間を勘違いしていた。

 和葉は普通の人間だった。

 普通に喜び、普通に悲しみ、普通に同情し、困っている人間がいれば普通に手を差し伸べてしまい、だけどそれを指摘されるのが恥ずかしくて、普通の人間のように誤魔化す。

 そんな面白みのない常識の体現者――人はそう言う人間を高潔と呼ぶ。


「……あんたは怖い人だ」


 ひどい人間ならば、反発することができた。恨むこともできた。だが、このようなことをされては、逆らう気すら起きない。

 だが、それを素直に表現しても、彼女は恥ずかしがって受け入れてくれないだろう。だからケースケは、彼女に合わせて、和葉を怖い人と呼んだ。

 案の定、和葉はケースケの心内に気付かず、鼻を膨らませて満足げにうなずく。


「そう、私は大悪党なんです。私に逆らったら、とっても恐ろしいお仕置きをするんですからね!」


 そう言うと、和葉は顔を伏せ、ケースケの胸に額を押し当てて呟いた。


「だから…………あなたは私を裏切らないでくださいね」


 そう告げる和葉の声は少し震え、彼女の肩はいつもより小さく見えた。

 彼女がどうして、そんなに自信がなさそうに言ったのか、ケースケにはわからなかった。だが、バカな自分でも、返すべき言葉くらいはすぐにわかった。


「わかったよ。ご主人様」


 ケースケは、自分にはきっと女難の相があるに違いないと思う。

 絶対に逆らえない女性が、二人になったのだから。

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瓶詰めお化けは眠れない くろまりも @kuromarimo459

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