2-4 ハロウィンの夜
その特徴的な口調に、ケースケははっとして振り返る。そこには予想通りの人物がいた。
よほど消耗が激しいのか、雨音は生気を感じさせない青白い肌で、ゆっくりと近づいてくる。その足取りは、どこか弱々しげで覚束ない印象を受けた。
和葉の話を聞いたせいだろうか?ケースケは今まで雨音に抱いていた感情とは、別の印象を彼女から受けた。それがなんなのか自分でもよくわからず、黙って話の続きを聞く。
「シャッガイっていうのは、結構レアな種族なんでやがります。神話生物でなければ、絶滅危惧種に指定されていてもおかしくないくらいに。……で、珍しい生物っていうのは、それを収集したいと思うコレクターが存在するのが常でやがりまして。私を狙ってきたのは、そういう連中の一人でやがります」
「……話が長くてわからん。短く頼む」
「今のでもダメなんでやがります!?」
雨音は額に指を当て、うんうんと考えこむ。
「えっと、私を捕まえたがってる人がいて、その人が病院を襲ったんでやがります」
「おー、なるほど。初めからそう言ってくれりゃいいのに」
「言いましたよね!?私、ちゃんと言いましたよね!?」
「あ、雨音さん、落ち着いてください。あまり興奮すると、傷に障りますよ。たぶん、先輩はなんで自分が怒られてるのかも理解していませんよ。そういう人なんだって、諦めてしまえば楽になります」
和葉になだめられた雨音は一息ため息を吐いて、壁に寄り掛かる。その額には薄く汗が浮いており、確かに体調が悪そうだ。
「和葉の言う通りだぞ。よくわからんが、落ち着けよ」
「……なぜでしょうね。正論なんだけど、元凶に言われるとイラッと来るのは。ともあれ、ケースケくんには、事態が鎮静化するまで大人しくしていてほしいんでやがります」
「大人しくって?」
「無暗に外を出歩いたりしなければ、それでいいでやがります。なにか用事がある時は、私か和葉ちゃんに相談しやがってください」
事実上の軟禁宣言。頼むような口調であったが、有無を言わせない凄味があった。逆らえば力づくで取り押さえられるであろうことは、ケースケにも伝わった。実際のところ、ケースケと雨音の身体能力は天と地ほどもかけ離れており、選択の余地などない。
そこまで考えて、ふとケースケは雨音に対して感じていた違和感の正体に気付く。立体駐車場や病院の時と現在の一番の違い。それが、雨音に対する印象を変化させていたのだ。
ケースケは、雨音を真剣な瞳を向け、その疑問をぶつける。
「なー、雨音。なんで安っぽいジャージ姿なんだ?」
「一体、誰のせいでやがりますかねえええええええええええええ!?」
雨音は涙目になりながら、ケースケの首を掴んでがっくんがっくんと揺らす。これはこれで可愛いのになぁとケースケはぼんやりと思った。
「雨音さん、落ち着いてください。あんまり暴れると、本気で傷が開きますよ?」
「ううぅぅぅぅ、だって、だってぇ……。全身包帯の女装男子とか誰得でやがりますかぁ。個人的には割とありだと思いやがりますが、私に合わせた服なのにウエストが普通に入ってるのが超悔しいでやがりますぅ」
「……あぁ、はい、ごめんなさい。雨音さんも雨音さんで大概でした」
何度目か分からない溜息を吐く和葉を、なんか苦労してそうだなぁと思いつつ、ケースケはぼんやり眺める。その苦労の半分は自分のせいだとは気付いていなかった。
「……なぁ、外に出るのはダメって、人に会ったり、電話したりするのもダメなのか?」
雨音と和葉が一瞬顔を見合わせて、きょとんとした顔になる。そう言えば、この二人に風香のことを話していないということに気付いた。
「それはもちろん、遠慮してほしいですが……誰か会いたい人がいるでやがります?」
「あぁ、俺の妹に、風香っていう女の子がいるんだ。見舞いに来てくれたときに会ったんだけど、病院の件で心配してると思うから、一言話しておきたいんだけど――」
「その風香ちゃんに、私のことは話しやがりましたか?」
それまでのふざけた空気はどこへやら、雨音はただならぬ様子でケースケに詰め寄る。
その瞳は獲物を狙う蜂のように無機質で、ケースケの背筋に嫌な汗が流れた。
「お見舞いに来た時に会ったって言うことは、なにか話したんでやがりますよね?私のことは話しやがりましたか?他に、誰と話しやがりましたか?」
「いや、短い時間だから、ほとんど何も話してない。他に話をしたのは医者くらいで、雨音の話はちょっと話題に出ただけで――」
「本当でやがりますね?」
ケースケがうなずくのを確認してから、雨音は和葉の方へと視線を投げる。和葉は本の角を顎に当て、何やら考えこむようにつぶやいた。
「……思ったより目を覚ますのが早かったみたいですね。あんな事故の直後だし、話をしていたとしても、担当医か看護師さんくらいのものだと思い込んでいました」
風香と会うことができたのは、栗林の独断によるもので、本来なら面会謝絶の状態だった。妹と会っていたということを予想していなかったとしても責められないだろう。
「……それで、俺は風香に会いに行ってもいいのか?」
「えっと、それは……正直、難しいでやがります。服をまともなものに変えたとしても、ケースケくんは目立ちすぎます。ケースケくんも私も、公的には行方不明でやがります。外を出歩いて警察に捕まったら、事情聴取とかで厄介なことになるでやがりますよ」
女装していることを除いても、ケースケは全身に包帯を巻いている状態だ。外を出歩けば通行人の目にとまってしまうのは目に見えていた。
頭の悪いケースケにも、警察に見つかることのリスクは理解できた。自分が生き残っていることが警察に知られれば、間違いなく病院での出来事を尋ねられるだろうが、あの狂った状況をうまく説明できる自信はない。悪ければ精神病院行きだ。
穏便に外を出歩くことができない以上、風香に会いに行くのは難しい。だが、ケースケはどうしてももう一度風香と会って、話をしたかった。口には出さなかったが、夜中に抜け出して、闇夜に紛れて会いに行くことはできないかと画策しつつあった。
だが、そんな少年の悩みに対して、意外なところから助け船が入った。
「妹さんに会いに行くのはダメですが、雨音さんがついていくなら、外出くらいは大丈夫だと思いますよ。今の時期なら、その格好でも大して目立たないでしょうし」
「……いやいや、和葉ちゃん。服はまともなものに変えるにしても、顔の包帯はとれないでやがりましょう?こんな姿で外に出たら、一発で目を引いちゃいますよ」
ケースケですら考えつくような問題点に和葉が気付いていないはずがない。雨音は少し驚いた顔になる。そんな雨音の前で、和葉は指を一本立て、なんてことのないように言う。
「あれっ、忘れたんですか?今日は10月の末日ですよ?今の時期なら――」
◆◆◆◆◆◆
日本人は、生涯で三度自らの宗派を変えると言われる。
生まれたときに神道のお祓いをし、結婚するときにキリスト教の式を挙げ、死ぬとき仏教の墓に入る。宗教に対して、とりわけ柔軟な気風を持つ日本人は、他国の祭事を受け入れることに抵抗がなく、アレンジを加えて日本独自の文化にすることも少なくない。
10月末日に行われるこのイベントも、もともとは古代ケルト人の祭事が起源とされており、今では日本の恒例行事の一つとして定着している。
そう、ハロウィンである。
布槌市では、毎年10月末日に、市の協賛で三日間の仮装パレードが行われる。パレードの人員は一般公募で選ばれ、抽選漏れした人も仮装して街を練り歩く。商店街でもハロウィン商戦が盛んになり、街全体が浮かれた空気になる。
ゾンビや吸血鬼の格好をした人々の中、祭典を横目にケースケと雨音が並んで歩く。
ケースケの顔は相変わらず包帯に包まれており、服の間から見える肌にも隙間なく包帯が巻かれているのが見える。だが、今この時に置いては、そのミイラのような様相のケースケの方が、普段着の雨音よりも街に溶け込んでいた。
ケースケと雨音は、ケースケの携帯に登録されている彼の家の住所へと向かっていた。風香に会いたいというケースケの希望は断固として拒否されたが、しつこく食い下がった結果、家の近くまで行って様子を見るということで妥協した。
祭りに関して、ケースケはあまり関心がなかった。怪物に仮装して騒ぐという行為の、何が楽しいのかが理解できない。彼にとって、この催事は自分の身を隠すのにちょうどいい隠れ蓑に過ぎず、それ以上でもそれ以外でもなかった。
だが――
「ケースケくん!あれ見て!ちっちゃい子が魔女の格好してるでやがりますよ!かわいい~♪……あっ、あっちのケーキ屋さん、変わった飾りつけでやがります!ほらほら!」
「おー」
冷めた心情のケースケとは逆に、雨音はとても楽しそうだった。監視兼護衛という立場を忘れているのか、何か見つけるごとに目を輝かせ、大はしゃぎする。
何がそんなに面白いのか理解できずに、ケースケは適当に相槌を返すが、雨音はそんなことも気にせず、終始変わらぬテンションで祭りを満喫していた。
「(こういうところは、普通の女の子だよなぁ)」
はしゃぐ雨音の姿を見て、ケースケの頬が緩む。ハロウィンが楽しいと感じるような感情はなかったが、雨音が満面の笑みで楽しむ姿を見るのは面白かった。
「すっげえテンション高いな。雨音も仮装すればいいのに」
「こういうの初めてで、とっても面白いでやがります!あぁ、仮装衣装あればなぁ……」
「これ、毎年やってんだろ?雨音は参加したことねえの?」
「私は一月前に布槌に引っ越してきたばかりなので。私の故郷ではここまで大きなイベントはなかったですし、布槌でこんな催しがあるなんてことも知らなかったでやがります」
「へぇ、なんで引っ越したんだ?」
「んー、まぁ、家庭の事情というやつでやがります。それより、ケースケくんこそ、何か思い出しやがりませんか?このあたり、ケースケくんの地元のはずですよ?」
電柱の住所表記に目を移すと、『城戸町三丁目』となっていた。このあたりはケースケの家と学校の双方から近い位置にあり、見覚えがあってもおかしくない。
だが、ケースケは黙って頭を振る。記憶の片隅にすら引っ掛かっていなかった。
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