5-6 兄妹と姉弟

「てめえええええええええ!!なにやってくれてんだぁ!?」


 怒り心頭という言葉がぴったりの顔で、風香はケースケをにらむ。吹き飛ばされたケースケは廃工場の壁に突っ込み、あまり頑丈といえない壁に大穴を開けていた。

 ケースケはくらくらする頭を振る。ショゴスであるため、肉体はほぼ無傷だが、知能を保つための脳は人間とほぼ変わらない。弾き飛ばされた反動で、脳震盪を起こしていた。

 風香の怒りに呼応して、無数の触腕がケースケに殺到する。

 ケースケは玉虫磨穿を使って防御を試みようとしたが、手元にないことに気付く。刀は雨音に突き刺さったままだ。殺到する触腕の雨あられを素手で防ぎきれるわけもなく、全身という全身を玉虫色の槍が刺し貫いた。


『てけり・り!てけり・り!』


 獲物を捕らえることができたことによる歓喜か、ショゴスたちが甲高い声を上げる。

 全身が穴だらけになったところで、ケースケは死なない。だが、全身を貫く触腕は、武器であると同時に口でもある。これだけの数に貫かれては、食われる時は一瞬だろう。そうでなくとも、脳を潰されれば、ケースケは死ぬ。まな板の上の鯉とはまさにこのことだ。


「いい気味ねぇ。ほら、命乞いしなさいよ。惨たらしく殺してやるからぁ」

「…………別に、いいよ。好きに、しろ」


 もう、抵抗するのも億劫だった。触手に貫かれたことによる痛みで頭がおかしくなりそうだったが、今のケースケにはそれすらどうでもよく感じられた。まるで魂が抜かれたようだ。胸にぽっかりと穴が開いて、そこから感情が流れ出ていってしまっているようだ。


「…………なんですって?」


 ケースケの瞳に、風香は映っていない。路傍の石でも見つめるようだ。そのことが、風香の胸に奇妙な苛立ちを生んだ。


「……食え」


 風香の合図でケースケに突き刺さっていた触手の一部が変形し、捕食を開始する。ものの数秒でケースケの右腕は完食され、歪な断面を作り出した。


「…………いってぇ」


 軽い言葉とは裏腹に、ケースケの額に汗が浮く。ショゴスの肉体は変幻自在。脳が損傷しない限り致命傷に至ることはなく、痛覚を遮断することなど容易い。

 だが、ケースケはあえてそれをしなかった。彼の唇には、まだ雨音の最後の温もりが残っていたから。それが感じられるうちは、感覚を閉じるわけにはいかなかった。


「くっそ、てめえ、マゾかよ。虫女に欲情したり、とんでもない変態兄貴だな」


 風香は吐き捨てるように悪態を吐く。実際のところ、それくらいしかできずに困っていた。殺すのは簡単だが、風香は兄が苦しみ、命乞いする姿を見たいのだ。

 だが、そんな悪態にすら、ケースケは反応しなかった。もう風香には一切合財の興味がなく、亡霊のように空虚で何も行動を起こす気になれない。


 ――――その言葉を聞くまでは。


「あぁ、めんどくせぇ。もう虫女ともども、ショゴスに食わせちまうか」


 ギチリ。

 身体を無理に動かしたことで、全身が軋みをあげる。脳を焼け焦がすような激痛が走るが、むしろそれを燃料にするように、ケースケは怒りに燃えた瞳で風香を睨みつける。


「おい、てめえ。雨音に手ぇ出したらぶち殺すぞ」

「な…………」


 その瞳に押され、風香は一歩後ずさる。だが、すぐにその行為を恥じ、顔を熱くさせる。文字通り腕一本動かせない相手に、何を恐れるというのか。


「はっ。なに?すでに死んでゴミになった屍骸が大切なわけ?お兄ちゃんって、宗教家かなにかだっけ?科学全盛の時代に魂とか言っちゃうなんてきもーい」


 風香は雨音の遺体に近づくと、頭部を踏みつける。ケースケは獣のような叫びを上げて拘束を外そうとするが、全身に突き刺さったショゴスの触手からは逃れられなかった。


「てめえ、その汚ねえ足を今すぐどけろ!でねぇと、今すぐ殺すぞ!」

「あははははははははははははははははははははは!!」


 ケースケの精一杯の啖呵に、風香は高笑いを上げた。


「お兄ちゃん、すご~い!身動きできないのに、私を殺せるの?見たい見たい!ほら、刀持ってきてあげるから、手にとって私を殺してみてよ!」


 風香が玉虫磨穿を雨音から引き抜き、ケースケの前でちらつかせる。ケースケは必死に身体を動かすが、当然それを掴むことは叶わない。ぎりりと血がにじむほどに噛みしめる少年の顔を見ながら、風香はゆっくりと見せつけるように雨音へと近づく。


「あれ~、どうしたの?私を殺すんじゃなかったの?頭を踏んだだけじゃやる気でなかった?じゃあ、もっともっとこのゴミを蹴りつけたら、本気になってくれるかな!」


 雨音のそばに立つと、風香はケースケに見せつけるように足を振り上げる。そして、罪人をギロチンにかけるようにして、自らの足を雨音の頭へと振り下ろし――


 ――――――その勢いのまま、風香はその場に倒れた。


「えっ、あ――」


 何が起こったか理解できない風香は、身体を起こそうとするが、胸につっかえがあってうまく立ち上がることができない。胸元に視線を下ろすと、そこには、先ほどまで自分が持っていた玉虫磨穿が刺さっていた。


「なん、で……」


 信じられないといった面持ちで、風香はケースケの方を見る。ショゴスによる拘束は解かれていない。ケースケはいまだに囚われの身だ。

 では、なぜ?どうやって、この刀を自分に刺した?


「てめえを殺すのに、指一本動かす必要ねえんだよ」


 風香の疑問に答えるように、ケースケが口を開く。


「どう、やって?」

「簡単な話だ。おまえの身体を操って、自分で突き刺したんだよ。屋敷で、おまえが俺の身体を操って、雨音を刺させたのと同じ理屈だ」

「なっ……」


 ケースケの右手が膨れ上がったかと思うと、皮膚を突き破って銀色の輝きが姿を現わす。

 できれば使いたくなかった最後の切り札。液体生物である利点を生かして、体の内部に隠していた、三つ目の『銀の操手』だ。


「うそ、だっ!『銀の操手』で、人間を操ることができるわけないっ!」


 ケースケの言葉を嘘と断じ、風香は叫びをあげる。

 涼森家の屋敷で人間も操れると雨音は言ったが、それはケースケを落ち着かせるための嘘だ。この機械にそんな機能は搭載されていない。ショゴスと人間では身体構造が違いすぎるため、両立させることは不可能なのだ。


「……あぁ、やっぱり気付いてなかったんだな」


 動揺する風香の様子を見て、ケースケは悟ったように溜息を吐く。


「おまえも、ショゴスなんだよ」

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