5-3 差し出した物

「へぇ、来たんだ。この場所がよくわかったね、お兄ちゃん」


 最初は驚いた顔をしていた風香だったが、その表情はすぐに笑みに変わる。

 ケースケが自ら姿を現したことは意外であったが、風香からすれば探す手間が省けたというだけのこと。この廃工場は、涼森屋敷や立体駐車場に代わる新たな拠点だ。手持ちのショゴスは全てここに移しているので、迎撃の手駒は十分すぎた。


「おまえ、バカか?この廃工場も、立体駐車場も、涼森螢助が用意した秘密の実験施設だ。人が用意したものを再利用しておいて、どうやって見つけたなんて聞くなよ」

「あぁ、記憶が戻ったんだ。おめでとう、お兄ちゃん!……だけどさ」


 風香は視線をケースケに合わせ、銀色の右手を上げる。その瞬間、ケースケの身体が、電流を浴びたように跳ねた。

 この機械がある限り、風香に敗北はありえない。より精密にショゴスを操るためには、ショゴス側にも受信用の機械を埋め込む必要があるが、簡単な命令ならこれで十分だ。


「はい、終わり。バカはあんたのほうでしょうが。ショゴスのあんたが、『銀の操手ショゴス・トゥシャ』を持つ私に勝てるわけがないのに」


 身動きの取れなくなったケースケに、風香が歩み寄る。

 だが、ケースケとの距離が十メートルほどのところで一度足を止めた。風香は頭に血が上りやすい性格ではあるが、涼森螢助のことは熟知している。彼がこの場に現れたことは予想外だったが、現れた以上、無策でやってきたわけがないと警戒したのだ。

 風香はその距離から相手をじっと観察する。やはり気になるのは、ケースケの持つ刀だ。

 奇妙な刀だった。刀身が分厚く長いのはともかくとして、その色合いが玉虫色に輝いているのが不気味。柄には何本もの針がついており、これではまともに握ることなど不可能だろう。実際、柄を握るケースケの手のひらを針が貫通していた。ショゴスであるケースケだからこそ血は出ていないが、普通の人間ならば手が傷だらけになる。

 ケースケの持ち物ではないはずだ。少なくとも、風香にはあのような刀を見た記憶がなかった。となると、ケースケや雨音の協力者である和葉が与えたものだろうか?だが、無一文のケースケに和葉が無償で武器を与えるようなことをするだろうか?

 それはない、と風香は断じる。

 お人好しに神話科学研究家Chaserは務まらない。ケースケは和葉と知り合って間もなく、同情で力を貸すなどしないだろう。必ず同等かそれ以上の対価を要求するはずだ。

 疑問の晴れない風香は、その刀を考察する。詳しくはわからないが、神話技術が組み込まれた武器と考えたほうがいいだろう。形状的に白兵戦武器の類だろうが……涼森螢助に剣術技能はない。仮に何らかの仕掛けがあったとしても、使いこなせるはずがない。

 虚仮脅し。しばらく考えたのち、風香はそう結論づけた。大方、風変りな武器をちらつかせて無駄な警戒をさせ、隙ができるのを期待したのだろう。

 だが、念には念を。風香はショゴスを操り、ケースケの四肢を狙うように命令する。ショゴスであるケースケは四肢を切断しても大したダメージにはならないが、再生には時間がかかる。そこを抑え込んでしまえば、こちらの勝ちだ。

 放たれた四本の触手が、狙いたがわずケースケの四肢に命中――する刹那、ケースケは身をかがめてそれを回避。豹のようにしなやかな動きで直進し、風香との距離を詰める。


「なっ!?」


 風香が驚愕で目を見開く。

『銀の操手』の操作は簡単なものだが、それゆえに発動ミスなどありえない。刀への警戒はしていたが、ケースケ自身が洗脳を破って突貫してくることは予想外だった。

 風香は、ショゴスを刺突から身を守る肉壁とする。ずぶりと肉壁に潜り込んだ刀身は、風香に到達する直前でぴたりと止まる。ぎりぎりだが身を守るのに成功した。


「やれ!」


 風香の号令一下、周囲に潜んでいたショゴスたちが、一斉にケースケへと触腕を伸ばす。ケースケは肉壁に刺さった刀を引き抜くと、迫りくる触腕の波を、紙一重の動きでかわす。

 それにあわせて下がった風香は、自分の周囲を分厚いショゴスの肉体で包みこむ。


「……ちっ」


 ケースケはそれを見て、舌打ちする。最初の奇襲こそが、もっとも勝率の高い賭けだった。せめてあと一メートル近づいていたら、刃を届かせることができたというのに。

 舌打ちしたい気分だったのはケースケだけでなく、風香の方も同じだった。

 以前までとは比べ物にならない反射神経と身体能力。奇抜な外見からは想像できないほどの斬れ味の刀。そして、『銀の操手』の拘束をあっさり解かれたこと。全てが解せない。

 拘束にミスはなかった。無理やり解かれたような感触もなかった。ということは、最初から効いていなかったのだ。だが、『銀の操手』による拘束を無効化する手段など風香は知らない。無効化されたわけではないのに、操作を受け付けなかったということは――

 そこまで考えて、風香ははっと思いいたる。


「おまえ、まさか……」


 風香は『銀の操手』を探査モードに切り替えて、ケースケの体を探る。脳付近に取り付けられている機械の存在を察知し、自分の考えが正しいことを確信した。


「てめえええええ、自分の身体を売りやがったな!?八城和葉の犬になりやがったな!?なに勝手なことしてやがんだああああああああああああ!」


◆◆◆◆◆◆


「……白兎さんまでついてくる必要はなかったのでは?」

「否定。私にはケースケと涼森風香の結末を見届ける義務がある。また、優先度は低いが八城和葉の活動を監視することも任務に含まれている」


 ケースケが入っていった廃工場の外。金髪の少女と白髪の女性が並んで会話をかわしていた。廃工場からは断続的に破壊の音が鳴り響いており、少女は何かを耐えるような険しい表情でそれを注視していた。


「質問。涼森蛍助が提示した報酬。どのようなものかを返答要請。彼には八城和葉を雇えるだけの対価を持ち合わせていなかったと認識」

「えぇ、だから、彼は自分の一生を私に捧げました。雨音さんを救出するために、半日だけ、私の協力を得ることを条件に」


 和葉は右手を上げ、そこに取り付けてある銀色の爪を白兎に見せる。風香が身につけているものと同じ『銀の操手ショゴス・トゥシャ』だ。

 立体駐車場の隠し研究室で、ケースケが回収していたものだ。『銀の操手ショゴス・トゥシャ』を身につけている者の命令に対して、ショゴスは逆らうことができない。彼はこれを和葉に与え、操作方法を教えることで、自分に手を貸す対価とした。


「これは本来単独で使用するものではなく、対となる受信用の機械をショゴスに取り付けるのが正しい使い方らしいです。先輩には受信用機械を取り付けてもらったので、風香さんではなく私の命令が優先されます。私の協力が得られなかった場合は、自分で『銀の操手』を使って、風香さんとの洗脳合戦をするつもりだったらしいですね」

「疑問。ショゴスであるケースケに、『銀の操手』は使用可能なのか」

「この『銀の操手』は人間用に調整してあるので、ケースケ先輩が自分で使用する場合は精度がかなり下がるそうです。その上、使い続ければ脳にダメージが蓄積し、思考能力が低下。最終的には、死に至るとか」


 それでも、和葉の協力が得られなかった場合は、自らこれを使用することを彼はためらわなかっただろう。ケースケは命がけでこの戦いに挑むつもりだ。

 和葉は手が白くなるほどに固く拳を握り締め、無力を噛みしめるように唇を噛む。廃工場の轟音は鳴りやむ気配がない。あの廃工場の中で、ケースケは命がけで戦っている。和葉に『銀の操手』を託したことは、ほんの少しリスクを減らしたにすぎない。

 そんな和葉の様子を見ていた白兎が、ぽつりと呟く。


「疑問。涼森螢助を自由に操れるなら、契約を反故することもできるのでは?」

「……約束を破るのが嫌いなだけです。対価を受け取っている以上、それに応じた仕事はきちんとやり遂げます。私はプロですから」

「否定。それは論理的ではない」


 あくまで淡々と白兎は、和葉の言動の矛盾を突く。


「証明。月海雨音が支払った対価。シャッガイの羽は金銭的価値が低い。八城和葉の働きと比較して、対等な価値があるとは言えないと判断。涼森螢助の件についても同様。涼森螢助が涼森風香に敗れた場合、報酬を受け取れないばかりか、八城和葉は涼森風香に命を狙われる可能性が高い。勝算の低さを鑑みると、明らかにリスクと対価が釣り合わない」


 損得で見れば、今回の取引で和葉の利は薄い。白兎はそれが解せない。

 神話技術研究家Chaserならば、もっと利益に対して貪欲なはずだ。和葉のような非国認の神話技術研究家Chaserは、国から援助金を貰えないのでなおさらのこと。自給自足が鉄則の彼らは、過剰なほどの合理主義に染まる傾向にある。


「回答要求。八城和葉、あなたの狙いは何か」


 ゆえに、白兎は二人の取引に何か裏があると考え、和葉を問い詰める。非国認の神話技術研究家Chaserは大事件を起こさない限りは黙認されるが、同時にいつでも大事件を起こす可能性を秘めている。それを監視するのも、白兎の任務だった。


「……別に。価値は人それぞれです。私に必要なものを貰った。ただそれだけ」


 白兎の言及に対し、和葉はやや気まずそうに目線をそらす。その反応に対し、白兎は珍しく不服そうに眉根を寄せる。


「忠告。八城和葉は自分の特異な立ち位置をもう少し自覚するべきである。あなたの行動次第で、世界における探究者Chaserの勢力図が描き変わる」

「買い被り過ぎですよ。私のことをそんなふうに評価してくれるのは白兎さんくらいなものです。ほとんどの探究者Chaserは私の名前すら知りません」

「肯定。確かにその評価は、客観的には正しい。探究者Chaserとして何の実績もなく、後ろ盾もなく、誰からも注目されない凡庸な探究者Chaser。それがあなた」


 和葉の言葉を肯定しながらも、白兎は鋭い瞳を彼女に向ける。


「非論理的帰結。誰からも注目されていなくとも、私の直感があなたを危険だと告げている。涼森螢助や涼森風香ていどとは比べ物にならないほどに」


 精神論を信じず、論理的思考を好む白兎のものとは思えない言動。和葉はその言葉を肯定も否定もせず、話題を逸らすようにケースケたちの話に強引に戻す。


「先輩には、『玉虫磨穿』を渡してありますので、勝算がないわけじゃないです。私はその可能性に賭けてみたというだけのことです」

「記憶照合。『宇宙人の科学館』の展示品の一点と記憶している。日本刀の形状をしていることから推測して、人間用の白兵戦武器と考えるが、剣術の訓練を受けていない涼森螢助にとって、どのていどの戦力増強になるのか疑問が残る」


 奇しくも風香と同じ分析をした白兎に対し、和葉は首を横に振ってこたえる。


「ショゴスである先輩に人間用の武器は渡せません。『銀の操手』と同じで、使いこなせないか、副作用が出る可能性がある。だから、ショゴス専用の武器を渡しました」

「……否定。ありえない。知能の低いショゴスに、そんなものを作り出せる技術があるわけがない。技術があったとしても、人型生物ではないショゴスが刀を武器とするメリットが存在しない。八城和葉の発言は論理的ではないと判断」

「神話生物に常識が通用したことがありましたか?彼らも我々と同じで、自らの母星における生存競争を勝ち抜くため、さまざまな努力と技術を積み重ねてきました。その過程で剣術を扱う液体生物が現れたとしてもおかしくはないと思いませんか?論理的でないと考えることは論理的じゃありませんよ、白兎さん」


 珍しくほんの少しだけ感情を見せて驚く白兎に、和葉が無表情で答える。その瞳は白兎ではなく、廃工場の中にいるケースケへと向けられていた。


「もっとも、あれ以外に先輩が使えそうな武器がなかったというのもありますが。正直、効果のほどは私にもわかりません。あとは先輩次第です」

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