2-2 ノットミステリアス
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!
ただひたすらに、全身が熱かった。ケースケは夢の中で、地獄の業火に焼かれているかのような苦しみに暴れまわる。そうしなければ、気が狂ってしまいそうなほどだった。
周囲はコンクリート。そして、何十台もの車が並び、破壊されている。その光景には見覚えがあった。忘れようにも忘れられない立体駐車場での光景。
瓦礫や車の残骸、そして人間の死体が散らばる中、ケースケの前に一人の少女が立つ。
それは、雨音だった。彼女の腕からは、左右から一本ずつ針のようなものが生えており、その背からは服を突き破って二対の透明な羽が生えていた。その姿は妖精のようであり、怪物のようでもある。無機質的な金の瞳に見つめられると、背筋にぞわりと寒さが走った。
彼女は、周囲の死体や瓦礫には目もくれず、針の生えた腕を振り下ろした。反射的に庇った腕に、焼きゴテを押しつけられたような痛みが走り、声にならない悲鳴をあげる。
傷口を押さえようと手を当てると、くしゃっと紙を潰したような感触がして皮膚が剥がれた。針を突き刺された部位からグズグズと煙が立ち上り、腕がどろりと溶け落ちる。頭がどうにかなりそうな状況だ。これが夢でなければ、とっくに気が触れている。
だが、これは本当に夢なのか?
自分が忘れているだけで本当にあったことなんじゃないか?
夢の中で雨音に問うても、答えることはない。
彼女はケースケを侮蔑するでも嘲笑うでもなく、感情の篭らない瞳で見下ろしながら、少年の脳天へと針を振り下ろした。
◆◆◆◆◆◆
後味の悪い夢から、胸糞の悪い現実へと復帰する。寝起きのまどろみなどない。ベッドと机しか置かれていない安ホテルのような部屋で、ケースケは目を覚ます。
「生きてる……のか?」
昨夜の出来事と夢の内容を思い出し、風穴が空いたはずの胸と夢の中で溶かされた腕へと手をやる。そのどちらにも傷は見当たらず、怪我をした痕跡すらなかった。
「……あー?」
不思議に思って服をはだけ、自分の身体をぺたぺた触ってみるが、やはり何もない。昨日の夜の出来事は夢だったのではないかと思えてくる。
ふと、寝息を感じ、もう一つのベッドに目を向ける。そこには、うつ伏せで穏やかな顔で眠る雨音の姿があった。
その寝姿を確認して、彼女が無事であったことに対する安堵と、昨夜のことが夢でなかったと突きつけられた恐怖が噴き上がる。同時に、先ほど見た夢のことを思い出した。
異常な体験をしたことによる不安から、ありもしない妄想が夢として現れただけなら問題はない。だが、自分が忘れているだけで、もし、先ほどの夢が実際にあったことならば?あれが立体駐車場で実際に起きた出来事ではないとどうして言える?
「……雨音は俺を救ってくれたんだ。ありえない」
自分自身に言い訳するように独りごち、ケースケは自分のベッドからそっと立ち上がる。
ケースケも雨音も昨夜の病院着ではなく、薄手の寝巻を着ていた。足元には靴もスリッパもなく、足裏にカーペットの感触を感じながら雨音のベッド脇まで移動する。
聞きたいことはたくさんある。今すぐにでも起こして話を聞きたいが、天使のような寝顔で眠る彼女を見ていると、それはどうしてもためらわれた。
少しの葛藤の後、少年は机に置いてあった自分の携帯で雨音の寝顔を数枚撮影する。
「よし」
「……その、寝顔を勝手に撮影するのは、よくはないと思うんですが」
急に声をかけられ、ドキリとして振り返る。
雨音に気を回していたため気づかなかったが、いつの間にか部屋の扉が開いていて、そこには黒い革装丁の本を脇に抱えた金髪の女性が呆れた顔で立っていた。
新たに現れた女性は、雨音とはまた別ベクトルの美貌を持った美少女だった。
顔立ちは日本人に近い童顔だが、髪は麦穂のように美しい金髪で、それを側面で束ねている。染めているようには見えないので、外国人の血でも入っているのだろうか?大人びているので年齢が判別しづらいが、自分と対して年齢は違わないように思える。若いが立ち居振る舞いに気品があり、ミステリアスな気高さを感じさせる。
「おはようございます、ケースケ先輩。私はここの管理人で、八城和葉と申します。身体の具合はどうですか?痛いところはありませんか?」
「あー、大丈夫そうだ。……って、先輩?」
もう一度怪我があったはずの部分をさすりながら首を傾げる。痛みはもちろん、違和感の欠片もない。彼女が治療してくれたのだろうか?そのことも気になったが、和葉が自分のことを先輩呼ばわりしたことの方が気にかかる。自分と彼女は知己なのだろうか?
ところが、問いかけに対し、和葉は驚いたように肩を躍らせる。眉根を寄せて、しまった、と言わんばかりの表情を見せた。
「え、えっと、人生の先輩という意味です。ケースケ先輩の方が年上ですから」
「……ふーん、そんなもんか」
年上と言ってもせいぜい1・2歳ていどなのに、おかしな奴だなぁと思ったが、そこまで興味のあることでもなかったので、それ以上の追及はしなかった。それより、雨音がうめき声を上げたため、そちらの方が気になって目を向ける。
目を覚ましたのかと思ったが、身じろぎをしただけのようだ。掛け布団がずれて肩くらいまで落ちてしまっている。和葉は雨音のベッドに近づくと、それを掛け直してやった。うつ伏せだから寝にくそうだなぁと思ったが、そういう癖なんだろうか。
「そういえば、俺や雨音を着替えさせたのは和葉?」
「そうですけど?」
「えっちー」
ケースケが自分の身体を抱いて、うねうねとタコのような不思議なダンスをしだすのを見て、和葉はズルっとこけそうになった。
「い、いえ、他意があったわけじゃなくて、あくまで治療目的でですね……」
「おー、それもそっか。あんがとなー」
素直に感謝の言葉を返され、何も言えなくなってしまった和葉は深々と溜息を吐く。一応裸を見たことに気恥かしさはあったのか、少し顔が赤くなっていた。
「……まぁ、それだけ元気なら問題はなさそうですね。よかったです」
「あー、俺は問題ないんだけど、雨音は大丈夫なのか?先刻から結構騒いでるのに、起きる気配ないんだけど」
「疲労と、鎮痛剤を使った影響です。昨晩はだいぶ重労働だったみたいですからね。治療は終わっていますから命に別条はありませんが、しばらくは寝かせてあげてください」
「……雨音、重症なのか?」
途端、ケースケの声音が不安なものになる。
考えてみれば、立体駐車場の時点で、雨音は大分弱っていたのだ。病院では軽快に動いていたように見えたが、無理をしていたのかもしれない。
そんなケースケの瞳をじっと見つめ返した後、和葉は一拍置いて口を開く。
「雨音さんの怪我は、彼女の自己責任です。先輩が気に病む必要はありません」
「そんなことないだろ?駐車場で何があったかは知らんが、病院で無理させちまったのは、俺のせいだ。俺のことなんて放っておけば、雨音ならもっと簡単に脱出できたはずだ」
病院で見た雨音の身体能力。蜂を思わせる腕から生えた針に、妖精のような透き通った羽。人間では到底反応できない数の触手を、いとも容易くいなした反射神経。
彼女が何者かはわからないが、自分を守ろうとしてくれたことには違いない。ケースケにとって、雨音は命の恩人だった。……例え、彼女が人間ではなかったとしても。
「……なぁ、その、雨音って何者なんだ?」
ちらりと雨音の方に視線を向ける。
相変わらず愛らしい寝姿で眠り続ける雨音。命の恩人であるとわかっていても、聞かずにはいられなかった。本当は雨音に直接聞くべきなのかもしれないが……同時に雨音が眠っているうちに聞いておきたいという気持ちもあった。
「そうですね。雨音さんが起きる前に、ある程度事情は知っておいた方がいいでしょう。ここで話すのもなんですから、お茶でも入れてゆっくり話しましょうか」
和葉は部屋の扉を開けて振り向く。ついて来いという意味のようだ。
無論、ケースケに断る理由はない。おとなしく和葉についていこうとして……自分が素足であることを改めて思い出した。
「なぁ、スリッパとかないか?」
「え?あぁ、すみません。着替えと履き物はベッド脇に置いてありますから、着替えてから外に出てください。私は扉の向こうで待っていますから」
そう言い残し、和葉はさっさと部屋の外に出る。あとには可愛らしく寝息を立てる雨音と寝間着姿のケースケだけが残された。
眠っているとはいえ、家族でもない女性の近くで着替えをするのは気恥ずかしかったが、今さら追いかけて文句を言うのも面倒だったので、用意されていた衣服を探る。
用意されていた衣服は二山あり、片方は明らかな女性ものだった。
こちらはおそらく雨音のために用意されたものだろう。リボンをあしらえた少女風のものであり、やや乙女チックではあるが、生地は悪いものではなく、雨音がこれを着たらさぞ愛らしいことだろう。彼女がこれを着た姿を想像して、ケースケは少し気が昂ぶる。
ハッとなって我に返ったケースケは、バカな妄想を振り払ってもう一つの山を手に取る。
ジャージだった。
「…………」
三秒ほど思考停止した後、引っくり返したり、他に服がないか探したりしてみたが、これ以外に自分が着るべきものは見当たらない。
「……これ、寝巻きのままと大差なくね?」
いろいろ世話になった上に衣服まで与えてもらったのだから、そのチョイスに文句を言うのは筋違いかもしれないが、雨音との扱いの差に納得のできない気持ちになる。
ぶつぶつ文句を言いながら、着替えようとして、ケースケはふと思いつく。
――もしかして、この女性服は雨音用ではなく、自分のためのものではないだろうか?
女性ものではあったが、男性の割には線の細いケースケなら着れなくもない。試しに袖を通して見ると、胸の部分にスペースができたが、他の部位はそれほど問題なかった。
スカートとニーソックスを身につけ、ローファーを履……こうとしたが、これだけサイズが合わなかったので、もう一つ用意してあった運動靴を履いた。近くにあった化粧台で首元のリボンの形を整えてから外に出る。
部屋の外は短い廊下になっており、先ほどまでいた部屋を含めて、扉が左右に合計で六つ。さらに、突き当りに一つ。扉の間隔が狭いので一つ一つの部屋は小さいのだろうが、一般家屋にしては明らかに広かった。
和葉は本を片手に、壁に寄り掛かって立ち読みしている最中だった。それほど長い時間でもなかったはずだが、活字中毒というものなのかもしれない。
「おー、お待たせ」
「あっ、はい。思ったより時間がかっ……」
本から顔を上げた和葉が、発言の途中で噴き出した。そのまま、本に顔をうずめて、笑いを押し殺している。
ケースケは、自分の服装がなにかおかしかったかと思って見直してみる。トップスは柔らかい印象を与えるラウンドカラーシャツにボレロ。首元のリボンと明るいタータン柄のスカートは少女らしさを演出している。靴だけ男ものだが、それほど違和感はない。
まぁ、衣服がどれだけ愛らしかろうと、包帯でぐるぐる巻きにされている顔では、『怪奇!ミイラ少女!』といった風情にしかなっていないのだが。
「あー?なんか変だったか?」
しかし、ケースケは自分自身の格好のおかしさに気付かず、首を捻る。和葉があまりに笑うものだから、変なことをしてしまったのではないかという気持ちが湧き出てきた。
「い、いえ、似合っていると思います。怖いくらいに。い、一応変装はしておくに越したことはないですし、それなら、誰が見てもあなただとは、き、気付かないでしょう」
よほどツボに入ったのか、和葉はしばらくの間、眼尻に涙を貯めて、くっくっと笑う。
その間、ケースケは廊下を見回して屋内の様子に目を配る。しかし、先ほどの部屋にもこの廊下にも窓はなく、ここが一体どのような施設なのか見当もつかなかった。
「……聞き忘れてたけど、ここってどこなんだ?病院じゃないよな?」
「布槌総合病院なら、昨日の騒ぎで封鎖されました。医療施設を長く遊ばせておくわけがないでしょうから、近く再開すると思いますが……それまでは立ち入り禁止でしょうね」
「昨日の騒ぎ……あれ、どうなったんだ?」
「表向きには、集団失踪事件になっています。先輩たちも含めて、あの時間・あの場所にいた人間は、全員行方不明者扱いですね。つまり、ケースケ先輩たち以外は全滅です」
「行方不明……」
違う。あれは行方不明などではない。みんな、あの怪物に食われたのだ。ただその場にいたという理由だけで。老若男女の違いもなく、何の関係もない人間が大勢。
ケースケは別に正義感が強いわけではない。だが、その事実には吐き気がした。自分が助かったのはただの運でしかない。雨音と知り合いであったというだけの運だ。
「私もひどい事件だと思うので気持ちはわかりますが、あまり思い詰めないでください。ただでさえ、先輩にはこれからいろんなことを聞いてもらうことになるんですから」
少し険しい顔をしていたのだろうか。和葉がそんなことを言ってくる。彼女は突き当りの扉の前まで歩みを進めると、一度ケースケの方を振り返った。
「ところで、先輩は美術館や博物館は好きですか?」
「あー?頭使うのは苦手だなぁ。恐竜とか巨大生物とか、頭使わずに見れるようなのは割と好きだけど、芸術とかはさっぱりだ」
「芸術だって、そんなに頭を使う必要はありませんよ。パッと見て、綺麗だとかかっこいいだとか、そんな風に感じることができればそれでいいんです」
和葉は薄く笑みを浮かべると、扉を開く。
「……うわっ」
まず目に飛び込んできたのはショーケースに収められた銃や刀剣類だ。と言っても本物ではなく、SF映画に出てくるような未来的な形状をした作り物ばかり。右手奥の方に視線を向けてみれば、そこには典型的なUFOの姿を模した円盤が宙づりにされていた。
それら展示品はまとまりがなく、粗雑で、怪しいものばかり。だが、見てはいけないものを見てしまったような、それでも惹きこまれてしまうような魅力があった。
「ようこそ、『宇宙人の科学館』へ。気に入ってくれたみたいで嬉しいです」
興味深げに見回すケースケの様子に、和葉はにっこりと満面の笑みを浮かべる。『宇宙の』ではなく、『宇宙人の』という名称に納得せざるを得ない展示内容だ。内容はバカらしいのに、どれもこれもまるで本物であるかのような凝った作りになっている。
「改めてはじめまして。私は当館の管理を任されている八城和葉と申します。そして――」
ケースケは生唾を飲み込む。少し大人びた雰囲気を持つ、ミステリアスな金髪美少女。それが和葉に抱いた第一印象だったが、今は違う。彼女は――
「副業で、宇宙人の研究家をやっています!」
胸を張って自信満々に宣言する彼女は、ミステリアス系じゃなくて、電波系だった。
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