3-3 ガラスの刃
急ぎ、廊下に逃れると、ケースケは強烈な体当たりを食らった。
玄関から入ってきたショゴスたちが追い付き、彼に襲いかかったのだ。とっさに風香をかばったケースケは壁に弾き飛ばされ、廊下に転がされた風香が小さな悲鳴をあげる。
「お、お兄ちゃん!?」
『てけり・り!てけり・り!』
震え声で戸惑う風香に答えている余裕はなかった。二体の怪物はケースケに目標を定め、蜘蛛のような動きで飛びかかってくる。
「うっ、ぐ……」
振り回される触手を間一髪で避ける。いや、正確には避けていない。たまたま運良く外れただけで、次はない。ケースケは無我夢中で怪物の一匹を掴み、もう一匹に投げつける。
怪物は力が強いが、体重は軽い。思いのほか勢いよく投げつけることができ、両者が衝突する。ダメージはないはずだが、頭が悪いらしく、ぶつかった者同士で激しく争いだす。
「風香、こっちだ!」
怯える風香を抱き上げ、二階へと逃げる。本当は玄関から逃げたかったが、そこから新手が侵入してきたのを見て、断念せざるをえなかった。中途半端に子どもの姿をしているのが不気味であり、首が360度ぎゅるぎゅる回るのは完全にホラー映画だ。
「なに!?なんなの、あれ!?お兄ちゃん!?」
こっちが聞きたいという言葉を飲みこみ、ケースケは2階の手近な部屋に入り、扉を閉め鍵をかける。ベッドとクローゼットだけの簡素な部屋だ。両親の部屋か。あるいは客人用の寝室か。考える間も惜しく、クローゼットを開けて風香をそこに押しこむ。
「お、お兄ちゃん!?」
「いいか、風香。ここに隠れてるんだ。何があっても、声をあげるんじゃないぞ?」
会話は短く済ませ、クローゼットを閉める。バンバンと大きな音がして、部屋の扉が揺れた。思いのほか扉が頑丈だったようだが、長くは持ちそうにない。
ケースケは肘で窓を打ち、窓ガラスを割る。破片の中でもっとも大きいものを掴み、服の切れ端をちぎって巻きつけ、即席のナイフにした。できればもっといい武器が欲しかったが、そんなものを探す間もなく扉は破壊され、異形の怪物たちが雪崩れ込んでくる。
「くそったれがああああああああああああああああ!!」
少年少女の姿を模した異貌の者どもが、床や壁やを這い、かさかさと近寄ってくる。恐怖に負けそうになる自分を奮い立たせるように大声をあげ、闇雲にナイフを振るった。
ズブリ、と不快な感触とともにナイフが沈む。玉虫色の血を流す少年は、腹部に突き立てられたガラスのナイフを不思議そうに見たあと、ぎょろりとケースケへと目を向ける。
『てけり・り!てけり・り!』
奇怪な鳴き声をあげ、少年の穴という穴から玉虫色の触手があふれ出す。その人外たちの叫びは『殺せ!殺せ!』と呪祖を吐いているように、ケースケには聞こえた。
あまりのおぞましさに一歩引いたケースケに、何体もの子どもショゴスが飛びかかり、押し倒す。身体がみしりと軋むように悲鳴を上げた。小さいのに、とてつもない力だ。必死にもがいて逃れようとするケースケの眼前に一体の少女ショゴスが顔を突き付ける。
『てけり・り』
愛らしい口から放たれるのは、あの独特の鳴き声。少女の両目を突き破って生えてきた二本の触手が鎌首をもたげ、死神の鎌となってケースケへと振り下ろされる。
直後、少女だったものが横殴りに吹き飛び、壁にたたきつけられる。少女の肉体にはいくつもの穴が開いており、そこからしゅうしゅうと小さな煙が上がっていた。
「雨音!?」
「伏せていて下さりやがりませっ!」
ようやくケースケに追い付いた雨音が、素早い動きでショゴスたちに毒針を刺していく。
雨音が到着してからの戦闘はそれほど長いものではなかった。数が揃ってこその烏合の衆。狭い室内のせいで、一度に大勢で襲いかかれないショゴスは、各個撃破の良い的だった。数分立たずして、足元には幾体ものショゴスが積み重なることとなった。
「……ケースケ、くん、大丈夫、で、やがり、ますか?」
室内のショゴスを一掃すると、雨音はぜえぜえと息を荒げながら、ケースケに問いかける。額には玉の汗を浮かべ、表情も疲労の色が濃かった。
無理もない。この室内だけで五・六体。庭や階下で戦っていたであろう数も含めれば、少なくとも十数体との連戦だ。さしもの彼女とはいえ、体力の限界が近かった。
「あ、あぁ。雨音、ありがとう。雨音こそ、大丈夫か?」
「ちょっと疲れただけでやがります。それより、階下にはまだ連中がうようよいるでやがります。急いで脱出しやがりましょう」
気遣うケースケに対し、雨音は気にするなといった様子で手を引き、窓辺に歩み寄る。屋内を通って外に出るより手っ取り早いと思ったのだろう。
「あー、ちょっと待ってくれ。風香を連れてくる」
「え?風香さんって、確か、妹さんでやがりましたよね?」
「あぁ、さっき見つけて、何とか保護できたんだ。元凶である俺が言うのもなんだけど、こうなっちまった以上、あいつも一緒に連れて行かないと」
「……ケースケくん、実は――」
『コ ロ セ』
一瞬、妙な声が聞こえたような気がして、ケースケは振り返る。だが、室内を見回しても、記憶を掘り出しても、声の主にヒットする者はいなかった。
「雨音、今の声、聞こえたか?」
「…………」
「雨音?」
周囲を見回しながら問いかけるが返事がなく、ケースケは不審に思って振り返る。雨音は顔を青ざめさせ、ケースケの手元を見下ろしていた。
自分の腹部を貫き、赤い血を垂らすガラスのナイフが少年の手に握られているのを。
「…………え?」
刺された被害者である雨音以上に、ケースケは混乱する。
――なぜ、自分は雨音にナイフを突き立てているんだ?
手を血に濡らし、ケースケは呆然と自身の両手を見る。幻覚であってくれと願うも、手にこびりついた赤く、鉄くさい液体は、まぎれもなく現実のものであった。
腹部を貫かれた雨音は、傷口を抑えて膝をつく。ナイフによる怪我は内臓も深く傷つけたのか、口の端からも血が滴っていた。
「あ、雨音、俺……」
言い訳を口に仕掛けて、閉ざす。なんと言えばいい?自分が雨音を傷つけたというのは事実だと言うのに。体が勝手に動いたなどとでも言うのか?
雨音が、ぎろりとケースケの方を睨みつける。今までケースケに向けられていた、親しさのこもった瞳ではない。怪物たちに向けられたのと同じ、本物の殺意だ。
その一睨みだけで動けなくなる。道端でばったりクマに出会ったような気分だ。今まで雨音が自分に対して、一度も本気の殺意を向けたことがないということを、ケースケは思い知らされる。生存本能が、彼女が危険生物であるということをビンビンに告げてくる。
雨音はナイフの刺さった腹部を手で押さえたまま、足元に散らばっていたガラス片の中から大きめのものを一つ掴む。そして、それを振りかぶり、投擲の体勢をとった。
「ちょっ!?ま、待ってくれ、雨音!違うんだ!今のは――」
違うんだも何もない。刺してしまったことは事実だ。生命の危機を感じ取り、慌てて弁解しようとするが、自分でもわからないことに対して適切な弁解などできるはずもない。
当然、雨音の動作がその言葉で鈍るはずもなく、ガラス片が投擲される。昆虫人間の膂力で放たれたそれは、投げナイフというより銃弾のごとく速度を持ち、ケースケに回避の反応すらさせる余裕を与えなかった。
反射的に腕で顔を覆い、目を瞑る。だが、自分が想像した痛みはいつまで経っても訪れず、代わりに背後で、ズガシャン!という派手な破壊音が聞こえた。
狙いを外したのかと思ったが、雨音の瞳には相変わらず殺気が込められており、それが自身ではなく、自分の背後に対して向けられていることに気付く。振り返ると、クローゼットに拳大の穴が開いていた。雨音が投げたガラス片によってできたものだろう。
「あ~あ、やっぱり気付かれちゃったか。手加減させたとはいえ、あれで無力化できると思ったんだけどなぁ。生け捕りって難しいわ」
聞いたことのある声が、クローゼットの中から答える。
ケースケの内心の驚きをよそに、クローゼットの引き戸が内側から弾き飛ばされる。中から現れるのは玉虫色に蠢く肉の塊。無数の目と口を有する無形の悪魔。
そして、それに守られるようにして包まれている、一人の少女。
「風香?」
風香の眼前、玉虫色の触手がガラス片を受け止めていた。風香が軽く腕を振るうと、触手はそれに合わせたようにガラス片を放り捨てた。
それはまるで、指揮者に合わせて演奏する演者のよう。指揮者の指先には、指揮棒の代わりに銀色の爪がついている。それらは定期的に光と音を発する機械のようで、彼女が振るうごとにショゴスは踊るように変形した。
明らかにショゴスを自在に操っている様子。それを眼前に見せつけられてなお、ケースケは現状が受け入れられないでいた。
「……おまえが、やったのか?」
「うん?」
「病院には、大勢の人間がいたんだぞ。それを、みんな殺したのは、おまえなのか?」
「うん、そうだけど?」
だからどうしたのだ、とでも言うように、風香は至極不思議そうに首を傾げる。まるで、人が死ぬことをなんとも思っていないように……いや、実際、なんとも思っていないということがその声音からはっきりと感じることができた。
声も姿もごく普通の少女。数分前に会話を交わした妹の姿だ。不気味な声をあげるわけでも、ショゴスや雨音のように人外の姿を取っているわけでもない。だが、ケースケは、ショゴスのようなわかりやすい怪物とは違う不気味さを、目の前の少女から感じ取った。
「おまえ、風香じゃないのか!?俺の妹をどこにやった!?」
「ん?病院で会った風香がどこに行ったかっていう話なら、私がそうだよ?」
風香はあどけない少女の顔でクスクスと笑う。
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