27 もっとも何よりも幸せな涙だった

 カッカッと廊下を蹴る足音が次第に近づいてきたかと思うと、役員会議室の扉が激しく開かれ、壁に激突して部屋を揺らした。

「潮ぉぉぉぉ――!」

 眉間を吊り上げ、目を血走らせて、顔を引きつらせた田宮が叫びながら駆け込んできた。

「あぁ、田宮本部長」と相変わらずのんびりした口調でドーナツを頬張りながら潮隆二は椅子に座り直した。「どうかしたんですか?」

 田宮は足早に潮の席までやって来て、隣の楓馬をひと睨みしてから言った。

「い……今、デバッグルームで聞いたんだが、例のエンディングが入れ替わってるそうじゃないか!」

「えっ?」と驚く楓馬の横で潮も「えっ?」と言った。

「そんなはずないんですけどねぇ」

 呑気に言う潮に苛立って田宮が怒鳴り出す。

「そんなはずも何も、現にデバッグルームのマスターROMで最終ボスを倒したら、あのさっきここで見たエンディングが流れてるんだぞ! 一体どうなってるんだ! おまえ、サーバーを書き換えれば簡単に防げるって言ったよな? えぇ? どうなんだ!」

「サーバーの一部を書込みできないようにしたはずなんですけどねぇ」

 そう言いながら潮はキーボードを手早く叩く。

「うん、ちゃんとプログラムは書込みできないように直してあるし」

 モニターと睨めっこしている潮に苛立って田宮が覗き込んで怒鳴る。

「じゃあ、何でエンディングが変わってるんだ!」

 すると潮が「あっ!」という顔をして、

「あぁ、そうかぁ。これってチェック用のダミーサーバーだったのかぁ」

 頭を掻きむしりながら言った。

「な……なんだ、ダミーサーバーって」と田宮が眉間に皺を寄せて聞く。

「リリース後にもサーバー絡みのチェックができるように、チェック用のサーバー領域が用意してあって、そこは製品版からはアクセスできないようになっているんですよ。だから修正するには製品版用の方のサーバープログラムを変更しなきゃいけなかったわけです。くそぉ、なんで気が付かなかったんだ」

 悔しがる潮に田宮が詰め寄る。

「なら今すぐ製品版用サーバーを書き換えろ!」

「田宮さん、それ、まずくないですか?」潮が神妙な顔をして言う。「すでに世の中の何百人かはこのエンディングを見てしまっているはずです。今から前のエンディングに変えたらネットで騒ぎになって叩かれますよ」

「そんなの構わん! いいからやれ!」

「田宮君、それは困るよ」

 と、そこに会長の唐沢が入って来て言った。

「ネットで騒ぎになったら取り返しがつかないぞ! もうじき上半期の決算発表会じゃないか。そんな火種を抱えるわけにはいかん」

 社長の藤堂も後ろからついて入って来て、

「株主から何を言われるかわかったもんじゃないですからなぁ」と会長に同意する。

「か……会長……、藤堂さんまで……」

 すっかり意気消沈した田宮は、唇を噛み締めて楓馬を睨みつけた。

 PCで検索していた潮がモニターを見せながら言う。

「もうエンディングに辿り着いた人がSNSでつぶやいてますよ。『超感動した』『涙が止まらねぇ』『鳥肌が立った』『あぁ、誰かに話してぇよぉ~』『今まで見たエンディングで最高』他にも続々と書き込みが増えてますよ。大好評ですね」

 すると唐沢会長が目を輝かせてモニターを覗く。

「そうか、好評なんだな? よし、これは決算発表会で使えるぞ! なぁ、藤堂君」

 藤堂もあわてて笑顔で応えて、

「そ、そうですよね! 確かに使えますな。株主には当社の熱烈なファンもたくさんいますからね。早速発表会の資料に付け加えましょう。でかしたぞ! 田宮君。わっはははははは」

 笑いながら唐沢と藤堂は部屋を出て行った。

 あわてて田宮も後を追いかける。


 楓馬は潮を見た。

 潮はまたヘッドフォンをして、ペットボトルでジュースをがぶ飲みしていた。

「潮! おい、うしおッ!」

 ヘッドフォンからはアニメの主題歌が漏れ聞こえている。

 楓馬はヘッドフォンを引っ張って耳元で叫んだ。

「おーい!」

「わぁ、びっくりした。なにするんですか」

 驚いて椅子からずり落ちそうな潮を楓馬は見下ろしながら言う。

「おまえ、わざとやったな」

「へ? 何のことですか?」

 潮はとぼけて視線を外す。

「おまえほどのプログラマがダミーサーバーのこと気付かないわけないだろうが」

 潮は楓馬の顔を見上げて、ニンマリと笑うと、椅子にきちんと座り直した。

「俺もゲーマーの端くれですからね。あんなエンディング見せられちゃ、これを世に出さないわけにはいかないぞ、って思っちゃったわけですよ。田宮さんと見てる間中、涙をこらえるのが大変だったんですからぁ」

「うしおぉぉぉぉ~」

 楓馬が潮の頭を後ろから羽交い絞めにして髪を搔きむしると、いてててて、何するんですか、やめてくださいよぉ、とはしゃいで抵抗する。

 しかしそれは楓馬が目から幾筋も溢れ出る涙を潮に見られないようにするためなのだった。

 もっともそれは何よりも幸せな涙だった。

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