12 とにかく急がなきゃ
「待ってくださいよ、それじゃあ、何ですか。エンディングだけは胡桃名さんの意図とは違うものになってるってことですか」
夏目は悔しそうな顔で言った。
夏目も一流のクリエイターだ。
製作者が意図を不本意に曲げられたことの悔しさは自分のことのようにわかるのだ。
「でも失踪のせいで発売が延期になったわけでしょう? 五ヶ月もあったんだから何とか創れなかったんですか」
まるで自分のことのように抗議する夏目をかわす様に楓馬が言う。
「それがそうもいかなかったんだな。胡桃名さんがいなくなったのがわかった次の日、役員たちがやってきて『シャトファン』をペンディングにするって言ったんだ」
「そこまでできてて没ですか」
「あぁ、胡桃名さんの失踪を理由にな。それからというもの、俺たちのプロジェクトは解体されて、いろいろなプロジェクトの手伝いに回された。でも七月になって状況が一変したのさ」
三月に発売されたサンテンドーターミナルは、発売後三ヶ月が経っていた。
発売当初は品切れ店も続出する売れ行きだったが、目玉商品の不足から早くも失速しかけていた。
期待の大きかった「シャトー・ドゥ・ファントーム」が発売未定になったのも少なからず影響していた。
そもそも最終ロム目前で延期、というか事実上の中止になったことに、参天堂としても納得していたわけではなかった。
そこで、参天堂から改めて「シャトー・ドゥ・ファントーム」を完成させて、発売してくれないかという依頼を受けたのであった。
しかも大規模な宣伝支援も約束する上に販売報奨金も売り上げ本数に関わらず前金で払うというのである。
事実として才島の死後、プロジェクトを見直した結果、新規の製品はほとんど無くなり、定番タイトルの続編も、ジリ貧で売り上げが減っているのが現状だった。
そんなところにこのおいしい話が舞い込んで、現首脳陣が色めき立ったのも無理はない。
何しろ発売を約束するだけでも多額の現金が転がり込み、タダで大宣伝してもらえて、売れればさらに多額の利益が出るのである。
早速元のプロジェクトメンバーが集められ、田宮本部長をディレクターとしてプロジェクトが再開されることが社内で発表されたのだった。
期限は一週間。
再デバッグも含めるとエンディングを制作できるのは一日しかなかった。
胡桃名が失踪したと知った時、楓馬はひどく失望した。
確かにエンディングを簡易版にするのは不本意だとは思う。
あれだけ思い入れのあった仕様だから尚更だ。
しかし、だからといって自分たちプロジェクトメンバーを見捨てて行方をくらますだなんて、裏切り行為と言われても仕方がない。
その上、その失踪を理由に中止させられたのだ。
楓馬は失望を通り越して怒りすら覚えていた。
しかしそれも五ヶ月経つうちに次第に薄れてきて、今では胡桃名の当時の気持ちをおもんばかる余裕が生まれていた。
確かに今でも若いスタッフには、自分たちを見捨てて逃げた卑怯者となじる者も多い。
だが楓馬や鳴谷のような創業当時からの仲間は、きっとよほどの事情があったに違いないと思うようになっていた。
そこにこの再開の話である。
楓馬はとにかくあの時胡桃名と知恵を絞り合った、一日で完成できるエンディングを創って、作品を世に出せることが何より嬉しかった。
そうすればいつか胡桃名と再会した時に、笑い話にできる、そう思っていた。
ところがディレクターの田宮本部長は別の仕様を自ら書いて来て強要した。
それは何とも陳腐な内容だった。
と、いうよりも故意に陳腐にしようとしたとしか思えないものだった。
同じ一日でできる当初の意図通りの仕様があるというのに、なぜ新しい仕様に変更しなくてはならないのか。
そう食ってかかったが、田宮本部長は聞く耳を持たなかった。
それならメインプログラマを交代させるまでだ、と冷めた目で言われた。
その言葉で、すべての反論を飲み込まされた楓馬は、その時ひとつの決意を固めたのだった。
「時限式のバグを仕込んだんだ」
楓馬はほくそ笑みながら言った。
夏目は話をよく呑み込めずにポカンとしていた。
「本当はその時、真のエンディングも創って仕込んじゃおうと思ったんだけど、さすがに時間的に難しくて。田宮の腐れエンディングを作るので精一杯だった。それで思い付いたんだ。マスターの提出後に、時間が経ったら発生する致命的なバグが発覚したら発売後にアップデートできるって。そうすりゃ一ヶ月半ぐらいの時間が稼げるってわけよ」
「それってどういう仕組みのバグなんですか」
「あるサブルーチンがループする度にメモリにバッファを確保し続けていって、バッファがオーバーした状態でエンディングに行こうとしたら停止するんだけどな、バッファを確保する部分のプログラムにカウンターが仕込んであって、それが『1以上』になるまではバッファの確保が始まんないようにしてあるの」
「うーんと、よくわかんないけど、つまりカウンターが『1』になってから一定時間経つとエンディング前で停止するバグってことですね」
「さすが天才ディレクター。わかりが速い」
「でもデバッグのエイジングでよく見つかりませんでしたね」
「このカウンターの初期値は最初にサーバーにアクセスした時に、あるアドレスの値を取って来るんだけど、そこにマイナスの値を書き込んであったんだ。だからデバッグ中は正の数になることはない。三十時間ぶっ通しで起動させた後でクリアまでチェックするエイジングでも大丈夫ってわけ。でもな、マスター承認が出た後に、サーバーをリセットするだろ。その時そこの値もリセットされてゼロになるのさ。すると大体二四時間で発生するんだ」
そこで夏目が怪訝な顔をして聞いた。
「でもアップデートのプログラムをデバッグされたら、エンディングが変わっているのがバレちゃうでしょ」
「今のままではエンディングは田宮の腐れエンディングのままなんだ。だからデバッグで問題になるようなことはない。だけどゲームの中で、ある隠しスイッチが押されるとユーザーデータサーバーのある場所に『1』が書き込まれるんだ」
楓馬は天才プログラマらしく、ちょっと顎を突き出し、見下ろすような仕草で得意気に続けた。
「エンディングに行く際、一度だけユーザーデータサーバーにアクセスする仕様になってるんだが、何でだか知ってるか」
夏目は鼻を拳でくいっと持ち上げるように擦って、はにかみながら言った。
「何人がエンディングまで到達できたかを調べるため……ですよね」
楓馬はチェッと舌打ちして、
「その時さっきのあるアドレスも参照してて、そこにフラグが立って『1』が入っていると真のエンディングのプログラムが発動するって仕掛けなのさ」
「ずいぶん手が込んでますね」
「パレットのデバッグチームは業界一優秀だからな、これぐらいしないと見つかっちまうからよ」
「そんなに優秀なんだからその隠しスイッチも見つけちゃうんじゃないですかね」
すると楓馬がまたしても得意気な顔に戻って言う。
「そこで君の出番だよ。このゲームの仕様では途中でバディルームっていうのが出てきて、ユーザー同士でバディを組んで一緒に戦うことになるんだけど、通常は二人で一組になるようになってる。でもな、『ピート』っていうユーザーと『エース』っていうユーザーがバディになった時だけ起動するプログラムが仕込んであるんだ。つまり胡桃名さんとナツジュン、おまえだ」
「胡桃名さんと俺……胡桃名さん、ゲームやるでしょうか」
確かに胡桃名の失踪の原因が何なのかがわからないのに、胡桃名がゲームをやる保証はどこにもない。
しかし楓馬は確信に満ちた眼差しで言った。
「いや、胡桃名さんは『シャトファン』が発売されたら必ずプレイする。しかもいつも使っていた『ピート』っていうキャラクターネームでね。それほど胡桃名さんにとってこのゲームは思い入れが強い作品なんだよ」
楓馬は心なしか目に涙を滲ませたように見えたが、ニヤッと笑って続けた。
「でな、そのプログラムが起動した時だけ、三人目のバディが仲間になれるんだ。そしたら俺がバディに登録して二人を誘導する。隠しのスイッチは三人で同時に押さないと発動しないんでね。な? これならデバッグではまず見つからないだろ」
嬉しそうに語る楓馬を見て、夏目はクスッと笑ってしまう。
「なんだかちょっと楽しんでませんか」
そう言われて楓馬も確かに、と思った。
これは役員たちへの敵討ちなんだ。
だから奴らを見事に出し抜いて真のエンディングを世に出して復活させることに意義があるのだ。
「まぁな、その敵討ちは胡桃名さんとナツジュンと俺の三人で成し遂げたいってわけだ」
「光栄です」
「ま、社外の人間が絡んでた方がバレにくいってのもあるけどな」
夏目に素直に感謝されると何か照れくさい楓馬であった。
「そういうわけで、アップデート後に誰かがクリアしてしまう前にナツジュンには『ピート』を探してもらって俺と一緒にエンディングを入れ替えるフラグを立ててほしいんだ」
「どれぐらいの時間があるんです?」
「今朝ユーザーデータサーバーを覗いたらフライングで発売前にソフトを手に入れた奴がいるらしくて、ユーザー登録のタイムスタンプが昨日の午後五時二十六分だったんだ。今が午後十二時三十分だから、すでに十九時間経ってる。するとクリアするまでの猶予は早ければあと六時間ってとこだ」
すると楓馬のズボンのポケットが振動し始めた。
楓馬はポケットからスマホを取り出すと耳に当てた。
「あぁ、鳴谷、何? ……え? 田宮が? ……わかった、わかった、すぐ戻るよ。それまで何とか誤魔化しといて……うん、じゃあな」
電話を切ると夏目を見て、
「田宮の奴、何か俺のこと疑ってるみたいで、探してるらしいんだ。今目を付けられるとまずいから、会社に戻るわ。あとこれ、特別なデバッグコマンド――」
と言いながら楓馬はポケットから紙とボールペンを取り出し、走り書きする。
「これで製品でもデバッグモード使えるようになるからバディルームに入って探してくれ」
そう言うと、コマンドを書いた紙を夏目の手に握らせて足早に出口へと向かった。
「じゃあ、後でまたゲームの中でな」
手を挙げながら店を出て行った。
あれ、コーヒー代、払ってないんじゃないの?
やられたよ、と苦笑いしながら夏目はゲーム機のスリープを解除した。
「とにかく急がなきゃ」
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