11 今はただ待つしかないのだから
「あぁ~、いたいた、ここにいたぞ」
電車がホームに着いてドアが開いた時、突然車内に大声が響き渡った。
その声に胡桃名が目をやると、スーツ姿の若者が三人並んで座っているのが目に付いた。
彼らは三人共手にスマホを持って、画面を指で擦ったりタップしたりして、画面を瞬きもせずに見ながら、しきりに喚いているのだった。
今大ブームになっているスマホアプリ『クリーチャーハンター』だ。
「おい、そっち行ったぞ」
「ばか、まだできてねーんだって。ふざけんな。もっと引き止めとけよ」
「そんなこと言ったってしょーがねぇだろぅがぁ」
「よし。俺に任せろ。えいぃ!」
「あ、何してんだよ、余計暴れてんじゃん」
「やべっ」
「つーか逃げてんじゃねーよ、俺だけタコ殴りじゃんよ」
「はははははは」
「あー死んだ、ざけんなよ」
「ははは、ダセー」
「復活の珠使ってやっからよ」
「頼むぜ、ホント。よーし、体力満タン」
互いのスマホは通信で繋がっていて、三人で共通の敵と戦っているようだ。
ひとりがオトリになっておびき寄せ、後の二人が罠を仕掛けて待ち構え、罠にはまったところを三人で徹底的に叩きのめす作戦なのだ。
「よし、いいぞ。こっち来い」
「行くぞ、ホレホレ。よーし、そのまま、そのまま」
「やったー。今だ!」
「連続斬り」
「メガトンブレイド」
「ギガファイヤー」
各々必殺技を使ったようだ。
「よっしゃぁぁぁぁぁ~」
三人で同時に勝どきを上げる。
達成感に満たされた、何とも清々しい顔だ。
人生に於いて、困難を掻い潜り、何かを成し遂げ、達成感を味わい、感動する瞬間がどれほどあるだろうか。
それをゲームは幾度となく提供しているのだ。
もちろんリアルな人生で何か事を成し遂げた達成感とは比べ物にならないだろうが、この小さな昂揚感が人生を豊かにし、日々の生活にアクセントをもたらし、挑戦する活力を生み、それがひいては実生活に於いて、何かを成し遂げるエネルギーの一部になっている、 胡桃名はそう信じていた。
だからその三人の若者の姿を見て、胡桃名は嬉しくなった。
また、その三人を夢中にさせているゲームが自分と苦楽を共にした夏目がディレクションしたゲームだということが誇らしかったし、嬉しかった。
そうして微笑みながら、窓の外に視線を移した瞬間、耳に飛び込んで来た言葉が胡桃名を驚かせた。
「そう言えば『シャトファン』出たんだよな」
若者の一人がスマホから目を離さずに言った。
「あぁ、ずっと発売延期になってた奴な、今日発売だっけ」
「つーか、オレまだサンテンドーターミナル持ってねぇし。おめぇ、持ってんのかよ」
すると自慢げな笑みを浮かべながら鞄から新品のサンテンドーターミナルを取り出す。
「ジャンッ!」
「おー、いつ買ったんだよ、金持ちぃ~。シャトファンも?」
「それはまだ。でも俺の友達が買ってやってるって、画像アップしてたぜ。見る?」
サンテンドーターミナルには友達同士で画像やプレイ動画を共有する仕組みがある。
自分がプレイした映像を録画して、簡単に動画をアップできるのである。
「おぉ、見る見る。へー、画面綺麗だなぁ」
「おっと、ここから先はネタバレってことでカット。だってよ」
「ちっ。俺っちも買うべかなぁ。でも今月金ねーなぁ」
と、上を見上げながら言った若者は驚いた。
目の前に男が食い入るような目付きで見下ろして立っていたからである。
胡桃名だった。
「今、何て言った?」
「え? あ、いや、今月金ねーなって」
「いや、何が発売されたって?」
「あ、そっち? だからシャトファン、『シャトー・ドゥ・ファントーム』ってゲームです……けど――」
ちょうどその時、電車は駅に着いて、ドアが開く。
胡桃名は駆け足でホームに降りて行った。
後に残された若者たちは呆気に取られて顔を見合わせた。
「……なんだ、あのオッサン」
「あれ? あれあれあれ? なんかどっかで見たことあるような……」
「あ」
胡桃名はそのまま走って階段を駆け上がり、改札を出て見回す。
そこはどこかの地方都市でそこそこ大きめの駅だった。
改札の目の前に駅ビルの入り口があった。
そこに駆け込んだ胡桃名はインフォメーションのカウンターに突進し、早口に言った。
「ゲーム売り場はどこ?」
「ゲーム売り場でしたら七階のおもちゃ売り場に……」
全部言い終わらないうちに駆け出した胡桃名はエスカレーターを七階まで駆け上がり、おもちゃ売り場のゲームコーナーを速足で見て回る。
「あった……」
それは会計カウンターの目の前の一番目立つ所にあった。
主人公とヒューポーのバックに闇の王ゴルティスのイラストを使った立体的な立て看板があり、その下にある液晶モニターにはプロモーションビデオが繰り返し流されていた。
そしてその前にソフトが大量に山積みされていて、すでに数人がソフトを手に取り、裏の説明文を真剣に読んでいる所だった。
胡桃名はソフトをひとつ手に取り、それからゲームハードコーナーに行って、サンテンドーターミナル本体の箱をひとつ取ると急いで会計カウンターに向かった。
駅ビルの一階から外に出てみると、さっきまで降っていた雨も止み、雨雲が切れて青空がのぞき、夏の強い陽射しがこぼれていた。
地面はしっとりと濡れていて、陽射しに照らされて、ゆらりと湯気を立てている。水たまりには空の青が映り、そこを足早に雲が通り過ぎていく。
駅ビルの真ん前にこじんまりとした公園があった。
そのはずれの方にあるベンチを見つけると胡桃名は駆けて行って陣取った。
ゲーム機を箱から出すと箱をベンチに放り出し、起動して諸々の設定をして、いよいよソフトを挿入した。
注意書きが次々に現れた後、メーカーロゴが出る。
すかさず胡桃名はスタートボタンを連打した。
メーカーロゴはスキップできるべし!
少しでも早く遊びたいユーザーのことを考えて、そう主張していたのは才島だった。
大手メーカーにいた時には三秒は表示させなくてはならないルールになっていて、最後まで抵抗していた才島だったが、結局法務部の許可が下りなくて断念したのだった。
だから自分で興した会社のロゴは一瞬でスキップさせるようにしたのだ。
胡桃名もそれに倣っていた。
さぁ、いよいよタイトル画面か、と思いきや、いきなり画面に『アップデートがあります』という表示が出る。
最近のゲームは発売後にバグなどがあると、インターネット経由で修正パッチをダウンロードさせて、インストールすることで修正できるのだ。
それにしても発売と同時に修正パッチとは。
業界ではこれを「ゼロデイパッチ」と呼んでいる。
大抵はマスター提出直後に重大な不具合が発覚した場合に仕方なく行なわれるものだが、酷い時には発売日を遅らせないために未完成のままマスターを製品化して、それが製造され、店頭に並ぶまでに修正プログラムを作っておいて、差し替えるなんてウルトラ技もあるのだが、『シャトー・ドゥ・ファントーム』は十分時間があったはず。
一体何があったのだろう?
そんなことを考えているうちに、いよいよタイトル画面が出て「Press Start Button」と表示される。
赤のグラデーションで明滅するのも才島の好みだった。
ふと、才島が夢中になってアイデアを語っている姿が目に浮かんだ。
「世に出たんだな」
我が子の誕生を祝福するような、万感の思いでスタートボタンを押すと画面が暗転し、オープニングだ。
そして僕は不思議に思う。
朝目覚めると確かに見たはずの夢が思い出せないことがある。
その夢は一体どこへ行ってしまうのだろう。
でも、その日の夢は鏡を見るようにはっきりと覚えているんだ。
この時、胡桃名は無意識にLボタンを押しながら、十字ボタンを上下上右下左上LLという順番で押していた。
「おっといけね、これ製品版だった」
習慣とは恐ろしいものだ。
いつもデバッグする時にロムを立ち上げるとこのコマンドを入れていたので無意識に手が動いていたのである。
それは開発中のソフトのみに入れてあるデバッグモードのコマンドだった。
内部パラメータを変更したり、カメラを自由に移動させたり、敵を制御したり、無敵にしたりできるモードだ。
ソフトのチェックをするのにロムが新しくなる度に毎回最初からプレイしていたのでは時間がかかりすぎるため、開発中はこうしたモードを入れて途中経過を端折るのである。
誰も見ていないのに照れ笑いをした胡桃名だったが、次の瞬間目を疑った。
画面にはオープニングに続く主人公とヒューポーの出逢いのシーンが流れているが、その画面の上に半透明のウィンドウで表示が出ていたのである。
マスターROMではもちろん、デバッグモードのプログラム自体を削除して起動しないようにするので製品版では実行できないはずだった。
それが残っていた?
考えられないことだった。
待てよ、と胡桃名は思う。
このコマンドは特別なものだったはずだ。
本来のデバッグモードのコマンドはLR同時押しで十字ボタン上下ABAB右左上下RLだったのだ。
でもこれだと両手を使わないと入力できない。
胡桃名はゲームをチェックする際にコーヒーを飲みながらデバッグしたかったので左手だけで入れられるコマンドにしてほしかったから、こっそりチーフプログラマの楓馬にお願いして、自分用に先のコマンドも入れてもらったのだった。
「もー、わがままなんだからぁー、胡桃名さんのお願いだから特別に入れるんですからね。絶対誰にも言わないでくださいよ」
楓馬にそう念押しされたっけ。
だからこのコマンドのことはデバッグチームにも秘密にしていたのだった。
もし知っていたらデバッグチームがデバッグモードを残したままマスターを通すはずがない。
と、なると楓馬がうっかり消し忘れたのだろうか。
あの楓馬がそんなミスをするなんて。
そう考えると、妙に違和感を覚えた。
ふと思い付いて、リセットしてソフトを一旦終了し、再起動してみる。
再びタイトル画面でスタートボタンを押し、オープニングが始まる。
そして僕は不思議に思う。
……
その瞬間、LR同時押しで十字ボタン上下ABAB右左上下RLというコマンドを入力してみる。
画面では何事も起こらず、出逢いのシーンが流れていた。
確かにデバッグモードは削除されている。
デバッグチームはちゃんと仕事をしていたのだ。
だとすると、さっきの表示は一体なんだ。
可能性があるとしたら、楓馬が意図的に残したということだ。
もうひとつのコマンドが存在することは自分と楓馬の二人しか知らないことなのだ。
だとしたら、これは製品を通じた自分に対してのメッセージなんじゃないだろうか。
そうなると、もしかしたら「ゼロデイパッチ」も楓馬の仕業なのかもしれない。
楓馬は何を伝えたがっているんだろう。
もう一度リセットしてタイトル画面からオープニングへ。
そこで自分専用のコマンドを入れる。
画面にはやはり半透明のウィンドウ表示が現れた。
「ん?」
よく見ると調整項目のうち、シーンセレクトが点滅している。
そこにカーソルを合わせてAボタンを押してみる。
これでどのシーンからでも始められるわけだ。
十字ボタンの下を押して、シーンを送っていく。
会社に戻らなかったあの日、ほとんどのシーンはフィックスしていた。
ただエンディングだけはまだ創っていなかった。
それに役員に呼び出されて急遽変更を余儀なくされ、夜中までみんなで検討して、一晩で創れるが、内容的には驚愕の結末が伝わるぎりぎりの内容の簡易版エンディング仕様を決めた所までしか胡桃名は知らなかった。
そうだ、どんなエンディングに仕上がったのか、見てみよう。
まずはネームエントリー画面を開く。
ここで名前を登録しておかないといろいろバグってしまうのだ。
胡桃名はいつも自分のプレイするゲームの主人公の名前は『ピート』と決めていた。
だから『ピ』『ー』『ト』と入力した。
次に項目を『エンディング』に合わせ、Aボタンを押す。
画面がフリーズし、ローディングが始まる。
そして画面が真っ暗になってしばらくしてフェードインしてきた。
そこに流れたエンディングは、まさに驚愕の内容だった。
そこは宮殿の中。
王の玉座の間。
王様の前に主人公が控えている。
『ピートよ、よくやった。おまえに褒美をとらせるぞ』
王様が言うと、主人公が頭を垂れ、
『はは~。ありがたき幸せ』
その横で風の精霊のヒューポーが宙を舞いながら言う。
『ピート、よかったね。おめでとう』
そして文字が表示される。
『こうして世界は勇者ピートによって平和を取り戻したのであった。めでたし、めでたし』
エンディングのBGMが流れ始めると、スタッフテロップが下から上がってくる。
その筆頭に上がって来たのは『プロデューサー 藤堂雅一』という表示だ。そして最後に流れたのが『ディレクター 田宮多津彦』だった。
THE END
そしてエンドテロップが出て画面はフェードアウト、フェードインを挟んでタイトル画面へと戻った。
胡桃名はしばらく呆然としていた。
が、次第に怒りが込み上げてきた。
あの時、会社を出る前に、スタッフと知恵を絞り合って、最大限譲歩したエンディングとはまるで違ったものだったからだ。
そもそも王様の命令で悪者退治に行ったわけでもないし。
それに主人公が褒美をもらって喜んでいたり、ヒューポーが隣でよかったね、なんて言わないだろ。
そもそも平和のために戦ってたわけでもないし、その上「めでたし、めでたし」って。今時そんな終わり方するゲームあるか?
冗談でも笑えないじゃないか。
そしてスタッフテロップである。
プロデューサーが新社長の藤堂なのは仕方ないにしても、才島さんの名前がどこにもないのも気に入らない。
そしてディレクターに開発部門担当に就任した田宮がクレジットされている所を見ると、この当て付けとしか思えない、やっつけのエンディングは奴の仕業だろう。
実際、胡桃名が失踪してから、発売が今日まで延ばされたのだったら五ヶ月は開発期間があったはずだ。
それなら当初のエンディングだって創れたはずだし、例え一日しかなくてもあの時決めた内容のエンディングにはできたはずだ。
それをわざわざこんな陳腐なエンディングに差し替えさせられたスタッフの悔しい気持ちを考えると、会社に戻らなかったことを酷く後悔するのであった。
そうか、楓馬はこれを自分に見せるためにコマンドを残したんだ。
何か企んでいるに違いない。
確かに今日発売だからフライングで昨日買って手に入れた者もいるとしても、すべてをクリアしてエンディングに辿り着くためには後一日は猶予があるはずだ。
その間に何かをしようというのだろうか。
楓馬に連絡を取らなければ。
―――胡桃名はしまった、と思った。
サキを探しに家を出た時、誰からも邪魔されたくないという意識からか、一切の通信機器を持たずに出てきてしまったのだった。
携帯もスマホもPCもタブレットも、何も持っていなかった。
そして誰の電話番号もメールアドレスも覚えていなかったし、記録さえもしていなかった。
どうしたら連絡が取れるだろう。
そう思ってふと我に返った時、手に持っているゲーム機が目に留まった。
そうだ!
月の国の写し鏡の間、通称バディルーム。
「シャトー・ドゥ・ファントーム」はゲームを進めていくと途中で写し鏡の間というネット通信仕様が登場する。
ここでは同じゲームをプレイしているプレイヤー同士が出逢って、バディ、つまり相棒になり、一緒に戦うことができるようになっている。
プレイヤーたちはみなそれぞれに自分のファントメアで生きている。
物語がここまで進んで来ると初めてパラレルワールド、つまり平行した世界が存在するのを知るのである。
普通のゲームでも同じゲームをやっているプレイヤーたちは同じ世界を別々の時間軸で体験している。
言ってみればそれはパラレルワールドのようなものだ。
「シャトー・ドゥ・ファントーム」ではこの平行世界を繋げることで現実と複数のゲーム世界の共存を意識させる仕組みになっているのだ。
この仕組みを話した時、才島が酷く興奮していたのを思い出す。
「すごいよ、胡桃名くん! それは言ってみればゲーム世界が現実に内包されていることを発見する冒険ってことじゃないか」
だからこそ最後に驚愕の真実のエンディングが必要なのだ。
才島もそこが一番のお気に入りだった。
才島さんのためにも、何とか真のエンディングを取り返したい、そう思う胡桃名だった。
そして、もうひとつの仕様が、バディになることでメッセージのやり取りができるようになるというものだった。
これを使って楓馬とコンタクトを取れれば……。
再びコマンドを入力してデバッグモードに入ると、[Buddy Room]を選択し、Aボタンを押す。
画面は真っ黒になってローディングが始まる。
しばらくしてメニューが現れた。
[Bravelist]という項目を選択する。
するといろいろな名前が表示された。
これはつまり世界中のプレイヤーが主人公に付けた名前なのである。
しかし楓馬がどんな名前でプレイしているかわからない。
大体わかったとしても、彼らを見捨てて失踪した自分を恨んでいるはずだ。
奴らにはサキがいなくなったことは言ってないから、エンディングの改変命令に嫌気が差して姿をくらましたと思われても仕方がなかった。
そんなことを考えながら、それらしい名前はないか、とリストを送っていくと、ひとつの名前に目が釘付けになった。
シンディ
サキ?
サキなんじゃないのか?
もしかして、サキが「シャトー・ドゥ・ファントーム」が発売されたのを知って、プレイしてくれているんじゃないか。
だとしたらそれは自分に対するメッセージなんじゃないか。全く当てもなく探し回っていた胡桃名には、それは唯一の光に見えた。
これを逃したら二度とサキに辿り着けないのではないかとさえ思えた。
そう思うと迷わず[シンディ]を選択してバディ申請を送った。
しかし、普通にプレイしてこの写し鏡の間に到達するには、早くてもあと三時間はかかるだろう。
だから胡桃名は申請が通ったサインが帰って来るのをひたすら待った。
そう、今はただ待つしかないのだから。
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