23 今こそとどめを刺す時だ

 さきほどまでの雨で濡れた公園の木々は夕陽に照らされて、朱色に輝いていた。その木陰のベンチに座り、ひとり携帯ゲーム機で夢中になって遊ぶ胡桃名は目立つ存在だった。ベビーカーを押しながら買い物に向かう主婦や散歩を日課にする老人が、奇異な目で見ながら通り過ぎていく。そんな中、ちょうど下校時間になったのか、小学生の男の子たちが数人、最新のゲーム機に興味を引かれて集まって来た。

 しきりにボタンを操作している胡桃名のゲーム機の画面を何とか見ようと、ベンチに登って横から後ろから、背伸びしながら覗き込む。

 しかし胡桃名は子どもたちに一切気付かないほどに集中していた。

 ひたすらゴルティスの攻撃を避け続けている胡桃名に男の子のひとりが言った。

「逃げてばかりいないで、攻撃しなくちゃ勝てないじゃん」

「あぁん?」と言って睨んだ胡桃名の顔を見て、男の子たちがビビッて逃げ去った時だった。ゲーム機が振動してメッセージが届いた。

 それはエースこと、夏目からのメッセージだった。

『右に三、左に六の柱の像と神の像を同時にショット』

「よしっ!」

 急いで『既読』にすると、シンディも『既読』になる。


『ピートは右! シンディは左! 僕が合図したら撃って!』

 そう言うとエースは真ん中の祭壇を駆け上っていく。

 ピートも右舷の三番目の柱の像に向かって突進した。

『さんっ! にぃっ! いちっ! 撃て!』

 ショットを撃つ。像が赤く光る。ピートがシンディを見る。

「シンディ――」

 シンディがゴルティスの火炎弾に当たって弾き飛ばされていた。

「失敗か」

 柱の像は赤みが消えていき、元の色に戻っている。

 ゴルティスの火炎弾は正確に狙いを付けて飛んで来る仕様なのだ。だから逆に言えば、じっとしていたら必ずそこに弾は飛んで来る。だから弾が撃たれた直後に、今いる場所から弾道と垂直に移動すれば必ず避けられるのだ。

『ふたりともここに集まれ』

 ピートが部屋の左隅に移動して叫んだ。

 シンディとエースがやってくる。

 三人が部屋の左隅に固まって、ゴルティスの方を向く。

「一度に倒してくれるわ」

 ゴルティスはそう叫ぶと指先から火炎弾を三発発射した。

『今だ!』

 ピートの合図でシンディはすぐ横の柱の前に移動、エースは右に転がって避けてから真ん中の祭壇を駆け上がり、ピートはジャンプで火炎弾を飛び越して右舷の柱に向かった。

ゴルティスが次の弾をチャージして発射しようとしている。

『さんっ! にぃっ! いちっ! 撃て!』

 ゴルティスが火炎弾を発射すると同時にショットを撃った。

 ショットを撃った体勢を整える前に火炎弾が三人を直撃する。三人の体は吹き飛ばされて柱にぶつかった。

「うぅぅ――」

 痛みをこらえながらピートは三つの像を見た。柱の像が赤く光を放ったかと思うと、中央の魔方陣に向かってレーザービームを発射した。そのビームが魔方陣に当たると魔方陣からものすごい勢いで光の渦が舞い上がり、ゴルティスを飲み込んでいく。

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ」

 ゴルティスが爆発のエフェクトと共にフェードアウトしていく。断末魔の叫びが木霊する。

 楓馬のプログラムが正常に作動していれば、これでエンディングは変わっているはずだ。


「やったぁー」

 気が付くとさっきの男の子たちが胡桃名の周りで興奮して叫んでいた。

「おじさん、やるじゃん」と男の子たちに肩を叩かれまくる。

 こいつらはまったく事情をわかってないけれど、とりあえず一緒に喜んでくれる仲間がいるのは嬉しかった。

 その時、シンディからメッセージが届いた。

『ボク、胡桃名さんに謝らなければならないことがあるんです』

 胡桃名は黙ってじっと次のメッセージを待った。

『ボク、実はサキさんじゃないんです。騙してごめんなさい』

 あぁ、ついに言われてしまった、と胡桃名は思った。こうなることは、ずっとわかっていたんだ。あえて気付かないようにしていたとも言える。

『何となくわかってた。サキは僕のこと、裕司とは呼ばないしね』

『じゃあ、何でボクを、シンディを守ってくれたの』

 胡桃名はゴルティスを所謂アクションゲームのボス敵の魔王のように、絶対的な悪にしたくなかった。だからゴルティスを世界中から捨てられ、信じる人から裏切られ、長い間暗い闇の中に閉じ込められていた悲劇の男にしたのだった。彼は何も悪いことはしていない、むしろ世界を正そうとした。しかし世界が彼を葬った。その哀しみがいつしか憎悪に変わり、世界に復讐するため魔王と化し、世界を消し去ろうとしたのだ。

 そこに共感して泣いていたシンディは、きっと同じ境遇の子に違いない。そんな子が復讐のために自分を裏切った世界を消し去ろうとしたのなら、方法はただひとつだ。

『君に生きていてもらいたいから』

 長い沈黙があって、ようやくメッセージが届く。

『ボクなんか生きる意味あるのかな』

 胡桃名は急いでメッセージを送る。

『人生に意味のないことは起こらないよ』

 シンディはショットを一発、空撃ちした。それは何か頑ななものが砕け散った音がした。

『それにシンディ、戦いは』と続けてメッセージを送る。

『まだ終わっちゃいないんだよ』

 ゲーム機の画面の中ではカメラが灰になったゴルティスへと寄っていく。

 灰の中からゴルティスの魂が浮かび上がる。


「よく聞け、異の夢よ! 悪夢の卵はまさに今孵る。もはや止めることはできぬ。世界は悪夢の怪物に喰らいつくされるのだ。わはははははは」

 言い終わった瞬間、ゴルティスの魂は散り散りに消し飛んだ。

 その一部は悪夢が注がれている卵へと宿る。

 ゴルティスの憎悪が加わると、巨大な卵の殻に亀裂が走り、中から黒い光が溢れ出てきた。次の瞬間、卵を突き破って悪夢が生まれ出た。

 それは見た者が目覚めながらにしてうなされるほどのおぞましい姿かたちをしていた。

 その眼は窪んだ溝のようで、その深さは地の底にまで及ぶかと思えるほど深く、手のような触手が四つ突き出た体からは、終始無数の虫がひしめき合うように湧き出していて、まるで体がぼたぼたと剥がれ落ちるように見えた。大きく開いた口のような穴は、別の時空へと続く落とし穴のようで、その深淵はあらゆるものを飲み込む闇であった。

 三人とヒューポーは、そのおぞましい怪物に立ち向かって行く。


 仕様を熟知している胡桃名にとって、このラスボスの攻略は難しいことではなかった。

 しかし、シンディはあまりアクションゲームが得意ではないらしく、結構敵の攻撃を食らってしまっていた。そんなシンディを庇うようにして戦うのは、エースのフォローがあっても難易度の高いプレイなのであった。

 デバッグ中にはノーダメージで倒せていたラスボスなのに、胡桃名ことピートは残りHP三〇%まで追い込まれてしまっていた。

 しかし、次第にシンディとピート、エースの連係プレイは決まり出していた。ピートとエースが敵の攻撃をおびき寄せ、その隙にシンディが弱点である背中を攻撃するというパターンが確立すると、形勢は一気に逆転し、ついにあと一撃という所まで追い詰めることができた。

 悪夢の怪物の弱点である背中に断末魔と共に大きな眼が見開かれた。そしてヒューポーが叫んだ。

「今こそとどめを刺す時だ!」

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