25 こうして世界は元通りに再生した

 ひとつ目の太陽がソルボラ山脈の頂から顔を見せ始める。

 僕とヒューポーは風の村のはずれにあるレブリスの丘の上に並んで寝転び、朝焼けに染まる空を見ていた。

 昨日までの出来事が、まるで悪い夢を見ていたように思い出される。

 他のふたりの「僕」は鏡の精霊によってそれぞれのファントメアに戻され、それぞれの世界でヒューポーとこの冒険を邂逅していることだろう。

 そして後は歌姫レブリスの歌声が世界を浄化すれば、すべて元通りになる。

「傷の具合はどうだい、ヒューポー」

「うん……」

 お互いに振り向きもせず、まっすぐと青味を帯びてきた空にふんわり浮かぶ白い雲を眺めていた。

「ゆっくり傷を癒せばいいよ。もうゴルティスも悪夢の怪物もいないんだから」

 そこに天空に浮かぶ月の国から歌姫レブリスの歌声が舞い降りてきた。

 それは気持ちのいい、心が洗われるような清らかで優しい歌声だった。

 歌声が降り注いだ野原では、枯れかけていた草花が息を吹き返し、荒れ果てた大地や山々には清純な水が流れ出し、小川や滝が姿を現した。

 でも世界がどんどん清らかに回復していくというのに、僕の心は晴れなかった。

 それはヒューポーも同じだろう。

 哀しみをたたえた顔でじっと空を見つめている。


「ヒューポー……月の国に帰っちゃうの?」

「…………」

 ヒューポーは黙っている。

 わかってるよ。ヒューポーは本当は月の国の王子なんだもんね。

 いつまでも下界にいるわけにはいかないよね。

 仕方がないよね。

 でも――。

「……でもまたすぐ会えるよね」

 僕は無理して明るい声でそう言った。

 そうしないと涙が出てきそうだったから。

「そしたらさ、また一緒に遊ぼうよ……前みたいにさ!」

 僕が無理に元気を出してそう言うと、ヒューポーが体を起こして僕の目を見つめた。

 ヒューポーは目にいっぱいの涙を浮かべていた。

 それは永遠の別れを予感させる涙だった。

「ヒューポー……」

「実は君は……本当は……」

 ヒューポーは涙を一粒こぼして言った。

「本当はこの世界に存在しないんだ!」

 えっ?

 何?

 それは予想していた答えとはまったく違っていた。

 だから不意を突かれて僕は混乱してしまった。

「崩れた夢のバランスを救うため、ぼくが君の世界から呼び出したんだ」

 僕はびっくりして飛び起きる。

「な、なに言ってるんだよ……」

「本当なんだ! この世界は君にとっての現実じゃないんだよ!」

「そんな……ううん! だってちゃんと覚えてる! 君と出逢ったことも! 一緒に遊んだりしたことも!」

 ヒューポーは僕から目をそらすと、

「それは……それはぼくが創ったいつわりの記憶なんだ……。それを君は、信じこんでいたんだよ」と言った。

「……う……うそだっ! うそだ、うそだ、うそだーっ!」

 僕は立ち上がって叫んでいた。

「うそじゃない、本当だ……。ゴルティスが言ってた異の夢……君の本当の現実こそが、この世界にとって、異なる夢ってことなんだ……」

「……そんな……」

「レブリスの歌が世界を再生させたら、君もこの世界にはいられなくなる……」

「いやだ! 僕はどこにも行かない! 行くもんか!」

「ごめん……でもぼくだって……ぼくだって!」

 その時、すでに真っ青に晴れ渡った天空に、ぽっかりと大きな穴が開いた。

 その穴の中はものすごい勢いで闇が渦巻いている。

 僕の体はその穴に引き寄せられて、ヒューポーの方に進もうとしているのに後ずさりしてしまう。

「帰るときが来たんだ。君の現実に」

 ヒューポーとの距離はどんどん離れていく。

 ヒューポーは顔を背けたまま、足を踏ん張って立ちつくしている。

 泣いてるの?

 悲しいよ。

 どうして?

 うそだよね?

 君と離れ離れになるなんて!

 僕たちはずっと一緒だよ!

 そう誓ったじゃないか!

 そしてついに僕の体はふうわりと宙に浮き、足が天に向かって引っ張り上げられる。

「いやだ! いやだよ! ヒューポー!」

 ぐいっとひと際強く体が引っ張られた反動で、思わず手を伸ばした。

 がくんと手が引っ張られる。

 ヒューポーだ!

 ヒューポーが僕の手を掴んでる!

「ヒューポー!」

 離れたくない、離れたくないよ。

 僕たちはずっと一緒だった。

 たとえ出逢いはいつわりでも、一緒に冒険した日々は嘘じゃない。

 いつだって一緒だったんだ。

「離さないっ!」

 そう叫びながらヒューポーは涙を浮かべ、歯を食いしばりながら全体重をかけて僕を引き戻そうとしている。

 しかし、吸い込む力はさらに大きくなり、ヒューポーの体も引きずられ、ついにはその握った手が、僕の腕から手へとずれていき、とうとう指先で引っ掛けるだけになってしまった。

 次の瞬間、ふたりの指はすり抜けて、僕は一気に穴に向かって吸い込まれて行った。

「ヒューポーォォォォ――」

 そして穴は閉じた。

 後には歌姫レブリスの歌声だけが響き渡っていた。

 こうして世界は元通りに再生した。

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