26 それから静かに瞼を閉じた
歌姫レブリスの歌声が舞い降りると、枯れ果てていた花々が次々と開き、色とりどりの絨毯が一気に広がって、先の丘、向こうの高見にまで野原を塗り染めていった。
川底を露わにして枯れ果てていた小川にも、澄み渡った清浄の水が流れ、魚が跳ね、泳ぎ、鳥が水をついばみ、動物が水浴びを始める。
森は瑞々しい緑を、山々は澄み切った碧さを取り戻し、風は優しく人々を包んだ。
ひとり佇むヒューポーは、じっと空の一点を見つめていた。
涙をしきりに腕で拭うのだが、そばから溢れ出て、止まらない。
エースにとってはここに残るのが異なる夢、幻であり、あちらの世界こそが本当に生きるべき現実なのだと自分に言い聞かせる。
そんなことは初めからわかっていたことではないか。
だからここは笑顔で送るのがせめてもの罪滅ぼしというものだろう。
ヒューポーは笑みを浮かべようとしてみた。
しかしなかなかうまくいかなかった。
空を見上げているのに涙がこぼれてしまうから。
夏目潤は戸惑っていた。
手元のゲーム機のモニターにふたつ三つ、涙のしずくが落ちて滲んだ。
「あれ? 俺、泣いてる?」
夏目は感動している自分に驚いていた。
真のエンディングを取り戻せたという達成感と、胡桃名への恩返しができたという喜びと、何より驚愕の真実を告げられ、予想もしなかった別れが突然訪れた驚きとがひとつになって心が震えていた。
あの時、会社を辞めなければ、この素晴らしい作品に参加できたのだと思うと、少し後悔の念がよぎる夏目だった。
ゲーム画面ではヒューポーが涙をこらえて必死に笑顔をつくって空を見上げている、そのシーンがストップモーションになって切り取られ、絵本の挿絵になる。
後ろのページから前のページへと次々にめくられていく絵本の各ページにスタッフテロップが被る。
今までの出来事が挿絵となり、時間を遡るがごとく、ページがめくられる毎に走馬灯のように思い出されていく。
――傷ついたヒューポーを掴んだ手。
――悪夢の怪物との熾烈な戦い。
ここでスタッフテロップにエグゼクティブプロデューサーとして才島さん、プロデューサーとして胡桃名さんの名前が表示された。
――続いて祭壇でのゴルティスとの戦い。
――鏡の間でのピート、シンディとの出逢い。
――月の国の王子だったヒューポー。
――太陽の神殿と月の国の復活。
――じっちゃんの死と別れ。
――森の魔女との出逢い。
――巨大人食い植物との戦い。
ここで夏目はあっと驚いた。
『協力』として夏目潤の名前が入っていたのだ。
楓馬の粋な計らいだろう。
「楓馬さん……俺もスタッフの一員にしてもらえたってことですかね」
ちょっと涙ぐみながら、鼻を拳でくいっと上げた。
――ソルボラ山の頂上でのゴルティスとの遭遇。
――そしてヒューポーとのあの出逢いの思い出。
最後に表紙が閉じられる。
そこには『なつめじゅん』と書かれていた。
FIN
フランス語で「終」を意味する「FIN」が表示されたその時、メッセージが飛び込んで来た。胡桃名さんからだ。
『夏目、協力してくれてありがとう』
思わず顔がほころんだ夏目にさらにメッセージが届く。
『それと夏目がクリハンで成功したのが何より誇らしいよ。おめでとう!』
夏目の大きく見開かれた目から大粒の涙がこぼれて落ちた。
「胡桃名さん、最高ですよ」
そう口に出しながらメッセージを送り終えると、喫茶店の端の席で夏目はゲーム機をスリープにして鞄にしまい、天井を仰ぎ見た。
その顔はとても幸せそうだった。
それから静かに瞼を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます