19 もはや万事休すだ

 潮隆二は相変わらずヘッドフォンで大音量のアニメソングを聞きながら、左手ではミニドーナツを頬張り、右手でマウスのホイールをカリカリと廻してプログラムをスクロールさせて眺めていた。椅子に深々と沈んで机の下にめり込んだような体勢で、そのままずり落ちそうな程だらしなく足を前に投げ出し、両手はミニドーナツとマウスに伸びている。まるで指先以外の器官のためにエネルギーを消費する事を極力避けるかのようにその太った巨体を椅子に預けていた。それはまるで炎天下でバテている水族館のトドだ、と楓馬は思った。

 しかし時折マウスを操作してプログラムの一部を選択し、そのプログラムの飛び先へジャンプさせてプログラムの構造を確認する時だけは極めて機敏に動き、首を前に突き出してモニターを凝視した。その瞬間の彼の目は獲物を見つけたライオンの目だ。そして何も不審な点がないとわかるとすぐさま元のトドへと逆戻りするのだった。


 楓馬は自分のプログラムの修正作業をしながら、逐一潮の動向を見張っていた。だからライオンの目が光る度に例の仕掛けが見つかるんじゃないかとヒヤヒヤしていた。

 潮は一・五リットルのペットボトルを左手で持ち、そのまま直接口をつけてグビグビと飲む。それもトドが餌を丸呑みしている様を連想させた。そう思うとちょっと可笑しくなってプッと噴き出してしまう。しかし次の瞬間その楓馬の顔が強張った。潮がペットボトルをドンと机に置いたかと思うと、すばやく体勢を立て直し、椅子に座り直した。そして目にも留まらぬ速さでキーボードとマウスを操作しだした。

 これは何か獲物を見つけたな、楓馬はそう直観した。

「ほうほうほう。これは何かなぁ。ねぇ楓馬さん。これは一体何をしてるんですかねぇ」

 潮は楓馬の方を見てニヤッと笑った。丸い顔はにやけた口元のおかげでさらに丸く見えた。

「ん? 何かおかしな点でもあったか」

 楓馬は極力平静を装って聞いた。

「いやね、エンディングに飛ぶ前のシーケンスでサーバーにアクセスしてますよね」

 予想より早く見つけたようだ。さすが楓馬が一目置くプログラマだけのことはある。

「あぁ、それは何人がエンディングを見たことがあるかのデータを取るためにやってるんだよ。営業部や宣伝部からの依頼で入れてるんだ」

「そうですよね、でもだったらサーバーに書き込みするだけじゃないですか。なのにここでは同時に読み込みを行なってますよね」

 パッと見ただけでは同時に処理していることがわからないように分散して書いたプログラムなのに、しっかり見抜かれている。楓馬は正直焦った。しかし平静を装う。

「それはな、エンディングに行ったことがないプレイヤーはエンディングをスキップできないようにしてるんだよ。間違ってスキップしちゃったら台無しだろ。それで、一回でもエンディングを見たらスキップが解除されるようにするためにサーバー上のクリア情報を読み込んでるんだよ」

「そうですか。でもそれならサーバーじゃなくて本体側のセーブデータに持っておけばいいじゃないですか」

 潮は獲物を楽しんで追い込むように、頬を膨らませるとペロリと舌で唇に付いたドーナツの砂糖を舐めた。

「まぁな、でもセーブデータは改竄される恐れがあるだろ。その点サーバーなら安心だ。それにどうせ一回アクセスする必要があるんだからついでに、な」

 潮はふぅ~んとイマイチ納得がいかないという風な顔で見つめる。

「エンディングにそこまでこだわりがあるんですか」

「当たり前だ。胡桃名さんがいつも言ってたぞ。ゲームはオセロみたいなもんだって。初め良く、終わりよければすべて良し。出だしと最後がバシッと決まると途中多少バランスが悪かったとしても、遊び終わった印象はすごく面白かったとなるって。オセロで両端を白で挟んだら間の黒がパタパタとすべて白に変わってしまうようにな。だからエンディングは重要なんだよ」

 楓馬は必死に話をそらしていた。なぜならそのエンディング前のサーバーチェックの先が書き込みと読み込みで別のデータを参照していることに気付かれたら一気に仕掛けがバレてしまう可能性があるからである。

「へへ、私もゲーマーの端くれですからね。エンディングの重要性は認識してますって」

「なら良かった」楓馬は席を立ちながら言った。「じゃあ俺、ちょっとトイレに行ってくるからよ」

 すると潮も席を立ち、「なら俺もトイレ。ジュース飲み過ぎて」と言う。

「田宮さんから目を離すなって言われてますしね」


 トイレに行く振りをして自分の席に戻ればいくらでも連絡のしようはあると思ったが、潮が付いて来たのではそうもいかない。楓馬はどうしたもんかと思案したが、ここでトイレに行かなければさらに怪しい。

 仕方なく楓馬は潮を従えて部屋を出た。

 そして途中顔見知りにひとりも出逢わずトイレに着いてしまった。

 トイレに入ると潮は小便器へと向かった。それを見て楓馬は個室に入った。

「どうも朝から腹の調子がおかしくてさ、コーヒーの飲み過ぎかね」

 潮は用を足しながら「早目に出て来てくださいよ」と振り返らずに言った。

 個室に鍵を掛けると便座に座り、すぐさまポケットから紙を取り出し、ボールペンを走らせた。途中トイレットペーパーをカラカラと引き出したり、水を流したりして時間を稼ぐ。

「楓馬さん、もう出て来てくださいよ」

 用を済ませた潮が個室のドアをドンドンと叩く。それにすぐさま応えるようにガチャッと鍵を開けてドアを開き、楓馬が出てくる。

「何だよ、おまえ。あんまり急かすから引っ込んじまったじゃねぇか、バカ」

 上から下まで舐め回すようにチェックして、何も変化がないことを確認する潮。

「だって田宮さんにしっかり見張ってろって言われてんですよ。さ、戻りますよ」

「わかった、わかった」

 潮に促されて楓馬はトイレから廊下へ出た。

 役員会議室に向かう廊下を進んでいくと、向こうから知った顔が歩いて来るのが見えた。鳴谷である。それを見て潮が後ろから足早に楓馬を追い越した。鳴谷と接触しないように壁になるつもりのようだ。

 鳴谷は書類の束を抱えて近づいて来る。楓馬は視線を廊下の窓の外へと逸らした。潮は歩きながら振り向いて楓馬を監視し続ける。

 そして鳴谷とすれ違う。一瞬鳴谷と楓馬が肩擦れ合う程に接近した時、楓馬はポケットから一枚の紙を滑り出させ、落とした。

 それに気付いた鳴谷が「楓馬さん、何か落としましたよ」と言おうとした瞬間、

「鳴谷、何か落としたぞ」と、楓馬が振り返って言った。

「えっ? あ、あぁ、す、すみません。ありがとうございます」

 そう言って鳴谷は腰を屈めてその紙を拾い上げ、持っていた書類の束に重ねた。

 潮はすぐさま走って楓馬と鳴谷の間に入り、鳴谷を見る。

「まったく、おまえはしょうがねーなぁ。ちゃんとやれよ」

 そう言うと楓馬はそのまま気にも留めずに役員会議室へと進んで行くので、あわてて潮が後を追って行った。

 そのまま二人が角を曲がって見えなくなると、鳴谷は急いでさっき拾った紙を広げて見た。


『これをコメダにいる夏目に渡せ』


 驚いて紙を裏返して見る。

「……これは……!」

 鳴谷はさっき楓馬が曲がった角の方を見た。そしてふと我に返って、廊下の端にあるエレベーターへと走った。

 下降のボタンを押して待つ。ピンポンと音がして扉が開く。すぐさま乗り込もうとすると、出て来た人にぶつかってしまった。

「どこへいくんだ」

 顔を上げるとそれは藤堂本部長だった。

「え? あ、あの、ちょっと喫茶店まで」

 そう言って鳴谷はしまったと思った。

「今、就業中だろ。休憩なら休憩室でしろ」

「あ、す、すみません」

 鳴谷は走って開発室へと戻って行った。

「まったく、なっとらんな、第一開発本部の連中は」

 藤堂はそう舌打ちしながら呟いた。


 席に戻った潮は再びトドの体勢でプログラムの解析を再開した。楓馬は鳴谷のことが気になっていた。鳴谷は純粋で素直な性格だ。でも天然な所があって、イマイチ気が利かない所もある。だからあの紙の意味がうまく伝わらないかもしれないという一抹の不安があった。もし、真意が伝わったとしても、うまく事を運べるだろうか。そんな懸念をめぐらしていると、不意に誰かに呼ばれている気がした。

「楓馬さん、聞いてます?」

 潮だった。いつの間にかヘッドフォンを外して話しかけていたのだ。

「トイレで小便しながら考えてたんですけどね、もし同時に読み込みと書き込みを同じサーバーにするのなら、プログラムを並記すると思うんですよ。なのに楓馬さんのプログラムは全然別の場所に書いてある。どうしてです?」

 不意打ちを喰らった上に核心を突いた指摘に楓馬は動揺した。

「それは……あー、あれだ。何。後から急遽入れたからだよ。時間がなかったからな、何しろ」

 じっと見つめている潮の方には顔を向けずに自分のPCのモニターを見続けながら何とかそう言った。

「ホントですかぁ。怪しいなぁ。よし、その辺をもうちょっと深掘りしてみるか」

 潮はすっかりやる気を出してしまい、ライオンの視線で姿勢を正してPCに向かった。

 しばらくすると目を輝かせてモニターを見ながら楓馬に聞こえるように話し始めた。

「あれあれあれ? 何か参照するアドレスが違ってますねぇ。これ、サーバーで何に使ってる領域なんですかね。一体このアドレスにはどこから書き込みがされてるのかな? よいしょっと。うん? メインルーチンじゃない所から書き込まれてるぞ。このサブルーチンは何だ。えーと、これがこれで、ふむふむ。ん? 何か文字列を判定してからこのサブルーチンに飛んでくるみたいだな。おやおやおや、ここからまた何かサーバーに書き込みを行なってるじゃないですか。これってどこですか? ここを参照するのはどのタイミングなのかな、っと」


 潮がマウスとキーボードを巧みに駆使してみるみるうちに楓馬のプログラムの仕掛けが暴露されていく。

「お。おぉぉぉ~。何ですか、これは? エンディングに行く前に参照するこのサーバーのアドレスをキーにして分岐してますよ。一体何と何に分岐してるのかな」

 大好物を前にしてよだれを垂らす潮は楓馬の横顔を覗き込み、エンターキーを叩いた。

「おぉぉーっと! これは何ですか。エンディングがもうひとつ入ってるんじゃないですか! しかもかなり大きいサイズで。このゲーム、マルチエンディングでしたっけ? 俺もデバッグに参加してましたけど、しょーもないエンディングしか見た覚えないですけどね。ね、先輩、これ見てもいいですか。ふふふ。ダメって言っても見ちゃいますけどね、えへへ」

 そう言って潮は強制的にサーバーからの情報を書き換えて真のエンディングを再生できるようにした。

 すると内線のPHSを手に取り、ボタンを押した。

「あ、田宮本部長、ちょっとおもしろいものを見つけたのでお見せしたいのですが……はい、……はい。では、お待ちしています」

 楓馬は黙って潮の席のモニターを見つめていた。

 今ここで真のエンディングが見つかってしまったならば、田宮は当然それを発動させるキーになるサーバーの書き込みを無化するように、潮にサーバープログラムを改変させてしまうだろう。そうなったら、たとえ隠しスイッチの場所が夏目に伝わったとしても、もう二度と真のエンディングが復活することはない。


「何だ、おもしろいものって」

 実に嬉しそうな顔で田宮が部屋に入ってきた。

「今から見るところです」

 潮がキーボードを叩くと、モニターに真のエンディングが流れ始めた。

「何だ? これは」

 田宮が眉をひそめて言うと楓馬を睨みつけた。

「楓馬くん、これは何かね? 誰がこんなものを入れろと言ったんだ?」

 楓馬は目をそらしたまま黙っていた。

「こんなものが入っているんじゃ再度アップデートするしかないじゃないか」

 こんなことでアップデートをし直すことになったら、ディレクターである自分に責任が及ぶことになる。それを恐れて田宮はヒステリックに叫んだ。それを潮が冷静に制する。

「本部長、大丈夫です。これを発動しないようにするのは簡単です。サーバーのあるアドレスが書き換わらないようにするだけでいいんですから」

「それは簡単なのか?」

「ええ、我が社のサーバーのプログラムをちょっと書き直すだけで、ユーザーのソフトはいじる必要がありませんからね」

 潮が得意気にそう言うと、田宮は気を取り直して楓馬の方を向いた。

「そうか。残念だったな、楓馬くん! 処分は追って伝えるから覚悟しておけ! 後は頼むぞ、潮くん!」と言いながら田宮は部屋を出て行った。会長や社長に言いつけに行く気だろう。

 潮はドーナツを口に放り込みながらエンディングに目を戻した。

 楓馬も黙ってエンディングを眺めていた。

 もはや万事休すだ。

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