29 そして僕は不思議に思う

 胡桃名は駅に入り、ちょうど到着した電車に再び乗り込んだ。

 電車は二両編成だったが、そろそろ仕事が終わって家路に向かう人々で混み始めていた。

 車両の一番先頭の、運転席の方を向いている席が空いていて、そこに座った。

 ゲーム機を鞄から取り出すとスリープを解除する。

 結菜からのメッセージが届いていた。

『ありがとうございます。人生に意味のないことは起こらない……ですね』

 それをじっと見つめながら、指でなぞってみる。

「人生に……意味のないことは……起こらない……」

 小声で読み上げてみる。

 真のエンディングを迎え、彼女を現実に返してしまった時、胡桃名は胸のざわめきを抑えられなかった。

 このままでは良くないことが起こってしまう。そんな予感がした。

 何か伝えなくては……。

 そうして送ったメッセージだった。

『生きていること自体に意味がある』

『最終的に君が選んだ道は必ず一番いいことに繋がっている』

 それは胡桃名が同時に自分に言い聞かせていたメッセージでもあった。

 シンディはサキではなかった。

 それではサキは一体どこへ行ってしまったのだろう。

 このことには一体どんな意味があるんだろう。

 ふと胡桃名の脳裏にさっき見た真のエンディングのシーンが浮かんだ。

 ピートは現実の世界からファントメアを再生するために呼び寄せられたのだった。

 そして無事世界が再生したら、もうそこにはいられない。

 つまり世界のバランスが崩れていたから存在できたのだ。


 ひょっとしたらサキはバランスの崩れた胡桃名の世界を再生するために別の平行世界から呼び寄せられたのかもしれない。

 もしそうならサキがいなくなったのは、胡桃名の世界が再生したからということになる。

 いや、待てよ。

 この今の状況が再生?

 どう考えてもそれはおかしい。

 信頼していた才島を失い、丹精込めた作品を途中で取り上げられ、信頼するメンバーを不幸にして信頼を裏切った。

 これが再生したと言えるはずがない。

 そう考えた時、胡桃名はもうひとつのビジョンに辿り着いた。

 逆に自分がサキの世界に呼び寄せられていたのだとしたらどうだろう?

 サキの世界のバランスが崩れていた。

 胡桃名はある日サキの世界へと呼び寄せられる。

 そしてある夜、胡桃名は現実の世界へと戻された。

 つまりサキの世界が再生したからだ。

 そうなると、あの雨の日の胡桃名とサキの出逢いは創られた記憶ということになる。

 元々こちらの世界にはサキは存在しなかったのかもしれない。

 そういえば、サキがいなくなったあの夜の部屋は、まるで元々サキがいなかったかのような感じがしていたじゃないか。

 タンスも姿見の鏡も本棚も、今思えばみんなサキがそもそも存在していなかったことを表していたんじゃないか。

 そうだ、自分が創った物語の迷宮に、いつの間にか迷い込んでしまっていたのだ。

 やけにリアルな夢は、もしかしたら別の平行世界での体験なのかもしれない。

 それが入れ替わった時、それこそが夢の正体なのかもしれない。

 そんな風に思えた。

 胡桃名は静かに目を電車の外に向けた。

 外ではまた雨が降りだしていた。

 走る電車の窓を雨粒が斜めに流れていく。

 幾筋もの雨の軌跡は追い越し、追い越され、くっついたり、離れたりしながら根を張るように伸びていく。

 それはガラスの表面で起こる水の分子と地球の重力と電車の推進力の絶妙なコラボのようで幾何学的に美しかった。

 それをじっと観察しながら胡桃名は思った。

 それなら今度はこちらの世界にサキを呼び寄せればいい。

 このバランスの崩れた世界にはサキが必要だ。

 そしてふたりで世界を再生するんだ。

 だからもう一度出逢い直すところから始めよう。

 それに今はなぜかきっとまた出逢える気がしていた。

 胡桃名は静かに目をつむると窓ガラスに頭を預けた。

 ガラス越しに伝わってくるコトンコトンという線路の継ぎ目を通過する振動。

 コトン、コトン。コトン、コトン。

 それはいつしか心臓の鼓動とぴったり一致して、深い眠りに誘うのだった。

 コトン、コトン。コトン、コトン。

 同じ車両の一番遠くの席でわぁという若者の歓声が聞こえた。

 それは夢の中で鳴っている遠雷のように、胡桃名の頭を朦朧とさせる。

 コトン、コトン。

 コトン、コトン。


 再びわぁという若者の歓声が上がる。

「あんなのの何がおもしろいんだろう?」

 ゲームで遊ぶ高校生たちを隣の車両から連結部越しに見ていた少女が口をとがらせてつまらなそうにつぶやくと、隣の少女が聞く。

「ハルカ、あのゲームやったことあるの?」

「うん、一回だけね。男子の間であんまり話題になってるから、どんなもんなのかなぁと思ってダウンロードしてみたんだけど、つまんないからすぐ削除しちゃった」

「へぇ、ハルカもスマホゲームやるんだ」

「まぁね、『パズルタムタム』とか。課金しないけどね。そう言う彩香はゲームはやんないの?」

「私はもっぱら携帯ゲーム機のゲームを部屋で寝る前にちょっと遊ぶぐらい」

「ゲーム機持ってるんじゃん」

「持ってるっていっても昔の機種だよ」

「そう言えば結菜が、最新の、何て言ったっけ、携帯ゲーム機……」

「サンテンドーターミナル?」

「そう! それ! そのターミナルを今日買いに行くんだって。私も一緒に付き合うことになってるんだけど、彩香も一緒に行かない?」

「あぁ~、行きたいけどね~、今日塾があるから」

「じゃ、仕方ないね。また今度ね」

 そう言うとハルカはちょうど駅に到着して開いたドアから駆け出して行った。

 振り向きざまに手を振ると、ドアが閉まる隙間から彩香が微笑みながら手を振っていた。

 そのまま電車はホームから走り去って行く。

 ハルカはエスカレーターに乗り、改札を抜け、空を見上げる。

 どんよりと曇った空から大粒の雨が落ちてくる。

「んもぅ、今日雨降るって言ってたっけ?」とつぶやくと、意を決して頭の上に鞄を掲げて走り出す。


「結菜ちゃん! 結菜ちゃん!」

 急に現実から呼び止められたように目を見開いて目覚めた結菜はベッドで起き直ると肩を揺すっているママを驚きの目で見た。

「結菜ちゃん、ハルカちゃん、来てるわよ」

「あ、しまった。……寝ちゃったんだ……」

「ハルカちゃん、待ってるんだから、早くしなさいよ」

 そう言ってママは階段を降りて行った。

 結菜は目をこするとベッドから飛び起き、机の上の鏡を覗き込んだ。

 何だか目が真っ赤に充血して腫れぼったい。

 まるで泣きはらしたかのような顔だ。

 ヤバいよ、こんな顔ハルカに見せられないよ。

 慌てて抽斗の中からファンデーションを取り出し、顔を叩いた。

 そもそも何で泣いてたんだっけ?

 さっきのさっきまで見ていた夢が思い出せない。

 何かとっても哀しくもあり、嬉しくもあることがあって、涙が止まらなかった気がする。


「はい、これで拭きなさい」

 奥の部屋から出てきた結菜のママが玄関に立っているハルカにタオルを渡しながら言う。

「結菜ったら寝ちゃってたのよ、すぐ来るからね、ここで待っててね」

「はい」とタオルで濡れた鞄や服を拭きながらハルカが微笑む。

 結菜が部屋を出て階段を降りて行くと、玄関先でママとハルカが話しているのが聞こえる。

「それなら貸してあげるわよ」とママが奥の部屋に走って行く。

「え、いいんですか? じゃあ、お言葉に甘えて」とハルカは遠くのママに声をかける。

 結菜はもう一度身なりを整えてから、玄関に降りる。

「ごめん、ハルカ、待たせちゃって」

「ううん、いいの、いいの。ちょっと早めに着いちゃったんで」

 そこへ奥からママがやって来て、

「これ、私のなんでハルカちゃん、嫌かもしれないけど」

 と言いながら傘を渡す。

「そんなことないですよぉ。おばさん、超可愛い~」

 結菜は靴を履いて玄関のドアを開ける。

「ハルカ、行こう!」


 外に出て結菜が青い傘をさす。

 後について出たハルカも傘をさす。

 それは赤かった。

 燃えるように赤い傘だった。

 坂を下りながらハルカが言った。

「寝てたんだって?」

「え? やだ、ママってば、もう~……」

 その時結菜はハルカの顔を見て、さっき見た夢の一部が蘇ってきた。

「それが変な夢見てて――」

 前に回りこんで振り向きざまにハルカが聞く。

「夢? どんな夢?」

「それがボクがいじめられて、引き籠ってるの」

「誰? 誰にいじめられたの?」急に真顔になってハルカが言う。

 ハルカにいじめられてたなんて言えるわけなくて黙っていると、

「夢でも結菜をいじめる奴はアタシが許さないよ」なんて言うからなおさら言えない。

 ハルカは立ち止まって、まっすぐ結菜の目を見る。

「あの時――アタシがクラス中からいじめられてた時、結菜がアタシのことかばってくれて、いじめるのやめようって言ってくれたから今のアタシがあるの。だから結菜がいじめられたら今度はアタシが守る番だよ」

「あ、ごめん、そういうつもりで言ったんじゃなくて……」

「いいって。これがアタシの本当の気持ち。以上!」といってハルカはふふふと笑いながら傘をくるくる回す。そういう仕草が結菜は好きだった。

「そういえば夢の中で今から買いに行くゲームをクリアしたんだよねぇ」

「え? エンディングまで?」

「そう。なんか衝撃的で、哀しいエンディングだった気がするんだけど、どんなんだったかは思い出せないの」

「それって予知夢ってヤツかな? なんか興味湧いてきた。アタシもそのゲーム買う! だから一緒にやろう!」

「うん」

 その時、雨なのに薄日が射してきて、青と赤の傘が輝きを増した。


 ガタン、と大きく車体が揺れて、胡桃名は目を覚ました。

 一瞬ここがどこだかわからなかった。

 どこかの電車の中だ。

 さっきまで夢を見ていた。

 何か充実感と喪失感がない交ぜになった夢だった気がするが、その糸口すら思い出せない。

 確かに握っていたのにそれは手のひらからするりとすり抜けて彼方へと吸い込まれていってしまった。

 そもそも何で電車に乗っているのだろう。

 どこへ行こうとしていたんだったか。

 何かとても大切なものを探すために電車に飛び乗った気がする。

 ふいに窓の外に目をやるとビル群が流れ、ビルとビルの隙間に差し掛かる度に真っ赤な夕焼けが目を直撃する。

 目を細めながら胡桃名は考えた。

 あれっ?

 雨が降ってなかったっけ?

 何かを思い出しそうになった瞬間、背もたれの後ろから楓馬が顔を覗かせた。

「胡桃名さん、次の次の駅で降りますよ」

 呆気に取られている胡桃名を見て、

「やだなぁ、胡桃名さん。ボケちゃったんじゃないの? 『シャトファン』発売イベントで記者会見するんですからね、しっかりしてくださいよ」

 そうだった。

 今日の『シャトファン』発売に合わせてパーティがあるのだった。

 胡桃名は人前に出て話すのが苦手だったが、プロデューサーである以上出ないわけにはいかなかった。

 やれやれ。

 可愛い作品を売るためだったら嫌でも仕方がない。

 でもやるからにはみっともない真似はできないぞ、と覚悟を決めた。

「わかってるよ、やる時はやるから。着いたら起こしてくれよな」

 そう言って眉間をつまんで首を振る。

 しかしまだ頭は朦朧としている。

 そっと瞼を閉じていく。

 その一瞬の隙にはす向かいの席にスカートを履いた女性が一人座っているのが見えた。

 見えたと言っても足元だけなのだが、彼女が椅子の手摺りに傘の取っ手を引っ掛けているのも見えた。

 それは真っ赤な傘だった。

 胡桃名は薄目でその真っ赤な傘を見てから、そっと目を閉じた。

 目をつむったまま、少し微笑んだ気がした。

 それからそのまま再び束の間のまどろみについた。



             そして僕は不思議に思う。


      朝目覚めると確かに見たはずの夢が思い出せないことがある。


          その夢は一体どこへ行ってしまうのだろう。


     でも、その日の夢は鏡を見るようにはっきりと覚えているんだ。



                 おわり

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エンドレスゲーム~夢見る城~ 桜咲秀一 @SAKURAZAKI

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