第27話

『ダメよ。狂介。誰もそんなことに協力はしないわ』

 シロノの思念が強く、響いた。命令するようだが、冷たくは感じない。引き止める思いを感じた。

『教授。今、俺に情けなんかかけてる場合ですか』

『あなたのおかげで解法が見つかったの。戻ってらっしゃい』

 どこか、懐柔するようだった。

『せっかく覚悟したのに止めないでください』

『――強制転送。ここまで戻りなさい』

 強烈な思念とともに、抗えない力が狂介をシロノの元まで跳ばす。


「狂介。あなたのアイデアを使わせて貰うわ。あなたじゃなく、あの巨体そのものをサイコハザードに変える。サイコハザードが発生するまで、あの脳全体に「恐怖」を叩き込む。発生したら隔離ね。何度でも使えるし、「外の連中」の思惑は無力化できる」

「俺のアイデアってほどじゃないですけどね」

「――これに懲りて「外の連中」も大型を作らないようになるといいわね」

「俺の怒りをぶつけてやりたかったんですけどね……」

 シロノが真顔になる。狂介に向き合った。

「まだ悲壮になるには早いわ。自己犠牲にも早い。いい? あなたもこのドームそのものなの。壊したくないの。わかって? あんな人型が最後の敵だってわけじゃないでしょ? ――いくわよ」

 シロノの目が、これまでに見たことのない鋭さ――冷たさを湛えて巨人を睨んでいた。

「『恐怖』。わたしの最強度の、恐怖。いかなる怒りも消し去る、恐怖。Uクラスの皆も手伝って」

「人型」は吼えたように見えた。

「まだまだ。これからが恐怖」

 シロノの言葉に、ぐずり、と人型の周りの空間が――崩れた。サイコハザードが広がり始めたのだ。

 人型はその輪郭を失っていく。存在、非存在が混じり始める。

 まるで、空間に穴が開き、何か見てはならないものが垣間見えるかのように思える。

 現実に、リアルに「人型」が捩れていく。ありえない形に変形していく。まるで、粘土を捻るかのように形が崩れていく。

「醒める事のない恐怖を。永遠に」

 シロノは空間を――定めるかのように断言した。

 一瞬、人型が崩れ落ちる前に、手足が出鱈目に動いたように見えた。

 倒れ伏した人型は、奇妙な動きを何度か繰り返すと、まるで靄がかかったように輪郭を崩して行った。暗黒。半透明。靄。不明瞭な場所。

 見えない何かに咀嚼されるかのように、崩れていく。

 咀嚼しているものがあるとすれば――それは人型を構成する脳自体の「恐怖」だ。自らに喰われているのだ。

「中央管理区のビルも、突入した辺りは歪んでたでしょう? サイコハザード、生成完了」


「……助けられたな。覚悟が無駄だった」

 夜になっていた。狂介は鳥埜の家――店の居間にいた。

 まだ焼けたような、爛れたような跡は狂介に残っていた。鳥埜が朝までに治す、と言っていた。

 それだけ「自分自身のイメージ」を狂介が「火の海」で壊してしまったのだ。

「治る」のに抵抗しているのは、怒りに駆られた狂介自身だった。

 燃え滾る自分自身を鮮明に覚えている限り、狂介の完全治癒はない。

「――覚悟、とか思い詰めないで。これからでしょ。戦いは。治らないから、のんびりして。お願い」

 しばらく襲撃はなさそうだ、とシロノが言っていたが、誰にも断言はできないだろう。

 狂介は嘆息すると、伸びをする。なるべく意識をフラットに――何も考えないようにする。

 それでも勝手に、戦いの記憶は頭を占める。

「どこから襲撃が来るのか、未然に防げるのか、ミノリさんが調査するみたいよ」

「脳を見て思った。相手が誰だろうと怒り狂ってるのは変わらない。ほっといても、また来るだろ」

 あれだけの怒りに触れたのは初めてだった。

 相手が誰だろうと必ず殺す。

 それ以外に、精神には何も感じなかった。怒りだけの精神。

 同士討ちをしないのが、不思議なくらいだった。

 狂介自体にも、あの精神と一体化できるほどの怒りはあった。

 強烈な火そのものとなって。

 どこかで――同じ感情を抱いたことがあるように思えた。

 ずっと昔、記憶のない頃。

 まだ鳥埜に拾われる前。


 どうして、なぜ、はあの怒りの前には通用しない。

 説得などできない。

「蟲」一体に至るまで、全てが炎のような怒りだけで包まれている。

 それならばそれで、何度来ようと倒すだけだった。

 怒りでは負けていない。

 ドームを守ろうという思いでも負けていない。

「蜘蛛」の犠牲者を考えると、再び燃え上がるものがあった。やつらと同じ次元で考えてはならない――と思うが、沸き上がって来るものは怒りだけだった。

「悪いけど頭、読んだから。大人しくして。落ち着いて。治すことだけ考えて、ね?」

 狂介は必死に怒りを鎮める。


「外の連中」が自分たちを生粋の能力者と言い張ろうと、実際に襲撃をしてくるものは怒りの塊だけだ。何度やっても無駄だと思わせるまで、襲撃は続く。間違いない。

 怒りが怒りを生む。今はそういう状態なのだ。

「外の連中」が負けたと思うことは、決してないのかもしれない。

 彼らは、自ら危険を冒しているわけではない。

 その代わりに、作られた化け物が届けられるだけだ。

 何度全滅しようが、作っている側は何も感じないだろう。蛆虫を作っては撒いているだけだ。そんな悪趣味に、終わりがあるとは思えない。


「狂介、黙っちゃってどうしたの?」

「――あんまり喋る気になれない。ごめんな」

 狂介は畳に頬をつけて、横になっていた。鳥埜には脱力したように見える。

「能力者とは、とか考えてたんでしょ」

 ん、と狂介が鳥埜の方を向いて転がる。肘をついた。顔が向き合った。

「……いや、「蟲」も人型も、俺が思う「能力者」じゃない。あれは、「蟲」とかは武器にも劣る、「壊れた」道具だ。しかも際限なく来そうだし、本当は一生関わりたくない。でもこのドームに来る以上、俺が絶対に排除する。……今日は壁まで入られたのが――気分悪い」


 ただ戦うために――違う。ただ怒りを撒き散らすためだけに作られて、ばら撒かれて、勝手にドームを目指して、しかも中まで破壊しようとする。

「蟲」を始めとする――生体兵器。しかも、あれは「人」だ。

 怒りに震える脳が、内蔵されている。


 鳥埜はなぜ、と思ってしまう。けれど「外の連中」に理由はないのだろう。

 あれだけ怒りに煮え滾った精神を作り出す連中の、考えることがわかるわけがない。

 たぶん永久に謎だろう。作っている奴等だってまともだとは思えない。

 もしかして――怒りに支配された「空中都市」でも出来てしまったんだろうか。

「空中都市」――「外の連中」、ウニヴェルサリスの宙に浮いた、高度千メートル以上の大伽藍。

 伝染して空じゅうに拡がってしまった――のだろうか。

 あるいは、それこそサイコハザードでも起こして、地上に落下し、際限なく「蟲」や「人型」という悪夢を産み出すだけの場所でもできたのか。

 ――わからない。わかりたくもない。

 あれだけの怒りなんて理解できるわけがない。


 人型は狙い通り、サイコハザードになった。隔離したまま、それこそ永遠に――寿命が尽きるまで、自らの恐怖の中から出られないままでいる。同じ方法で、大型のものは片端からサイコハザードにしてしまえそうだった。

 ドームの近くにそんなものがあるのは好ましくはないけれども、利用はできる。

 と、鳥埜は考えていた。

「蟲」程度ならば、誘きよせれば、簡単に「人型」の巨大なサイコハザードに巻き込まれて無力化する。

 自分の怒りで、幾らでも自らの敵を産み出す。

 さらに安全にドームを守れる日まで、サイコハザードを利用させて貰う。

「……立ち入り禁止区域が増えるね」

「ああ。たぶん同じ事考えてたな。街の人にも危ないから、サイコハザードの置き場所を考えないとな。理想は――こんなことに理想なんかないけど――ドームから離れた場所にまとめて配置する。誘導が効けばある程度、「蟲」程度なら誘いこんでサイコハザードで、自動的に排除できる。後々、あんまり広げ過ぎると酷い事になるけどな」

 狂介はうず高く積み上がった――不明瞭に霞む場所を想像した。それが巨大化したサイコハザードだ。

 もう随分前に感じるけれど、中央管理区のサイコハザードも、蜃気楼のようにゆらゆらと実体が不確定なまま、揺れていた。ビル全体が歪んだように見えたのだ。サイコハザードに、精神の擾乱に、「本当の姿」というものはない。

 何でも起こり得る。そして、どこまでも不確かなままだ。

 街の外にもあるサイコハザードの中には、ゆらゆらと移動するものもある。

 一つの都市ほどの――言って見れば幽霊のようなものが風に吹かれたように揺れ動き、時にはドームに迫る。

「狂介がやろうと思ったから、人型も排除できた。そこはみんな――危ないけど――認めるべきじゃないかなあと思う」

 座布団に頭を載せて、鳥埜が天井を見ていた。

「まさか。――出鱈目に考えただけだ。もっといい方法が必ずある」

「方法は危ないけど倒せたからいいの。次の時考えればいいでしょ。あのまま突っ込ませてたら――あたし、一緒にサイコハザードに入るつもりだったんだからね。もう、あんなことはやめてね」

「……他に手が思いつかなければ……どうかな」

「だめ、やめて」

 鳥埜が身を起こすと、狂介を睨む。どこか、寂しそうに見えた。

「あたしが一人になってもいいの? ……いい。答えなくていい。いざとなったらどっか行っちゃうんでしょ。狂介」

 お互いに息がかかりそうな距離だった。

「世話になってるから、突然はない。いや、ないよ。鳥埜。ごめん」

 どこも見ていなそうな狂介の顔を諦めたように見て、また鳥埜は天井を見る。

「いなくならないって誓って。じゃないとここから追い出す。寝かしてあげない」

「……誓うよ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る